年度代表馬がホウヨウホウヨウヒカリデユールの時代wwwwwwwwwwwwwwwwwww [無断転載禁止]©2ch.net
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旧6歳時の成績
3着 エメラルド特別(名古屋)
3着 東海キング(名古屋)
地方での成績 38戦7勝 重賞勝ち 東海桜花賞(1回)
中央移籍
1着 朝日チャレンジカップ ←芝経験は地方時代に1走のみ
2着 天皇賞(秋)
5着 ジャパンカップ ←日本馬最先着
1着 有馬記念
1982年 JRA年度代表馬 どっちかっつーと
カネミノブ、グリーングラス、ホウヨウボーイの3年間の方がヒドイと思う
カネミノブ→有馬レコ勝ちも9番人気、重賞3勝も年間獲得賞金は公営のハツシバオー以下
グリーングラス→その年4戦1勝で有馬勝っただけ ホウヨウボーイの時代は競馬人気高かったんだが
むしろルドルフの時代が暗黒だった >>5
ハツシバオーが日本で一番稼いだ馬だったのかw
この賞金が伝説の金盃につながってしまったと >>6
モンテプリンスとかアンバーだね
人気あったのかなあ >>7
年間最多獲得賞金を地方馬が叩き出したのは
同年の公営四冠馬ハツシバオーと98年のアブクマポーロの2頭だけ
中央のG1賞金が上がった今ではもう起こり得ないだろうね
アブクマポーロはスペシャルウィーク、セイウンスカイ、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、タイキシャトル
このメンツ相手に年間獲得賞金額で上回ったんだから凄いの一言 ハギノカムイオー、あの時代で\185,000,000は凄かった。 >>6
まあ戦後最長不況(当時)の辺りでしたし
他の公営競技もこの辺りしんどかったような
これが各公営競技でグランプリやる方向に向かわせたが ハギノカムイオーってアレでしょ?
テスコボーイの牡馬はセリに出さなきゃいけないルールの中で、もう事前に牧場と馬主の間で支払う額決まってる出来レースだったけど
そこにそういう事情よく知らない新参馬主が競りかけたもんだからアホほど値段が上がったってやつ、実際に動いた金額はそれより小さいっていう
ひょっとしたらトウショウボーイ産駒牡馬のサンゼウスの方とごっちゃになってるかもわからんが、どっちかは確実にそれ ホウヨウボーイとモンテプリンスの秋天の一騎討ちは名勝負!
枠連一点で取って感動した ハギノカムイオーは、姉の馬主&伊藤師と中村畜産のオヤジが競ったから、ド素人ではないな。 82
桜花賞 リーゼングロス
皐月賞 アズマハンター
天皇賞春 モンテプリンス
オークス シャダイアイバー
ダービー バンブーアトラス
宝塚記念 モンテプリンス
天皇賞秋 メジロティターン
菊花賞 ホリスキー
エ女王杯 ビクトリアクラウン
ジャパンC ハーフアイスト[外]
朝日杯3歳S ニシノスキー
阪神3歳S ダイゼンキング
有馬記念 ヒカリデユール
年度代表馬 ヒカリデユール 飛び抜けたスターは居なかったけど、競馬自体はコロコロ勝ち馬が変わって面白かったな
八大レースを勝って無い中にも個性派が多かった時代でもあった気がする >>17
凄いなこの年はw
しかも、春天、ダービー、菊花賞はレコードだったという...
>>18
サンゼウスのセリはよく知らないんだ。
でも3.5億だもんな。 >>19
メジロファントム
ジュウジアロー
サンエイソロン
シルクテンザンオー
ホスピタリティ >>21
いいねえ、あの頃は地方出身がそこそこ活躍したw 当時は地方黄金時代だもんな
関係ないけどこの当時の名古屋競馬場のパドックが有刺鉄線に囲まれてた写真見て笑ったわ >>23
カツアールなんかは中央唯一の勝鞍が宝塚記念だったりしてた >>27
未だに思うんだけど、加藤和が油断したんじゃないかと。
もちろん、それをキッチリ捉えた河内は凄いと思ってます。
>>25
カツアールとカズシゲがごっちゃになります、たまに。 >>17
競馬2板で以前きいたハーフアイストの厩務員の話はほっこりした >>27
勝負根性に優れたアンバーと競り合ったら勝てないと踏んで、離れた外から一気に交わしたと言ってた気がします 予定より後ろ過ぎた事は事実だと思う
河内本人が自分の騎乗ミスを馬がカバーしたと後述してる >>28
カズシゲ居ましたね
前のレスにも出てた中村畜産の社長の持ち馬でした
前レスにも出たサルノキングやハギノカムイオーも半持ちしてました この少し前、TTG、マルゼンの頃にJCが開催されてたら
勝負になってただろうか?ちょっと興味ある。 公営中京で、カズシゲとヒカリデユールの一騎打ちを生で観た身としては、その後の両馬の活躍は嬉しかったな >>33
個人的な見解ではチャンスは合ったと思います
特にマルゼンスキーは仕上げられれば高確率で勝てたのでは無いかと >>27
そういえば、この有馬は史上最悪の実況だと思ってる。
伝説のフジ堺アナの大レース初実況? ホウヨウボーイはプリティキャストに秋天で逃げ切られた印象
ヒカリデュールは雨の有馬でアンバーシャダイを差し切った印象
しかしまったく語られない時代の名馬
まだカツラノハイセイコやハギノトップレディ、ハギノカムイオ―、サクラシンゲキ
あたりの方がまだ名前出てくる。 ホウヨウボーイってトウショウボーイのパチもんってイメージしかないわ 地方所属で別に最強馬でもないようなやつが
実は芝生で走ったらルドルフやシービーなんかを捻れる実力があったかもしれないやつが
人知れず埋もれていたかもしれないと思考えていいんですかね? >>40
こういう馬はダートでも普通に走って名馬になってた時代
これよりも後だがサンオーイは中央の調教師が見事にぶっ壊した代表例 >>40
可能性は有るとは思うけど、多分限りなく低いとは思います
南関最強馬だったアズマキングが中央入りしたものの、芝はサッパリみたいな例は多かったですけどね ヒカリデュールは一介の地方馬から中央の年度代表馬まで昇り詰めた
英雄にも関わらず、引退後は不遇過ぎた
同じ地方出身のハイセイコーやオグリに比べると
サラ系故に最初から生産者に敬遠され、最後は消息不明というのは余りにも悲しい ヒカリデユール、カズシゲ前後の東海公営って異常にレベル高いんだよな、確か
ハローキングも壊さなきゃ天皇賞チャンスあったという述懐を伊藤修司がしてたはずだし
ゴールドレットは後年ジュサブローがJC出た時にジュサブローの調教師が同じ生え抜きならゴールドレットの方が強かったという述懐がある(管理調教師は別)
んで笠松の生え抜きなら最強の1頭のダイタクチカラが少し上で、そのダイタクチカラと地方競馬招待でワンツー決めたリュウアラナスも居る 地方にも強い馬が点在していた時代
北に コトノアサブキ
東に アズマキング
西に ハローキング
と言われていた プリテイキャストの天皇賞
昔はディスクボックス?の定番だった 82年の天皇賞(秋)の動画見たけど色々とスゴいんだよね
ゲストの大坪さんがレース前から小島太の騎乗をディスったり
西の前哨戦を東の人間は詳しくは把握していないみたいな前提が新鮮 >>48
その動画を見ていると普通の競馬中継でいいよねえ
今のフジやカンテレとは大違いw ホウヨウボーイとモンテプリンスがjcで振るわなかったのは秋天の一騎打ちの反動という説があるね ジャパンカップ五着かいな
そりゃすげえわ
ってなった 南関東と東海は双璧と言うべきレベルの高さを誇ってましたね
その次が道営の順でした
中央じゃ脚が持たなくなった馬がよく流れる紀三井寺なんかも有って地方競馬も面白かったです >>51
ホウヨウボーイはゲートで顔面ぶつけて歯をへし折って血飛沫上げてたらしい
加藤和宏がそれもあって一切追わなかったから、まともなら勝負になっただろうと後述してる
ホウヨウボーイの場合はアンバーシャダイに置いていかれた有馬がお釣り無しだったんだろう >>54
ちなみにモンテ吉永はホウヨウボーイがそんな状態だと気付かず、マークしていって一緒に沈没… 逆に今年のJCのメンバーはショボいってここ最近毎年言われるけど
第3回なんか海外勢は手薄も手薄なんだよなぁ
ハイホーク、エスプリデュノール、スタネーラ、今の時代なら3頭とも二桁人気かも 3回目はオールアロングに断られたよね。
凱旋門賞とワシントンDC勝ったからもういいわ^^って。 ユーザーフレンドリーが凱旋門であと半歩踏ん張ってたら
6戦6勝の凱旋門賞馬が来日してたんやなぁ
盛大に散る事になるけど >>1
さすがにホウヨウボーイの時代は分からん(笑)
負けたわ(笑) >>57
第5回と比較したらショボくは無いよ
当時ジョンヘンリーに次ぐ北米No.2ホースのエリンズアイルも居たし、前年覇者のハーフアイストも来てた
スタネーラだってアイルランドのトップレベルに位置してた馬だったしね
どうしても前年と比較したら、そう感じるのも無理は無いとは思うけど 82年に馬券買い始めた人が当時20だとして、現在55
もちろん当時既に馬券歴数年たってる人もいただろう
よってこのスレに詳しく当時のことをレス出来る人
50代60代?あるいは70代もいる!? 加藤和って糞下手な割には良い馬乗れてるよな
シリウスシンボリとか今なら即乗り替わりだな 83票 スペシャルウィーク(AJCC1着 阪神大賞典1着 天皇賞春1着 宝塚記念2着 京都大賞典7着 天皇賞秋1着 JC1着 有馬記念2着)
72票 エルコンドルパサー(イスパーン賞2着 サンクルー大賞1着 フォワ賞1着 凱旋門賞2着)
56票 グラスワンダー(京王杯1着 安田記念2着 宝塚記念1着 毎日王冠1着 有馬記念1着) >>67
当時も乗り替わり問題で大変だった。
二本柳の大先生は頑固者なので加藤の乗り替わりは無い。 >>67
加藤が下手は無い
二本柳俊師の秘蔵っ子みたいな感じで、他からの騎乗依頼が来ても二本柳俊師が断っていた 浅田次郎もこの時期の競馬はすごく面白かったって言ってたな
すごく強いスターホースが出てたからと言って、その時期の競馬が面白いのかと言ったら
それは関係ないってこったね 加藤和宏の腕はともかく「シリウスシンボリに関しては下手に乗った」と言われても致し方ないのは確かだろうね >>74
加藤は寧ろ上手かった
けれどシリウスシンボリで旧3歳時、二回ヘマしてしまった
上手い下手抜きにして乗り代わりは当然とは思う
特にオーナーが、あの和田共弘氏だしね >>19
あの頃はスーパースター不在でも個性派が分厚く存在して今思うと最高に面白かったですね
牝馬だけでも、セーヌスポート、ジュウジアロー、ジュウジエイブル、プリティキャスト、ハザマファースト、エイティトウショウ
他にも関脇小結でヨシノスキー、サーペンプリンス、ニチドウアラシ、スリージャイアンツ、キョウエイプロミス、メジロティターン…
今ではホウヨウ、アンバー、モンテ位しか語られないけど、すぐ下にクセ者が一杯いて凌ぎを削ってました
近年の重賞は、すぐ燃え尽きて「出席するだけの脇役」化するのが多く、面子が薄い気がします この頃は厩舎と騎手の結びつきが強いよね
自厩舎の人気薄ハツシバオーに岡部が乗る為にグリーングラスは引退レースの有馬記念で大崎昭一に乗り替わり
自厩舎の馬でダービー勝ちたいからって中島啓之が皐月賞馬アズマハンターから降りて
旧3歳戦で実績残してるとは言え重賞未勝利のトウショウペガサスにNHK杯から乗り替わり 77−82年世代はよくわからんな
わかるのはマルゼンスキーとバンブーアトラスくらい 2001年から馬券買い始めたオレ
ほぼ同時期に競馬はじめた輩もそうだろうが、この世代からすると全体的な暗黒時代といえば2007-2009だな
1982年もそのような時代だったとは先輩方勉強になりましたm(_ _)m ここまで史上最強の二冠馬、カツトップエースが出ないとは ホウヨウとモンテの天皇賞ってもっと語られてもおかしくない名レースなのに、JCの方が語られてしまう悲劇 オペックホース
カツトップエース
バンブーアトラス
語られないダービー馬たち 皐月賞馬もすごいぞ
ハワイアンイメージ
カツトップエース
アズマハンター 菊花賞馬も...
ノースガスト
ミナガワマンナ
ホリスキー カツラノハイセイコですら現代ではほぼ語られないよね 90年代後半から競馬に触れた人間だけど
当時の名馬や名勝負みたいな話でもCBとルドルフ以前の競馬って
シンザン、ハイセイコー、TTG、時々マルゼンスキーやカブラヤオーぐらいか
ダイナナホウシュウとか知りようもない >>85
ミナガワマンナ、ホリスキー、アンバーシャダイのアル共は今でも聞くな >>79
2001年だとその時期は既に斜陽だろう
ギャンブルと言えばパチスロの時代に突入してたし
わざわざ馬券買いに行って当たらない競馬より若者達は設定6を探しに朝から並んだ 長距離偏重の番組の時代で一度勝った馬は天皇賞に出られないルールがあったのに
菊花賞馬が後に天皇賞を含めて大レースを勝つって例があんま多くなかったのはなんでだろうか >>86
ド根性の馬と言われた
カツラノハイセイコ懐かしい
馬体重が大幅減だったり
故障休養明け1年ぶりのレースだったりしても
根性だけでゴール前は追い込んできた
父ハイセイコーとは正反対に
ものすごく泥臭く活躍した名馬 >>91
ハイセイコー 皐月賞 宝塚記念
カツラノハイセイコ ダービー 春天
お父さんが勝てなかったレースを勝った孝行息子 >>92
そう
そしてお父さんの勝ったレースでは
すべて負けたという異端児でもあった
実際には母ジャヴリン
その父タルヤーの血を受け継いでいたと言える 名馬史をざっくり言うと
メイズイ
シンザン
暗黒
ロングエースなど3強+タニノチカラなど豊作
ハイセイコー
カブラヤオー
TTG(ここまで名馬の時代)
暗黒
シービー
ルドルフ
暗黒
タマモ
オグリ
谷底
マック(芦毛時代)
テイオー
ブルボン
ブライアン
暗黒
98
暗黒
ディープ
暗黒
オルフェ
以下、ずっと暗黒
こんな感じ ニホンピロウイナー
ブロケード
ゲイルスポートなどなど
短距離路線が整備されていれば、もっとクローズアップされたろうに。 >>97
ゲイルスポートは1200なら1170、1000でも970で垂れるイメージしか湧かないけどね ハギノカムイオーを潰す為だけの存在だからなあ
加賀は今だったら相当叩かれると思うぞ >>96
>>94(オペは入れ忘れました)だけど、確かに雑だけどこれ位大づかみの方が、本質が見えたりするよ
暗黒とした部分でも例えば0102とかマンカフェ、ギム、クリスエスとか強豪は出てるけど短命だったり不安定なので暗黒とした
で、一番言いたいのは磐石横綱名馬がいない暗黒の方が馬券や競馬は断然面白いってこと 今でも競馬原体験として
79のクラシックでリキアイオーが馬鹿みたいに前哨戦出まくって勝ちまくって本番散ったのと、
80春クラシックが毎回雨で、違う馬が圧勝しては消えて行ったのが今思うとたまらなく面白かった
ハーバーシャレード、リンドタイヨー、トウショウゴッド、サーペンプリンス、ハワイアンイメージ&ジュエル、レッドジャガーw >>102
サーペンプリンスいたなあ
サー・ペンフロの仔なのにサーペンwww
他にも、マルブツサーペンとかサーペンスールとかいた。
サーペンって何なんだよwww ホウヨウボーイ、カツラノハイセイコ、カネミノブ、メジロファントム
が4強を形成した時期があった事を知る人は今や少ないw
ホリスキーとミナガワマンナがいつも似たようなレースで対決した事も
ホウヨウボーイとアンバーシャダイの千代の富士と北勝海のような関係もw TTGが去ってからシービーまでは余り触れられることはないけど個性派だらけできっと当時の人は楽しかったと思うな!阪神大賞典を勝ったファインドラゴンとか知ってる人いたらどんな馬か聞きたい! ホウヨウボーイの血統構成を、8項目で評価すると以下のようになる。
@=○、A=□、B=◎、C=△、D=□、E=□、F=○、G=○
総合評価=3B級 距離適性=9〜12F
Royal Chargerを呼び水に、血の集合や結合がよく、スピード・スタミナのバランスのとれた血統構成馬であったことが読み取れる。
残念なことは、Cの弱点・欠陥が△となっているように、父内Beeming BeautyとUltimate Fancy内の米系の血がクロスできず、弱点を生じたことである。
このことは、ホウヨウボーイの能力を形成する上で、決してプラスとはいえず、使いかたを一つ誤れば、オープンクラスへの出世も危ういような状況を招いていたかもしれない。
まして、主導となる血が、晩成傾向を示すSolarioであることも考え合わせると、現代では、古馬になってから2度も年度代表馬に輝くことなど、予測することはできない血統構成といえる。 >>103
種牡馬になって1年ぐらいで死んだんだっけ??? ホウヨウボーイは、Royal Charger系の伝え手としての期待を担って、種牡馬になり、ヘイアンユウボーイやムスカリといった産駒は出したものの、種付け1年を終えた後に死亡してしまった。
したがって、産駒は1世代のみ。
Royal Charger−Turn-to系といえば、現代の日本の生産界をリードしているサンデーサイレンスやブライアンズタイムと、同系になるサイアーラインである。
配合の方法次第では、面白い産駒を出す可能性も残していただけに、早過ぎる死が惜しまれる。
Royal Charger−Turn-to系は、いまや日本の主流にはなっているものの、Nasrullah系に比べると、この系統の日本への導入率は、意外に低い。
その要因としては、Royal Chargerが早期にイギリスからアメリカに輸入されたために、欧州系主体に導入をしていた日本には、種牡馬として輸入される頭数が限られていたことも影響している。
そういう意味でも、ホウヨウボーイは貴重な存在であった。 >>98
ニチドウアラシがどれぐらい強かったのかは気になる
慢性の脚部不安抱えながら阪神マイルのOP特別でカツラノハイセイコに勝ったり
ダービー卿CTで1800とは言え4kg重い斤量背負ってサクラシンゲキ抑え込んだりで4着以下なしはすごい >>110
いちいち調べないが、ニチドウアラシは遅れて来た化け物て感じで
当時の最高峰の3200天皇賞からは逃げてるだけで(そっち担当はニチドウタロー)、
とにかくやたらいろんな重賞に出て、勝ちまくってた印象
これとカネミカサは2000までなら恐ろしく強くて安定してた
今だったら正にモーリスになれてたと思う
秋天、安田獲り放題みたいな >>112
番組編成が今と変わらなければニチドウアラシもカネミカサもマイル〜二千のG1を勝ってると思います
サクラシンゲキなんかも最強スプリンター論争に加われたはずですよね
当時は本当にスプリンター、マイラーが不遇な時代でした ヒーロー列伝の中でヒカリデユールのポスターが1番好き ヒカリデユールの祖父はラウンドテーブルという
アメリカの年度代表馬にもなっており血統評価は
@=◎、A=○、B=◎、C=○、D=□、E=○、F=○、G=○
総合評価=2A級 距離適性=9〜12F
St.Simon−Galopinを核に、強固な結合はみごと
とまさに名馬の血統構成である >>106
ファインドラゴンは強かったですよ、南井騎手が初めて出会った実力馬で、後のタマモクロス、ブライアンへと続く彼の黄金期の基礎になった馬ですね
79世代の関西の秘密兵器で、馬場不問で2000から3000まで重賞も勝ってます
好位からしぶとく勝ちきる戦法で南井は「ファインドラゴンで騎手としての自信をもらった」と言ってました
僕も大好きで天皇賞勝つと思ってたらいつの間にか引退してしまいましたw ちなみに79世代は年明けは低レベルでカオスで
関東は先の見えてるリキアイオーと狂気のビンゴガルーしかいなくて
やがて関西から次々と秘密兵器が出現
テルテンリュウ、ネーハイジェットと来てカツラノハイセイコが彗星のごとく一気にダービーを制覇
そこに続いたのがファインドラゴン、メジロトランザム、ハシクランツ&ハーミット、
そしてニチドウアラシ&タローと関西馬の層がやたら厚かった
世代レベルも高く三歳高松宮杯で関脇級のネーハイジェットが大関バンブトンコートを完封したりしましたね でもってその79世代の軍団に一頭で立ちふさがったのが、晩成の横綱ホウヨウボーイという図式でしたね、懐かしい 有馬記念ファン投票1位
1位 1989年 オグリキャップ 197,682票
2位 1981年 ホウヨウボーイ 185,747票
3位 1988年 タマモクロス 183,473票
4位 1994年 ナリタブライアン 178,471票
5位 1992年 トウカイテイオー 177,926票
・・・
21位 2016年 キタサンブラック 137,353票
24位 2015年 ゴールドシップ 120,981票
35位 2012年 オルフェーヴル 90,474票
37位 2013年 オルフェーヴル 81,198票
39位 2014年 ゴールドシップ 66,796票 >>104
馬名にうるさかった大橋巨泉さんは
皮肉たっぷりに
サー・ペンプリンス
て呼んでたよな >>121
ラフォンテースにも相当怒ってましたねw
「間違いなんだから変えさせろ」って
マルゼンスキーも命名は嫌ってた
「これだけの逸材、ニジンスキーの流れをくむ名馬に、冠+スキーという安易な命名…」
でもあの頑固さが良かった バウアーストック途絶えたみたいだな
ゴーディーみたいなサラ系はともかく昭和期に幅を利かせたサラ系は
ほとんど滅亡
中央競馬ワイド中継が始まるちょっと前
東の人は西の馬を西の人は東の馬をトップホースを除きほとんど知らない最後の時代 >>124
教えてくださってありがとう御座いました
ホウヨウが2年連続というのは全く予想してませんでした。すいませんでした 感情論にすぎないが
ヒカリデユールをけなすのはやめてくれ… >>118
ニチドウタローが勝った時の春天動画で見ていたら
たまには阪神競馬場で春天やるのもいいものと思った。 >>128
僕はけなしてませんよ
名前もいいし強いし、野武士ぽくて好きでした
天皇賞レース中に故障は残念でした >>127
本来つけたかったのはそれですw
小柄でも勝負強い牝馬でした
あの頃は旧三歳時に必ず強豪牝馬が出て牡馬をおびやかしてました
でも不思議と牝馬同士のクラシックでは取りこぼす
不思議なパターンがありました
ラブリトウショウ、シーバードパーク、ラフォンテース この頃の競馬は後世にあまり語られてないから、競馬の暗黒時代かと思ってたけど、リアルタイムで体験してた人からしたら面白かったのか。このスレ良いな ヒカリデユールの有馬記念が観たくて
有馬記念史2を買った 当時見てない人間からするとアンバーシャダイって常にもっと強い馬が他に居たイメージだけど、実際そうだったんだろな
大川さん存命中に二本柳厩舎のエースと言えば誰がどう見たってホウヨウボーイでアンバーシャダイはその次だったと
その後もモンテプリンス、ヒカリデユールやキョウエイプロミス相手に分が悪い >>44
賞金格差もいまほどの差はなかったのでは。
バブルが始まるまでは、地方でもわりといい賞金は出てたから、
決闘的な見劣りする馬でもどうしても中央に入れなければならない、というほどでもなかった。
バブルの途中から差が付き始めて、終わった後に決定的な差がついてしまって、
地方からは若駒の育成という概念がなくなってしまったけれど。 >>48
大レースはともかく、普段の競馬は東と西でまったく別々に進行しているような時代だしね。 >>134
実際に見てた人はモンテは兎も角、ヒカリデュールやキョウエイプロミスよりはアンバーの方が強いと思ってた割合の方が多いんでは無いかな
マスコミもモンテ引退後はアンバーシャダイを古馬最強と言ってたしね >>94
タマモ・オグリ〜マックの間が谷底?
たしかに直接の対戦こそないが、前者が引退するころにマックが台頭してきたわけで、つながってると思うが。 >>128
貶しはしないよ。
アンバーシャダイが好きだったので、ヒカリデュールは憎かったけど、あの春天は無いわ、切ない。 ハギノトップレディとブロケードの巴賞もあるし、暗黒とは程遠い >>135
自分は30代なかばだから直で見てない、親父の話や競馬読本やら新聞のコラムやらで色々知った
プリテイキャストの100馬身大逃げの翌年がホウヨウボーイとモンテプリンスの300mの叩き合い
リアルタイムで見てた人羨ましい >>139
間はサクラホクトオーとかオサイチジョーシとかミスタートウジンとかだから確かに暗黒 >>139
>>145の人が触れてくれてるけど、ウイナーズサークルという正真正銘完全に忘れられ、今ではまず振り返られる事の無いダービー馬の世代をお忘れですよw
それを暗黒どころか谷底と表したわけですw 平成元年
ドクタースパート
ウィナーズサークル
バンブービギン
の年か >>142
プリティキャストの3200秋天逃げ切りは正に逃げの芸術作品と言える巧みなものでしたよ
いきなり離すのではなく、徐々に徐々に一周目で異様なまでの大差をつけ、幻惑させ、圧勝フィニッシュ
スプマンテのようなノーマークの大惨事とは違う見事な作戦
タップJCみたいに腹をくくって行ってハマッたのとも違う
あれに匹敵する芸術逃げは長い日本競馬史でも後は横山のイングラぐらいでしょうw ノリはウンスカでもやったしな
なんだかんだで逃してはいかん プリテイキャストの秋天の
2番手以下は届かない!絶対に届かない!は名実況 >>132
TTGからシービー出現まで、というのは要するに血統にしろ馬主生産騎手にしろ
これという権威、主流が定まってない時代なんですね
だからマクロの目で振り返るとただのカオスで語るべきアイコンは無いんですが(今なら社台とかサンデー、ディープとか核になる権威がある)
興行としてはけして暗黒でもなく、面白かったですよ
種牡馬ひとつとっても、パーソロン、ミンスキー、イエローゴッド、テスコボーイ、ヒンドスタン、セダン…
いろんな種牡馬がいろんな活躍馬を出してました イエローゴッドの種牡馬成績は昭和50年代半ばに華々しく産駒が活躍してるのに
昭和60年代になるともう殆ど活躍馬居なくて尻すぼみ感が非常に強い印象 >>151
ヒンドスタン、って時代が違うだろwww シービー、ルドルフのように1強だと馬券妙味が薄く売り上げ低下。
単枠指定もあったしな。 キョウエイプロミスは最後だけ強かったよ
柴田政人800勝の天皇賞(秋)はかなり速めに先頭の横綱競馬で負かしにきたアンバーシャダイ潰して完勝だったし(カミノスミレだっけ2着来たの)
本格化してきたとこで潰れたのは残念だった
ヒカリデユールの有馬は背中に羽根が生えたかのような末脚だったね >>117
ありがとうございます!なかなか周りに馬の話できる人いないもんで。 >>156
どういたしまして
>>134>>138
先輩はホウヨウボーイで先に強くなってましたが、アンバーシャダイも十分横綱でしたよ、常に人気背負って受けて立つ存在でしたから
正にホウヨウという先輩横綱の胸を借りて育った横綱
結局77から82で横綱と言えたのはホウヨウ、アンバーだけでしょうね
後は大関が
プレストウコウ、サクラショウリ
カツラノハイセイコ、モンテプリンス
ヒカリデュール、キョウエイプロミスまでかな
横綱は少ないが、大関から小結位の中堅の層は厚くて、勝ったり負けたりしていて面白かったな ちなみに、上記の大関に僅差で続いてたのが
カネミノブ、キャプテンナムラ、メジロファントム、カツアール、ホリスキー、ミナガワマンナ、メジロティターン
などがひしめいていた
モンテを横綱にしないのは道悪がからきしだったからですw
こういう名前出せるだけで、このスレ嬉しいです、最初にどっぷり競馬にはまった時代なのでw ホウヨウボーイは三冠馬になっても不思議無い程、強い馬でした
新馬戦の勝ち方は今なら2chでスレが立つでしょうね
牝馬が側を走ると抜こうとしなかったり、パドックで馬並みを何時もギラギラさせてたりと面白い個性の持ち主でしたしね
念願のスタッドインしたのに早死にしたのは、少し可哀想でした 後、当時の関東は二本柳俊師と松山師親子が双璧みたいな状態でした
松山吉三郎師はここで出てきて無い馬でも、シービークロスやモンテファスト等も管理していてホウヨウボーイ、アンバーシャダイの二本柳俊師と競っていました 牝馬の稲葉師も健在だったで
あとミナガワマンナ、アズマハンターとか訳のわからない安馬を見つけてきて、クラシック勝たせた仲住師なんてのもいました。 >>162
ミナガワマンナもアズマハンターもそれぞれ谷川牧場、東牧場と名門の生産馬なので訳が判らないってのは違うような…
まあ、恐らく高い馬では無いってのは同意します アズマハンターの皐月賞は結構ビックリ、ダービー負けたのはもっとビックリ。
太さん、2年連続でやらかしましたね。
菊花賞は泰っさんが2年連続でやりました。 >>164
小島太は終生やらかしまくってましたからwww
でも、好きな乗り役さんでした 競馬読本でアズマハンターは1歳だかの時に東さんとこに
ダストコマンダーの凄いのが居るって評判になってたって話を読んだ事がある
そんな若駒の内にモノが違うと思われてたんだから、走って当然だと言うのはあったんじゃ アンバーシャダイは最強感はなかったが横綱感はあったな。
他の馬とは格が違うと言う感じで。
ホリスキー、ミナガワマンナらの挑戦を受け続けて跳ね返し続けたというイメージが強い。 アンバーは府中でもう少し勝ってればね。
目黒記念勝ったりレコードも出してるから左周りも苦手って訳でもないんだよな。 ハイセイコー産駒でダービー勝って古馬になってからも天皇賞勝ちのある
カツラノハイセイコーはとても影が薄い気がしますね、なんででしょう アンバーシャダイの子カミノクレッセは旧6歳時に阪神大賞典、春天、安田、宝塚と連続2着の珍記録を作ったが、
あの時の京都や阪神はめちゃくちゃ時計がかかる馬場でマックイーンやパーマーには千切られたとはいえカミノ自体も力のいる馬場が得意だったのだと思う。
距離適性外の安田でゼファーの2着も立派&惜しかった。 >>169
多分だけど、あなたが関東の人なら仕方ないと思いますよ
当時は東西の交流が殆んど無かったので、自分も関西馬全般に馴染みが無いですから 当時は重賞でも全国発売しないレースも結構あったし。
そういうレースは地元新聞での扱いも薄かったし。 >>141
完全に昭和競馬懐古スレになってますが、「最近の人に伝えたい昔の面白さ」にこれがあります
つまり旧四歳クラシック路線や古馬王道以外の、「片隅の名勝負」がたくさんありました(強い馬がセコいレースに結構出てくれた)
アイノクレスピン、スリーファイヤー、インターグロリア、リネンジョオーの同期牝馬が牡馬そっちのけで関西重賞でバチバチやりあったり
中山記念で2年連続、モンテプリンスとエイティトウショウの対マンとかw 後は時々語られるけど、名物の平場オープンw
確か土曜の9レースとかに天皇賞馬とか菊花賞馬とかがふらっと少頭数にぞろぞろ出てきて走る、ミニ有馬記念が年に数回見れました
でもってG1馬は誰も勝たなくて(まあ調整なんだけど)、メジロイーグルとかが逃げ切ったりw
あれは楽しい興行でしたw 井崎脩五郎が選ぶ名勝負十番シリーズに、この時代のはプリティキャストの秋天と、カツラノハイセイコのダービーしか選ばれなかった気がする。名馬だけでなく名勝負も少ないから、印象が薄いのかも プロレス板や懐メロ邦楽板は活発で
ブロディ、ファンクス、RCサクセションとか語られているが
競馬板2の50〜70年代にジャパンカップが有ったらスレも伸びないし
意外と競馬のレトロ、古典は話す人少ないな。
すぐに昔の方がレベル低い、今も大した高くない論争になってしまうからか?
芝が違う、重斤量でも出走、桜花賞馬でも1走挟んでオークス出走のようにローテきつめ、枠と単複のみの馬券、単枠指定馬
○外持ち込みに出走できるレースが限られる、皐月賞馬が観光地で馬車曳いたり宝塚記念馬(今よりもこの競争の価値低かった気が)が食肉
障害が盛り上がる、アラブがある、千葉産の馬が今でいうGT勝つ
レベルや良い悪いよりも考え方も違ってこちらのような新参から見たら今とは全く違う競馬が行われていたような この時代の天皇賞馬
グリーングラス
テンメイ
カシュウチカラ
スリージャイアンツ
ニチドウタロー
プリテイキャスト
カツラノハイセイコ
ホウヨウボーイ
モンテプリンス
メジロティターン
アンバーシャダイ
キョウエイプロミス
モンテファスト
ミスターシービー 3200時代の秋天は1番人気が来ないレースだったね。 >>178
レトロ派から言うと天皇賞はやはり3200なんで
やはりシービーがひとつの区切りでしたね
府中(昔の)3200天皇賞は死闘になりやすく痛ましい程面白かったですよ、昔も名勝負だらけですよ
・トウショウボーイ、グリーングラスが三角から一騎討ちで散った
・プレストウコウ鞍ずれ事件
・泥田の死闘スリージャイアンツ
・既出ですがプリティキャスト大逃げ番狂わせ
・ホウヨウ、モンテの長い長い叩き合い
(両方好きだったがあの時はモンテに勝たせてやりたくてホウヨウを憎みましたw)
シンザン以降一番人気全敗 >>176
競馬はかなり、進化も含めて質が昔より大きく変わってしまったのは否めない
それと例えば、ロック、プロレス、プロ野球などの娯楽に比べてファン層の入れ替わりが激しい気がします、だから話が通じない
そして何より、競馬の昔話があまり盛り上がらないのは…ハイセイコーブームこそあったけどシービー以前の競馬は世間的にはまだまだ超マイナーな趣味だったからですよ
シービー、ルドルフでちょっとあか抜けて来て女子が増え始め…
一番大きな節目はやっぱり、オグリ&武豊でしょうね
オグリキャップと武豊は日本競馬からしたら神社作ってまつってもいい大功労者だと思いますw オグリ前後の話する人とそれ以前の話する人で明らかに層が違うもんな・・・ スポーツ新聞の見出しに
「オグリvs武豊」
ってあったな。
馬vs騎手ってスーパークリークと南井の立場は? >>175
カツラノハイセイコのダービーってハナ差ではあるけどリアルタイムじゃなかったからテルテンリュウの斜行のせいで
リンドプルバンが行き場無くして結果的にカツラノハイセイコが勝てたという事実を先に知っちゃったせいで全然名勝負だと思えない自分が居る
「あれがなければ絶対に勝っていた」とレース後言った嶋田功に大川慶次郎さんが
「功ちゃん、アンタもタケホープ(イチフジイサミの進路を塞ぐ形で優勝)で同じ事をやったから」と諌められたという逸話の方が「へ〜」となった >>184
あのダービーを名勝負と思えない、と聞いては是非とも擁護したいw
まあ競馬では「あの不利さえなければ」は付き物ですよねw
不利てのは事象もすべて違うし一概に言えないけど、嶋田騎手の言い分を言い訳とは言わないけど
でも結局、勝負事は細かい不利や展開も含めて、総合的に運気が勝った方が勝つものですから
リンドプルバンも不利ありつつも内からしっかり伸びて力は出しきって見えましたし、迫力ある名勝負でしたよ
何より「あのハイセイコーの息子が父の最大の無念を晴らした」ことが当時大感動を呼んだのですがね(父を破ったのが嶋田) でもリンドプルバンが勝っていたら今年のレイデオロ並みに語られないダービーに
なっていたかもしれない。 イチフジイサミとリンドプルバン、似てるトコ多いなぁとふと思う
旧3歳時は10戦して未勝利、そんな成績でも格上挑戦をしていた
年明けてから3つ勝っててダービーでは不利を受けながら人気薄2着
もっともリンドプルバンの方はビッグタイトルは獲れなかったけど リンドは抽選馬だったから、勝っても関係者しか喜ばないって感じ
多分、かなり微妙な空気が流れたと思われ ミスターシービーのダービーは多頭数レースにもかかわらず大外ぶんまわして騎手は批判されなかったのだろうか?
勝てたから結果オーライになってしまった? >>189
大外回した所か、ミヤコオーダスやキクノフラッシュをブッ飛ばしてしまい、今なら失格モノ
非難されまくりでした >>12
サンゼウスだなそれ
生産者と馬主の関係が深かった(名義が違ってただけのような感じ) >>189
あれは時代が大目に見た感じw
TTG以来みんなが待ちに待った、前評判通りに活躍してくれる戦績の汚れてないクラシック馬だったから&苦労人吉永でw
(その前の二冠馬がカツトップエースですからw)
そこから便秘が治ったように翌年無敗ルドルフ誕生w ディープインパクトのダービーは後方からの直線大外とはいえ4角で大外に持ち出したから距離ロスはあまりない。
3角ではインを回ってたし。
シービーの場合は3角から大外ぶん回しで随分と長い距離を走ることになったし
直線では体当たりだの斜行だので他馬に迷惑かけまくりだった。
もう少し別の乗り方はなかったのか? >>178
ホウヨウボーイもモンテプリンスも
この中ではベスト5にはいるな。 ビクトリアクラウン
中々華のあった牝馬
スイートネイティブ
ルドルフを管理するまでの野平の祐ちゃんの代表管理馬!
あと、2戦連続でローカル重賞でメイジタイガー→ベルエアの組み合わせで決まったのがありましたね ビクトリアクラウンいたね〜
幻の桜花賞馬。
稲葉師曰く1つ上のオークス馬テンモンより上だったとか。
古馬になってからはサッパリだったけど その末裔(ビクトリアクラウンの末裔)がグレイトパール。
中内田先生には頭が上がらないよ、ホント。 ロベルトもヘイローもサーゲイロードも経ないターントゥ系で
セクレタリアトの半兄なんて面白い血統なんだから
日本競馬もそういうのを活かそうと努力すりゃいいのに、途絶えさせるにはもったいないだろうに ファーストファミリーね
豊洋ボーイには長生きして欲しかった... ファーストファミリー、ホウヨウボーイ以外は中央で活躍したのがローラーキングぐらいしか居ないでは・・・
んでホウヨウボーイが1世代30頭残して早逝、コトノアサブキが後継種牡馬では限界があるよ
コトノアサブキ自体は恵まれない立場から良駒を多く輩出した良い種牡馬ではあったとしても 桜花賞馬はわりと語られている馬がいると思う。
ハギノトップレディ、ブロケード、シャダイソフィア ホウヨウボーイの同期たち
サクラショウリ、ファンタスト、メジロファントム、メジロイーグル、インターグシケン、バンブトンコート、タケデン、アグネスホープ、キャプテンナムラ、スズカシンプウ…
(田原の親友グレートタイタンも確かこの世代)
皆早めに消えたけどホウヨウだけは別世代みたいに息長く頑張った、大したものだ
世代の真打ちが隠れてたパターンのさきがけ ホウヨウは故障でクラシック使えなかったから
それを仕上げて復活させた二本柳の大先生も凄い 案外最強はギャラントダンサーだったかも…
カツトップエース、サンエイソロンに楽勝してたタクラマカン最強説が一時あったみたいに
無事だったら大したことなかったかもしれんけどね 77世代から突然旧三歳時に化け物マル外が出現始めるんですよね
マルゼンスキー
ギャラントダンサー
ケンタッキーフェア
段々しりすぼみなのが笑えた 三冠馬セクレタリアトの息子ヤマニンセクレも忘れないで〜 >>205
無事だったら社台で種牡馬にしたのだろうか
内国産は入れない方針だったと聞いたことあるけど
日本で走った外国産馬なら大丈夫なのか マルゼンスキーのちょっと前のマル外の活躍馬、スピリットスワプスは
出走制限に関して裁判までしようとしたんじゃなかったっけ 報知杯弥生賞やスプリングSなど連勝したのに
その後はさっぱりだった逃げ馬リキアイオー リキアイオー…79クラシック世代も今となっては語られる事の少ない世代ですね。
あまり挙がってなさそうな79世代の馬を書くと
ハシ2騎のもう一頭ハシクランツ、三冠すべて1枠1番ヨシノスキー、名牝シルクスキー
テルテンリュウでも分が悪かったネーハイジェット、春クラシックは牝馬戦線の中心にいたシーバードパーク リキアイオーは、本番でカシマセイカン岩城に絡まれ暴ペースになったのが敗因
ダービーでは最外枠でその時点で終わり
そこで馬が終了していた思います
カブラヤオーとかハギノカムイオーなんかは、鉄砲玉が潰しに行くのわかるんですけど
同じ東の馬であそこまで執拗にいくかなって当時思いました。
断然人気に星野信、それを潰しに行くのが岩城。
騎手もマイナーで楽しかったですね。
大レースで同じような騎手しか勝ちそうな馬に乗らない90年以降と違ってね。
優駿の8大競争勝馬の生産者訪問とかも年2,3頭しか生産していないような生産者も多くて
いろいろな苦労話があって面白かった。
どんな血統、生産者、騎手、調教師が大レースの勝者になるか全くわからない、
これがこの時代の面白さ、「だから低レベルなんだ」ってすぐ馬鹿にされそうですけどね。 >>214
リキアイオーの時はマスコミなどに、「いつまでリキアイオーなんかに勝たせ続けるんだ?」みたいな空気が出来ていたからじゃないかな
でも年明けで皐月賞までに、京成杯、オープン、東京4歳S、弥生賞、スプリングは使いすぎw
とにかく昔は総じて使いすぎで、でもそれが面白かった
皐月賞とダービーの間にNHK使うのとか普通でしたね
カツトップエースとサンエイソロンは集中して対決しすぎw ミナガワマンナって名前の感じから牝馬だと思ってwinningpostで購入した記憶 栗東が出来たのが70年で美浦が78年らしいが
そういう状況が馬たちの走りにも影響があったんだろうか 美浦移籍後、初めての東での大レースが1978年の皐月賞
輸送を嫌って引っ越しを遅らせた中山在厩組と移籍組が分かれて
勝ったのが移籍組のファンタスト
競馬界も一安心なんていうのが記事になりました。 ニチドウタローの春天優勝が
ほぼ連闘で勝ったのが凄い
いま助手の村本さんの好騎乗。 >>220
二着のメジロトランザムもいい馬でした
>>202
そこにインターグロリアも入れてあげて下さいw http://www.ratingmaniac.com/freehandicap/data/1982.pdf
優駿掲載のJRAフリーハンデによるとモンテプリンスがトップ
まあ、下半期活躍が上半期活躍より印象で有利なのは今も昔も変わらない
付け加えるなら宝塚の重みは今より相当軽いかな 夢はターフを駆け巡るって競馬読本に載ってて知ったが、モンテプリンスは球節腫らしててパンク寸前
松山調教師自身が脚元持つかどうか確かめる為に自分で跨って追いきりで確かめた、なんていう状態だったらしい
当時の有馬記念はクラシックや天皇賞の勝ち馬が裏開催の阪神大賞典に周る事もある一方で
それでもチャンピオンの中のチャンピオンはそう簡単に回避できないレースだったんじゃないかなぁ、と
キタノカチドキも関西馬の出走がゼロになるかも知れないからって壊れる可能性高いの百も承知で出てきてレース中の両脚骨折で引退だし
そう考えるとテンメイやらインターグシケンやらは八大競走勝ってても一枚落ちだと思われてたんだろうか >>223
グレード導入前、当時の宝塚記念は高松宮杯と並んで二流の大レース扱いでした
西のドリームレースと言われてましたが、今の価値観で言うとマイルG1位の位置付けです >>226
テンメイは天皇賞勝ち馬にして、地方行きになりました
格落ちとは思いませんが、脚元がモヤってしまって中央のレースは厳しくなったんじゃないでしょうか >>228
いや、天皇賞勝った直後なのに有馬記念にも出ずに阪神大賞典に周った年がどうなのかな、と
ヤマニンウエーブにしてもそうですけど スレを>>1から読んでみたけれど
この時代の強豪として語られるのは、ほとんどステイヤー寄りの馬ばかりなんだよな
短距離の大レースなど皆無の時代だから仕方ないのだが
それを考えるとハギノカムイオーは惜しかった
グレード制の導入があと1〜2年早ければ、初代マイル王はこの馬だっただろうな >>230
マイルでハギノカムイオーvsニホンピロウィナー見たかったなあ。 >>223>>225
率直に言ってこのカオスの頃ってクラシック二冠以上もいないし、天皇賞は勝ち抜けですから、大体有馬の勝ち馬が年度代表なんですよ
>>230
カムイオーは勿論名馬ですが、この時代で今のG1体系ならもっと名を残せたと思われるのは
アイノクレスピン
スリーファイヤー
カネミカサ
ニチドウアラシ
メジロイーグル
サクラシンゲキ
ブロケード
ハギノトップレディ
ハギノカムイオー
この辺は秋天、マイル、スプリントG1の1つは獲れていたでしょう >>232
エイティトウショウやカズシゲなんかはどうでしょう >>234
エイティトウショウは秋天、マイルCSぐらい行けたでしょうね
当時のトップホースのモンテと中山記念でガチに互角ですから
>>233
カツトップエースはあえてスルーしました…
だって…カツトップエースですからw
春の二冠馬で一番ショボい気がしますw
同じキャラでもサニブは大物感があるのに
でも命名は素晴らしい、最高に強そうな名前 81年のクラシックはw
皐月賞、菊花賞は2桁人気の馬が優勝
しかも、その皐月賞馬がダービーまで勝つんだから グレード制導入含めてレース体系の整備を伴う大変革も
こういう混沌とした時代だったことも後押しになったんだろうか? >>234
エイティトウショウは基本マイル寄りの芝、ダート兼用なのでフェブラリーS、ヴィクトリアマイルを連勝等の面白いモノが見れたかもです
カズシゲは当時は一応大レースの範疇に入っていた高松宮杯を勝っていますが、ややパンチ不足かも知れません 後、名前が出てきてませんがロングヒエンもマイル路線が整備されていたら面白い馬だったと思います 昔サラブレで過去の名馬を漫画で振り返るやつがあったな。アローエクスプレスとタニノムーティエの話とか覚えてる。あれ好きだったなあ。たぶん90年代後半くらい。 >>239
あるサイトでロングヒエンの生涯を綴っているのがあって
切なかった......
無事に現役生活送っていたら種牡馬入りの可能性も。 >>240
暗黒時代にはアローは大種牡馬
内国産の希望の星だった
ムーティエも種牡馬だったが名前すら出てこない状況 アンバーシャダイってメジロブライトみたいな感じか? 若い時の比較だとブライトの方が強いと思う。
アンバーは4歳の後半から急激に強くなった。 ヒカリデユールもサルノキングも肉だよね
トヨサトスタリオンステーションって肉率高いと前から思ってたけど >>248
まあ肉になってもいいんじゃないの?
一ファンにとっちゃ馬のその後話してくる奴らの方が確実にうざいし >>242
暗黒時代ではアローは内国産種牡馬の数少ない星でしたね
今はもうサンデー系など身近で活躍した馬の子の活躍を見れるのは普通ですが、この時代は結構強かった馬でも子供はさっぱり…
そんな中、アロー、シンザンぐらいが希望の星
でしたからカツラノハイセイコのダービーはその点でも盛り上がったものでした
だからましてやその数年後…シービー出現の時などは!!
トウショウボーイとシービークインの息子が三冠馬!?と感涙ものでしたww >>251の続きですがシービーは暗黒時代を終わらせた、純内国産の英雄でしたが
そのすぐ後ルドルフに散々ボコられるわけです…
だから世間は当時はアンチルドルフ&シービーひいき多かったです
今となってはシービーは三冠馬のオミソであり、振り返られることはほとんど無くて
一方ルドルフは未だに2ちゃんで最強論争にもよく出て評価は断然です
それが当然と思うけど、出現した時のシービーは時代の救世主でとても愛されてました >>253
シービー三冠馬達成の時
大川さんも思わず拍手されました。 >>253
>>今となってはシービーは三冠馬のオミソであり、振り返られることはほとんど無くて
酷い言い方やめてくれ
翌年ルドルフ出て不運なのは間違いないけど
能力的には三冠馬の中で突出して低いわけじゃないと思う >>253
ルドルフもシービー世代のカツラギとギャロップに負けたね >>257
勿論私もそう思いたいし、むしろシービーをひいきしたい程好きですが
現状の扱いを冷静に見るとやはりそんな感じかと…
シービーについて思うのは何故ルドルフと当たった途端に色あせてしまったのか?と(単なる巡り合わせ?またはJCの大敗でプライド傷ついた?)
秋天までのシービーは本当に強かったと思う
仮にルドルフが三冠を捨てて秋天に出てたとしても、あの時のシービーの5馬身先にいたとは思えません…
真実はあまり伝わって来ないけど、そこについては吉永がうらめしい
あのJCで何であんなに呑気に後方にいたのか?(自信過剰?)
あの時に手遅れ気味に慌てて上がっていくシービーは正直無様でした
菊では四角先頭圧勝も出来たのに…ペース読めよ吉永!ばか野郎!という気持ちでした(まして勝ち馬は割りと子供扱いしてたカツラギ…) >>258
今はもう冷静に語れるけど私は当時の心情はシービーオタでルドルフアンチでしたから
同世代がルドルフに一矢報いた時は拍手喝采でしたw
あの黒光りの美しい馬体、血統、「大地が弾んでミスターシービー」の名実況…
願わくは前哨戦で一度きりでも、不意討ちでもいいからルドルフに勝って欲しかったですね(勿論今はルドルフも認めていて好きです。テイオーを出したのは凄い、尊敬出来ます) 史上に残る三冠の脚
史上に残るこれが三冠の脚だ
拍手が沸く、ミスターシービーだ
19年振りの三冠、19年振りの三冠 >>259
吉永スペシャルとは今でいうポツンのことやん >>261
本当に三冠達成の瞬間だけならシービーが一番輝いてました
ここのスレタイどおりの暗黒時代(確たる華のある主役不在の長いカオス時代)の終わりを告げる華やかな勝利
長くたれ込めてた暗雲が消えてくような
(ただし華はなかったけどホウヨウも名馬ですが) >>239
初代マイル王のニホンピロウイナーがいるよ 82を沸かせたハギノカムイオーやBアトラス、ホリスキーは大事にされましたが、
その他の主な牡馬が不遇です
アズマハンター、ワカテンザン、アサカシルバー、サルノキング、アスワン→生死不明・・
マサヒコボーイやハシローディは果たして天寿を全う出来たのか >>265
ニホンピロウイナーを貶めるつもりは無いのを前提で、運もかなり味方したと思います
故障で散ったロングヒエンもそうだし、ハギノカムイオーも右回りのマイルなら簡単には負かせないないでしょう
同期でもダイゼンキングがクラシック時期の体調不良で壊れなければ面白いと思います この時代までで本当に素晴らしいと言える馬はルドルフとマルゼンだけだったと思う。
この2頭なら現在に連れてきても最強だろうね。 トウショウボーイだって最強レベルだと思う
VSマルゼンスキーだと距離や馬場によって順位が入れ代わるけど 初芝の地方競馬の最強でもない馬に2着に
詰め寄られる程度のジャパンカップって当時の中央馬が弱かったんじゃないの? >>273-274
トキノミノルとかリアルで見てない世代は考察が甘いのぅW
『トキノミノル』
まごうことなく、このモグラがリアルで見た馬の中では最強馬 血統表見てみろよW
http://db.netkeiba.com/horse/ped/000a01029a/
ザテトラークの3×4だぜ?W こんなもん今でも最強だわW
ザテトラーク→テトラテマ→セフトの父系って・・W どんだけだよW
ちなみにJRAでデビューから10戦以上して全勝の馬はこの馬以外1頭も存在していない マルゼンスキーの最後のレース動画見たら
凄すぎるね。 クリフジとかリアルて見てゐない世代は考察が甘いのう。 >>278
11戦11勝のクリフジがいたかW おじいちゃん、参りましたW >>273
出ましたねw
戦績の汚れていない馬を神格化して自説を強弁する人
マルゼンもルドルフも名馬ですが、何を根拠にそこまで断言出来るのやら
信じるのは自由ですので、どうぞご勝手に
私は全く賛同出来ませんが話をする気は全くありませんねw >>275
これは本当に未だに謎です
ロッキータイガーを貶めるわけじゃないけど、当時の正真正銘の最強馬ルドルフにあそこまで食い下がれた理由はわかりません
まあヒシスピード程度でもマルゼンと大接戦とぶっちぎられを両方経験してます
競馬はやはり奥が深いです >>281→>>282
一行で論破されてて糞ワロタW
確かに>>282君の言う通りあのルドルフのJCは道悪だったのが非常に大きなポイントであった
当時の山野浩一氏のJC観戦記によると、「まるでダート馬場のような力の要る馬場」と書かれてあった
ロッキータイガーと言えば力の要る馬場には鬼のように強かった種牡馬実績のあのミルジョージ産駒である
ルドルフのJCがもしもパンパンの良馬場であったならばロッキータイガーがはたして2着に来れたかどうかは甚だ心許ない 暗黒時代の57年組
サルノキングVSホスピタリティ、テュデナム産駒対決は見たかった。 トウショウボーイとテンポイントはかなり凄かったぞ
トウショウボーイの宝塚のラスト5f57.6は今でも2200以上の逃げ切りの最速記録だし、テンポイントの京都大賞典は63キロでラスト5f58.3(2014年のドスロー有馬でも57.9のジャスタウェイ以外は全部58秒以上)だから
この二頭は現代でも単純な脚力ならここ5年だとオルフェくらいしか勝負にならないはず
もちろんこいつらが突出してただけで当時の他の一戦級の馬たちの全体レベルは着差的に高いとは言えないけど
80年代前半はルドルフだ出てくるまでこいつらやマルゼンスキーみたいな突出した馬がいない冬の時代だった あはははwww
トウショウボーイの宝塚なんてハギノカムイオーより1秒近く遅いし。
テンポイントの京大なんか63`とはいえマックイーンより5秒遅いんだぜwwwwwwwww 92年、93年の秋の京都(特に92年)は超高速だったからな
それまでと一緒にしてるようじゃ話にならんな どんだけ馬場が良かったが知らんが、5秒の差はないわねw 1992年の秋の京都は本当に速かった
当時はブルボンの京都新聞杯で2分11秒台が出ると思ってた
90年も相当速かった覚えがあるけど、本格化的に高速化が始まったのは92年と記憶してる(このあとからずっと速かったからね)
で、97年あたりからさらに春開催も爆発的に速くなった >>278
あー、クリフジを完全に忘れてた。
ルドルフ、マルゼン、クリフジの3頭だな。 >>276
トキノミノルの世代はクリフジの時代よりレベルが低い。クリフジは戦争で打撃を受ける前の世代で、
トキノミノルは打撃を受けてから回復していない世代だから。
トキノミノルは細い。もっと悪い言葉を使えばみすぼらしい。あの時代ならそれが当たり前なのかもしれない。
クリフジがあり得なかっただけでね。
>>280
戦績なんて関係ないよ? 馬の強さは文字に表れるものではなくて、馬という生命体そのものが持っているものだから。
ルドルフ、マルゼン、クリフジは、筋力の性質、関節の動き、体重の移動のさせ方、走姿勢、どれをとっても
一流だから、本当に素晴らしい馬だと言っている。
例えばトウショウボーイは、ルドルフの域と比べるならば欠点しかないと言っていい。
関節が動かないから、長い距離がこなせない。トウショウボーイの中で、長距離より2000m以下の方が強いというのは正しいが
2000m以下ならルドルフより強いというのは間違い。トウショウボーイは2000m以下でルドルフより優れた要素を持っているのではなく
それより長い距離でルドルフより劣る点を持っているだけの馬だから。
現在のG1馬も欠点は多くあるので、トウショウボーイが今のG1で勝てないとかいう話ではないよ。 ルドルフは本当に柔らかく、ネコ科のような姿勢で走る。欧米の歴史的名馬と同じ。
名馬の運動能力というのはこういうものなんだよね。
ちょっと胴詰まりであるのと、馬力には不足を感じる。これが揃っていたらフランケル級というか
本当に世界の歴史の中での最強レベルだったと思う。
トウカイテイオーも似ている。確かに、テイオーはルドルフなんだなと感じるよ。
最近になって初めて気付いたけど、気性は優等生タイプではないんだね。力が抜けていて楽勝が多かったのと
岡部がそう乗って見せていたのがあるんだろうけど、本当は狂気的な闘争心を持ってるね。 ルドルフは胴が長くて中長距離型の馬体だろ
もし胴が詰まって見えるとしたら他馬と比べても高く盛り上がったキ甲のおかげだよ
盛り上がったキ甲はステイヤーの証でもある
あと荒れた冬の中山の馬場を得意とした馬が馬力不足ということはない こういうグレード制導入前の競馬ってあんまネットで見られないからリアルタイムで観てた人の意見を聞けるのはとても貴重 >>299
そうですよね。JRAも本気で競馬を文化として大切にする気があるなら
せめてハイセイコー以降の記録や資料は再編整理してもっと振り返り易くしておいて欲しいです
新しいファンにも昔のドラマを知って欲しい
現代へ続くルーツですし、レベル比較はともかく、このスレでも語られてるように暗黒時代に見えても「競馬の魅力や面白さ」は十二分にありますからね
ただ比較最強論はやりたい人はやればいいですが(それも楽しみ方の一つとは思います。比べようが無いで終わらすのも正論だが味気ない)、「自説こそが正しい、異論はすべて否定」みたいな人は程々に願いたいですね
TTを否定的に述べても自由ですが、92辺りと時計単純比較で否定するのは的外れかつスレチかなと感じます… ジュウジアローという牝馬がいましてね
牡馬に伍して重賞5勝
特に、毎日王冠(81年)で負かした相手は時代を代表する馬が何頭もいました
>296
そうです >>295
>>297
ルドルフ絶賛されてるけどイマイチ納得できないなあ
最強候補なのは間違いないけど他の名馬比較して落とすほどか?と
胴詰まりとか馬力不足(反対意見も既に出てる)とかさらっと出してるけど
それって結構なマイナスポイントだし
瞬発力はサンデー系以降の普通に強い馬と比べても微妙になる
>>300
結局ここにある通り「自説こそ正しい」ってのは程々にねってことです >>301
ジュウジアローいたねえ
毎王はレコード勝ちですよね。
アローエクスプレス全盛はこの頃かな?
暮れの愛知杯なんか、アローだらけだったような気がする。 シンボリルドルフ>マルゼンスキー>テンポイント=トウショウボーイ>タニノチカラ≧グリーングラス=モンテプリンス=カツラギエース≧ホウヨウボーイ=ロッキータイガー≧アンバーシャダイ=ミスターCB=ニシノライデン 割と面白い懐古スレだと思ったけど
古すぎて比較しようのない馬の名前たくさん並べて
思い入れ補正された自説披露されても興ざめなんだよなあ >>306
ルドルフ、マルゼン信者の人は放っておいてあげるのが一番でしょうw
(意見を言うのはいいけど、ちょっと決めつけがキツくて辟易w)
>>303
この時代、怪物級は現れなかったわけですが
面子的に豊作なのは78と80世代で
特に80世代は牝馬も強くて、トップレディを筆頭にジュウジアロー、ラフォンテース、コンパニオン、タケノハッピーとか混合重賞を勝ちまくるなど牡馬と対等に戦う強豪がいましたね
(78も天皇賞馬プリティの他にもマイエルフ、ヒロノスキー、ベニバナビゼンとか良い牝馬いました。この時代は牝馬も味があります) いい牝馬はいたなー
他にもエイティトウショウ、メジロカーラ、カミノスミレなどが重賞勝ってますね。 第2回のJCで日本のトップ級がみんな回避したのは寂しかったなあ。
第1回の結果とあのメンツでは仕方がないんだけど。 >>309
その時の動画ではゲストの寺山修司さんが
外国馬はメジャーリーグ、日本馬は高校野球と。
ジョンヘンリーが凄い人気だったけど走らず..... ステロイドヤりまくりと普通の学生って意味の皮肉か? >>312
5着
日本馬最先着、ジョンヘンリーに勝った。 >>313
今にして思うと、競馬はやっぱりホームが断然有利なのに
JC始まった当初の日本の劣勢は何だったのでしょう?w
単純にレベル差とも思えない、だってその頃から格上の目玉の海外勢はコケてるわけで、ザベリワン、エイプリルラン、ジョンヘンリー…
例えばジョンヘンリーが必死の二着のヒカリデュールを10馬身千切って優勝なら分かる
オールアロングなんか日本での好走をきっかけに翌年大出世したわけで
(ホウヨウの隠れた敗因書いてくれた方はいたけど)
結局競馬は馬場ですよね
その時々で日本の馬場に最も合う伏兵が台頭してたという感じ JC創成期は
日本の環境に合う海外2流馬>日本の1流馬≒日本の環境に合わない海外1流馬
今は
日本の1流馬>日本の環境に合う海外2流馬>日本の環境に合わない海外1流馬 1回目がね。
ガレて貧相なアメリカの2流牝馬に、2分25秒台の当時としては驚愕の大レコードで勝たれた。
秋天ワンツーの両巨頭が全く歯が立たなかった。
欧州馬がいない状況で、この体たらく。
だから2回目は、端から諦めムードだった。
米芝の王者、ワシントンDC勝ちのフランス牝馬、昨年2着で府中の前哨戦圧勝のカナダの巨漢馬。
こんなの勝てねーよって雰囲気。
秋天レコードのメジロティターン、去年の有馬記念のアンバーシャダイ、春の王者モンテプリンス、みんな回避。 第二回は田原カズシゲがドスローに嵌めて、直線向いた時はしてやったりと思ったらしいが、相手が一枚力が上だった あれだけのメンバーがいて、バンブーのダービーより遅かったからねえ。 毎日王冠(2000m)の結果が、まったく天皇賞(3200m)の参考にならなかったからなあ。 ハワイアンイメージ
オペックホース
ノースガスト
カツトップエース
カツトップエース
ミナガワマンナ
アズマハンター
バンブーアトラス
ホリスキー ホリスキーは菊花賞で翌年のミスターシービーと同じく向正面の登りで仕掛けていったの? 坂の下りで一気に来た。
坂を下る辺りで、逃げたハギノカムイオーにワカテンザンが追いついた。
それを見てハシローディーがスパート。
そして楽な手応えでホリスキー!
仕掛けのタイミングはシービーより遅い。 同じ地点から
菅原とホリスキーはボチボチ行った
吉永とミスターシービーは一気に行った
シービーはちょっとでも手綱を緩めたりすると一気に足を使う馬だった
ディープインパクトもそのような傾向があったという >>320
バンブーアトラスが種馬としては一番成功して
次がホリスキーか
ノースガストは全く印象が薄い..... >>324
菅原は何と言っても、
カブラヤオーとテスコガビーで鍛えられてるからね
経験を積んでいいタイミングで名馬に会うと、騎手は伸びるんだろうね
和田はオペラとの出会いが早すぎた(最近ようやく渋い上手い騎手になって来たが)
あるくすぶってた騎手が名馬にインスパイア受けて、その後に何頭かの馬をG1馬に出来るようになる、というパターンが競馬はありますね
シービー吉永→モンテファスト、ルドルフ岡部→オグリ有馬ほか、ブライアン南井→マーベラスクラウン、など この時代を振り返るスレ前にもあったけど
何気に盛り上がるよね >>320
トライアルレース
サーペンプリンス
モンテプリンス
オーバーレインボー
サンエイソロン
サンエイソロン
サンエイソロン
ハギノカムイオー
アスワン
ハギノカムイオー 年度代表馬は牝馬クラシック二冠を省いた
八大競走(クラシック三冠、天皇賞、有馬記念)勝ち馬
がなってたから八大競走を2勝した馬がいなかった年は
日本一決定戦の有馬記念を勝った馬が結構なってた。
天皇賞は昭和55年まで勝ち抜け制で、昭和56年から天皇賞馬が
天皇賞に出走できるようになったけど昭和59年グレード制導入で
秋の天皇賞が2000mにされるまでに3200mの春・秋の天皇賞を
両方勝つ馬は出現しなかった。 >>328
サンエイソロンwwwwwwwww
トライアル三冠馬は、史上唯一かな?
菊花賞では実況で「サンエイソロンまた2着か」だし。
史上に残るこれがトライアル三冠の脚だ! サンエイソロンは当時に小島太が下手なんだみたいな話は出てなかったんだろうか? サンエイソロンのダービーがどういう評価だったかは覚えません。
本人は「16年間の競馬の中で一番悔しい」なんだそうだ。
アズマハンターのダービーは下手くそだと思いました。 一部の例外除いて馬事公苑育成時代の騎手って今からしたら何じゃこりゃってフォームだったり追い方の奴ばっかだよなぁ >>331
ダービーではサクラシンゲキで残り1Fまで粘ったしサクラチヨノオーで驚異の差し返し
バクシンオーでの騎乗ぶりも非常に安定していたし、ユタカオーでも適距離でのやらかしは1度もない
追うこともできてペースも読める、先行馬ならとても達者な腕なんだよ
ただ6頭立てでも前が詰まった伝説があるように、とにかく馬群が捌けなかった >>325
種牡馬としては一番ホリスキー、二番バンブーじゃないかな?
ホリスキーはG1馬は出せなかったが、ダートで確実に走り
見栄えの良い買い手が付きやすい仔を多く出すということで
晩年まで人気種牡馬の地位をキープしていた
今で言うとシンボリクリスエスみたいな種牡馬だった ホリスキーの仔、G2までしか勝てないのはナイスダンサーと一緒だったけど
ナイスダンサーと違ってG1では本当に箸にも棒にも掛からなかったな >>328
オーバーレインボーは岩手で終焉か
騎手の佐々木さんは調教師で大成功 オーバーレインボーって
オーバーザレインボーから?? ミナガワマンナとホリスキーって、なんで菊花賞だけあんなに強かったんだろ?
ホリスキーのレコードなんて、ライスシャワーまで破られなかったんだぜ。
あのボロボロの芝で出した時計が。 >>339
ヒント:最強馬シンボリルドルフの菊花賞は稍重で時計の掛かる馬場だったから、そうでなければ(以下略
※それでも前年の良馬場ハイペースの菊花賞の勝ち時計よりもルドルフの時計の方が大分速い キヨヒダカなんか中山のダート1800のレコードまだ破られてない!
100年経っても破られないんじゃない? ルドルフの菊も凄かったよね
あの糞馬場で6秒台だからなー
でも鬼気迫るゴールドウェイ&南井にはビビった やっぱりハギノカムイオーの逃げが早かったんだろうな。
カムイオーとアスコットエイトとでは力量が違い過ぎるから、シービーの時計がそれほど速くないのは当然、って力説してるおっちゃんがいたな。 ホリスキーのレコードはハギノカムイオーの暴走の賜物
菊花賞の後、精彩を欠いたのはマルゼンスキー譲りの脚部不安に尽きる
それでも2回の春天で2着3着なのだからステイヤーとして一流だった
ホリスキーのラストランは2000mに短縮された最初の秋天でのシンガリ負けだったのだが、
後で思えば、スピード優先時代の到来と、ステイヤーの時代の終焉を表したような結果だった >>344
あと、あの乱ペース、乱戦を制した泰っさんも凄いよ。
ハシローディー田原も仕掛け早すぎて直線は伸びなかったもん。
あのレースで勝負かけるタイミング見切るのは困難だったと思うんだ。 >>342
ゴールドウェイは後に不良馬場の毎日王冠でニホンピロやウィンザーノット、
ワカオライデンを退けて一着になったように湿った馬場が得意なんだろうね。 ごめんね、おっちゃん酔ってるんでつまんない事いっぱい書いちゃった。
ジジイ消えまーす。 >>342
あのときのルドルフ包囲網も凄かったな
4角手前までびっしり閉じられていて
やっと植え込み切れ目から進路を取れた感じで ホリスキーはGTになった最初の宝塚記念でカツラギエースと人気を二分していたのに
馬群に消え去ったのが切ない。 >>320
二着馬
オペックホース
モンテプリンス
モンテプリンス
ロングミラー
サンエイソロン
サンエイソロン
ワカテンザン
ワカテンザン
パッシングサイアー ウォッカ〜ブエナ時代も暗黒期
みんな聞いてくれwここでとどめの実際の目撃した報告をw
この前アンチディープが泣きながらブリブリもらしながらで「ディープ失敗!ディープ失敗!」とさけでるのを見たw
みんなで大笑いしたw 77から79
ハードバージ
ラッキールーラ
プレストウコウ
ファンタスト
サクラショウリ
インターグシケン
ビンゴガルー
カツラノハイセイコ
ハシハーミット
ちなみに76
トウショウボーイ
クライムカイザー
グリーングラス
やっぱり迫力ある >>354
クライムカイザーがちと残念だが、やっぱり76すげーわ。 >>355
クライムも、まあ調べるとわかるけど
同期のライバルが凄すぎで気の毒だが
ダービー後もTTGや古馬トップクラスとぶつかり合いながら掲示板は確保し続けたから
全くの外れダービー馬じゃないよ
ダービーの勝ち方もボーイに対してはヒールだが、他はちぎってるし、全く情けないフロック馬ではない
最後の伝説6頭立て宝塚で初めて6着で引退
トウショウボーイ
テンポイント4/3馬身
グリーングラス4馬身
アイフル6馬身
ホクトボーイ2馬身
クライムカイザー頭
本当に強い馬だけの少頭数って興奮する >>356
すげーw
6頭だけど雑魚がいねぇwww 当時一番格下のホクトボーイがその年の秋天勝ったんで、
後のを含むとオール八大競走勝ち馬だもんね。 クライムカイザーはトウショウボーイに対するストーカーの真似みたいな事をしなければ、ダービー後も勝ち星は挙がったはず
実に勿体無い馬でした トウショウボーイの引退で暗黒時代が始まる。
ミスターシービーの登場で暗黒時代は終わる。
雑だけどこんな感じかな。
この親子やるね〜。 >>360
>クライムカイザーはトウショウボーイに対するストーカーの真似みたいな事をしなければ、ダービー後も勝ち星は挙がったはず
うまい事言いますねw
おっしゃる通りダービー以後、トウショウボーイの出るレースすべてにぶつけ続けましたからね、ちょっと勘違いしちゃった感じw
でも一度もザコに勝ちに行かなかったのはある意味偉い
>>359
でしょう?少数精鋭レースもいいですよね?タイミング合えば例えば、
オルフェーヴル
ゴールドシップ
ジェンティルドンナ
フェノーメノ
エイシンフラッシュ
ルーラーシップ
の6頭有馬見たかったよね(可能性はあった)
ザコがいないと有力同士の駆け引きが密度濃く見れるのがいい所 >>356
ただしその宝塚記念は実況が杉本清さんじゃなくて
あまり上手くない実況アナだったのが惜しい。
だからこそそのあとの有馬記念での杉本さんの名実況が際立つ。 少数精鋭のレースは見てみたいな。
5頭いなくてもいい。 >>365
そうそう、その究極がマッチレースなわけだけど
というより以前Wikipediaで見た気がするけど、
競馬のそもそもの発祥が、貴族の持ち馬のマッチレースなんだよね、確か
ただ双方の馬の負担が大きいのとギャンブル性を考慮して今みたいになったとか…
でも少数精鋭レース見たいですよね
単と馬単だけで4頭とかでも買いたい、レース自体が緊迫してていい
キタサンブラック
サトノダイヤモンド
サトノクラウン
レイデオロ
の4頭レースいいなw >>364
本当に!あのアナウンサーには悪いけど凡庸な実況で、あのレースの豪華さに相応しくなかったですね
あれが杉本さんの名実況だったら年末のTT最終決戦有馬とセットで、もっと語られたと思います >>348
そりゃ無敗3冠がかかったレースで「次のJCに向けて疲労の残らないレースをする」なんて言われたら他陣営は面白くないだろう
あのレース下りから4角でとんでもない脚使ってるんだよな、カメラがルドルフ追ってないから全然映ってないけど >>368
スポーツ新聞の見出しが「ルドルフ稲妻三冠」だったと記憶している。 >>354
76のダービーがなあ...
トウカンタケシバかホクトボーイだったら >>354
トウショウボーイには黛パパも乗ってたんだ >>372
そう、今度優駿の名馬特集がトウショウボーイ。
ポストカード付き。 黛パパはトウショウボーイの中山千六オープンに乗せてもらってレコード勝ち
その時貰ったレコードメダル、ずっと家宝にしてるみたいですね >>363でもその中で自力でレースメイクする脚質の馬いないし、ジェンティルが逃げてドスローの凡戦が目にみえてるぞ
仮にトウショウボーイがやったみたいにハイレベルな自力戦に持ち込むとそのメンツじゃオルフェが普通にぶっちぎって勝つだろうから名勝負にはならへんぞ
トウショウボーイとか4歳夏以後のテンポイントは5年に一度の名馬がたまたま同じ時期に当たってしまったって感じだから、そんなかにディープをいれないと名勝負になりようがない 昔、落合博満がまだ現役の選手だった時
有馬記念でフジの競馬番組に呼ばれて「テンポイントが嫌いでねぇ。」って答えてたのが衝撃だった。
馬券で痛い目にあったんだろうけど(ボーイ→アイフルで行ったらしい)堂々とテンポイント嫌いって言うが凄かった。 トウショウボーイは皐月賞を勝った時点で20年に一度の名馬と呼ばれていた トウショウボーイの名レース
皐月賞 有馬記念(76年) 神戸新聞杯 宝塚記念
中山のオープンの動画だけ見た事がない。 フジの競馬中継がチャレンジ・ザ・競馬とかいうひどい番組になった
とかどっかで見たがそんな駄目な内容だったのか? 競馬そのものでなく競馬の情報を伝えるマスコミ・媒体の変遷なんかの話も聞いてみたい
当時は競馬自体が社会的にどういう扱いだったのかとか >>381
何か、やっすいクイズ番組みたいでしたよ
井崎1人が空回りしてはしゃいでいて…しばらくフジの競馬中継見なくなったなー(北沢産業の頃は良かった)
>>382
とにかく世間的にはどマイナーな趣味の世界でしたよ
フジの中継は盛山さん、大林さん、で大川和彦さんすら若手でした
ゲストに寺山さん、古山さん
鈴木淑子さん参加以後もいいけど、あの頃良かったなあ、マイナーな分、誰も知らない楽しみの世界を知ってる優越感ありました
トウショウボーイは今振り返る程素晴らしい競走馬でした
渋くてスマートで危うくてカッコ良くて強くて
正に力石(テンポは熱くて泥臭いとこが矢吹ジョー)
大島輝久さんはトウショウボーイに惚れ込んでました(酔っぱらって支離滅裂ですみません) >>381
視聴者参加のクイズ形式
司会は夏木ゆたか
夏木の異常にテンション高い進行がカラ周り
大川氏のパドック解説や、井崎氏のデータコーナーもあった。
とにかく酷い番組
>>383
北沢産業は土曜のテレ東では? 暗黒時代が終わるころにフジの競馬番組が大きく変わった
司会が、広川太一郎と、淑子のおばちゃん(当時はお姉さん)
解説が沖田雅輝(もう一人いたが忘れた)から大川慶次郎に
井崎も登場し、当時の担当は「井崎のデータらめ作戦」というほとんど的中しないコーナーで活躍
予想は当たらなかったけど、過去データに基づく分析は面白かった。
大川さんの予想が当たった時は「大川賞」という視聴者プレゼントがあった
そして、この年に暗黒時代の終わりを告げるミスターシービー登場
淑子おばちゃんは当時本当のド素人で、初めて覚えた馬がミスターシービー チャレンジ・ザ・競馬はひどかったよなー
あの後、潮哲也の落ち着いた司会にホッとしたもんだ
潮さんもそれほど競馬には詳しくなさそうだったが でも、動画でそのチャレンジザ競馬見たら
今のあんな中継より視聴者も電話で参加出来て
愉しいんじゃない。 堺さんが淑子ちゃんって言ってたね、あの頃は。
雰囲気は良い現場だったんじゃない? >>387
半年に一度ぐらいなら面白いと思うけどね。
毎週アレだぜw
しかも全然当たらないの
夏木だけが喋りまくって何がなんだか
夏木ゆたかは、ああいうキャラだからしょうがないけど、それを起用した奴は最悪だね。 副音声で女子アナがダービーのアカネジローマルとマサヒコボーイを馬鹿にしてた >>390
アカネとマサヒコ
カップルで有りそうな名前だ。 >>383ですが夜中に酔っぱらって書いたのでだいぶ記憶違いがあったのを、皆さんのレスがただしてくれてましたw
→やたらうるさくはしゃいでたのは井崎じゃなく夏木さんでしたね
→初々しい淑子さんはシービーが初恋馬でしたね(暗黒から参加しないで良かったw)
→厨房機器メーカーの北沢産業は日曜のスポンサーでした、これは自信あるけど土曜にも移ったかも知れません シービー出現の年は、競馬のひとつの節目の年だったかもw
暗黒時代の終わり、寺山さん死去、淑子さん登場、
リードホーユーがアンバーシャダイを撃破(かなりこじつけw) 寺山さんはミスターシービーのダービー直前に亡くなったんだよなあ。
もう少しであれほど望んだ吉永正人のダービー制覇が見られたのに... >>394
ルドルフについての寺山の見解が知りたかったわ >>395
衰えて尚挑戦せざるを得ないシービーはいかにも寺山さん好み
弱みを見せない皇帝はお好みじゃなかっただろうなあ
伝説の77有馬で陽の男トウショウボーイだって衰えが見えるが故に
いかにも陰の男のテンポイントより応援されてたし >>392
Wikipediaにのってたよ
土曜のスポンサーはオノデンじゃないかな? 競馬界の衝撃的な出来事でいうとこの辺のリアルタイム世代だとなにになるんだろ?60代後半だよね、失礼だけど…
キョウエイプロミス、カツラギエースなのか
ノーザンテースト、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスなのか
秋天の距離短縮、凱旋門挑戦で2着、牝馬の一線級の活躍、外人騎手、メジロトウショウ牧場の閉鎖、競馬場の設備など色々聞いてみたい >>398
40代
じいちゃんが競馬中継好きだったんで一緒にテレビ見てた >>394
ちょっと前に寺山さんについて色々取り上げられていて
奥様もメディアに。
シービーいかにも好きだったんでしょうねえ。 有馬記念史ってビデオを競馬始めた頃に見ていたけど
ヒカリデュールの勝った57年だけは大雨のせいもあって
スタンドも客が少なくて全然盛り上がってなかったね。
若手時代の堺アナの実況だけが虚しく響いていた記憶しかない。 あの堺アナの実況は酷かったな
ヒカリドゥール、キョウエイプリンス >>402
今だと谷岡アナや立本アナが有馬実況するようなものか
堺アナはのちに数多くの名実況残しているけれど ラフォンテースよりもハギノトップレディの方が強かったのかもしれない >>398
坂路調教で関西馬が強くなった サンデーサイレンスの仔が日本競馬を席巻
地方、海外の騎手がJRAの騎手になり30歳以下の若手騎手が壊滅状態 >>403
そうそうw
「デュ」が全然言えないの
緊張してたんだね
>>396
寺山さん生きてたらどうだろう?
「ルドルフが抗えない歴史そのものだとしても、私はシービーという滅び行く君主と運命をともにする民でありたいのである
有馬記念はシービーの単勝だけで勝負する」
とか大袈裟なコラムを書いたのではないかなw でも長生きしてたら手のひらを返すかのように
今のルドルフの評価、というか昔の名馬の評価を低く見る傾向に
異を唱えていたかも。ま、そんな傾向は2chだけかも知れないけど。
ただ、リアルで40半ばの競馬友達が昔の競馬に価値はない
と言い捨てたことがあったんで。
そいつマックからしか見てないのに。 シービーは脚部不安さえなくて
旧4才と5才の有馬と宝塚あたりとれて六冠馬になれてたら今ごろ全然評価が違ってたんじゃないかなあ、と妄想 ホクトボーイ
ホウヨウボーイ
イーストボーイ
マサヒコボーイ
暗黒時代は「ボーイ」「キング」「オー」が似合う。 モンテプリンスとホウヨウボーイの秋天はアファームドアリダー、サンデーサイレンスイージーゴア、バブルエアに匹敵する名勝負だね >>410
シービーは三冠獲得後の有馬に出ていたら。。。。。。 >>402
そのビデオ
ダビングしたの持ってる
ついでにジャパンカップ史も
あれ見る限りホウヨウボーイ鬼強いんだけどな
うpとかして皆に判断してもらいたいが
法に引っ掛かるんだろうな忌々しい >>416
夏場、風邪で体調を崩した。
菊花賞はその遅れを取り戻すために、急仕上げをして、本場では凄い脚で勝つことが出来た。
それらの反動や見えない疲労を考慮して有馬記念は自重。
年明けのAJCは出走を決めてたが、積雪の影響でダートに変更されたためキャンセル。
その後脚部不安で結局春は出走せず。 3000m走った直後に下痢で体調崩しながら中1週でJC出てきて3着
有馬回避せず出てきてレコ勝ちするルドルフやはりおかしい 以前TTGの頃から競馬を始めたという職場のオッチャンと飲みに行ったら、最強スプリンターはサクラシンゲキと熱く語られたな 武騎手が20年ぶりに北九州記念を福島調教師の馬で勝ったと話をしていたが
武騎手がその10年前にデビューをしていて、その10年前だとTTGが走ってるって考えると
そこまで大昔な気もしない ここで訊けば長年の疑問に答えてもらえるだろうか
メイワキミコはギャラントマンの仔なのになんでマル持ちにもマル外にもならずクラシック含めて重賞に自由に出走できたんでしょうか?
1978年の競馬年鑑が手元にあるけど、ニジンスキー産駒のメイワリキヤという馬も同様にマル持ちにもマル外にもなってないんですよね・・・ 再確認したらメイワパッサーもセクレファスターもマル持ちになってない・・・
どれも明和牧場関連ですよね >>422
メイワキミコ(1977年・1978年スプリンターズステークス。マルゼンスキーと同世代だが母が輸入されて日本で血統登録されてから改めて海外の種牡馬に種付けされて誕生したためオークスに出走している)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/持込馬
なるほどわからん 1度輸入した牝馬をもう1回海外へ連れていって種付けして持ち込みすれば持ち込み扱いにならなかったという事???
同じ持ち込みでもその場合は内国産と同じ扱いだったとすればかなりガバガバなルールだったのかな ハギノトップレディの初子は英国のグランディ(輸入前)だけど、日本で出産するから持ち込みにならないって、フジで淑子さんが言ってた。
広川さんが「名前はハギノトップルンルンとかですかね〜」ってはしゃいでた。
字余りだろーが!ってテレビに突っ込んだ。
なお、その仔は... >>426
グランディというのはラムタラやジェネラスのように日本ではさほど。 グランディの後世への影響力の無さを思うと
バスティノでも付けたほうが良かったよねって思っちゃう
もちろん普通にノーザンダンサーの一流馬でもいい 過去から見たらそう言えるけど当時としては相当なもんでしょ グランディ、ぶっちゃけあっちでも失敗してたから連れてくる事ができた馬だよね
まずまずの成績を残して日本に来た、なんて言い方される事もあるのは
日本での成績があんまりにもあんまりだったのを強調する意味合いもあると思う
G1勝ち馬3頭輩出してると言ったって英オークス勝ったバイリーム以外はアスコットGCとイタリアのマイナーG1勝ち馬では このスレに感化されてホウヨウボーイの秋天と有馬を見返したけど
加藤和は上手く乗ってるよな特に秋天はコース取りの妙で振り切ったようなもんだね。
アンバーシャダイに郷原が乗っていたとは驚いた。 >>431
おいおいグランディは
綺羅星のごとく
世界中で名馬が出現した1970年代にあって
欧州ではニジンスキー、ミルリーフと並び称された名馬だぞ
額にクエッションマークのような班があった
日本でもこの馬の名にあやかった
男性誌「グランディ」が発売されたくらい
バスティノとの一騎打ちとなったキングジョージは
世紀のレースと言われて小説にもなったらしい あのキングジョージのレコードタイムって、破られたの割と最近だったよね。 >>434
それほどの名馬が日本に売られてきたのはやっぱり種牡馬として失敗だったからって事さ
ジェネラスもシャーラスタニもダンシングブレーヴもそうだったしね
ダンシングブレーヴは日本に売却した直後にコマンダーインチーフとホワイトマズルが出たわけだけど もし昭和40年代の前半にノーザンダンサーを輸入してたらどうなってたかな。 直系の種牡馬としては失敗しても
繁殖に入って有力馬に残る、みたいのもグランディってほとんどないんでないのか?
グレートネフュー、フェアウェイとか言われても
まあそんなのを仕入れるなんてセンスがないね シャーガーのダービーが派手だったから・・・
グレートネフューに期待しちゃったのかも >>434
ミルリーフの名前が出てきて何でブリガディアジェラードの名前が出ないのか >>434
ニジンスキースターという馬がいたというのを思い出した。
マルゼンスキーの話で知る。 >>440
当時は今よりクラシックディスタンスの価値が高かったのでマイラーさん(古馬になってミルリーフ不在のKGは勝ったけど)はバイバイ、なのかも >>438
グランディ輸入の2年前にも同様にグレートネフュー産駒シャーガーが凄まじいパフォーマンスを見せてる
その2年前に英ダービーを勝ったトロイも歴史的名馬だがフェアトライアル系、グランディ自身の種牡馬成績は
それほど奮わないにしてもフェアウェイ系自体から活躍馬は出ていた
結果的には80年代後半〜90年代に欧州在来血統だった英愛のフェアトライアル系、スウィンフォード系、仏のリュティエ系の殆どが
北米から入ってきた血統に駆逐されるのだが、海外含めてそこまで読めてた人間が当時どれほど居たか 他にもミルリーフ&リヴァーマンのネヴァーベンド系、ブラッシンググルーム系、シャーペンアップ始めとするネイティヴダンサー系が優位になり
まぁその辺りも90年代後半辺りから陰り始めてNDの父系も一部のみが大発展、ミスプロも勢力を増し今に至る タレンティドガールにナシュワン付けて牝馬が生まれたってのは
慧眼もいいとこだし運が良かった
同期のマックスビューティも牝馬が欲しかったね ステューペンダス
パーソロン
ハイセイコー
リマンド
イエローゴッド
ジムフレンチ テンモンがカバリエリエースに負けたレースなんだっけ? クイーンカップかな?
当時は本命がブッ飛ぶレース
ダイナカールも飛んだ メジロラモーヌもクイーンカップは負けたな
90年代に入ると、クイーンカップの勝ち馬はクラッシックで勝てない
というジンクスも囁かれていた デイリー杯クイーンカップ
1月開催のころは荒れていた。 83年ってミスターシービーが居なかったらとんでもねえ暗黒年になったんじゃないかな。 >>454
ミスターシービーの勝ったG1が玉突きで2着馬が勝ったと仮定すると…
ダービー、皐月賞メジロモンスニー
菊花賞ビンゴカンタ
天皇賞テュデナムキング
確かに微妙では有るね >>438
グランディではないがエラマナムー経由でフェアウェイの血はけっこう入ってるが
ホワイトマズルの母父だし >>448
マックスジョリーが早死にしちゃったからなあ
幸い今もなんとか血はつながってるが >>454
カツラギエース、スズカコバン→成長途上
ニホンピロウイナー→苦手の道悪続きかつ距離長い
リードホーユー→故障離脱で春の適距離を走れず
スプリングS1,2着のタケノヒエン、ハヤテミグ→前者は裂蹄で本来の走りができなくなる、後者は故障離脱
後の実力馬が成長途上や脚元がまともならってのが多いね、83年春のクラシックは >>455
メジロモンスニ―って今だったらもうちょっと人気出ていそう。
のちに宮杯にも勝っているから惜しい名馬候補 シービーに勝った事があるウメノシンオーはブライアンに勝ったボディーガードか? >>461
シービー世代(牡馬)
ミスターシービー
メジロモンスニ―
ビンゴカンタ
シンブラウン
カツラギエース
スズカコバン
ニホンピロウィナー
ウメノシンオー
コレジンスキー
リードホーユー
テュデナムキング
ダイゼンキング
活躍時期が微妙にずれている。 ディープインパクトよりもゴールドシップのほうがミスターシービーに近かった いやーシップはないだろう、ズブすぎる
菊のまくりはシービーを彷彿とさせるなんて言われたけど >>461
ウメノシンオーは熱発してからダメになった
ダイゼンキングもそうだけど、熱発して体調戻ってないのにレースに使うと終わってしまう事も有るので案外バカに出来ない >>462
コレジンスキーが入るくらいならブルーダーバンやデアリングパワーも入れてやって >>462
ずっと活躍し続けたのがドウカンヤシマか
中央の6年連続重賞制覇、競走馬寿命が格段に伸びた今も未だに並んだ馬が居ないんだよね ドウカンヤシマ、いましたねえ。
お正月は染之助・染太郎、そしてドウカンヤシマ
そんな時代でした。 ギャロップダイナもシービーの世代なのね、大豊作じゃないのかな 古馬になって本格化したサクラガイセンもこの世代
牝馬も活躍馬が多くて全体的にレベルが高い世代でした 牝馬は社台のノーザンテースト産駒が豊作で
それが後に繁殖に上がって活躍馬を出していくんだね
ダイナカール、ダイナマイン、シャダイチャッター、グローバルダイナ シャダイアイバーもなかなかですよ。
そう考えると、シャダイソフィアは惜しかった。
無事だったら・・・ 有馬記念でのミスターシービーはスタートでゴールドシップしている
この有馬記念ではポツンで大敗に終わったJCの反省を踏まえ陣営は積極的な競馬をすると宣言していた
しかしスタートで後手を踏む
それはいつものことだがその後遅れを取り戻そうと吉永が手綱をしごいてもエンジンの掛かりが悪く結局後方からの競馬になるというゴールドシップパターン
3〜4角では珍しくインから上がっていくも馬群が割れたところにサッと入っていけずもたついてしまい
4角では馬なりのルドルフとは対照的に手綱を激しくしごいても何故かルドルフとの差は広がり
直線半ば過ぎてようやくエンジンが掛かった時にはルドルフはもうゴールを目の前にしていた
https://youtu.be/sS3iY8cAWlU >>474
シャダイアイバーとリーゼングロスのオークスは地味に名勝負
しかし翌年の5頭横一線のゴールの影に隠れている >>476
このオークスはレース直前に一番人気リーゼングロスの放馬があり、2着だから良かったものの大敗してたら大騒ぎになってたでしょうね リーゼングロス、好きでした
気性穏やか(普段は人がお腹にもぐっても大人しくしてるくらい)レースになると一変、頑張り屋さん
妹にも名馬2頭
子供もいい仔出してたのですが 桜花賞にビクトリアクラウンがいたら凄いレースになってただろうな。 リーゼングロスの仔って、
初仔のアインリーゼンがブレイヴェストローマンだった以外は
安いというか、地味な種牡馬の仔ばかりだったような記憶があるな
サンデー全盛の21世紀まで繁殖として頑張ってたんだし
もっと勢いのある種牡馬を付ければ良かったのににと思うがな >>480
何でロンググレイスにノーザンテースト付けなかったのかな。 とりあえずホウヨウボーイはそこそこ強いというのがこのスレの総意? そこそこ強いが、2年連続年度代表馬は無いだろう...ってとこかな。 >>475
馬混みをうまくさばけなかったりエンジンのかかりが遅かったりのシービーが鞍上込みで好きでした。
ですがその有馬はトウショウペガサスを応援してました。 >>486
翌年、さらに詰めの甘いダービー2着馬が... モンテプリンスは騎手が自身苦手にしている先行策にこだわったために最後に競り負けるのを大レースで繰り返すことになった
同時期のシービークロスで見せたように最後方で一頭ポツンと離れてレースをするのがこの騎手の真骨頂である モンテプリンスは春天・宝塚ダブルしたんだからもっと評価されていい。 >>482
受胎率の悪さかねぇ
ただ、半弟のロングニュートリノがダートのどっちかというと長いトコロ向けだったの見ると
NT付けて大物が出たとしてもウインターS制覇、みたいな馬だった気がしてならない >>489
モンテファスト(モンテプリンスの弟)はそんなタイプでもなかったように。 >>489
最後の勝利になったラウンドボウル
見事な逃げ切り勝ちだったと記憶 >>492
ファストは先行しても控えても逃げても結局ダメだったような...
まさか盾取るとはねえ >>462
ブルーダーバンとミヤコオーダス、デアリングパワーの二本柳軍団もいたぜ。 ミナガワマンア 菅原泰
ホリスキー 菅原泰
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