競馬に関する記録で今後も更新が不可能そうなもの
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ドウカンヤシマ
3歳時-京成杯3歳S
4歳時-函館記念
5歳時-日刊スポーツ賞金杯
6歳時-東京新聞杯
7歳時-朝日チャレンジカップ
8歳時-スポーツニッポン賞金杯 >>52
出走自体は去年もあったしそれで掲示板に載ってるんだからそれなりの可能性あるだろ >>56
それはJRA記録だけでヴァーミリアンが7年連続重賞制覇の日本記録 96年有馬記念の売上 876億(ギネス記録)
ちなみにディープインパクトの06年が440億 クロフネのレコードかな
ダート1600m 1:33.3 クロフネ
ダート2100m 2:05.9 クロフネ
両方とも良馬場ってマジでおかしい ワンダーアキュートの京都1900ダート1:53.7
近いタイムすら全く出てないと思うわ
キヨヒダカはカジノドライブが良いとこまでいったからマーチSが道悪になればワンチャンある 牝馬の菊花賞・春天制覇
岡部しか達成していない天皇賞4場制覇 >>72
アメリカンオークス招待Sはアメリカのオークスと言える代物ではない >>76
>>1のロスアードがオークスとダービーとセントレジャー勝ってるじゃん >>81
ゴドルフィンとか散々ダービー勝ってるだろ >>82
ゴドルフィンは個人じゃないからなぁ
アガカーンとかジュドモントならアリかな >>23
ウチヒロの500何勝した年は地方で何戦乗ったの??
あとウチヒロが勝ちまくったから今みたいな1日8レース上限ができたんだっけ? >>79
いや、日本で言えば関東オークスみたいなものだけどそれでもオークスはオークスだよ >>81
アメリカってダービーだけでも
アーカンソーダービー
アメリカンダービー
イリノイダービー
ケンタッキーダービー
サンタアニタダービー
スーパーダービー
ハリウッドダービー
フロリダダービー
ベルモントダービー招待
ペンシルベニアダービー
ロスアラミトスダービー
これだけあるからな
4勝どころか10勝くらいしてる個人馬主が居ても驚かない アメリカって地方競馬みたいに競馬場ごとに主催者が違うからなぁ >>88
各州がそれぞれ国みたいなものだから地方競馬とは全然意味が違う 皐月賞・NHKマイルカップ・日本ダービー・菊花賞の四冠 >>7
これやね 次何かしら年齢表記変わるとして2年連続活躍出来なきゃ無理 >>93
春天は無理だろうけど障害G1でその内出ないかな
障害馬は競技年数長いし
まあそれだけの期間無事で障害走り続けられる馬がいるかは微妙かもしれんが >>90
セクレタリアトのベルモントS1戦に負けるじゃん >>94
メルシーエイタイムが中山大障害コースを10回以上走ってる >>89
そのあたりになると、ジャパンダートダービーも「ダービー」だ
と主張するのと変わらんだろw
下手したら、正式名称ではダービーなんて付かない東京優駿よりダービー感があるw オークスやダービーを名乗るレースがひとつしかない国の方が世界には少ないレベル キヨヒダカは本当いつになったら破られるんだろうな東京競馬場が冬場に大改修することになって、フェブラリーSを中山1800ダ重でやることになったらワンチャンあるんだろうか タマツバキは終戦直後の1948年、3歳の5月にデビュー。現在の感覚からするとかなり遅いデビューだろう。
セイユウやシュンエイのような派手な連勝はなかったが、勝ち進むにつれて負担重量も増加。
4歳の6月には初めて負担重量が70s台に乗る。(71sで1着)
以降は70s台が当たり前になり、5歳の9月にはついに80sに。
最高負担重量は83sで、この重量で1勝・2着1回・3着2回の成績を挙げている。
このときの勝利は、日本の軽種馬の最高負担重量勝利として、現在も残る記録である。
騎乗した騎手が、体につけたオモリが重すぎて、レース後に自力では下馬できなかったという壮絶なエピソードもある。
現在は60s以上で走ることすら珍しくなっているから、今後はほぼ絶対に破られることのない記録といっていいだろう。
このほか、80s以上の重量で5勝を挙げている。
タマツバキは83sを背負って阪神の芝2200mを2分22秒2で走ったのだ。
今のサラブレッドのレコードタイムより10秒以上遅いかもしれないが、当時のあまり整備されていない馬場で83sを背負って
この時計で走れるサラブレッドは、現在でもいないだろう。もしいたとしても翌日には使い物にならなくなっているはずだ。
だがその後もタマツバキは、連闘、中1週で走り続けた。
重い斤量に耐えて走るタマツバキをファンも応援した。
タマツバキの出るレースは売り上げも良かった。読売楯争奪・アラブ東西対抗戦の売り上げは、現在のサラブレッドのGUクラスの重賞より多かったほどである。
6歳一杯で引退したタマツバキは福島県で種牡馬入り。1975年のタマツバキ記念ではゲストとして京都競馬場に招かれている。
当時30歳の同馬をよくもはるばる福島から運んできたものと思うが、これは健康状態に問題がなかったことに加え現役時代に人気があったからだろう。
タマツバキは1980年に35歳で死亡。これはシンザンに抜かれるまで軽種馬の最長寿記録だった。 シュンエイは、セイユウの1歳下の弟として1957年の10月に2歳でデビュー。
そこから1年4か月かけて20連勝した。
その後はサラブレッド相手のスワンSを含めて4連敗したが、また3連勝して引退した。
20連勝・1番人気で18連勝・1番人気で22勝というのは現在も残る軽種馬の日本記録である。
1958年に啓衆社賞最優秀アラブを受賞。種牡馬としては啓衆社賞最優秀アラブを受賞したラオスオーを出した。
なお兄セイユウはサラブレッドへの挑戦を続けていたため、兄弟対決はついに実現しなかった。 キヨヒダカは馬場もだけど、引っ張る馬もいないと厳しいよな 凱旋門賞失格は後にも先にもディープしかいないだろ。日本の英雄様はやる事がちがいますなあ エリザベス女王杯3年連続2着(しかもそれぞれ別の騎手で) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています