入線後、そのままウイニングランに入ったアイネスフウジンと中野栄治は、向こう正面でしばし立ち止まった後に引き返し、駈歩で正面スタンド前に帰ってきた。

するとこの瞬間、スタンドの観衆から「ナカノ、ナカノ」という合唱が湧き上がった。
優勝者を称えるために観客がその名前を唱和するという方法は史上前例を見ないものであり、
これは競馬ファンの主体、ひいては日本競馬の在り方が、それまでのギャンブル性重視の楽しみ方から、
よりスポーツ的な楽しみ方に移り変わりつつあることの象徴とされ、
日本競馬史におけるひとつのエポックとされた。

特に古くから競馬に携わっていた層からの反響が大きく、民間初の競馬実況アナウンサーであった小坂巖は、「自分たちの時代は終わったと感じた。
ぼくらの知っている競馬とは違った時代になったんだと、強く感じた」と回想し、
40年に渡り新聞記者を務めた遠山彰は自著の中で「涙が出てきた。競馬が本当に一般の人に認められるスポーツになった、と感激した」と述懐している。
また、海外競馬評論家の合田直弘はこの日の夜、イギリスに住む友人に電話を掛け「日本の競馬が大変なことになっているよ」と伝えたといい、「まさに歴史的な出来事だった」と述べている。
東京競馬場で解説していた大川慶次郎も自身の本命であり最も思い入れの強かったメジロライアンが負けたにも関わらず、コールを耳にし感極まって落涙している。
騎手・調教師としてダービーを制覇した経験を持つ大久保房松(当時92歳)は中野騎手を羨ましがり、「こんな風に出迎えられるなら、もう1度ダービーに乗りたい」と発言している。
当の中野は勝利騎手インタビューでコールの感想を問われ、「感激です」と答えている。

その後「コール」は応援形態のひとつとして定着し、1990年代には、大競走の後には決まって馬ないし騎手の名前が唱和された。

出典:Wikipedia