岡潤一郎騎手の想い出
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44歳の俺がミホノブルボンの頃競馬始めたとき既に亡くなってた気がする ユートジョージのNHK杯
ノーザンドライバーのペガサスS
この辺りは若手の中でも相当期待されてたな
リンデンリリーでG1勝ったのが最後の輝きだった 武豊が毎年墓参りに行ってるんだっけ?
かわいがってたのかな 岡部が岡のJRA葬を二日酔いで欠席したんだっけか?w >>12
かなりきついと思う
贔屓目に見ても浜中の勢いあった時より格下だし
出来落ちだったとはいえ宝塚のオグリ勝たせるくらいじゃないとな… 岸ってダイタクヘリオスだけだったな
ビワハヤヒデは降ろされたし ミホノブルボンの頃はまだ現役だったんだな
翌年に亡くなられたのか 岡と武がオグリに乗った90年って、武がデビューして3年、岡がデビューして
2年しか経ってない
岡のオグリは「大抜擢」の感はあったが、その他の関西の若手も
それなりにいい馬(GT級)を乗り回してた
関東の若手の横山、蛯名、勝春らがGTに手が届かず
もがいていたのとは対照的
腕は武以外はたいしたことなかった ノーザンコンダクト。
岡が騎乗停止になってなかったら
藤田のデビューからの重賞勝ちの記録もなかった。 チューリップ賞で落馬負傷した熊沢に代わって代打の岡君が頑張ってくれたおかげで、コスモドリームはオークスに行けたんだよな。
当時、関東民の俺には熊沢とか岡とか誰それ状態だったけど。 >>19
ローカルでは土肥と共にお世話になった騎手だ 確か角田や藤田なんかと競馬雑誌に載ってて酔っ払っていたような気がする
だって顔が赤かったしw
あの頃の同期は皆、活躍してたし良い仲間に恵まれたと思うよ 小倉の騎手寮で、武豊と一緒に外車洗ってたな
何で死んじゃったんだよ...(´・ω・`) >>18
まともにまっすぐすら追えないもういいでしょうと比べるのは流石に可哀想
少なくとも岡はまっすぐは追えてた かつては、岡潤一郎スレ立てたら厩舎の助手さんとか、運がよければ川島騎手とか降臨してたな
あの頃はスレ住民が皆思い出を語り合って居たものだが。
俺自身は競馬見始めてちょっとしてからの死亡事故だったからショックだったのは覚えてるが
岡騎手自身を語るには…スマン あの時、風邪で注視打った後だったから調整ルーム入りが遅れたんだよ
でも分単位だったから見逃して貰えた
あの時、騎乗停止になっていれば乗らずに済んだのにな >>1
オギジーニアスから降りてゴロゴロ転がって新体操みたいだった。 たまたまグリーンチャンネル見てて、直線であっ!って思った。まさか亡くなるとは。 >>41
田原は可愛がってた
ジョッキーとしての資質は伸二や四位より上だと初めから認めてた
競馬葬儀会で遺影抱きながら泣き喚いたのも有名 新馬に乗ってて落馬してメットずれて頭蹴られたんだっけ
そういう事故ってありそうでなかなかないよね
運が悪いとしか 平成3年の桜花賞って凄いな。
1〜4人気の騎手が全員20代とか今じゃ考えられん 玉ノ井も思い出してやって
土曜競馬中継のメインレース >>46
なお2着ヨシトミヤマノカサブランカ
荒れたなー >>46
今の競馬がいかに加齢臭が漂ってるかよくわかる オグリの宝塚2着
リンデンリリー
ノーザンドライバー 愛嬌が有り華が有り本当に亡くなるのは勿体無かった。
仮に生きてれば幹夫先生みたいないい調教師になっていた気がする。先輩からも後輩からも好かれていたから余計惜しいわ リンデンリリーと岡潤一郎
馬場アナの実況が思いだされる 言われてるほど上手くない。変なフォーム。北海道で強かったような気がする >>52
生きてれば幹夫タイプだっただろうなぁ
競馬の鬼になれても勝負の鬼にはなりきれないところなんかも似てる 若くして旅立ったせいか神格化され過ぎてるね
同じ様な立ち位置だった岸が伸び悩んだのを見ると
現在では藤岡兄程度のレベルなんじゃないか 岡が生きてたら最近の状況がいくらかましになったんでは
とは思ってしまう >>36
風邪の注射も打ってたのか>遅刻の理由
でもその風邪が最後命取りになったんだったっけな
肺炎併発して一気に状態が悪化した報道があった 葬式で、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」が流れてるのをテレビで見たな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています