競馬界のバブル期のエピソード教えてくれ
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どの馬がどう強かったかとかどの騎手が凄かったとか客が多かったとかは調べたら分かる
そうじゃなくていかにもバブル期って感じのエピソードをゆとり世代に教えてくれ 土曜でも朝7時に指定席満席
馬券買うのに1時間待ち どんな駄馬でもいい値で売れる。
しかも紹介した調教師がキックバックして裏金プール >>4
こういうのが知りたい
今より金があってド派手だったみたいなの 2倍の単勝一万円買って当たっても、
記念だからと換金しない人が普通にいた(当時はコピーサービスが無かった) 当時幼かったけどニュースで知ってたのは5億円の馬サンゼウス 不動産のオートポリス(AUTOPOLIS)社のオーナーがアメリカで馬を買った
社名の頭文字A.Pを冠名としてA.P. Indyという名をつけた
聞いた訳じゃないが、IndyはIndy 500が開催されるインディアナポリスにちなんだものかも ゲーセンの景品にランニングゲイルやカネツクロスなど
重賞馬のぬいぐるみがあった その辺の車の後部座席やらにオグリキャップのぬいぐるみが 橋の真ん中にゲートがあって基本徒歩じゃなきゃ行けない
鍵があれば別だけどね
でもあの羆の糞だらけの林道を徒歩では行きたくないわ 種牡馬はそこまで大したのが輸入されてないイメージ
トニービンとサンデーが当たった後の社台の種牡馬輸入のレベルが桁違いに上がった感 >>11
サンゼウスは1989年当時で3億5000万円でした。訂正します 今年のダービーが約7000頭の頂点
もっとも生産頭数多かった時は約1万3000頭 >14
UFOキャッチャーのオグリを根こそぎゲット
メジロのババはぞんざいに扱われるのが可愛そうだとマックイーン等のぬいぐるみ化を許さんとあった >>18
そんなのあったの?ウインズ梅田は覚えてるけど 天下のNHKがほぼ一週間毎日のように天皇賞の話題を取り上げる。
↑
こう書くだけでいつの天皇賞だかすぐわかる。 >>4
中小規模の牧場主がいい車に乗ってたなあ・・・ 金曜午後、コンビニで競馬新聞の到着を待つ
届いて買って、まず確かめるのが「単枠指定」
一緒に新聞を待ってた酒臭いオヤジが「うおおおおおお!!!3頭単枠指定かよおおお!!!」
と吠えだすw
よくあった光景 単枠指定なんて
昔は枠連しか無かった事から説明しないと
理解不能ちゃうか? バブルとは関係ないけど思い出すのはまずウインズの鉄火場的な雰囲気だな
単複枠連だけの一つしか無いオッズ画面を皆んな食い入る様に見てた
東西相互発売とか三場発売が無くてレース間隔が長い分、ファンファーレが鳴ると平場のレースでも場内中に緊張感が走った
今と比べて色々と制約があったけど、逆に盛り上がる要素だったのかなと思うわ 馬がゴールするとき、万札をちぎって紙吹雪にするのが流行った 後楽園で並ぶよりそこから大井まで行ったほうが早く買えた 【本日開催の地方競馬】
岩見沢・水沢・上山・新潟・金沢・宇都宮・高崎・大井・笠松・益田・福山・高知・佐賀・荒尾・中津
90年代半ばくらいまでは夏季の日曜はマジでこんなんだった。 黄色ビルに巨人のユニフォームを着た人が馬券買ってた WINSや競馬場にそこら中 お金が落ちていたな
財布に入りきらない配当はばら撒いてよな 有馬の賞金が100億
馬券の最低購入金額が10万
ほんと異常だったなあの頃 子供のころ競馬場で知らないおじさんと
話をするとたびたび稲造をくれた。 競馬場の帰りに万札ヒラヒラさせてタクシー呼ぶおっさんがいた >>9
フサローはバブル終わってからだな
バブルのイメージで成金でド派手のイメージ >>32
あったなあ、、、地方競馬いっぱい
復活してくれ 電話投票の口座作るのにも、最初からえらい入金が必要だったよな >>46
初めて買った競馬専門誌に載ってた募集要綱に保証金100万円云々。見た時は一瞬目を疑ったものだ。
平日払い戻しのWINSにはこっそりと先着200人受付なんてね。錦糸町だったかな。 >>45
土日に新潟県競馬がやってる時なんか
目の前のレースそっちのけでみんなスタンドの中でJRAのレース買ってるっていう面白い光景だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています