松永弾正久秀の『弾正』ってなんだよ?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
弾正ていうと悪党みたいだよな
松永久秀で有名だし
大魔神にも出てくるだろ
御子柴弾正→悪役 今で言う刑事みたいなもんかな
松永久秀は大悪党だけど 海音寺潮五郎の悪人列伝読んだ?
この松永のおっさんの一番凄いところは
仏教徒でありながら奈良の大仏燃やしたところだと思うけど
悪党らしくていいけどな 名前(諱)を呼べるのは親か主君のみ
大岡越前とか武田典厩みたいに官職名を通称として呼んでいた カワー・ダ・ユーガの「ダ」みたいなもんだ。忘れろ。 >>24
町医者も「ただすけ」って呼び捨てにしてたなw >>30
姓名字と姓名の違い。
古代中国(少なくとも漢の時代)は名を呼んでいいのは所属している君主と親のみが礼儀。
普通は字のみ、もしくは姓+字で呼んだ。
今回の場合、姓は諸葛、名は亮、字は孔明 まあ一休さんに出てくる新右衛門さんも通称で
本名は蜷川親当 今の感覚で言えば織田知事とか松永署長とか藤堂会長と呼ぶようなもんだろ
会社でも上司を本名で呼べる奴なんて非常に限られているしな
たとえば西村専務の事を博之さんと名指しで呼べる人なんてそうそう居ないし 松永って茶の道具を信長にやりたくないから茶の道具と共に城ごと爆発した奴だっけ? >>36
九十九髪茄子は差し出したが古天明平蜘蛛は差し出しわ拒否して叩き割り息子を道連れにして自爆 >>33
K−1に出てた武蔵ってチョンかと思ってたが新右衛門さんの直系の子孫らしいな 『近世武家官位の研究』では
「幕府より諸大夫を仰せ付けられると、即日に希望の名乗りを「伺書」という形で幕府に差し出し、決定された」
例を挙げ、
「同姓同名とならないか、老中など然るべき役職にある者の名前に抵触しないかなどを吟味し、
支障がなければ当人が伺出た名乗りをそのまま認めたのであろう」としています。
自称か! コイツ城主にするとすぐ謀反起こすからやだわ。
能力高いけど好きにならん。 新スレのほぼ半分は板違いのアンケートか雑談だが
住人の大半は話し相手のいない独身やジジイばかりなので
話しかけられている・質問されているような気になって
うれしそうに昔話を始める >>48
競馬板 板設定変更議論+アフィ対策スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/keiba/1533088600/122
122 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2018/08/02(木) 21:50:07.32 ID:MfowZtac0
新スレのほぼ半分は板違いのアンケートか雑談だが
住人の大半は話し相手のいない独身やジジイばかりなので
話しかけられている・質問されているような気になって
うれしそうに昔話を始める >>43
官職名でややこしいのは朝廷が正式に与えたものと自称したものが併存していた点
戦国時代とか朝廷は困窮していたから献金さえすれば官職を与えたし、大名は官職を得ることで統治を正当化した 信長の野望で自分の好きな官位が貰えるまで何度もロードを繰り返していたのは良い思い出 組織の内部から不正を発見して弾劾するという意味が「弾正」に込められてる訳だろ。
中国の官位制度に習ったものなんだろうが。
だが、松永弾正の場合は正反対だったわけで、それが松永弾正の名前に意味的な交錯配列を
を生んでる? バジリスクの弾正屋敷のステージはなんの意味があるんだよってくらいすぐ終わる 天翔記の「暗殺の後の茶も格別」みたいなセリフが印象に残ってる 無位無官の場合はどう呼ばれたんだ
当時それなりの地位があった所だと秀吉関白就任後あたりの北条氏規とか 高坂の弾正の場合は、得意みたいな意味で使われたんだよね
松永も同じなのか? ぺいぺいでも自称で官位つけまくってたからまずガチと信じない方から入る方がだいたい正解
ヨーロッパ人の名前が、マルコとかパウロちか聖人から名前をとるのが、普通なのと同じ
当時の武士は、名前の一部に自称の官位名をつけるのが、当然でかなりのぺいぺいでもつけてたからな 例えば下男の象徴の『権兵衛』
ごんべえさんの赤ちゃんが風邪ひいたで有名だよな
『権』→次官
『兵衛』→都の警備部隊
こんなオッサンが、警備部隊のお偉いさん名乗ってるんだぞ いろんな人を欺いてきたのに三好家だけは裏切ってないんだよな
今の政治家だと誰になるんだろうか? 信長って死後も含めると、太政大臣まで上り詰めたんだな ここで巻物引いたのにスカった時の絶望感(´・ω・`) >>30
亮は、正しくは、名前でなく諱ね
諱は、日常的に使われない名前だから『孔明』と呼ぶ人は、いても『亮』とは、誰も呼ばないということ
劉備でなく『玄徳』、曹操でなく『孟徳』ってみんな呼んでたってこと >>77
おう今日(昨日か?)弾正屋敷で巻物引いて2G後に甲賀ステージに戻って何も当たらなかったぜ >>60
久秀は、三好家の家宰なので一家の不正を正す意味合いが弾正にこめられたとみるべきでは? >>12
石田治部
加藤主計
コ川内府
当時としては普通。 >>12
>>83
83さんが、おっしゃるように当時は、諱(吉継)と字(刑部)が別で実際に呼ばれていたのは、字の方なんですよ
孔明か亮かと同じ
諱を使う時は、ごく限られた場面だけですね >>32
>>34
この話しからすれば
司馬懿→松永久秀
司馬仲達→松永弾正
ってことと同じです
中華の字と日本の字は、つけ方がまったく違うところだけが、注意ですが、自称官位ってのは、要は、字→日常的な呼び名なんですよ 現代人からでは、考えれないですが、当時の人は、名前も実際は、苗字も勝手に自分で名乗るものですべて自称ですから
勝手に自分で決められないのは、幼名と姓だけです。
現代では、区別がなくなっていますが、苗字と姓は、別です。m 松永久秀は頭も良かった
書物を読んでいく内に、当時は不吉の前兆だった彗星の天体周期に気付いた
信長に反旗を翻して信貴山に追い詰められた時にも天空に彗星が飛来
当時の人々は「大仏を焼き払い、将軍を殺し、主家(三好家)を滅亡へ追いやった久秀に天が怒った」と噂した
それを伝え聞いた久秀は「あれは(彗星)、天の運行にかなって現れるもの。だいたい、天から見ればワシも信長もゴミ同然。いちいち相手にするわけなかろう」と一笑にふしたとか >>12
四国の狸の大将みたいのがそんなんじゃなかったっけ 古田織部助重然なんて
苗字と官名合わせて略して
古織だぞ 大石内蔵助や浅野内匠頭なんか名前知ってるほうが珍しいしな 本多平八郎忠勝
家康に過ぎたるものが二つあり
唐の頭に本多平八 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています