>>325 カントやヘーゲルは犯罪者犯罪者を畜獣とみなすのではなく
自らの行為の責任をとることができる者とみなし、みずから進んで
死刑を受け入れる事こそが正しく、人間としてより尊敬されていると
論じてる。これはキリスト教では人を人が裁くことはできないという
論法(伊ベッカリア)に対する反論としてなされたという文脈が重要だが
死刑宣告を受けた者に敬意を払うというのは近代刑法学の姿勢の
基本ではある。むろんアジア的な考え方は別にありうるだろう。