ノーザンテースト(11年連続リーディングサイヤー)、産駒G1勝利数計10勝←これ
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今と比べてG1が少なかった時代とは言え、いくら何でも少なすぎないか? 昔は今みたいに200も付けない時代だったから産駒数がダンチ ノーザンテーストって年間60頭くらいしか種付けしてないんやで。100頭なんてサンデーの時代に初めて超えた。 馬なりでも小銭稼ぎの仕事を数こなしてるみたいな描かれ方してたな ダイナアクトレスは牝馬路線、短距離路線が整備されてたらG1を3勝はできた 他の種牡馬も多くて50かそこらだからね
全然今とは時代が違うんだよ ヒンドスタン 八大競走19勝+宝塚3勝
ノーザンテースト 八大競走+安田記念 10勝
うーん EIや勝ち馬率みたいな指標じゃないと違う世代同士の種牡馬の比較はしにくくない? >>5
昔から100頭以上付けるのもいたことはいた
でもリーディング級の種牡馬は60や70程度のが多かったな
そのサンデーサイレンスも、そして同じ社台のジェイドロバリーや
ヘクタープロテクターなんかの超期待の新種牡馬(当時)も
最初は80ぐらいだったんだよな
90年代半ばぐらいからは100以上が当たり前になったが 今じゃなくて当時やさらに前の時代と比べてもそんなに抜けてるわけじゃない NT産駒は三度変わるだっけ?
この言葉からわかる事、NTの強みは成長力、つまり早熟ではなく寧ろ晩成だったという事ね
全く今とは違うよね >>11
まあノーザンテーストはヒンドスタンよりライジングフレームに
近いタイプのような気もする そのおかげで傍流にも食い込む余地があったとも言える
その辺が種牡馬入りした頃からはもう敵が強すぎて勝負にならんかったけども 当時は社台が育成も日高と大差なく外厩の優位性もない状態だしな >>11
ヒンドスタンとか60年代以前のサラ生産規模が1000〜3000頭の時代とはまた違うからなぁ >>18
種付け頭数が13000で、トップ種牡馬でも70頭位しか集めないから、相当種牡馬の頭数が多かったんだろうなと ノーザンテースト産駒のG1馬
ダイナガリバー(日本ダービー、有馬記念)
アンバーシャダイ(有馬記念、天皇賞(春))
ギャロップダイナ(天皇賞(秋)、安田記念)
シャダイアイバー(オークス)
ダイナカール(オークス)
アドラーブル(オークス)
シャダイソフィア(桜花賞) >>21
その当時と今の中央登録数は約4500頭でほぼ同じ、つまり
今は7000頭生産して4500頭が中央に来る
その当時は13000頭生産して4500頭が中央に来る
地方に行く8500頭分の需要はそんなトップ種牡馬には無い
つまりそれだけ裾野が広がっていてショボ種牡馬にも需要があったということ 代表産駒一覧改めて見て
え、こんなしょぼいの?って思った
TB、BT、サンデーから時代が変わったな 有力種牡馬寡占状態の時代と無名種牡馬にも十分チャンスがあった時代
その違いだよ 種付数が年間70頭くらいだしな
今の1/3くらいしかつけてない 物事を表面だけでとらえて腐そうとする奴にはエサはやらないよ パーソロン
ルドルフとマックだけで11勝
オペラハウス
オペラオーとサムソンだけで11勝
… >>30
マックって父メジロティターンじゃなかったっけ? >>32
当時の種牡馬業界は日高が圧倒してたからなぁ
それこそ今の社台SSと日高の関係の真逆くらいに
その中での連続リーディングだから価値がある そもそもその時代じゃ社台vs日高って構造でもないだろう
社台も大手の一角って感じ マルゼンスキーのが一発はあったイメージだけどG1勝ち数だと全然だね >>33
いやいや日高が強い時代でも社台が連続生産者リーディングだったじゃん
大物はいなくても物量作戦でリーディング獲れるほど規模が違った >>36
日高と社台の比較であって個々の牧場との比較ではないから生産者リーディングとか意味無いんだが >>21
種牡馬の数は今の3倍はいたんじゃない?
今みたいにサンデー、キンカメだらけじゃなくて系統も全然多かったしね >>23
> つまりそれだけ裾野が広がっていてショボ種牡馬にも需要があったということ
ショボい種牡馬というより、ダートで結果出している種牡馬の馬は地方に行っていただけ
ミルジョージなんてその典型
ロッキータイガー、イナリワンで芝の適性示してからは中央登録も増えたけどね
中央登録は1回のみのルールもあったから地方スタートも多かった
地方の上位のレベルが今より遥かに高く
中央も下位条件馬のレベルが今より高かったことになるな SS
BT
オペラハウス
ステゴ
キンカメ
ディープ
テースト以降の十勝超えはこんくらい? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています