全財産1200万円が競馬で無一文に…

1992年10月。双子の弟・浩と鹿島アントラーズからそのシーズン限りでの契約解除を伝えられた。25歳になる直前だ。

当時の私は、プロとしての競争意識が養われていなかった。社会人リーグからJリーグへと移る過渡期の世代で、プロ化の動きに乗り遅れた。
プロ契約の形式を取っていたけれど、自分がチームで不遇だったこともあって「Jリーグなんか…」とふて腐れていた。戦力外通告も仕方のないことだった。

サッカー以外の人生にも関心があり、違う道を歩みたくなっていた。青森の地元にレストランを出そうと目星もつけていた。
そのための開業資金を増やそうと、当時蓄えていた1200万円を携えて中山競馬場に向かった。

いつも競馬場へは知人らと行ったのに、そのときはひとりで向かった。土曜日のレースで、半分をあっという間に失った。
それでも、まだ600万円が残っている。日曜日は1レース、馬連の1点買いに残りのすべてをつぎ込もうと決めてしまった。

競馬新聞を読み、パドックを見て、窓口に向かった。買った馬の名前は覚えていない。1〜3番人気までの2頭だったはずだ。
大きく買うとオッズは落ちるが、落ちても3倍くらいの配当がつく馬券を狙っていた。

レース内容は記憶にない。とても見ていられなかった。ただ顔を上げたとき、万馬券のような配当だったのを覚えている。なぜ、こんなときに荒れるのか。
持ち金すべてを失ったことが分かると、急にガタガタと体が震え出した。競馬場を出た後、どこをどうやって歩いたのか。
丸井のカードでキャッシングをし、鹿嶋町まで電車で帰ったことは覚えている。

ギャンブル依存症という病気は、自分だけうまくいくと思っている人がかかるといわれる。
当時の私がまさしくそれで、俺は負けない、俺の人生は必ずうまくいくんだと勝手に思い込んでいた。なにも根拠はないのにね。
ギャンブルは遊びであるべきなのに、遊びでなくなっていた。その時点で勘や感情は鈍っている。

http://www.sanspo.com/soccer/news/20170831/jpn17083111000001-n1.html