【優先出走権】指定オープンの思い出
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3着までクラシックレースの優先出走権
青葉賞、若葉ステークス、チューリップ賞などの前身 ハギノトップレディは函館の新馬戦をレコード勝ちの後故障で7ヶ月休養を余儀なくされたが
桜花賞の指定オープンで3着して権利をとり本番も快勝した 当時トライアルレースは皐月賞には弥生賞とスプリングステークス、
ダービーにはNHK杯、菊花賞には神戸新聞杯と京都新聞杯、
桜花賞には阪神4歳特別、オークスには東京4歳牝馬特別が重賞レースとして設けられ
それぞれの5着馬まで優先出走権が与えられた
それ以外にも2週前に指定オープンが設けられ3着まで優先出走権が与えられた ダービーは皐月賞の5着まで、オークスは桜花賞の5着まで優先出走権があった オペックホースは皐月賞2着後権利はあったが
1800mの指定オープンをひと叩き(2着)してダービーを制覇した 最後に行われたダービーの指定オープンはミスターシービーの年て
ウメノシンオーが勝ちダービーは5着だった
翌年からは2400mの青葉賞(特別レース)としてダービーの4週前に施行されるようになった ロイスアンドロイス
2着になったら面白かった
ルール的に優先出走権とった後に連闘で未勝利勝ったらダービー出れたのかな >>4
アサキチは青葉賞がオープン特別だった時代に3着して権利を取りダービーに出走しましたね
青葉賞は10年間オープン特別として施行され
1994年(エアダブリン)からG3の重賞に格上げされました >>8
ロイスアンドロイスは未勝利馬のままで青葉賞に挑戦し3着でした
ダービーは未勝利馬は出走できない規定になっていたのでダービーまでに未勝利を勝てば
優先出走権を使って出走可能でしたが無理はしませんでした チューリップ賞
アグネスフローラとケリーバック
親に馬券頼む学生だったけど週刊競馬ブック毎週買ってたなあ >>10
ルール的には後から未勝利勝っても大丈夫だったのか
ロイスの時は2着までが優先出走権もらえたんだっけか 1988年にはジュネーブシンボリが青葉賞に初出走で出て来て4着しました
もし勝っていれば1戦1勝でダービー出走という快記録が生まれていました >>12
記憶が定かではありませんがロイスの時は既に2着までになっていたかもしれませんね
ジュネーブシンボリの時は3着まででハナ差で4着になり未勝利から連闘という話は立ち消えになりました 昔は普通のオープン特別より賞金が高かった気がするのだが、いつの間にやら同じ金額に。
リステッド認定で賞金100万上がったが、若駒ステークスと同じ金額なんだよな。 若葉賞が皐月賞の指定オープンになった最初の年の勝ち馬がシリウスシンボリで
皐月賞を使わずダービーに直行して勝っています ハギノトップレディが勝った桜花賞では指定オープンで3着のハギノトップレディと
2着のタマモコトブキが本番でワンツーフィニッシュを決めています テイオーの年も若葉S組が皐月賞でワンツーだったか
サニーブライアンの年は若葉S組がワンツースリーだったな 全馬人気薄で >>18
そう!若葉ステークスといえばのちの皐月賞馬ジェニュインをぶっちぎったのに
殿り降着になったルイジアナボーイのインパクトは強烈ですね。鞍上は安田富男でした。
ちなみにジェニュインは田中勝春騎乗でこの二人は中山時代の若葉ステークスにはめっぽう強く
勝春が3勝、富男が2勝と1着降着1回しています。 優先出走権は皐月賞5着まで、青葉賞3着まで、プリンシパルS2着まででいいわ
前哨戦はきちんと使って欲しいし ルイジアナボーイはイルドブルボンの産駒でした
翌年同じイルドブルボン産駒のミナモトマリノスが田中勝春騎手でリベンジしています
皐月賞ではイシノサンデー四位の大斜行の不利を受けて残念な4着でした」 今のアネモネは優先出走権不要だよな
フラワーカップと被るがレース自体はあってもいいけど
1着なら賞金的に出れるし2着の優先権はいらない あの頃から優先出走権を3着で取って本番あまり人気ない馬は買うようにしてる 指定オープンの時代含めて青葉賞の勝ち馬から
40年近くダービー馬が出ていないのは七不思議と言えるよな オープン競争時代にはタツミプリンスが桜花賞とダービーの指定オープンを両方勝利する
という珍記録を持っていてその年の桜花賞馬とダービー馬を下している
当時は桜花賞の指定オープンであっても牡馬が出走できた
ちなみにその時の3着馬が桜花賞馬のハギノトップレディ
そしてダービー指定オープンの2着馬がオペックホース アドマイヤグルーヴがもし若葉S2着だったら皐月賞に行ってたのか気になる >>29
これ
やはりトライアルレースなんだから本番と同じ競馬場で行うべき
プリンシパルと同じように ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています