障害の熊沢が平場のG1勝ってるの今知って草生えてるんだが
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そもそも平場なんか乗ってたのかよ
何だったら柴田大知が昔障害の騎手で障害G1勝ってることにも驚きなんだが >>91
じゃあまあ仕方ないかね。これからいろいろ知ってけばええやで あっと驚くダイユウサク
がもうすぐ30年前の出来事という事実がヤバい ステゴは武豊に乗り替わってすぐ勝ったけど
そのときにも嫌味一つ言わずに称賛した漢やで 平場のG1なぁ〜・・(´・ω・`)
・・・・平場のG1!?( ; ゜Д゜)
てなった(´・ω・`) 平場は重賞とか特別競走以外のレースで
平地は障害じゃないレースだよ
似てるよね
これからたくさん競馬楽しんでね(^^) ほとんど平地重賞乗ってないな
最後に勝ったの2011ナムラタイタンか >>96
どの程度知ってて無知じゃないと思ってんだw ユタカのJRA4000勝も偉大だけど、熊ちゃんの障害200勝と通算1000勝はもっと評価されていいと思う。 テイエムプリキュアの阪神JFのインタビューで金髪にしててうわぁと思ったが
最近でもまだやってたw
もう50近いだろ? ダイユウサクは本当はダイコウサクで申請したのにユの下のを伸ばして書いてしまったからダイユウサクで受理されたんだぞ
馬主の孫の名前がコウサクだからその名前にしよーとしたのにミスでダイユウサクになった 競馬始めて数ヶ月で熊沢が障害騎手だと知ってるだけ凄いじゃないか
俺が始めて数ヶ月くらいの時はステイゴールドのイメージだったから
武や福永やノリみたいな凄い騎手の次くらいに凄い騎手で穴でも馬券内に来てくれる凄い騎手
みたいな凄く頭悪い騎手評だったぞw 若いから昔のことを知らないのは仕方がないけど、「平地」と「平場」の違いは覚えようね
>>112を参考に >>34
エイシンワシントンは勝たせてあげたかったなあ。 熊沢や内田浩を辛抱強く使い続けた池江オヤジは人間味があったなあ
もうそんな調教師もいなくなってしまった >>127
内田の引退レースに1番人気になる新馬用意してあげたんやで。泣いてまうわ >>127
馬主なら大知、丹内縛りしてる奴いるぞw 二刀流の王様じゃねーのかい
これ以上が今いない
二刀流の外人ほしい >>1
じゃあ逆にノリが障害で1勝しているのも知らない口だろ >>127
メジロマックイーンに菊花賞まで乗せ続けたんだよね
あのレースまでは伏兵扱いだったとはいえ、騎手の成長の為にオーナーに頼み込んで乗せたという話だ ワシントンカラーも乗ってたなと思ったがあれは善臣相談役だったわ
印象強いのはステイの目黒記念とエイシンワシントンのスプリンターズS ただの無知野郎で草
大障害勝った時は感動しながらもようやくか・・・って感じだったで >>57
人気薄が勝って冷めてるところに、さらになんだこいつって思ったな おい熊沢頑張れや
もう一回平地重賞勝って俺たちオヤジファンを熱くしてくれや
応援するぜ ステイゴールドくらいは知っててほしいで
ステイゴールドでは重賞とれてないけど 熊沢とか名前も知られてないのに勝ったオークス
衝撃の一発ダイユウサク
二着がやたら多かったステイゴールド
若い頃から乗ってた障害ケガも多かった
愛すべきジョッキーだよな熊沢
引退するまでもう一回目立つことやってくれ
応援するからよ 中山大障害と有馬記念を勝つのが夢とか言ってたのを雑誌でみたな。また平地のG1で見られることがあるかなぁ。 サンキョウセッツ事件の当事者の堺正幸アナは、翌日辞表を書いて出そうとしたと
後に雑誌のインタビューで答えてたな
当日の中央競馬ダイジェストの実況は修正されていたけど、さぞや辛い気持ちで録り直してたんだろうな 男 熊沢重文
多くの競馬ファンは理屈ぬきに思い入れのある馬や騎手がいるのだが、私の場合は熊沢重文騎手がまさにそうだ。
初めて彼を知ったのは、競馬好きの友が偶然見せてくれたジョッキー名艦で、そこで私と
誕生日が一緒だということを知った。
もちろん初めて馬券を買ったのは、彼の乗った馬の単勝で、若さに似合わないそのテクニックで勝ってくれて、
ますます彼に運命的なものを感じていた。
それから2年の歳月が流れ、平成2年、中卒の私の永年の夢であった独立の機会が訪れた。
若さ故の勢いでほとんど全額借金でこの話に飛びついた。
幸い開店当時から赤字知らずで、はたから見たらまさに順風満帆であった。
しかし、今になって冷静に考えると、この頃の私は、経営者としての重圧と不安で、
全てに急いでいたような気がする。
やがて当時付き合っていた彼女に結婚をせまるようになった。
不安と憔悴から少しでも早く、安堵感を求めたかったのかもしれない。
しかしそれが若すぎた彼女にとって重圧になっていたとは知るよしもなかった。
突然舞いこんだ一通の別れの手紙、私の利己主義には付いていく自信がない、そんな内容だった。 使い古された言葉であるが、失ってから気付く大切なものを、この時いやというほど思い知らされた。
毎日浴びるように飲んだ酒、でもどうすることもできなかった。
気持ちを切り替えて仕事に打ち込むしかなかった。
しかし、この頃の私の歯車は何か噛み合わず、売上の低下に伴い、従業員と私の間に不協和音が出始めた。
ひとり去りふたり去り最後に残ったのは私一人。もう店を閉めようと本気で考えていた。
時を同じくしてこの頃の熊沢もスランプに喘ぎ出した。逃げては潰れ、追い込んでは届かず、
という彼のレースぶりを見ていると、よもや他人事とは思えぬ程、当時の私と相似していた。
しかし最悪の状況から逃げたくともそれが出来なかったのは、私の最後の意地であり、
プライドが剣ヶ峰に私を残させたのかもしれない。
それから背水の陣で挑んだ1年が過ぎ去り、平成3年の暮れに、ようやく業績に安定が見え出した頃、偶然か熊沢騎手も少しずつ勝ち出してきた。
オグリキャップ、イナリワン、スーパークリークの3強時代も終わり、時代は新しい主人公
メジロマックイーンを迎えていた。その1年の総決算である有馬記念を迎えた当日一本の電話が鳴った。
「久しぶり、憶えてる?」 忘れるはずのない声がそこにあった。声の主は過去にたった一度だけ本気で結婚を考えたその人だったのだから。
その日私と彼女は会うこととなった。新宿、小さなバーのカウンター。
2年ぶりの再会でも彼女は変わることなく、その優しい瞳で私を見つめていた。
かつて私がボロボロになるまで惚れぬいた人が、手を伸ばせば届くところにいる。
でもどうしていいかわからない。
いまならヨリを戻すことが出来るかも。でも本当にそれで良いのかい?
自分の中の葛藤と闘っていた時、店のモニターでは有馬記念がスタートしていた。
そういえば、私は熊沢の乗るダイユウサクの単勝を少し御祝儀で買っていた。
そう王者マックイーンに彼が勝つようなことがあれば、もう一度この女とやり直そう、
そう心で呟いてモニターに目をやった。
ツインターボの逃げで始まったレースは、両メジロを中心に進み、ダイユウサクは内、内と走っていた。
最終コーナーを回って、スルスルと内から伸びてきた1頭は、彼だった。
「もう一度、やり直そうか?」
自分でも驚く程自然と口を割って出た言葉だった。
黙って頷く彼女、熊沢は男を見せてくれた。そして今度は私が男になる番であった。
完 ピロンバロンは、石神で、熊沢がオジュウでオッサン完全二刀流コンビ結成はどうだ >>154
熊沢だと開成山も南部も取りこぼしてたろ
開成山負けてたら南部はなかったがw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています