京都の外一歩も踏み出さぬ公卿たちが、歌人は坐ながらに名所を知るなどと称して、名所の歌を詠むに至りては乱暴もまた極まれり。
かくの如きは古今以降和歌が堂上にのみ行はれたる弊にして、和歌が堂上に盛なりし一事、名所の歌のみならず、総ての歌を腐敗せしむる一原因とはなれり。
(人々に答ふ・正岡子規)

『小倉百人一首』は悪歌の巣窟なり。
万葉以降の歌人は、源実朝と田安宗武との二人なり。
(歌話・正岡子規)