神武天皇は実在したとか信じる奴
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どれぐらいおるんや?
日本書紀、古事記の内容を本気にして紀元前660年に即位したとか信じる奴 特に否定する材料もないので
先祖のどこかにそんなのが居たんじゃね?ぐらいが普通の感想 神武を信じてる奴は日向三代も信じてるんやろか🤔
イワレヒコがいたならニニギ・ホホデミ・フキアエズもいないと東征神話の説明もつきにくいし😔 日本人は世界一優秀で神の末裔だから137歳まで生きた超人が居てもおかしくない 継体天皇がガチで応神天皇と血縁関係あると信じとるネトウヨガイジさんおる? >>11
日本書紀と古事記でちょっと違うんやな。
白村江の記述もそうやけど
古事記=日本すげええぇぇホルホル
日本書紀=歴史書としてはまだマシ 近世の山片蟠桃ですら「神武天皇なんていない」「神武から1,000年位は創作」「実在が信用できるのは応神くらいから」って『夢の代』で書いてるしな😞
八木秀次たちの「神武天皇のY遺伝子」は本気で言ってるか気になるな🤔
別に継体あたりから続いてるだけでも十分古かろうに😔 またひっくり返ってやっぱり史書通りだったなんてこともままあるので
居たとも居なかったとも言えんな
今のところ実在性は卑弥呼レベル まぁ実在論も否定論も個人の感想レベルでしかないわな さすがに神武天皇が紀元前660年に即位したと信じる人は
自民党員や一部の右翼以外にいない。紀元前660年は
日本書紀に載っている天皇の在位年数の合計によるもので
古事記は編年体で書かれていないし天皇の寿命も違うから関係ない。
古代の天皇の年齢と在位年数を検証するサイトなら
こんなのがある。
奈良時代の天皇の先祖を、父、祖父、曽祖父…と遡ると
西暦2〜3世紀ぐらいまでは追跡できるかもしれない?
古代天皇の年齢
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage6.htm
神武天皇とその一族
http://marishi.weblogs.jp/blog/2009/06/post-f8d6.html >>22
聖書もそうだけど宗教なんて全部ウソだからね
現代になっても宗教信じてるのはガイジだけ >>23
その嘘というのが100%根も葉もない作り話なのか、
事実を誇張したり潤色したりして作った話なのかが
問題なんだよ。当時の日本は中国より長い王朝史を
アピールする必要があったから、国威発揚のため史
実に手を加える動機は十分にある。
神が天から火と硫黄をソドムとゴモラの町の上に降らせた
と聞いて「はい、そんなことありえないから作り話」で済
ませるか「火山か何かがあったのかもしれない」「ソドム
とゴモラという町の実在じたいは否定できないのでは?」
みたいに考えるかの違いかな そもそもどれだけ遡れたとしても
天皇は日本国憲法によって象徴という全くの別物になったのだからそこで断絶してる
今のアキヒトは「第2代」というのが憲法学の主流解釈(ヒロヒトが初代)
「現存する世界一長い王朝」なんていうのは与太話も良いところ >>25
当時は中国から遠く離れた地なのでそんな必要ないやろ >>27
そもそも明治天皇が農民が騙ったニセモノなんでそこで断絶しとるやん >>24
まあそれやな
何かを盲信したらもうカルトの定義要件を満たす >>24
そもそもマルクス自身が共産主義は現代では不可能だと言ってるのだから
いまの共産主義者はぜんぶ偽者 >>26
実在する最古の天皇は継体天皇でええんやないか
それ以前は神話であって歴史ではない
「韓国半万年の歴史」をバカにするネトウヨが「わが国は2600年以上の歴史を誇る・・・」とか言ってて草も生えない まぁそれっぽい立ち位置の誰かってそれを神武天皇ってしたんやろ
当時は地方豪族の頭位やろうけどな 雄略天皇は出土品もあって実在説も強いな
戦後古代史に関しては左右のイデオロギーの触れ幅が両極端あるんで取り扱い注意やで 皇紀はおとぎ話の大嘘
日本は邪馬台国が何処にあったかも分からない1500年しか歴史が無い国
中華の文献が無かったら邪馬台国の存在も分からなかった国 考古学の進展で王権の成立にしてもどんどん遡っていく傾向にあるのは確か
稲荷山古墳の鉄剣にしても雄略天皇を権威付けの基準にしてる時点で
当時の人間が継体天皇で王朝交代したと考えてないことがうかがえるしな “神武天皇は実在しなかった”という文献の記述とかあるの?またはそれを裏付ける証拠
あくまで仮説というか憶測だよね?
古代日本の歴史は詳しくないし興味も無いけど、本当に実在して代々受け継がれていったとしたら凄いことだと思う >>40
それ間違っとるとこあるから言わせてもらうで
稲荷山古墳の鉄剣は雄略天皇の時代のものであって、継体天皇はまだおらんかった
銘文にある被葬者の祖先とされているのはオオヒコで、四道将軍の一人と同名や 熊沢天皇すこ😍
新元号は古事記と日本書紀からとかいってる日本会議ゲェジきらい😡 「今日は、大和民族という好戦種族が、九州から東の方大和に都して居た蝦夷民族を侵撃して勝を制し、
遂に日本嶋の中央を占領して、其酋長が帝位に即き、神武天皇と名告つた紀念の日だ。 」(石川啄木『啄木日記』)
「今の天子の先祖は、九州のスミから出て、人殺しや、がう盗をして、同じ泥坊なかまの、ナガスネヒコなどを
亡ぼした、いはば熊ざか長範や、大え山の酒呑童子の、成功したのである、神様でも何でもないことは、
スコシ考へてみれば、スグしれる。」(内山愚堂『入獄記念・無政府共産』)
明治の知識人たちの神武天皇を小馬鹿にした態度ほんとすこ >>44
小馬鹿といってはいかんよ
内山は命賭けて馬鹿にしてるんだから こういうのは逆に明治初期の方が大らかだったりする
昭和になってから喧しくなるが 光格天皇くらいまでの天皇は自分たちの先祖が神武天皇だとはあまり意識してなかったんよな
天智天皇を自分たちの先祖として強く意識してたから天智陵にはよくお参りしてたけど
そもそも神武陵自体がミサンザイ説と丸山説に分かれて治定されてなかったし文久まで修陵もされてなかったしな
この辺は高木博志の天皇陵研究が面白いンゴ 建国記念日の橿原神宮は街宣右翼見本市だから笑えるンゴ
奈良県警機動隊が厳重警備してるのもまたすごいわ
三笠宮をはじめ歴史学界なんかが強く反対したのに戦後に紀元節を復活させるんやもんなあ… >>44
縄文人や弥生人という言葉を使ってはいないも
のの、石川啄木みたいな明治時代の知識人のほうが
日本人の単一起源を主張する反皇国史観を唱える現在
のネット右翼と違って、蝦夷民族がもともと日本列島の
原住民で、天皇家や自分たち大和民族は他所から来た
侵略者だと捉えていたみたいだね。明治時代は文明を
もった人々が未開人を啓蒙して支配下に組み込むのが
当然という風潮だったわけだ。 >>50
明治の歴史学者の喜田貞吉とかそういう歴史観やったな
喜田は蝦夷研究やってたし >>41
年齢がdでもないので
架空の存在ってことでいいとおもう ヘブル語聖書創世記に出てくるアダムとエバの餓鬼はン百歳まで生きたが、代を重ねるうちにを段々寿命が縮んだらしいw
神州日本もそう違うのん? >>53
世界中の神話に寿命が短くなったと書いてある
つまり昔は地球の自転速度が違ったあるいはテロメアが長かったということ エデンの園のような楽園伝説が世界中にあるが現代の説では温暖期に人類がアフリカに住んでいた頃の原初体験が語り継がれたのでは、という話
文字や紙のない頃の人類の知能は今とそれほど違ってないことが分かっている
無かったのは紙、文字
口伝はあった >>52
当時の日本は1年に2歳年を取るようにしてた説もある
ワイは神武天皇には否定的やけど >>29
>>52
>>53
遣隋使、遣唐使以降、日本が中国と国交を結び
中国の制度を取り入れた際、自分が中国に認めら
れる歴史を作る必要があった。中国は日本より
歴史が長かったが、各王朝は短命だった。そこで
中国にない王朝の長さ、神話の時代から続く万世
一系の皇室の歴史を宣伝するしかなかった。本当に
古代の天皇が一度も血筋が途絶えていないのかは
今となっては分からないが、日本では国家権力が絶えず
交替してもらっては困るという指針で神々の権威まで
利用してお上にとって都合が良い歴史書が作られたのだろう。 >>58続き
今となっては司馬遷が史記の中で周王室や秦王室の
歴代君主の在位年数や寿命をもっともな年数に書いたように
日本書紀を書いた人たちもそうすれば良かったと思うが
彼らは神武天皇の即位を大昔の出来事に設定して
天皇一代あたりの年齢を引き伸ばしてしまった。
初めは権威造作のためにしたことだったが、日本書紀
が書かれた当時の人たちが死ぬと、天皇の権威を造作した
貴族たちの子孫は今度は古代の天皇は文字通り百数十歳も
生きたと本気で信じるようになった。南朝の後醍醐天皇に
仕えた北畠親房も第7代孝霊天皇の時代が秦の始皇帝の時代
に当たることから、孔子の記した書物などが日本に伝わって
いることを証拠に挙げ、わが国は秦の時代の大昔から中国と
国交を結んでいたに違いないと神皇正統記に書き残した。
実際には西暦4、5世紀より前の天皇家の当主は奈良盆地の
一豪族に過ぎず、日本全土の統治者ではなかったのかもしれ
ないし、ひょっとしたら邪馬台国は大和朝廷とは無関係で
日本列島にあった別の豪族の国というだけのことかもしれない。 >>53
でもユダ王国の王様の寿命は誰一人ダビデの70歳を
超えないんだよな。
地球ができてまもない時代のアダムやノア、
三皇五帝みたいな伝説上の人物、あるいは神話の
神々となればそれこそ長生きでもいいだろうが、
王様は生身の人間。王国の正確な建国時期や寿命が
正しく記録されないのは悲しいことだと思う。 >>56
二倍年歴は古事記を読む人に多い見解かな。日本書紀のほうは
二倍年歴を採用しないで意図的に歴史延長しているようだよ。
https://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/2017-10-19-2
この人は邪馬台国九州説で、神武天皇の即位の年を紀元前660年
から900年後の西暦241年のことと考えているようだ。辛酉や庚辰
のような干支で記された年は60年周期で巡ってくるから、日本書紀
編纂者は天皇一人あたりの在位年数や寿命に60年を水増ししたということだろう。 ID:hpCk+tKS
お前さんの言う通りだと思うヨ 折口信夫も「若水の話」をはじめに「古代人の暦法では一年間は現代の半分だった」って論理で天皇を長寿を説明しとったな
折口民俗学自体はかなり超論理的なところがあるから科学的な話ではないけれど
文学的な直観として記紀神話の創作観念を捉えるならまあまあ当たってるのかもしれないンゴ イワレヒコの即位が紀元前7世紀ってのはどうやったって信じられへんわ
意図的に西暦と神武紀元を混同する人がおるけどイエス・キリストなる人物がいたかどうかと西暦1年が実際の年かどうかは別問題やからな
アウグストゥスの治世24年目かつユダヤ王ヘロデの没後5年というのは「歴史上に存在した年」なんや
神武紀元の「架空」の「辛酉年春正月朔」とは性格が全く違うンゴ…
この辺の「神話」を科学と混同しないように戦後歴史学や三笠宮は紀元節復活に反対したんやけど
その憂慮は当たってしまいネトウヨやつるの剛士なんかが「日本は2600年以上続く王朝」とか言いだしたの現状や…
紀元節は復活させるべきではなかったんや 信じる信じないの領域なんだから、特に目くじら立てる物でも無いな
紀元2600年も紀元節も元々便宜上の物だし
存在の確定は歴史学では無理な領域なんで考古学の進展待ち
「天皇陵」が発掘できればまた何かわかるかもね 神武東征が西暦約300年くらいのこととか書いてある文献読んだことがあるわ
あったとしてもそのくらいが相場なんだろうな >>67
宮崎の西都原古墳群の古いのが3世紀前半と言われてるから
その辺を意識した説かもね
邪馬台国との整合性をどう考えるかになるけれど
もし邪馬台国が実在して、ヤマト王権と連続性があり、それが畿内にあったとするなら
神武東征はそれ以前ということになる 宮内庁がさっさと天皇陵と言われてるとこの発掘を許可すりゃいいのに 宮内庁管轄の日本書紀に出てくる古墳もただの地方豪族の墓だとバレるでな
つーかバレとる、そこは教育委員会が立て札立てとるw 古代の墳墓もそうやけど
酬恩庵の一休宗純みたいに御落胤説がある程度の人間の墓とか
羽黒山の能除太子(蜂子皇子)みたいな明らかな伝説上の人物の墓まで宮内庁が陵墓として管理しとるのはやり過ぎ感を感じるな… 紀元節の日にちの決め方とかクッソ雑なのにあれでいいのかウヨさんは……と思うんだ😰 科学的に検証されていない古墳を宮内庁が管理しているというのは
日本という国がいつ頃どういう経緯で形成されたか
真実を知る上で大きな障害になっている 神武天皇即位年の根拠がこれまた中国だし理屈も「中国の歴史書にこの年はすごいことが起こる年って書いてあるから」だからな。
そら初代の天皇と呼べる存在やモデルとなった豪族はいたのかもしれんが「神武天皇」はおらんな。 http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-161/
大和朝廷がどういう経緯で畿内に誕生したか分からないが、
300〜600年の間、畿内の大和朝廷と九州の邪馬台国系王統は
別々に日本に併存していたようで、600年代まで中国に朝貢して
いた倭王とは九州の邪馬台国系の王で大和朝廷の大王ではない
と考えるのが自然。最終的に邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされた。
650年は大化の改新の直後で孝徳天皇の時代である。 問題は九州勢と近畿勢ではなく
神話の舞台が中国地方だってことかな 天孫降臨な流れで九州の方から大和に移住した連中はおるやろな
あの辺りの時代の有力部族の誰かを仕立て上げたんやろうとは思う 倭の国は今の北朝鮮と中国との国境あたりにあったという説もあってだのう
大陸から九州そして四国、近畿と渡っていたいう説もある
国譲り神話からしても、このほうがしっくりくるやろ 日本書紀の異伝では出雲国を開拓したスサノオは新羅からやって来た。
自分が来たところを指して「韓郷(からくに)」と言っているから
朝鮮に出自があるということは確からしい。
そして、スサノオの子のオオナムチ(古事記のオオクニヌシ)
は出雲一国どころか葦原中国、すなわち日本列島の広域を支配した。
古事記にはオオクニヌシが越国のヌナカワヒメを娶る話があり、
彼の支配域が広域に及んだことが分かる。
神話上は神武の曽祖父のニニギ−天孫降臨というわけだから日本列島
の外から来たのは事実だろう。九州の土着民はこの毛色の違う人を神と
呼んで迎えた。−がオオナムチから葦原中国を譲り受けたことになって
いるが、これが神話上の出来事でなく史実だったら当然大きな戦闘が起
こるはずでニニギはオオナムチが支配する出雲なり大和なりを占領した
はずだが、どういうわけかこの後の話の流れは日本列島の端の日向国で
三世代も過ごし混血して隼人族をも形成してからイワレヒコの代になって
からこの国の真ん中と考えられた所に向かって遠征するという何とも奇妙
な方向に向かっている。
日本書紀では神武天皇から数代の天皇は出雲の神コトシロヌシの血筋の女性を
妻に娶ったが、最終的に大和朝廷は支配域を拡大する過程で崇神天皇が出雲振根
を殺し神宝を奪うという形で出雲国を併呑した。
おそらく国譲り神話は史実ではなく、後付けで自分たちは日本列島の前の有名
な支配者から支配権の譲渡を受けたので日本列島を支配できるということを神
話を利用して言いたかったに過ぎないのではないか? 九州王権や出雲王権は半島や大陸との地理関係で理解できるんやが
吉備の王権ってどういう経緯で成立したって言われてるんやっけ
造山古墳みたいにクソでかい古墳あるし温羅伝承とかもあるよな ワイは系図だけは本物に近いと思っとる。
但し、王位は親子兄弟で受け継がれているわけではなく、擬似的な親子や兄弟関係。
中国の殷王朝とかそんな感じやし。 モチーフになる存在はいたかもしれないけど文献や文字がない限り伝説の域をでないやろなあ
中国の夏王朝の実在証明のほうがまだワンチャンあるやろ 代々の存在は伝わっていても、年や関係が伝わって無くて後世付け足した可能性もあるしね 中国は史記のおかげで紀元前10世紀までのことがちゃんとわかるのに
日本は2〜3世紀のことすら中国がちょろっと残した記述以外なんもわからんのやな >>79
違う
日本書紀に曰く
「一書曰、素戔鳴尊所行無?、故諸~、科以千座置戸而遂逐之。是時、素戔鳴尊、帥其子五十猛~、降到於新羅国、居曾尸茂梨之處。」
スサノオは倭国から追放されて新羅に行った
日本書紀のいうスサノオが辿り着いた曾尸茂梨(ソシモリ)は中期朝鮮語でいうところのsyo-s-meriすなわち「牛の首」で新羅の牛首州、すなわち現在の春川にあたる
そしてスサノオが根の国へ行くときに入った熊成峯とは後に百済の都となる熊津であり、根の堅洲国とは百済のこと >>87
いや、そうは読めない。話の流れからすればスサノオは天照大神が治める
「天」で乱暴したため追放されて一旦新羅に降り立ってから泥船を作って
出雲に向かったことになる。倭国という言葉はどこにもないし、この話だけ
にスサノオが千座の置戸の罰を科せられてそこから追われた場所を「天」でなく
「日本国内のどこか」と決定できる根拠はない。根の国とは地下深くにある
とされる想像上の世界であって地球上のどこかではない。
それに一書第五では、「韓郷(からくに)の島には金銀がある。もしわが
子(五十猛命)の治める国に、船がなかったらよくないだろう」とスサノオ
が言っている場面がある。「郷」とは言うまでもなく自分が生れた故郷の
ことだ。それに一書第三ではスサノオが八岐大蛇を退治した剣は韓鋤(から
さび)の剣で、韓から渡来した小刀の意味ではないかと考えられている。 http://www3.point.ne.jp/~ama/w45.html
やはり神話を素直に読むなら、素戔嗚尊は朝鮮の神様
になる。神の移動=神を祀る人々の移動。神だけが勝手に
あちこち動くことはない。この見方は重要だね。
日本書紀の異伝はスサノオが単に新羅に立ち寄っただけの
話ではないし、日本列島から新羅に渡った話と解釈すると
なると「あいうえお」すらまともに読もうとしない、単なる
朝鮮嫌いの頑固な右翼学者さんの妄言としか言いようがない。 >>88
天が韓国と別の土地ならやっぱり皇室とその祖先たる神は韓国起源ではないじゃないかいい加減にしろ! 造船技術のない時代に日本海を渡ったとはとても思えないのだがね >>90
大丈夫かい?「天」は文章を素直に読むなら、空の上、神々が住ん
でいたとされる空想上の世界のことであって地球上のどこかの「土地」
を指していないよ?地球上での新羅→出雲というスサノオを祀った
人々の移動は神話上ガチなんだよ。 もちろん当時、日本という国もなければ、新羅や朝鮮という
国民国家が出来ていたわけではない。新羅の王というのも
当時後世新羅と呼ばれる国の一部を支配していた村長のような
人だったのかもしれない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています