何故ハクチカラからフジヤマケンザンの間日本馬は海外で勝てなかったのか
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いくら何でも30年以上勝てなかったのはどうかと思う タラレバですまんが一番近かったのはルドルフだったのかな ノウハウが無い
挑戦するレースの選択がアホ
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帰国すると半年は出走しないイメージです >>4
1番近かったのはルドルフの後輩のシリウスシンボリ
フォワ賞でクビ差2着がある ハクチカラだって軽量ハンデで2着馬は骨折してたから相当な奇跡やぞ 今の韓国馬が海外でても勝てないのと同じ理由な気がする。競馬後進国だった 香港がなく、もちろんドバイもない時代に
わざわざ欧米まで海外遠征するのは敷居が高過ぎた 今だって香港とドバイの招待競走で勝ってるだけだしな 遠征数が少ない。ノウハウがない。
と考えると、勝率は今とあんま変わらない。 グレード関係なしなら
シンボリルドルフ産駒が1992年にフランスで4勝あげてる
和田オーナーが皆さんに見て欲しいと日本連れて帰って来て終わってしまったが 改めて考えると森調教師の存在って日本競馬の歴史の中で大きいな 確かに森のやり方は良くも悪くも今の競馬に大きな影響与えてると思う
昔は手薄なところを狙って確実に賞金を持ち帰るって発想は薄かった気がするし
低レベル関東遠征とかノボノボコンビとかスノーエンデバーみたいに頭数少ないと見たら格上挑戦したりとか昔は見事だったよ >>3
今は海外挑戦といえば凱旋門賞だけど
昔は海外挑戦といえばワシントンDCインターナショナル
が多かったんだな >>23
この時代って国際競走って言ったらこれくらいというかこれだけだったみたいだね >>21>>22
シーキングザパールでモーリスドギース賞取った時も、本当はジャックルマロワ賞に出したかったけど
同レースにエントリーしたタイキシャトルには勝てないと踏んでモーリス〜にしたんだっけな >>22
悪くも、はないだろ
頭打ちになってる馬を適材適所で遠征させて馬主に少しでも回収させてたのはもっと賞賛されるべき
保守的なやつが文句言ったり妬みを買ってただけで ワシントンDCインターナショナルに対する遠征は度々行われていたはずなのに
そのことを顧みるような文章をほとんど読んだことがない
こういう歴史を風化させるのって非常にもったいないと思うのだけど
当時は日本競馬の歴史においてそれなりの意義を持ったレースになるだろうという認識がなかったんだろうか
あまりにも語られなさすぎ、メジロやシンボリの欧州遠征なんかもそうだと思う >>27
日本に限った話ではないがワシントンDC国際はレース映像すらyoutubeにそんなアップされていないというね >>26
悪い部分もあるよ
行き過ぎれば客のニーズ無視の使い分けという考え方が蔓延る
モーリスとドゥラメンテの直接対決回避とか国内より手薄な海外に遠征とかが典型 テンポイントが無事だったら‥
その後、JCが始まって日本馬がチンチンにされたことで、ホームでこれじゃ行っても勝てる訳ないみたいな空気でもあったんじゃね
唯一の希望ルドルフが故障したのも大きそう
フジヤマケンザンの頃は日本馬もJCでぼちぼち勝ち始めた頃だし メジロマックイーンやビワハヤヒデ、ナリタブライアンがコスモバルクより弱いことはないと思うし、レース選んで輸送が上手くいけば勝ててた。 どうでもいいけど、フェスティバルがアメリカでGV勝ったことって完全に忘れられてるよな
アメリカのダートで重賞勝ったのは普通に快挙だと思うけど フェスティバルは遠征つーか移籍後だし。
だからJRAの遠征一覧にも載ってない。 まーた老害が老害たる所以を発揮しているな。いいかげんジジイ共はくたばれば良いのに 90年代は森が遠征しまくって独自のノウハウを築いた→シーキングザパール、アグネスワールドなど
そういったもの無しに欧州遠征を成功させたタイキシャトルやエルコンドルパサーはとんでもない名馬 昔のホースマンは理論もクソもない酪農の延長みたいな仕事だったからな
前運動やクーリングダウンの概念もないし、餌も穀詰めで馬は常にゴトゴト >>35
そうはいってもフジヤマケンザンだぞ。メジロマックイーンはおろかレガシーワールドの立場ですらない。
今だとアンビシャスあたりが海外重賞勝ったようなもん。
アンビシャスで勝てたのなら捨てたやヤマニンキングリーでも勝てるんじゃね?と思うように、フジヤマケンザンで勝てたのならアイルトンシンボリやナイスネイチャで勝てるんじゃね?と思うのはわりと普通だと思うのだが。 欧米が捨てたカス種牡馬で生産してたんだぞ
ジャパンカップとか地の利でもない限り日本馬が敵うわけない さすがに70年頃まではレベルが低かった。
スピードシンボリがキングジョージと凱旋門で真ん中くらいの着順(今ならG3〜G2レベル)というのは上出来。
シリウスシンボリはそれより少し上の成績(今ならG2レベル)。
70年頃からの15年間でレベルは飛躍的に上がっていて、ルドルフはその中でも大きく傑出していたので
順調ならハイレベルなG1でも勝ち負けできただろうね。
ルドルフからしばらく遠征が途絶えて、再び遠征するようになってすぐフジヤマケンザンが勝った。
国内G2レベルのフジヤマケンザンが、G1昇格前の香港Cで完勝してるので、この頃はすでに今と同水準の
結果を残せるようになっていた。
とすると、ルドルフ〜ケンザンの間のどこかで、現在と同じくらいの遠征結果を残せるレベルになっていたと考えられる。 >>35
うーん、当該馬の強さだけで言えば、フジヤマケンザンがアンビシャスっていうのは近いけれど
その時代の中での格で考えるとちょっと違う。
大阪杯で、アンビシャスはキタサンから3馬身以内で入線しているけれど、
全盛期のマックイーンが力を出したら、フジヤマケンザンは3馬身以内では入線できない。
マックイーンが全能力を出せば、たぶん8馬身差くらい付く。(ま、その仮定ならキタサンももう少し離せるけど)
だからトップとの差は、アンビシャスよりフジヤマケンザンの方が大きい。 >>1
海外に行くのが引退レース
一番大きいレースにぶっつけで出してた
輸送技術の問題
タケシバオーは輸送技術のせいだろうね wiki見るとスピードシンボリ以外ワシントン国際でとんでもない着差で負けてんだな
スピードシンボリって当時としては革命的な馬だったのかな 菊花賞A
有馬記念B
天皇賞(春)@
有馬記念C
有馬記念B
有馬記念@
宝塚記念@
有馬記念@
スピードシンボリ凄いな 言っちゃ悪いが
馬喰上がりに近い調教師から
高学歴化したのが大きいかな 香港国際カップはフジヤマケンザンが出た年はG1馬は出走できないって条件があったはずで
当時はまだパート1国じゃなかった日本のG1馬でも出走不可だったはず >>49
これは懐古が見ちゃいけない記事だな
フジヤマケンザンの香港制覇は大事な心の拠り所で最後の砦なんだから むしろ昔のことを知ってる人間ならみんな覚えてることじゃないのかなあ G1勝ってなくてもシャンクシーなんかは仏1000ギニー3着、ジャックルマロワ賞3着、ムーランドロンシャン賞2着、ロンポワン賞(仏G2)1着ときて
香港カップ参戦だから普通にG2勝ちクラスが出てたレースだよ。 >>50
フジヤマケンザン当時8歳(1995)
91年JRAフリーハンデ
トウカイテイオー 65
フジヤマケンザン 55 >>1
その間に何頭の日本馬が海外へ挑戦したの?
2002年世代の馬はG1馬が10頭以上大挙海外のレースへ挑戦したが
惨敗ばかりで1勝もできなかったよ 1959年 ワシントンバースディハンデ 芝12ファロン 重馬場 16頭
斤量
1着ハクチカラ(日本) 109ポンド
2着アニサド(アルゼンチン) 106ポンド
3着アオランギ(フランス) 107ポンド
16着ラウンドテーブル(アメリカ) 134ポンド ←ここ注目※
ちなみに名馬ラウンドテーブルの最下位惨敗は重ハンデによるものではなく蹄の怪我が原因であった >>50
そもそもG2なんだから、G1馬が出てなくても何の問題もないわ。
フジヤマケンザン自体が日本で一流でもなんでもなかったし。 >>55
ただのオープン馬レベルがG1級レースで勝負するにはこれくらいの斤量差が要る。
そこから10年で、スピードシンボリの重賞級能力になっているので、やはりかなりレベルアップしている。
ハクチカラ以前からルドルフ当時までが飛躍的にレベルアップしていて、それ以後はほとんど変わってないだろうね。 海外で勝つだけならレースのレベルを下げたらとっくに勝てていたんだろうけど香港までは労力の割に挑戦するメリットのあるレースがなかっただけなのになぜフジヤマケンザンがバカにされる流れなのか
それこそフジヤマケンザンの頃にドバイターフがあれば勝っていてもおかしくないと思うが ルドルフよりギャロップダイナのショックは地味にあったんじゃないかな
全く勝負にならんかったから >>56
香港のG1だったぞ
日本でもG1扱い
それいったら、当時の日本はジャパンカップ以外全部ノングーレドで日本のG1は香港よりも格下になるけど 芝のレースは日本が破格の高額だったんだから、まず欧州なんて行く意味すらなかったからね
欧州は行けば勝っても大赤字
アメリカで勝ってちょい浮きぐらいか
90年代前半までにシャトルの頃のような、補助金や報奨金制度があれば相当数の馬が海外行ったんじゃい?
外はもちろん、オグリみたいな馬もね というかオグリキャップはアーリントンミリオン遠征の話はあった、脚部不安で立ち消えになった
ブルボンも確か来年は海外遠征的な話あったような 海外実績で箔をつけた馬がJRAを盛り上げてくれることを期待してJRAは海外指定競走優勝に対して報奨金を出していた。
実際タイキシャトルはジャックルマロワ賞の優勝賞金の何倍もの報奨金をJRAから貰った。
しかし海外で実績をあげた馬がJRAを盛り上げるという期待を大きく裏切った馬がいたことにより、海外指定競走優勝+指定国内GTでの結果が必須となった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています