筋肉少女帯 part.144
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小林ゆうとの掛け合いが良かった
なぜか声優兼歌手のニーコが全編コーラスしてる 声優コラボみたいなのがあんまり好まれない原因かね? 声優ファンはガチ恋勢多いからそっちが好まれないんじゃ? バケモノアゴ男にアゴって言ってもそうですよ?としか言えねーわ 女性の声優さん参加と聞いて、てっきりワインライダー間奏の掛け合いだとばかり思っていたら
そこはメンバー全員でノリノリでやってて、初めて聴いたとき笑ったな Futurツアーfinalの映像の一般発売28日だけどBlasty以外はどこも取り扱われてないのかな? 俺も毎日Amazon検索してるが一向に登録されない
売る気あんのかな 一般(謎)
タワレコもディスクユニオンも出てないですね
エディソロは発売前からBlasty通販と物販だけですよ〜って告知してたんだけどな 税込み8900円だから迷うわ…
Blu-raじゃなくDVDで安く仕上げてほしいわ 映画とか映像美気にする作品だったらBDの方がいいと思うが
そんな演出とかセット凝ってる訳でもないから、DVD画質でいいかなってのは正直思う
けどBlastyから出すのだと両方出す余裕無くて、
どちらか片方出すならBDにせざるを得ない感じなんだろ Blue-rayとDVDの選択肢なら絶対Blue-rayだわ (あんまり鮮明な画質でない方が良いと言うか毛穴まで見たくない派です…) (´-`).。oO( 正直にBlu-ray再生出来る機械持ってないって言えば良いのに 買ってもぶっちゃけ2・3回くらいしか見ないから画質気にしないな
おまけの1日と橘高30thはBlu-ray買ったが
とりあえず好きな曲見て特典見て、通しては流し見する程度で タブレット端末用にリッピングすることがないならBlu-rayでいいやん
再生機なんてパナとか国産でも、もう1万切る値段で売っているし 「週5」外出して真面目にプログラムに取り組み、就労に向けて努力した人間に
「精神科の精神的パワハラ」で、一生ひきこもり生活に追い込むのは「精神科の仕事」
として正しいですよね?
「大泉病院、勤務の山澤涼子」って基地外。
給料貰って「1日」この「便所の落書き」読んでいるみたいですからね。 >>648
物としてのコストはそうかもしれんが
機材から編集、オーサリングまで手間は数倍だろ 手間とか言いだしたらもうCD作るのもライブするのも全部手間だよね 猫テ再現部分は特典収録あるし、リルカだけボーナス収録してfuture主体で値段下げて欲しかったかな 文句だけは湧き水のように出てくるんだけどね
お金は出てこないのよ 両媒体出して選べるのがベストじゃね?ってだけの話だと思うんだが
別に文句がどうとか喧嘩にする話でもないというか Blue-rayのほうが人気なのは間違いないけどね 訳も無く煽りたがる人が居るのがよくわからん、カッカしてると禿げるぞ ブラック精神科医は、依存性のある抗不安薬や睡眠薬などを大量に処方する
精神医療訴訟の高すぎるハードル
ブラック精神科医たちの驚くべき生態を描いた問題作。読者から絶賛の声が続々と
寄せられている
拙著では、継続中の精神医療訴訟を複数取り上げた。今回は、その続報をお伝えする。
第2章「拉致・監禁」で紹介した大阪の民事訴訟は、大阪地裁の判決が確定した。患者に入院を強制できる医療保護入院制度を悪用し、
精神疾患ではない60代の女性を大阪府立精神医療センターに強制入院させた元夫が、賠償金を支払うことになったのだ。
女性は2011年1月、突如現れた男たち(民間の救急搬送業者)に拉致され、車で大阪府立精神医療センターに運ばれた。そこで「統合失調症」と誤診され、閉鎖病棟に収容された。対応した2人の精神科医
(うち1人は強制入院の必要性を判断できる精神保健指定医)は、「妻には妄想や幻覚がある」などの元夫の作り話や、元夫が提出したウソの病歴書面を真に受け、
健康な女性を重い精神疾患と診断し、人身の自由を奪った。
こうした場合、不当な入院は長期化しやすい。強制的に連れて行かれた病院で「私は精神病じゃない」と猛抗議したり、取り囲む医師や看護師を振り切って病院を出ようとしたりすると、それは当然の反応にもかかわらず、
「病識(病気という認識)がない」「病的な興奮状態だ」などと決めつけられ、精神疾患の証しにされてしまう。その結果、鎮静の注射や電気ショック(電気けいれん療法)が行われた例もある。
女性は、医師の問いかけに「一切話をするつもりはありません」と返答した。すると案の定、「統合失調症の症状の一つである緘黙(かんもく)、拒絶症」と決めつけられた。離婚訴訟で関わりのあった代理人弁護士が女性の窮状を知り、
抗議を行った結果、
約6時間後に退院できたのは幸いだった。 裁判長は判決で「元夫が財産分与を免れようと、女性を入院させて離婚訴訟が却下されるのを狙った」と指摘した。救急搬送業者に対しては、訴訟中と知りながら元夫に協力し、抵抗した女性と長女に軽傷を負わせたとして、賠償責任を一部認めた。
健康な人を統合失調症と診断する「精神鑑定の第一人者」
このケースは、本来は医療保護入院の同意者になれない離婚訴訟中の元夫が、これを隠して同意者になったため、不当な強制入院であることは明白だった。だがもし、元夫に同意権があったとすれば、退院は容易ではなかったはずだ。
2014年4月以降、医療保護入院は特定の保護者の同意から、家族(3親等以内)の同意で行えるようになった。これにより、普段は全くつきあいのない親族の一人が、何らかの悪意を持って精神保健指定医にウソを吹き込み、
救急搬送業者を使ってターゲットを拉致し、閉鎖病棟に放り込む事件が発生するかもしれない。入退院を巡って家族の意見が対立し、「出す」「出さない」の押し問答で医療現場が混乱する恐れも指摘されている。
大阪のケースでは、強制入院に関わった精神科医2人と大阪府立病院機構に対する損害賠償請求も行われた。だが、大阪地裁は女性の訴えを退け、
控訴した大阪高裁は和解を勧めた。
女性は賠償金の額ではなく、安易に病気と決めつけた精神科医の責任を明らかに
したかったのだが、高裁も期待できそうになかった。相手の精神科医の1人が、重大事件の精神鑑定を行うなど、司法や検察の世界で知られた人物だったためだ。
控訴審の途中、女性はこう考えた。 「裁判所が、精神鑑定医に不利な判断をするとは考えにくい。精神鑑定を行う医師の診断力が、実は健康な人を統合失調症と誤診するほどのレベルだったとなれば、この医師がこれまで関わった精神鑑定の精度や、
これを採用した裁判所の判決まで疑われることになるでしょうから」
そして女性は「このまま無理に判決に持ち込み負けてしまったら、今後、裁判に訴える被害者にマイナスの判例を残すことになる」と判断し、心ならずも和解に応じた。和解金は、大阪府立病院機構が支払うことになった。
精神医療の被害者は数多い。だが、訴訟を起こすケースはまれだ。不適切な治療を受け続けた被害者は、裁判を起こす体力も気力も残っていないのだ。
司法救済のあまりにも高いハードル
誤診をきっかけに、長く多剤大量投薬に苦しんだ20代の女性の母親は「医師の罪を問いたい。でも娘のことを考えると踏み出せない」と苦しい胸の内を明かす。
女性は、大量の薬を苦しんだ末に断ち、体調が安定して仕事を始めることができた。誤診であったことは、現在の回復ぶりを見れば明らかだ。だが、ここで裁判を起こすと、再びつらい記憶(大量投薬の苦しみや減薬途中の苦しみ、
長期入院で受けた心的外傷など)がよみがえり、
心身の健康を再び損ねる危険がある。母親も本人も、それを恐れている。精神医療被害者の多くは、こうして泣き寝入りを強いられる。
たとえ、医師や病院を相手に民事訴訟を起こしても、勝訴できる確率は極めて低い。拙著で取り上げた北海道の患者死亡例では、東京地裁が「本件心肺停止は、投与された抗精神病薬の作用によって生じた」と薬の影響を認めた。
ところが、大量極まりない抗精神病薬を処方した医師の過失は認められず、両親の損害賠償請求は棄却された。3人の鑑定人(大学病院の精神科医)が「投与量が標準から逸脱しているものの、著しく不適切とはいえない」
「医師の裁量の範囲内」などと指摘したことが影響したとみられる。 続く東京高裁では、裁判長が患者差別的な暴言(詳しくは拙著に収録)を吐いた揚げ句、請求を棄却した。両親は上告し、最高裁の判断はまだ示されていない。
元裁判官で、著書の『絶望の裁判所』(講談社現代新書)が注目を集める明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志さんは、精神科関連の裁判が特に難航する理由を次のように説明する。
裁判官が医師の処方に疑問を抱いても、精神医療の専門家が「場合によってはありうる」と言えば、それを覆すのは難しいと瀬木氏はいう
「私自身、以前にうつを患った経験があり、精神科の診断の問題や、過剰な投薬の問題は認識しています。薬は適切に使えばうつに有効だと思いますが、私の場合、神経症的な機制を含むうつだったので、
処方された強い薬は副作用ばかり出て逆効果でした。結局、森田療法で回復しました。
精神科の民事訴訟では、必要以上の投薬が問題を引き起こしたとみられるケースが確かにあります。しかし、裁判で鑑定を行う精神科医が『症状によってはこうした投薬もありうる』などと、
逃げ道のような意見を付け加えると、
専門家ではない裁判官は、医師の過失を認定することを躊躇しがちになります。
鑑定を行うのは、専門家ではない裁判官が専門家の意見を聞くためですから、
精神医療の専門家が『場合によってはありうる』と言えば、
やはりその意見を尊重するか、ということになりやすいのです。現代の裁判では、大岡裁きは避けなければなりませんから。
精神科関連の裁判で被害者を救済するためには、精神医療を科学的根拠に基づいた医療に変える必要があります。大量投薬が必要なケースがあるとすれば、それはどのような場合なのか、
薬は何ミリグラムまで使えるのか、などの基準を学会が明確に示さなければなりません。医師の裁量権を拡大解釈することに歯止めが効かないような現状では、たとえ良心的な裁判官でも、
被害者を救うことは難しい面があります」 精神医療の無秩序ぶりは、医療界の中でも際立っている。
未熟な精神科医の思い込み診断や、根拠のない過量投薬が幅をきかせ、患者を追い込んでいる。
誤った診断、投薬の影響で患者の心身の状態を著しく悪化させても、
彼らが罪を問われることはない。こう言えばすべてチャラになるからだ。
「もとの病気が悪化した」
そして精神医療被害者は増え続ける。
佐藤光展(さとう・みつのぶ)
1967年前橋市生まれ。立命館大学卒。神戸新聞社会部で阪神淡路大震災、
神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年元日、読売新聞東京本社に移り、静 岡支局と甲府支局を経て2003年から医療部。
『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人コンボ)などに寄稿。
司法制度の荒廃と腐敗を描き、法曹界に衝撃を与えた「絶望の裁判所」。 ケンヂのズンドコ節って曲名見たとき、また変なタイトル付けて…って思ったんだけど
まさかこの曲が一番ハマるとはそのとき想像だにしなかった 今日「家族の問題」(母親の入院)で慈雲堂病院に電話したら「迷惑電話で警察」
って脅されましたよ。
精神的な徹底的な虐め。
大泉病院は「杉野実」という重篤患者を「一生閉鎖に入れるべき」
「誰それが来ただけで具合が悪くなる患者」は「一生閉鎖」
ああいう「ガチの基地外」は、「おむつ姿で手足、胴、固定して」電気ショック与えるべき。 ブログにあった
みなさんの名前で呼んでくださいね
ってのはネタ振りで
どういうことだよー!会場全員がケンヂって名前なのかー!
とかやるのかと思ったらそこでもやらないって事は本当に嫌なんだと思う そもそもタイトルにケンヂって入れなきゃ良かったやんけ感
筋少のズンドコ節とかでも良かったろ タイトルにケンヂがあるからって合いの手ケンヂにする必要もないけどな ズンドコの話になるとケンヂ言わせろケンヂ言うなのループ >>680
必要無いと思うし言いたい派でもないが
言って欲しくないなら、あのタイトルにしなきゃ良かったじゃんとも思う
内容にそんな関係無いし 本人がノリでタイトルつけたの失敗したなーと思ってそうである >>682
別に今言わせろって言うてる人居ないじゃん 週5外出していた人間を精神的「パワハラ」(趣味雑談会話のみで出す)
出した「場」では「働かせる」と「馬の鼻先に人参」ぶらさげて。
こっちは「働ける」という人参に食いついただけだ「働きたい一心で」
私が後「30年」生きる間「国民の血税」が年間概算で「200万円ちょい」
×「30年」の額を国に納めてもらおうか?
「山澤涼子」ポケットマネーで「国」に払え。
こっちは「働くつもり」だったのに、あれ以降「人間恐怖」で一切外出できない。 なにやらケンヂのズンドコ節に氷川きよしのズンドコ節のように名前のコールする是非に
ついて盛り上がっているようだけど、そもそもの前提が違うのでは?
オーケンにとってズンドコ節といえば、それは小林旭の「アキラのズンドコ節」であり、
これについてはハッキリそう言ってた記憶があるのだが?
ちなみに作曲者のうっちーにとってのズンドコ節はザ・ドリフターズのズンドコ節らしいけどw 言う言わないの是非の話は今の流れでは別にしてないし、盛り上がってもいないだろ そっか。久々に覗いてよく読まずに印象だけで余計なこと書いてしまった
ごめん 今んとこ名古屋大阪でセトリ1曲以外同じなんだよな
東京もほぼ同じだろうか 昨日すっぴん聴いた人いない?
マリリン流れてシュールだったわ >>702
オーケンの弾き語り以外は同じだろう。赤坂では変えてくるかもな。 >>705
俺好きだよ
アニメのOPっぽいなと思うけどそこもまた良い ツアー中やらないで、年末やるかも?くらいな気が
新人ツアーのロザリア2曲がそうだった 精神的に徹底的に追い込むのが「精神科」の仕事である。
杉野実は確信犯。
「我々は人間扱いされていない、だから「会話」をする。
会話をすれば「会話相手の生活を奪える」自分のように「精神科の中では恵まれている層、つまり「親」がいて度を越えた理不尽な対応に文句を言ってくれる他人がいる層」は「会話を好む」他人の生活を奪うのは楽しいからだ。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものでここでは「会話内容」は関係ない「会話した」という事実が問題。
会話した→狂人同士→我々の仕事を増やす→立場が弱い側、働きたい側を出す。
こんな方程式は「豊崎久美」という知的障碍者を除いて全員知っている。だからここでは「誰も会話しない」自分達が「人間のカテゴリーに入れられていない事」
を他の「知能の高い精神疾患者」は知っている。
皆「人様の血税を無駄にしないように」決して「会話はしない」 精神的に徹底的に追い込むのが「精神科」の仕事である。
杉野実は確信犯。
「我々は人間扱いされていない、だから「会話」をする。
会話をすれば「会話相手の生活を奪える」自分のように「精神科の中では恵まれている層、つまり「親」がいて度を越えた理不尽な対応に文句を言ってくれる他人がいる層」は「会話を好む」他人の生活を奪うのは楽しいからだ。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものでここでは「会話内容」は関係ない「会話した」という事実が問題。
会話した→狂人同士→我々の仕事を増やす→立場が弱い側、働きたい側を出す。
こんな方程式は「豊崎久美」という知的障碍者を除いて全員知っている。だからここでは「誰も会話しない」自分達が「人間のカテゴリーに入れられていない事」
を他の「知能の高い精神疾患者」は知っている。
皆「人様の血税を無駄にしないように」決して「会話はしない」 精神的に徹底的に追い込むのが「精神科」の仕事である。
杉野実は確信犯。
「我々は人間扱いされていない、だから「会話」をする。
会話をすれば「会話相手の生活を奪える」自分のように「精神科の中では恵まれている層、つまり「親」がいて度を越えた理不尽な対応に文句を言ってくれる他人がいる層」は「会話を好む」他人の生活を奪うのは楽しいからだ。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものでここでは「会話内容」は関係ない「会話した」という事実が問題。
会話した→狂人同士→我々の仕事を増やす→立場が弱い側、働きたい側を出す。
こんな方程式は「豊崎久美」という知的障碍者を除いて全員知っている。だからここでは「誰も会話しない」自分達が「人間のカテゴリーに入れられていない事」
を他の「知能の高い精神疾患者」は知っている。
皆「人様の血税を無駄にしないように」決して「会話はしない」 精神的に徹底的に追い込むのが「精神科」の仕事である。
杉野実は確信犯。
「我々は人間扱いされていない、だから「会話」をする。
会話をすれば「会話相手の生活を奪える」自分のように「精神科の中では恵まれている層、つまり「親」がいて度を越えた理不尽な対応に文句を言ってくれる他人がいる層」は「会話を好む」他人の生活を奪うのは楽しいからだ。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものでここでは「会話内容」は関係ない「会話した」という事実が問題。
会話した→狂人同士→我々の仕事を増やす→立場が弱い側、働きたい側を出す。
こんな方程式は「豊崎久美」という知的障碍者を除いて全員知っている。だからここでは「誰も会話しない」自分達が「人間のカテゴリーに入れられていない事」
を他の「知能の高い精神疾患者」は知っている。
皆「人様の血税を無駄にしないように」決して「会話はしない」 精神的に徹底的に追い込むのが「精神科」の仕事である。
杉野実は確信犯。
「我々は人間扱いされていない、だから「会話」をする。
会話をすれば「会話相手の生活を奪える」自分のように「精神科の中では恵まれている層、つまり「親」がいて度を越えた理不尽な対応に文句を言ってくれる他人がいる層」は「会話を好む」他人の生活を奪うのは楽しいからだ。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものでここでは「会話内容」は関係ない「会話した」という事実が問題。
会話した→狂人同士→我々の仕事を増やす→立場が弱い側、働きたい側を出す。
こんな方程式は「豊崎久美」という知的障碍者を除いて全員知っている。だからここでは「誰も会話しない」自分達が「人間のカテゴリーに入れられていない事」
を他の「知能の高い精神疾患者」は知っている。
皆「人様の血税を無駄にしないように」決して「会話はしない」 今回初めて聴いたときからしっくり来たので久々にスルメじゃないな〜とおもったんだけど
ここにきて益々好きになってきた
全曲好きになってきた
仲直り後一番かも 昔本田美奈子が1988年のマリリンの時お払いしたって言ってたけど
オーケンはしてないよなー ゾンビリバーで
「ノルウェイの森も梅田も」と変えて歌ってたのに誰も気付いてなかったみたいで反応なくてオーケン可哀想だった 最近、私の周囲でも精神科医に対して訴えを起こす準備をしたり、実際に起こしたりしている人が増えてきました。
今まで、精神科医はどんなにずさんな診断や治療をしても責任を問われることがほとんどありませんでした。他の診療科ではあり得ないことですが、
以下の理由が考えられます。
一つ目の理由は、あまりにも精神科医の治療成績が悪いため、精神病は治らなくても当たり前という同意ができていることにあります。つまり、
治せなくても責任を取る必要はないということです。患者が悪化したとしても治療が失敗したのではなく、病気が悪化した結果だとごまかすことができます。
二つ目の理由は、そもそも正しい診断自体が存在しないことです。正しい診断が存在しなければ、誤診を証明することは困難になります。
実際に診断に使われているのは、非常に境界線があいまいで、解釈に幅がある都合の良い基準です。例えば、脳腫瘍なのに「インフルエンザ」
と診断したら明らかな誤診でしょうが、
表面的な症状から診断するという精神医学的な診断方式に当てはめると、「頭痛」という病名をつけることができ、一応は誤診ではないことになります。現実的な話、
一度精神科医に病名をつけられた人は、そのレッテルをはがすことが大変困難です。なぜなら、診断の誤りを証明してくれる医師などほとんどいないからです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています