南京大虐殺はなかった
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シナ蓄が日本の民間人を虐殺した通州事件をすりかえただけ 歴史捏造はシナ蓄の国技 朝鮮ヒトモドキと同じ下等な野蛮動物だ 「虐殺はあった」派の最大の弱点は、証拠を示せないこと。 すでに、偽造写真のように、ニセの証拠も出していること。 反論したしたで、さんざん論議した後で「大虐殺」の話じゃないからダメと壮大なちゃぶ台返しを何度食らったことかw 南京虐殺と云えば朝日新聞の本多勝一が有名だが、 本多勝一は同じ「中国の旅」連載の「万人坑」の抗議に こういう弁明をしている。 >「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、 >抗議をするのであれば、中国側に直接やっていただけませんでしょうか」 この発言を考えると南京虐殺の記事も中国側の言うことを そのまま記事にしたと思われる。 恥を知れ、本多勝一! 結局何をどう論議するのか詰めないのかよw それだから言いたいこといいぱなっしになって永遠ループ まあそれが目的なのだろうが 日本が中国の30万人説に抗弁出来ないのは自業自得なんだよね 終戦後すぐに公文書焼却の閣議決定を出して証拠隠滅しちゃったから軍の記録を元に反論出来ない 南京事件(南京大虐殺)はあったと、とっくの昔に結論が出ている 証拠は一次史料等を見れば明白だ 専門家はあったと判断しているが、犠牲者数が不明なだけだ 今頃「南京大虐殺はなかった」と喚いても笑われるだけだ 散々妄想を垂れ流した、お馬鹿さんらは何処かに逃亡してしまったがw たった1人で百人斬りは不可能という疑問に対して、 本多勝一記者「日本刀で100人を斬ることは血糊がこびり付いて できないというが、使い方によっては斬れる。 もし斬れないというなら時代劇に出てくるシーンはあり得ないことになる。」 だから、そういう論争する前に、「大虐殺」を云々するスレなのか「中虐殺」でよいのか? 何を論争するのか決めてくれよw そうじゃないと、延々論争した後で、「大虐殺」ではないから俺の勝ちなんていきなり宣言されてまたループ なんどこれを繰り返したことか!! 「大虐殺」にこだわるのかそうじゃないのか、もしこだわるのなら何を持って「大虐殺」というのか それからその定義の根拠を明示してくれよ。 >11 >南京事件(南京大虐殺)はあったと、とっくの昔に結論が出ている 出ていない。 >証拠は一次史料等を見れば明白だ どの一次史料か? 特定できるように記述されたい。 >>15 >出ていない。 南京事件の根拠は、戦闘詳報、陣中日誌、兵士の日記、幸存者の証言などの一次史料から、専門家があったと判断している。 『南京事件』 秦郁彦 『南京事件』 笠原十九司 「いわゆる『南京事件』の不法殺害」 原剛 (原氏は研究家だが学術論文を発表している) これに異議を唱えている専門家はいない。 南京事件はあったとするのは、歴史学者らの共通の見解だ。 >どの一次史料か? 特定できるように記述されたい。 『偕行南京戦史』に記載されている捕虜の処断 @ 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。 A 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。 B 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。 C 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。 D 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。 これらの捕虜の処断は、南京事件はあったとする歴史学者らの共通の見解(証拠)だ。 異議があるなら、研究者に直接問い合わせしてくれ。 日本側の研究では犠牲者数を2万〜20万人とした。 (日中歴史共同研究 日本側論文) 犠牲者数は、戦闘詳報に記載された数に不法殺害者数を加えた数字だ。 戦闘詳報の数字は全員ほぼ認めているが、研究者ごとに不法殺害の推定数が異なるので、全体としての犠牲者数は不明だとする理由だ。 「南京大虐殺はなかった」と主張するなら、否定する学術論文を書いて発表しなさい。 結論を先に言うと、今までに実行できた人は皆無だ。 >>16 ちょっと確認なんだけど ①の「摘出した便衣兵」って便衣兵と確定した訳じゃなくてその容疑のある人間 じゃなかった? 民服着用で敵対的行動を取らないと便衣兵に該当せず その人達は敵対的行動を取っていないから便衣兵の定義から外れる また安全区内での日本軍側の便衣兵による被害報告が無い 疑いがあるだけの民間人を簡単な取り調べだけで裁判も経ず処刑しちゃったから非難された ま、下っ端兵士から将校まで数々の記録、証言が揃ってるから無かった、とするのは無理筋ですよね >>16 『南京事件』 笠原十九司 1999年より南京師範大学南京大虐殺研究センター客員教授、 2000年より南開大学歴史学部の客員教授を務める。 笠原ってガチで中国の御用学者じゃんw >>16 >便衣兵六六七〇名の処断。 便衣兵って悪質な国際法違反だから処刑は適法だよ >>19 捕縛されたのは便衣兵の定義に当てはまらないから違法 >>17 戦闘詳報は「敗残兵」と記述している 例え「便衣兵」だとしても、軍律会議を経てから処刑しなくてはいけない 歩兵第七連隊『戦闘詳報』 自十二月十三日 至十二月二十四日 南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊 一、射耗弾 小銃 五,〇〇〇発 重機関銃 二、〇〇〇発 二、刺射殺数(敗残兵) 六、六七○ 三、鹵獲品 (略) (『南京戦史資料集I』 p.524) 南京城陥落の時点で、支那兵は降伏していない。 降伏とは敵味方双方の軍の正使を通じ、堡塁・城塞に立て籠もる守城側が抵抗の意志のないことを攻城側に通告、攻城がこれを受け入れ、双方があらかじめ合意した手続き・方法により守城側の兵が武装解除して初めて成立する。 日本側は12月9日、数千枚の降伏勧告状を空中散布している。支那側がこれに応じていれば何の問題もなかった。 12月10日正午、降伏勧告状で指定した場所に支那側の軍使が現れず、更に一時間待ったが、それでも現れず、支那側に降伏の意志はないと日本側は判断し、午後1時から各城門付近で砲撃戦に入った。 12月13日早朝、支那側の各城門での組織的抵抗は止み、日本側は残敵掃討に入り、城内でなお抵抗をつづける敗残兵の掃討をした。この日を以て南京城陥落の日とされる。 便衣兵とは、民間人の服を着用して市民になりすましている敵兵の事であり、彼らの多くは安全区二十万人のなかに紛れ込んでいた。降伏の意志の表明がない以上、彼には抗戦の意志があるとみなすほかはない。 隠匿武器がトラック50台ぶん発見されている以上、彼ら便衣兵を摘発・処断することは適法である。その際、軍法会議をする余裕があればやっても良いが、余裕がなければ、その場で射殺しても良い。なぜなら、便衣兵は拳銃/手りゅう弾を隠し持っているかもしれず、反撃されると防ぐ手立てがないからだ。 便衣兵の摘発・処断をもって「南京大虐殺」とするなら、それはおカド違いである。 >>22 >拳銃、手榴弾を隠し持ってるかも知れず で、持ってる便衣兵は居たのかな? 持ってる人間は便衣兵として扱って差し支えないよね でも「摘出」され「処断」された人間は武器を隠し持ってなかったよね? >23 隠匿武器がトラック50台分発見されているんだよ。 便衣兵をおっぱなしたら、連中はそれを隠し場所から 持ってきてレジスタンスに使うだろう。 実際に、将校らが就寝中に手りゅう弾が投げ込まれ て死傷者が多数でている。 便衣兵の摘発・処分は適法だ。 おまえらは、今、イスラエル対ハマスの戦いで、戦闘員が民間人に成りすまして市民に紛れ込むことがどんなに危険なことか、現実世界で見ているくせに、まだ便衣兵をかばうつもりか。日本軍が兵民分離をして、敗残兵と判断した連中を処分したことは適法だ。その中に市民が紛れ込み誤って処刑されたとしても、完全は期しがたい以上、日本軍に責任はない。降伏勧告に応じず、おのれらの軍民を置き去りにしてトンズラした蒋介石や唐生智の責任である。 >>24 論点をすり替えてるね 「摘出」された人間は武器を所持、機密文書を所持淘汰の敵対的行動を取ろうとしていたの? してないよね? 便衣兵の定義を勝手に範囲を拡大しちゃダメでしょう >>22 >便衣兵とは、民間人の服を着用して市民になりすましている敵兵の事であり 重要な要件を省いていませんか? 上記に加えて「敵対的行動を取るもの」があります 『「便衣兵」の定義について、”軍服着用などの交戦者資格の有無のみならず”「害敵手段(戦闘行為やテロ行為)を行うもの」を「便衣兵」とみなすと戦前の国際法学者信夫淳平は説明する。 つまり「便衣兵」の定義について、「交戦者たるの資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから」』 >>24 手榴弾を投げ込んだ人間が民間人の服装をしていたのなら、それは便衣兵の定義に合致するから処刑は合法 「摘出」された人間は民間人の服装でどんな害敵行動を? 敵対行動を取ろうが取るまいが、落ち武者狩りをするのは当然だ。 規律の厳しい日本軍で大虐殺なんてあるかな もしそうなら他でも虐殺やってるだろう 蒋介石の中国軍は規律の緩い愚連隊のような軍隊だったが、 その上、蔣介石や唐生智は徹底抗戦を命令してトンズラ。 中国軍はパニックになっただろう。 日本軍が南京に到着する前にすでに南京市民への虐殺暴行があったのは 外国人記者の証言からあきらかになっている。 >>33 南京虐殺を否定する根拠にはならないよねw 日本軍側の記録があるんだから しかも公文書焼却しちゃったもんだから中国側にロクに抗弁も出来ない 証拠隠滅してるんだから >>32 参謀総長閑院宮載仁親王が38年1月4日付で「軍紀風紀において忌々しい事態の発生」とまで言ってるが? ≻36 具体的ではないな。長閑院宮は司令部にいただけだから、周囲のうわさ話を書き留めただけとも 考えられる。 ≻公文書焼却 B29の焼夷弾攻撃で失っている記録も膨大なのだが。 >>37 それを裏付ける軍の記録、個人の日記があるから虐殺は証明されてるんだよ 人数に上下があるだけでね >>38 なんの反論にもなって無い 証拠隠滅を図った時点でね >39 >それを裏付ける軍の記録、個人の日記 具体的に何をさすわけ?まさか、中帰連の連中が書いた手記類 ではあるまいね。 「便衣兵」を「処刑」する場合は軍律審判等が必要ですが、「敗残兵」を「攻撃」する場合は軍律審判等は必要ありません。 >>42 中国政府の公式見解では南京で30万人虐殺されたというけど、 その証拠はどこにあるの?30万人の虐殺死体があったの? >>44 > そんな国際法の規定がどこにある? ハーグ陸戦法規ですが。 攻撃が禁止されているのは「降伏の意思表示をしている敵兵」に対してです。 しかし敗残兵は「降伏の意思表示」をしていません つまり「敵対行為を継続している敵兵」です。 「敵兵」を攻撃するのに裁判など必要ありませんよ。 まあ「南京で30万人虐殺された根拠と具体的な物的証拠が《絶無》」な以上、中共の主張は崩壊しているw 結局「南京大虐殺はなかった」と断言できるw ☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう54☆★☆★☆ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1568775604/ 南京で助けられた中国がいよいよ米国と対決 コロナ発生源論争が想起させる壮絶なプロパガンダ合戦 https://web.archive.org/web/20200514052626/https ://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60505 また、教会委員会は中国国民党政府や中央宣伝部の指示を受け、かつロックフェラー財団に支えられて 対日批判活動をしていた太平洋問題調査会と連携し、資金や人材をはじめとして何千万人を擁する教会の 支援を受ける。 ティンパーリーによって米国に派遣されたフィッチは、南京在の宣教師どころか、ルーズヴェルト大統領 にさえ影響を及ぼす力をもつ米国委員会と教会委員会に発起人や副会長として名を連ねた人物であった。 こうした経緯はピューリッツア賞など数々の賞に輝き、米国で最も傑出したジャーナリストとなる セオドア・ホワイトの行動(『歴史の探求』)からも見て取ることができる。 その後、4月10日以降の年内は重慶(?介石政府)の中国情報部顧門として働く。 「私は米国世論を操るために雇われたのだ。日本に敵対する米国の支援は、政府が生存を賭ける唯一の 希望だった。米国の世論を動かすことは決定的必要である」と認識する。 そこで、「米国言論界に対して嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくのだ ということを米国に納得させるためなら、どんなことをしてもいい。それが必要なことだと考えられていた」 と述べている。 横レスだが >>46 この場合の「敗残兵」とは、戦いに負けて敵に拘束され武装解除された兵士だ。 戦いなんかしてない。だから「降伏の意思表示」なんて関係ない。捕虜にするだけだ。 おまえ、ハーグ陸戦法規を理解してないなw >>47 へえw おまえさんは、中国共産党が主張する「30万人」を資料に基づいて否定できるんだな? やってもらおうか。おれも「30万人」を否定する資料を知りたいから。 虐殺を否定するには国際法や便衣兵の定義を勝手に変えたりあの手この手を使わないといけないのか 歴史修正するのも一苦労だねw >>47 でたーw 早くから予言していたのが本当に出るとはw お笑いw >>50 >この場合の「敗残兵」とは、戦いに負けて敵に拘束され武装解除された兵士だ。 >戦いなんかしてない。だから「降伏の意思表示」なんて関係ない。捕虜にするだけだ。 >おまえ、ハーグ陸戦法規を理解してないなw 戦いに負けようが、敵に拘束されようが、武装解除されようが「降伏の意思表示」をしないなら「敵対行為を継続する」とみなされるだけ。 お前の脳内の「捕虜」は「武装解除に従わず手榴弾を隠し持ち」「拘束されても相手が少人数なら暴れ出す」のかよw 実際「戦いに負け」、「敵に拘束され」、「武装解除され」それでも敵対行為の意思を捨てず、「手榴弾を投げつけてきて暴れ出して」敵対行為を行なっているのだがw これのどこが「捕虜」なんだよw 六車正次郎氏の証言(歩兵第九聯隊第一大隊副官) 「一ヶ小隊で中山門東方紫金山中の警備を担当したが、夜半、東方の山中から敗残兵数百名が、日本軍の居るのに気付かず、南京に向かって来たのを捕えた。 しかし我々の人数が少なく、もし小人数と判れば危ないので、銃を取りあげ凹地に集結させ、外側の兵のみを電線で縛って逃げないようにした。 ところが、日本軍が小人数とあなどったのか、手榴弾を投げつけてきて暴れだし、収拾がつかなくなったので、軽機・小銃で弾丸のある限り射った。小隊長も、手向かってくる敵を斬りまくり刀が折れた」 (「証言による『南京戦史』(8)=「偕行」1984年11月号 P7) >へえw >おまえさんは、中国共産党が主張する「30万人」を資料に基づいて否定できるんだな? >やってもらおうか。おれも「30万人」を否定する資料を知りたいから。 まずは「中国共産党が主張する「30万人」の資料」を出せよw 中共はただ「あった。あったと言ったらあったんだ!」と喚いてるだけで私の知る限り「根拠となる具体的資料」が皆無なものでw 話としては単純w 「あったと主張する側が資料を出すだけ」w しかし今まで「客観的に判断できるまともな資料」が出てきた事は無いw 最初w 「民間人30万人」 ↓ 「軍民30万人」 ↓ 「軍民10万人」 ↓ 「捕虜10万人」 ↓ 「捕虜(便衣兵)数万人」 ↓ 遂に場所も期間も南京と関係なく見境無しw 「上海から南京までで100万人!」 ↓ さらに矮小化w 「一人でも死者が出れば虐殺!」 30万人を主張していた連中と比較すると、現在のあった派は随分せせこまい事しか言えなくなったなあw 正確な資料の前にはもはやその程度しか主張出来なくなったという事だろうがw >>55 だから、最初にこのスレでは何があれば肯定、否定になるかはっきりさせろと最初から書いていただろ。 それを無視して都合が悪くなると直ぐこれだ。 中共が主張する30万人虐殺説は簡単に否定できる。 A.まずは簡単な計算と写真から。 東京裁判で認定している虐殺の期間は@南京市陥落直後から、A2月初旬のB約6週間。 南京の陥落は1937年(昭12)12月13日。これは動かない。 仮に@を12月14日、Aを翌年2月10日とすると、16日(12月)+31日(1月)+10日(2月)はトータルで57日となる。 30万人÷57日=5,263人/日の殺害となる。 ➂ 6週間は42日だから、この場合は、 30万人÷42日=7,143人/日の殺害となる。 毎日、5千人から7千人が殺されている町の様子が、↓これである。 南京写真集 https://www.howitzer.jp/history/page11.html (B.資料から検証に続く) >>56 最初からはっきりしているw あった派が「虐殺の根拠となる具体的な資料」を出せれば肯定、出せなければ否定というだけw しかし今まであった派がまともな資料を出してきた事はないw せいぜいあった派にできるのは、戦闘詳報に書かれた「敗残兵」を捕虜だの便衣兵だの市民だのに根拠も無く勝手に脳内変換して「虐殺だ!」と喚き散らすだけw それですら「戦争で軍人が僅か数万人死んだだけ」w あった派が「虐殺の根拠となる具体的資料」を出してきた事あったか? なぜか「作成時期不明で匿名で虐殺理由の具体的記述皆無の日記」が虐殺の根拠になると思っているバカならいたようだけどw 論理的思考ができるなら「あった」と主張する側が根拠を出せばいいだけなのだから、あった派がまともな資料を出せなければそれで終了w 虐殺の資料は存在するが「あった派」が虐殺を証明できない ↓ 「あった派」が無能なだけw 虐殺の資料は存在するが「あった派」が見つける事ができない ↓ 「あった派」が無能なだけw 虐殺の資料は存在しないが「あった派」があったと主張しているだけ ↓ 「あった派」が無能なだけでなく、論理的思考ができない異常者なだけw >>61 >>62 勝手に便衣兵認定して敗残兵を処断しちゃダメでしょう >>62 そんな立派な根拠がある歴史的事実なんて実際あるのかよw 現代の教科書に載っている歴史事実だって、例えば柳条湖事件なんか証拠といえば花谷正の証言しかないぞ。 まあ、当時からビンビンと日本軍の仕業だと噂されていたようだけど。 >57の続き: B.史料に現れた数字から中共の30万人虐殺説を否定する。 1.ラーベ日記(「南京の真実、ジョン・ラーベ著 講談社」)の11月28日の条に、「警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人住んでいると繰り返した。」と記述されている。 2. 「南京安全区档案(Documents of the Nanking Safety Zone)」は、日本軍による南京市占領時、安全区(難民区)に滞在していた20人余の欧米人が、ほぼ二、三日置きに苦情・要望書を日本大使館に提出した、それら書面を一冊に合本したものである。 この本に於いて、12月中の南京市人口を4つの書面(第9、10、20、26号文書)で触れているが、いずれも20万人である。これに対して、翌年1月中の南京市人口を6つの文書(第41、43、46、47、49、54号文書)で触れているが、いずれも25万人である。 3. 「南京特務機関報告」(不二出版刊「華中宣撫工作資料」に所収)の「三月中状況」に「逐次復帰者の数を増し、既に南京の人口三十八万を下らざるものの如く」あると記述されている。 南京市の人口は日本軍による虐殺(東京裁判の判決文は20万人以上とする)があったとされる期間を経ても減っていない。難民区を管理していた国際委員会も、人口が虐殺により減ったとする認識を示していない。 中共の言うところを数式で示すと、20万人−30万人=25万人 となる。中国人は引き算ができない。 >54 こと近現代史に関する限り、教科書の記述はアテにならない。 アメリカがVENONAの資料を公開するには50年かかった。ソ連が 崩壊して内部文書が明らかにされつつあるが、まだ十分ではない。 中共が自分のところの内部文書を一般公開するとは考えられず、 公開されても信ぴょう性に問題がある。 大東亜戦争について評価が定まるには、百年かかるかも 知れない。まだもう少し時間がかかる。 >>54 >戦いに負けようが、敵に拘束されようが、武装解除されようが「降伏の意思 >表示」をしないなら「敵対行為を継続する」とみなされるだけ。 だから、何で「降伏の意思表示」が必用なんだ? >実際「戦いに負け」、「敵に拘束され」、「武装解除され」それでも敵対行為の >意思を捨てず、「手榴弾を投げつけてきて暴れ出して」敵対行為を行なっているのだがw 武装解除が甘かった、いい加減だったのだから、日本軍の責任だ。 >まずは「中国共産党が主張する「30万人」の資料」を出せよw 何で? おれは中国共産党が主張する「30万人」は真実だと思ってないし、可能性は非常に低いと思っている。 だが、資料がないので論理的に否定することはできない。 前にどなたかが書いたように、終戦時に日本政府が閣議決定して公文書等を焼却し証拠隠滅したので、裁判で抗弁する材料がなかった。 おまえら否定派が中共の「30万人」説を使って南京虐殺がなかったと主張しているんだから、おまえらこそ中共の「30万人」説を否定する証拠資料を出す 必要がある。 >>57 >中共が主張する30万人虐殺説は簡単に否定できる。 そうかw さっそく北京に行って習近平の目の前に、おまえさんの作った資料を突き付けてやれ。 テレビのニュースを楽しみにしてるぞ。 おめでたい奴だw >>58 既に証拠は出ている。論破済だ。 >>59 残念でした。あった派の完勝だ。 ・あった派の根拠 歴史学者による研究書あり 学術論文あり ・なかった派の根拠 なし(証拠になるものは何にもない) >>61 残念でした。あった派の完勝だ。 >>62 >論理的思考ができるなら「あった」と主張する側が根拠を出せばいいだけ >なのだから、あった派がまともな資料を出せなければそれで終了w 既に証拠は出ている。論破済だ。 南京事件はあった、で既に終了している。犠牲者数については、今後の歴史学者らの研究を待つだけだ。 なかった派には根拠がない。論理的思考もできない。永遠の負け犬だ。 哀れよのうw >>65 だから、何なの? 日本側の研究は中国共産党の主張する30万人と違うけど。 >>69 >だから、何なの? 日本側の研究は中国共産党の主張する30万人と違うけど。 だったら最初からこのスレは、題名からして「中共の南京30万人虐殺はなかった」と明確に書けよw 何度初期にその意図かどうか最初に質問したが、延々と無視して今更これか!ww >>71 スレ主じゃないにしても、スレを最初から見てればそれが論争になって意図的か知らんが無視されて来た経緯は知っているだろw >62 「あった派」の言うことなんて、「ネッシー」「ツチノコ」「雪男」「河童」と同程度に荒唐無稽だよ。中共の言う「30万人」にせよ、東京裁判の言う「20万人以上」にせよ、虐殺の目撃者もおらず証拠もないのに、うわさだけでワーワー喚き散らしている。 東京裁判でマギー牧師が何を証言したか、一度でもまともに調べたことがあるか。「死体がゴロゴロしていた」だの「三十人、四十人の日本兵が一団となって、殺戮行為を組織的にやった」だの散々ゴタクを並べた挙句、自分自身で見た殺害は1件だけ。それも、呼び止められて制止せず、逃げようとして撃たれたというもの。奴は南京陥落から数日経って、自分の教会で中国人を集めて日曜礼拝をやっているではないか。「三十人、四十人の日本兵が一団となって、殺戮行為を組織的に」やって、「死体がゴロゴロして」いるど真ん中で日曜礼拝をやっていたのかよ。 「あった派」は否定材料がワンサと出ているのに、正面から見ようとしない。どこかの手記か日記の記述をつまみ食いをしてテキトーに虐殺話をこさえるか、重箱の隅をつつくような僅かな落ち度を衝くか、研究者の中傷をするしか能がない。果ては偽造写真やキャプションを変えたウソ写真を出してくる始末。「証拠品に手を加える」という行為そのものが「あった派」のウソを立証している。 「中国の旅」で有名な本多勝一が、藤岡信勝に誌上討論を挑まれて、散々逃げ回った挙句、「自分は中国側の言うことをそのまま述べただけだから、文句があれば中国側に行ってくれ」だって。そして、最近になって「まぼろし」派への勝利宣言みたいな本を出しよった。カッコ悪すぎ。 >69 >既に証拠は出ている。 どんな証拠? 俺は見たことないけど。 >>73 だったら正式に学術論文を書いて投稿してみろ。 他の人も何度も言ってるが、証拠がないから書けないのか? だから、南京事件はあった、で終了だ。 おまえみたいな分からず屋を相手にするのが面倒くさいので、 ネグっているだけだ。 最初から、何を論議するかとか、「大虐殺」とはなにかとか、歴史を語るにはどうあればよいか…的なメタ論議をひたすら避けて何言っているんだw 人数に幅はあれど、虐殺自体は事実、あった 手前勝手な解釈で敗残兵を便衣兵扱いにして虐殺などはゼロだと言い張る輩も居るが、無理筋の理屈 また私は中国側の30万人は盛りすぎだと考える立場ではあるものの 日本側が公文書の証拠隠滅を行い、抗弁する資料が無い以上中国側の主張である30万人虐殺が事実かどうかは「分からない」という立場 まずい事実が無いのなら公文書焼却なんて不要だからね そう見られても仕方が無いのだよ 証拠なら結構あるんだよ。 南京戦では国際委員会が南京の難民区を管理してたが、 代表のラーベ委員長が日本軍は国際法を守り、 難民区は安全だったと感謝の手紙を日本軍に送っている。 ちなみにこのラーベの手紙は東京裁判でも証拠として朗読されている。 >>64 ちなみに柳条湖事件の証言であれば花谷の証言を裏付ける河本に同行した実行犯の今野上等兵や見津上等兵の証言などがあるので事実と確定しています 教科書に載るという事はそういう事ですね 正式な捕虜になるには組織的な降伏をすることが大事。 これは国際法でも重要な原則だけど、 総司令官唐生智が中国軍に玉砕命令を出したのに自分だけトンズラした。 日本軍はきちんと降伏勧告をしただけどね。 それで中国軍は組織的降伏ができずに、正式な捕虜になれなかった。 >>67 > だから、何で「降伏の意思表示」が必用なんだ? ??? つまり「一度戦闘が開始されたらどんなに不利になっても降伏せずに全滅するまで戦い続ける」とでも? 戦闘中に不利になって抵抗する意味がなくなった時、相手に「自分は敵対しないから攻撃するな」という意思を伝えるのが「白旗」=「降伏の意思表示」。 「降伏の意思表示」をしているのに敵対行為を行うなら白旗の意味はない。 白旗を無視して攻撃を続行するだけw >武装解除が甘かった、いい加減だったのだから、日本軍の責任だ。 「武装解除が甘く、いい加減だったら手りゅう弾を隠し持って暴れても問題ない」とでも? 「投降」という言葉の意味を理解している? 「投降の意思表示もせず、武装解除にも従わず、拘束しても反抗する敵兵」を生かしておく理由はないなw >だが、資料がないので論理的に否定することはできない。 そもそも資料がなければ論理的に存在を肯定できませんよw 存在するのはあくまで「南京戦」の資料ですw >>69 結局「あった」と喚き散らすだけで、具体的な資料は「ひとつも」出せませんでしたとさw まあ、いつものことだなw ガザ戦争でもわかることだが、国際法では捕虜であるかないかということは、 最終的には攻撃するほうが決定する。疑わしきは即座に殺しても問題はない。 軍隊は国際法に明確に違反しない限り何をしても合法になる。 >>67 実際コイツの主張だと支那兵は「投降の意思表示をしなくても捕虜として扱われ、武装解除にも従う必要はなく、拘束から脱して暴れてもよい」という事になるなw 生かしておく理由ないだろw >>82 え? じゃ沖縄戦での日本軍の捕虜はアメリカに無条件で殺害されても文句言えないって事? 日本が降伏したのって1945年9月7日なんだけど、それまでは正式な捕虜になれなかったという事になるよ? どんな理屈でそうなるんだろ >>87 だから、沖縄戦だけじゃなく、サイパンでも硫黄島でも 日本軍の捕虜は極端に少なかったでしょ 付け加えると、沖縄戦や硫黄島などで司令官が降伏調印すれば、 それで戦闘は終了、あとは日本兵は捕虜となる。 もちろん抵抗する日本兵もいるだろうけど、射殺しても問題はない。 >>89 だからじゃないでしょw 処刑してもいいのにアメリカ軍はわざわざ日本軍人をわざわざ処刑せず捕虜にしていたの? 投降を呼びかけても組織として降伏していないのなら捕虜になる権利が無いんだよね君の理屈だと 何かおかしくないですか? 言ってる事が現実と矛盾してますよ? >>90 https://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibition/surrender 沖縄県公文書館サイトより抜粋 9月2日の東京湾のミズーリ号艦上において行なわれた日本との降伏調印を受けて、沖縄でも嘉手納基地内の米第10軍司令部にて降伏調印式が行われました。 日本軍は、第32軍司令官牛島満中将が自決したため、守備軍を代表して先島群島司令官納見敏郎中将、奄美群島陸軍司令官高田利貞少将および海軍司令官加藤唯雄少将が署名し、米軍を代表して第10軍司令官J・W・スティルウェル陸軍大将が受託しました。 沖縄戦における組織的な戦闘は6月下旬に終了していましたが、9月7日のこの降伏調印により、沖縄戦は正式に終結しました この調印まで日本軍人は捕虜になる権利が無かったのか? 言ってる事滅茶苦茶だけど? >>90 実質的には6月で戦闘は終了してたけど降伏調印までは捕虜にならないんだよね?君の理屈だと へぇそんな珍説初めて聞いた 便衣兵のトンデモ解釈といい、降伏しなけりゃ捕虜にならない解釈といい 珍説のオンパレードだなこりゃ 南京事件の根拠は、戦闘詳報、陣中日誌、兵士の日記、幸存者の証言などの一次史料から、専門家があったと判断している。 『南京事件』 秦郁彦 『南京事件』 笠原十九司 「いわゆる『南京事件』の不法殺害」 原剛 (原氏は研究家だが学術論文を発表している) 南京事件はあったとするのは、歴史学者らの共通の見解だ。 これに異議を唱えている専門家はいない。 南京事件はあったとする証拠 『偕行南京戦史』に記載されている捕虜の処断 @ 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。 A 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。 B 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。 C 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。 D 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。 これらの捕虜等の処断は、南京事件はあったとする歴史学者らの共通の見解(証拠)だ。 捕虜等を処刑する前に軍律会議が行われた記録はない。 犠牲者数は、戦闘詳報に記載された数に他の不法殺害者数を加えた数字だ。 戦闘詳報の数字は全員ほぼ認めているが、研究者ごとに不法殺害の推定数が異なるので、全体としての犠牲者数は不明だとする理由だ。 日本側の研究では犠牲者数を2万〜20万人とした (日中歴史共同研究 日本側論文) >>91 チャールズ・リンドバーグが手記で述べているが、日本軍の情報がいるときは 上官命令で殺さずに捕虜にしたという。 >>94 ガザ戦争をみると珍説ではないだろう。 軍隊は国際法に明確に違反しない限り何をしても合法になる。 >>98 少なくとも条約に加盟した以上は、その約束に反した行為をしたときには非難されるし、それを甘受しなきゃならんと思う。 ガザ戦争で白旗を上げた人質がイスラエル兵に誤射されたが、あれが戦争の現実。 疑わしきは殺してもいい。投降しさえすれば捕虜になるかといえばそうではない。 降参したと見せかけて、手りゅう弾で自爆するかもしれない。 そんなことが戦場では普通に起きる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる