1994年〜1996年までの競馬って神がかった面白さだったよな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
競馬雑誌が4種類くらいコンビニにおいてあった
当時小学生だったけどダービーを一生遊ぶって雑誌買ってたなぁ >>74
長文で書き込んでるところ悪いけど
それ全部スレタイの年からズレてるわ
マナーくらい守れよ、おっさん 96有馬があって97春天でトップガンがローレルにリベンジする所までがおもろいんだろ
区切りとしては97の春までが妥当
その後はエアグルーヴが秋天勝ったり、タイキシャトルみたいな強い外国産が出てきたり、サンデー産駒無双状態が始まったり この頃は騎手も多彩。ベテランと若手の実力が
拮抗していた。よって、レース毎に勝利騎手も
違っていたし、当然、馬券買う側としても
馬券買うのが楽しかった。
また、降着制度も含めて裁決がしっかりしていたから、
レース自体が締まっていた。 >>41
お〜懐かしいな
史上最強のポニー ナリタブラリアン と
海外からの刺客 サンデーサイザンス の対決は
レース前すげーワクワクした記憶がある 95年の天皇賞春ライスシャワーの単勝を握りしめて涙した
95年の宝塚記念ライスシャワーの単勝を握りしめて涙した バブルガムフェローかダンスインザダークのどちらかが最強だろうと思われていたが、2頭とも皐月賞に出られなくなってしまった。
その皐月賞でイシノサンデー→ロイヤルタッチ
はしびれた。 97春天がこのあたりの時代と競馬バブルの頂点の最後を締める総決算的なレースだった気がする
それでその後、この主役だったローレルの遠征失敗と97.98クラシック世代を中心にした海外への動きが活発化する新世代への転換期って印象 ん?ローレルって馬券人気はあったけど
常に日陰の存在だったよ
ブライアン、トップガンみたいな大きな太陽が
居なくなって終わったな
ローレルが海外遠征で大敗したのも風の便りで
聞いた感じだったし
ファンは国内サンデー産駒に向いていて
そんな馬いたな、いたっけ?くらいだった >>87
それはない
96年の競馬雑誌がではNo1扱いされてた
ダビスタの能力値もたしかトップだったし
96春天から1年間はローレルがトップ扱いだったのは間違いない 高校1年の時に競馬教えてもらって、その時がまさにナリタブライアン、サクラチトセオー、
ジェニュイン、ウイニングチケットとかがいた頃だった。それから2016年頃まで一切やってなかったが、今ってそんなにつまんないのか。
当時と比べて強い馬がいないって事なの? >>90
スローの瞬発力勝負ばかりになったからね
昔みたいにどこで仕掛けるか?強烈な差し馬相手に先行して直線までにどれだけアドバンテージを作るか?逆に強い先行馬を差し切るのにどこで射程圏に捕らえるか?
こういった駆け引きが皆無になってしまった
今は直線までひたすら我慢の折り合い合戦しかしてない タマモ、オグリ、マックイーン、テイオー、ブルボン
90〜ぐらいからのがオモロイやん >>85
これでサンデーの異次元ぶりを確信したよ
その前の年のフジキセキ、ダンパ、ジェニュイン、タヤスも凄かったけど >>89
で、結局1番強かったのはトップガンでしたと97春天で決まったと >>97
97のローレルは新人調教師の調整ミスで有馬から鉄砲
馬体重-14キロでまともな状態じゃなかったけどな
ローレルもトップガンもどっちも強いよ
遅れて来た王者と、田原との超曲者コンビでどっちもいい馬だった 正直この時代に雨筍のごとく湧いて出た競馬の読み物とか考えると、これの少し前のがやっぱり話題的には1番でないんじゃね もっともこの時代にもまだ魅力があったから90年代後半まで競馬人気続いてたけどね >>50
ビコーペガサス(ダンチヒ直仔)
ヤマニンパラダイス(ダンチヒ直仔)
タイキブリザード(シアトルスルー直仔、シアトリカルの半弟)
ダンツシアトル(シアトルスルー直仔)
マチカネアレグロ(クリスエス直仔)
ヒシアマゾン(シアトリカル直仔)
ヒシアケボノ(ウッドマン直仔)
この他にも、一流馬ではなかったけどミスプロ直仔やらサドラー直仔やらデインヒル直仔やら
現代の主流血脈の祖となる大種牡馬の直仔がゴロゴロいて、血統レベルはこの頃が一番高い。
実力的にも90年代どころか現在までで最もレベル高かったと思うよ。 競馬板民が競馬見始めたのがそのくらいの年代だから若干美化されてるんじゃね 20代だけど90年代の競馬見てきた人って羨ましいと思うぞ レベルが低かった時代
負けたのを負傷のせいにするゴミ世代
ポンコツ世代と当時は言われてたな サンデー軍団対ロベルトは面白い
サンデーを倒すのはロベルト オグリとかの名馬が悉く種牡馬として失敗して
サンデーに全部駆逐されたのがまた白ける >>104
それでいいと思うよ 最近見始めた人が昔の競馬を否定するのは一種の懐古だし >>25
売上的には99年がピークだけどな
ナリブとかは関係ない 1990年産からトニービン産やブライアン産が出てきて競馬そのものの質がガラっと変わった
あの空気感はたぶん少なくとも80年代から競馬見てないとわからないと思う >>109
売上のピークは1997年の4兆円だよ。翌1998年からから2011年まではずっと下降線で2兆3千億切るところまで落ちた。
2012年から去年までは売上が回復しつつあるがそれでも97年の7割にまだ届いていない。
http://company.jra.jp/0000/gaiyo/g_22/g_22_01.pdf >>79
スレタイと関係ない事書いて悪かったが、言いたいのはスレタイの事でなくてな。
俺が言いたかったのは「思い出補正」について間違った認識している人間がいるからそれについて言いたかっただけ。
1994〜1996年の事もその思い出補正とか勘違いしている奴がいるから、それは筋違いだぞということが言いたかった。
そういう行間を読む力はあんたには無いのだろうけど。 一番面白いのは96春から97春だろ
古馬戦線最高だ このスレ見てると99年までは面白かったって言ってる人が多いね
2000年に活躍したあの馬が競馬人気を押し下げたことがよく分かる >>50
意味不明な凡走とかなかったし、本命党は相手探しだけで良かった
とはいえ屈腱炎で引退レースになった秋天のビワハヤヒデ、体調不良から有馬記念で大敗したトウカイテイオー
メジロパーマーやツインターボの逃げ馬もいて面白かった 西高東低になり始めた頃から盛り上がった
アイネスフウジンが日本ダービーで逃げ切って優勝しても、西の人間からすれば、今年も関東馬かと思ってたに過ぎないし
オグリキャップの登場からトウカイテイオー、ミホノブルボン、ナリタブライアンなどのスーパーホースが次々に現れ、
美浦では栗東に対抗するかのように、マル外のヒシアマゾン、グラスワンダー、エルコンドルパサーなどが現れて盛り上がっていった ダビスタやマキバオーから競馬にハマった人も多かったよな
競馬雑誌は挙ってダビスタを扱ってた ダービーを一生遊ぶを購読してたし、サラブレのポスターも集めてた
96年にG1が一気に3つ増えたんだっけか
ナリタブライアンの高松宮記念出走は話題になったなー 短距離馬が皐月賞に出るのも枠潰しだし中山も距離適性も合わないのに有馬記念に出るなんて馬鹿馬鹿しいよね
何が良いんだか その年代ならマイルチャンピオンシップもあるよね
中京四歳ステークスでも言ったらいいよね 俺は1994年から競馬始めたけど、
その年がブライアン・ハヤヒデ兄弟にアマゾンも居たからな。
1994年は本当に最高だったけど、
でも1994年があまりに最高すぎたから
未だに1994年を超える年が出て来ないというか、
どの馬を見ても物足りなく思えてしまうな ビワやブライアンが強過ぎた94年とか今思えば糞つまんなかったな
競馬に興味持ったのはそのブライアンのおかげだけど リアルタイムでは見てないけど
オグリは面白かったんだろうな〜
と思うわ 地方競馬の強い奴が乗り込んでくるストーリーはいつでも盛り上がる ここまで話題に出てないけどサクラバクシンオーもいたよな
あと1993のエリザベス女王杯2着から1994になってマイラー路線で活躍したノースフライト
エリザベス女王杯でのヒシアマゾンとチョウカイキャロルの壮絶な死闘
当時、日本馬が全然勝てなかったジャパンCを勝ったマーベラスクラウン
この頃の記憶はどのレースも残ってるw サンデー産駒の登場で
すべて変わった気がする。良くも悪くも やっぱりタマモ、オグリが激突した秋が印象深いな。
スーパークリーク、サッカーボーイ、イナリワンとか脇役も多彩でジャンプマンガみたいな盛り上がり。
あのへんから何かが変わった。オグリ&武豊ブームがきて、本当に競馬場にぬいぐるみ持った女がいっぱいいたんだぜ?信じられるか? このスレ見てると、要は国内だけのガラパゴス競馬の終焉が96年だったってことだな
それ以降は舞台が外国に移って、国外優勝するし、外国産馬解禁されるし、外国人ジョッキー出てくるし
日本だけの時代は、それはそれで拮抗してて面白かったってだけだ 1994
スプリント: サクラバクシンオー
マイル: ノースフライト
中・長距離: ビワハヤヒデ
牡馬クラシック: ナリタブライアン
牝馬路線: ヒシアマゾン
旧三歳牡馬: フジキセキ
旧三歳牝馬: ヤマニンパラダイス
ダート: フジノマッケンオー
障害: ブロードマインド
まあダート路線が整備されてない頃だから
ダートについては厳しいけど、
他は全時代通してのトップ争いが出来る馬ばかり。 宝島の読本とかこれ以降の世代だと話し作ろうとしてもつまんなかっただろうな
この頃でもオンタイムのネタだと苦しそうに見えたが 旧日本競馬はブライアンが一度全部リセットさせ終わらせた。
ブライアンの物語を引き継いだトップガンとローレルの勝負が
究極の形で決着した1997春天で旧時代の競馬は終わった。
万能かつ長距離まで走れる馬が讃えられた時代の最高峰はここ。
それと入れ替わる形で、中距離偏重、直線番長、路線ごとの
専門家マンセーな時代がやってきた。
また、この時にバブル崩壊後サンデーで一人勝ちした社台が
圧倒的な一強になり日本競馬はだいぶ歪な形となった。 自分もこの頃から見始めたんで思い入れは強いんだが
前後の年代に比べてこの時期だけ、秋天→JC→有馬の秋王道ローテが過酷過ぎるとか言われて
特にJC飛ばしが多かったよね
ローレル、トップガン、ハヤヒデ(秋天で故障引退したけど)などなど オグリ〜ブライアンの時期は競馬に興味のなかった自分にも馬名やら話題が届いてた
それ以降だとディープぐらいだったな。後で誤解だと知るんだけど
日本の馬が海外初挑戦だと思って凱旋門見てしまった 競馬板民っていい歳したおっさんだったのか…
最強世代あたりだと思っていたけどそれより数年前か、しかもオグリとか語ってる奴も居るし オグリキャップの引退有馬の時10歳だとしたら今はアラフォーじゃねーか ブライアンと戦ったローレルとトップガンが
サンデーの優等生マーベラスサンデーを力でねじ伏せたのは大きいと思う >>192
96の時は小学生だったから30代前半やぞ リアタイで見てないけどトップガンローレルマベサンってそんなにか?
サンデー全盛期とナリタブライアン時代の狭間でしょ サクラローレル
トップガン
ダンスインザダーク
サニーブライアンの引退で一気につまらなくなった。
面白かったのは97春まで。 >>145
トップガンのラストランになった春天は当時の世界レコードタイムだよ
ただトップガンに関しては当時の田原がノリにノッてて神騎乗連発してたから騎手の力もあったとは思う 96有馬の馬券売上はギネス記録だったはず
ディープインパクトの有馬記念2回分の売上 >>145
トップガンが怪我劣化後で斤量差があるとはいえ
あのブライアンと名勝負をしたからね
トップガン人気が牽引した
でもブライアン引退で終わった感があったよ
サンデー軍団の躍進は社台の力だよね そういえば高松宮記念のブライアンってかなり劣化してたと思うけど4着に来てるんだよね
冷静に考えたら凄い サクラローレルも怪我で1年間ブランクあって
SS産駒皐月賞馬ジェニュイン相手に中山記念で楽勝してたのはすごいと思うけどな
この年、ジェニュインはマイルCS勝つし
その後ローレルはブライアン倒して完全に主役になった むしろサンデー産駒でローレルとトップガン以上の能力の馬って? 語れることが多いのも人気の特徴なのでは
ブライアンは圧倒的なクラシック3冠と、その後の怪我、兄との未対戦、スプリントG1出走
ローレルは度重なる怪我、騎乗ミス、調教師定年からの新人調教師管理
トップガンは田原との超曲者コンビと世界レコード
マベサンは重賞4連勝、新時代の象徴SS産駒 ナリタブライアンはタラレバ馬だよね
アグネスタキオンなんかよりifの要素が強いかもね 昔は一流半みたいな馬も愛されてたからな
距離のカテゴリが
1200-1600
1600-2000
2000-3200
みたいに大雑把な分けられ方だったけど皆一生懸命走ってた
マチカネタンホイザやナイスネイチャ、フジヤマケンザン達の
頑張りを皆応援し勝利を喜んでた…と思う
今は自分の得意条件ばかり選ぶ軟弱な引きこもりが増えすぎ
アルバートがステイヤーズ三連覇?あっそ(鼻ホジ)って感じ >>158
整備された路線の外に出ても負けて評価が落ちるだけだし人気が出てもそれで賞金が入る訳でもないからね スルーオダイナなんかもアルバートと大差無いしね
富士ステークスとか天皇賞・秋に出てきたくらい ジェニュインの戦績見てたんだが96年の
中山記念 1人気 2着
安田記念 6人気 4着
天皇賞・秋 8人気 14着
マイルチャンピオンシップ 1人気 1着 ←これ
有馬記念 10人気 14着
マイル戦、重賞で連対はあっても未勝利だったししかも京都は初だったのに急に人気してきっちり勝ってる
その前後は人気落として惨敗してるし何があったの?
当時を知らない俺に教えてください >>161
安田記念に比べてメンツが低レベル
安田記念でジェニュインに先着した馬が全部いない
GI馬がジェニュイン以外はスプリンターしかいない
他にもこの当時ぶっつけで秋天はまだ珍しくて結果を見ても明らかに叩きだった事
SS産駒が秋天のバブル、菊のダンス、エリ女のダンス姉と3連勝中で4週連続GI制覇なるかというのも話題になって人気に一役買ってたね >>161
この馬券取ったから覚えてるw
この年のマイルCSは安田記念上位馬が不在
G1勝利馬はジェニュインのみ
主役不在で押し出されて1番人気に
もともと4歳クラッシック戦線で距離はマイルあたりがベストってのは言われてて
前年の京王杯AHをトップハンデの57.5で勝ってるから1番人気に違和感は無かったよ
ゴール直前に河内騎乗のショウリノメガミが2着に飛びこんで大喜びしたのも良い思い出w >>161
安田記念
1人 トロットサンダー
2人 ハートレイク
3人 タイキブリザード
4人 ヒシアマゾンン
5人 フラワーパーク
天皇賞秋
1人 ローレル
2人 ベラサン
3人 バブル
4人 トップガン
5人 カネツクロス
6人 ベストタイアップ
7人 トウカイタロー
安田はしょうがないにしても秋天ではちょい人気落としすぎだった感じかね
秋初戦の影響もあったか >>161
フェブラリーとかチャンピオンズカップをどんなに惨敗してもコパノリッキーがかしわ記念になると復活するようなもんだろ >>157
あの戦績、あのタイム、あのパフォがあって
その上で尚タラレバがあるって
とんでもないことだと思うけどねw >>168
そうだね まぁたまに聞く凱旋門勝てるとかはどうかと思うけど 94年の秋に井崎と須田が、今年の年度代表馬はサンデーサイレンスでいいよと言ってたように、ブライアン休養とフジキセキ引退で競馬界はトーンダウンしたな。その後4強で盛り返したけど 他地域の電話投票権の代行に1万円くらい払って当選した。
それでファミコンwで投票してたな ライデンリーダー・ライブリマウント・フジヤマケンザンの1995年 ライデンリーダーが出て来た時にはすごく期待したなぁ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています