●●● 柳田国男総合スレッド
日本の民俗学のパイオニア
柳田国男に関する総合スレッドです。 妖怪談義
一つ目小僧
日本の昔話
日本の伝説
最初につまむべきはどれですか?
あとそれぞれはどういう関わりか概略あると助かります >>16
先生、ニュース板スレで導師の「蝸牛論」を冷笑する悪漢を発見しました。
158 :名無しさん@1周年:2015/05/27(水) 15:23:54.89 ID:C983mezP0
方言が京都からの距離に合わせて類似してる傾向がある
なんて誰でも思いつく結論をよく発表できるな。
こんなもんは研究したとはいわない・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【社会】「赤い→あきゃー」「おまえ→おみゃー」尾張弁と丹後弁、なぜ似てる? 京丹後市教委が研究結果発表[05/27] c2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1432692366/-158 >>48
妖怪談義は妖怪研究の必要性を説いた最初期のもの
一つ目小僧は生贄、異人の話
日本の昔話
日本の伝説
上2つは同一シリーズをのちに改題したもの
どれからでも読みたいものを読めばいい
ひととおり読んだら「狸とデモノロジー」もオススメ >>39
1910年発刊『遠野物語』の下示序文に漲る軒昂さを、何故か「平地人」柳田國男は、
後年喪失したようだね。
「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の
伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」 「此書を外国に在る人に呈す」ってやはり平地人たちを外国人だと挑発したのかね
お前たちのような輩はもはや日本人ではないわ! と 昨夜BSの偉人伝番組で柳田国男を特集していたが、語られた南方熊楠、
折口信夫との交流は、事実なのか?
「THE 歴史列伝」#058 日本民俗学の父 柳田国男
室井光広,六平直政 佐藤渚
BS-TBS 2015年6月19日(金) 22:00 - 22:54
http://www.bs-tbs.co.jp/retsuden/bknm/58.html アマゾンで柳田の全集23作品ダウンロードしたら99円だった 俗物小役人柳田
偉大な先覚者熊楠
つ 岡茂雄:本屋風情 犯罪者 中野隆一「なかのりゅういち」
美容室 ブルーム コスタ 赤羽 デコラ 池袋 カレン 川口 社長
上記人物はお客様の事を偽証申告して逮捕状をとる
共犯 遠藤孝輔「えんどうこうすけ」
意識の革命家 ザーマスターキーIII
美容師 美容院 中野隆一の店 フジテレビ 荒川区在住
散髪 ヘアメイク ホットペッパービューティー とらばーゆ
タウンワーク アシスタント レセプション 柳田先生も真面目な人ですけどね。
南方は天才型と言いますか。 田舎に人力車で乗り込んで調査、東京から偉いさんがきなはれた。
取りあへず村長があいさつ。さて何を調査? せうがっかうで
講演をおねげするだ。なんでも書記官長たらいふえらいさんだっし。 神奈川県内郷村若柳(現相模原市緑区)臨済宗建長寺派正覚寺に大正七年
「調査」に人力車で乗り込んだ。山寺や葱と南瓜の十日間 という月並みをよんだ。 正覚寺の
説明板には「民族」学者柳田とあるw なんの成果もなく帰京。
記録も報告書もない。あったら教えてくれ。 南方、柳田は今でいうミームの伝播を分析してるから偉いよな。ビックデータ時代に再評価されてもよい。階級格差が激しくなると物語のエイズが流行るかもな。 >>68南方先生を柳田くんとならべるな! 格が違うw いろいろ民俗学の本を読んだけど遠野物語は読めずに挫折したわ
昔の文章でほとんど分からんわ >>71昔の文章でほとんど分からんわ
ほんとうに「いろいろ民俗学の本を読んだ」? うそつきの典型w >>74
小松和彦先生とか鬼関連の本いろいろ読んだよ さあーってと 読んだ証拠を示すのはむずかしい
おれなんざ、古今東西 外国語のほんも含めて民俗学関係の
本はほとんど読んだ どや? 民俗学の本って大抵「昔の文章」が出てくるから、
そういう文章が読めない人が民俗学の本を読んだといっても疑われるのはしかたない 民俗学は古い本ほど面白い。本当に面白いのは宮本常一までだな。 それ以降の本を楽しんで読めないなんて悲しい人生だな 現代の民俗学者はヤンキー文化にもっと注目すべき
日本の民族学的な古いものはヤンキー文化の中に形を変えて生きている
ヤンキがやたらと心霊スポットに行きたがるのにもちゃんと意味があるんだよね ヤンキーは身体を教化されるの拒否してるよな。ヤンキー座りは禁止された動作だろ。 ヤンキーは農村的、土俗的な古い形態の日本人
だがそれも今は希少種となっている、これは早急に民俗文化財として保護すべき対象 南方と昭和天皇の交流は胸熱だよな。山人は昔いたとしても別におかしくないけどな。
女優の尾野真千子とか末裔ぽくないか?
柳田は台湾先住民とかの研究はしてたの? 尾野真千子は少年酔っぱらわせてちんこ出さんかいとかやってたらしいぞ。赤松啓介そのものやん。昭和とか云うレベルじゃないぞ。古さが。 頭のてっぺんだけぐるりと禿、まわりはちょろ毛の「猥褻禿」になる危険がでてきた
人生の最大の絶望 次のどれが正しいか?
遺伝によるから両親を選びなおす
肥料(禿薬)をつけ朝晩頭をたたく
生きていても無駄 自殺する
ハゲデブチビは運命と思って諦める
このスレのまぬけどもに伝染させる チョンマゲって毛髪格差を是正するためなんじゃないの?強制してくるゲーハーがいたのかもな。 死後行李いっぱいの遺稿・未発表原稿を
奥さんが速攻で庭で焼いてしまったってマジなんですか? 元秘書が日記と備忘録を持っていたらしい。
その人が10年くらい前に死んで、所在不明。 江戸時代の武士は髷が結えないほど禿たら家督を譲って引退だったんだろ?
その名残が相撲にも残っている
禿は深刻な問題だったはずだが
その割に禿除けや増毛祈願の神社みたいなのって江戸では聞いたことが無い
祈願しても無駄だったからか?? 国営放送の時間特種狩猟者なる番組で
禿に足掻く武士が出ておったのを知らぬのか まだまだ禿たりんw もっとおもろいのを田飲みまっせ〜〜〜
禿げにつける薬なし、禿は死なずただ消えゆくのみ〜〜〜 恐れながら追加しますデス
遺伝によるから両親を選びなおす
肥料(禿薬)をつけ朝晩頭をたたく
生きていても無駄 自殺する
ハゲデブチビは運命と思って諦める
このスレのまぬけどもに伝染させる
テッペンは男性ホルモンが支配するのでキンチンチョンギリ 【特別展】 生誕140年柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ ―『遠野物語』から『海上の道』まで
【会期】2015年(平成27年)10月3日(土)〜11月23日(月・祝)
休館日は月曜日(10月12日、11月23日は開館)
【開館時間】午前9時30分〜午後5時(入館は4時30分まで)
【会場】神奈川近代文学館第2・3展示室 宮武外骨は国男の天敵です;南方熊楠は国男の遥か彼方のひとです。 >>102まさか入場料とらないだろうな。御来場のみなさまに粗品進呈。
tissue paper あちゃー 日本で「蹴鞠神事」試合をやるのは近江神宮なんだが
習金平G20の前は中国国民党蒋介石に化けてたが、G20で握手したり
直接首脳と会って話す(カトリック東方教会ユダヤ講ユダヤ選民思想のロス茶
ソビエトユダヤと対戦させられているわけだが、「鏡の国のアリス・英国聖ポール寺院の
英国フラタニティ友愛フリーメーソン」のバックに日本の皇室神社公卿のスポーツの「蹴鞠」があるわけだ
たぶん正解だと思うので李氏朝鮮高麗マンドラゴラ人参は慰安婦像日本への核攻撃をすぐにやめなさい
日本から蒙古高麗李氏朝鮮大韓民国北朝鮮中国への命令です >>78
柳田國男は、日本最古の民俗学書「古事記」の誦謡者舎人稗田阿礼
女性説を唱えたらしいね。
5 :日本@名無史さん:2007/11/28(水) 08:12:41
謎の人物である稗田阿礼は太安万侶によれば聡明で感覚的な表現が得意だったとされている
柳田國男氏は女性説を提唱、ほかには藤原不比等説もある
『帝記』『旧辞』の暗誦を命じられたのは文字を知らなかったのでは・・・・・・・・・・・・・・
【太安万侶】古事記【稗田阿礼】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1196166752/5- >>51
柳田カッパが、生地兵庫県に出現?
【兵庫】柳田カッパ「ガジロウ」、怪走 民俗学の父生地、福崎町公認 絵本は即完売、TV出演も[10/08]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1475936878/ 人の行動の変化の裏にはいつも憑依的なものはあるんだけどね。
2000年以降は、地縛霊が人に話しかける事が許可されるようになったから、
人の話し声など聴こえる人は多いかもね。
霊は自分の脳に憑依してくるから、言語の違いや地方の訛りまでも
反映させることは可能らしい。 診察 カウンセリング そういったモノも必要な人かと 『アナキスト民俗学 尊皇の官僚・柳田国男』はどうですか? 柳田が先祖信仰にこだわった背景には、平田派神官となった父親の存在の影響が大きい ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ >>113
同意。そういうものの必要な人が周囲に意外と多数いらっしゃる。 私が友人の家でお茶をご馳走になったときのこと
その家の42歳の息子がむずかりだした。
母親がその子を椅子の上に立たせてパンツを降ろし
牛乳の空きパックを男性器にあてがうと小便をした。
しかも、あろうことか空きパックに入ったものを
キッチンの流しに捨てたのです。
その慣れた様子からも日常的にしているのでしょう。 熊楠は今になってみると単なるシステム論でつまんないな
確かにあの時代で先を行ってたのは凄いが時代が追い付いたらどうというこたあない
折口は凡庸な貴種流離中心周縁論しかない中味のないゴミだし
熊楠にはミームがあるが折口は単なる物語でしかない
柳田は妖怪談義とかで入ってその周辺で喜んで皆終わってるんだろうが
真にやばいのは地名の話とか木綿以前のこととか本人も終着点見えないで
事実の底の論理を掘り下げているところ
そっから河童駒引や山人海上の道の意味も新たな光があてられる 柳田はフーコーを先取りしている
エリアスより凄い、子供は作られたものだと気づいていた
恋愛技術の消長や婚姻の話で江戸や中世の民衆の豊かな性に先鞭つけたのは柳田だ
山人で日本の外部に触れた
恐怖から共同幻想が析出されるメカニズムを明らかにした
南島論で北方からの歴史に対抗する裏の日本を問題にした
遥かなる広い太平洋と連帯した
そういった部分は実はどうでもいいんだな
みんなしょうもない論文書いているけど
そういう言語化できない部分こそが凄まじい 婚姻の話や明治大正世相篇で恋愛技術の消長を語って抑圧的な近代に対して同性愛にも差別のない自由な夜這いのある性の謳歌された前近代を語りだした源流に位置するのが柳田
でもちょっと考えればわかるが殿様が小姓に手をかける
夜這いをするって単純にパワハラ、セクハラ
権力や力の優先する物が下の物を好きに取り扱って罰せられない身分社会だというだけ
夜這いに拒否権があるにしても自分から積極的に好きな相手を選べるわけでもなく
確かに同性愛にキリスト教的な偏見はなくがんじがらめの家の都合で結婚強いられるのはそれはそれで不幸だがだからと言って前近代の愛情のあり方が肯定されるわけもなく
人間のやること古代も中世も近代もそんなにかわりなくしんどさはいつの時代も逃れられない
柳田が賞揚したものとかその手のうさんくさい出鱈目が多すぎる
文化左翼がそれに乗って権力批判するが害毒のが明らかに多い
柳田はそういう装置としてはっきりゴミ
山人や海上の道についても左翼的な文脈で日本の体制を批判するものとして解読されてきたが農政や貴族院とか支配者の側の人間の柳田は
アイヌや台湾南洋の支配の正当化するために日本を脅かすあるいは取り込むべく研究したのが山人や南島論
中農を育成しようとしていた官僚であり朝鮮併合の法制に関与した法務官僚で即位の礼とかに関与した体制派の思想家なのはあえて皆が触れない公然とした事実
柳田の最初期の論文は産業としての農業論
組合を作ってもっと大規模に経営すべき
アメリカのような大規模農場でも日本の小作人たちの小規模経営でもない農業改良論が柳田の出発点 遠野物語は外国に当てた友人に参考にしろという序文があるが
日本の外人たる山人へのエールだとか日本民俗学の独立宣言だとか解釈されているが
台湾はじめ日本の植民地の官僚たちに山人の論理を理解してうまく支配しろの統治論が正解 遠野物語の時点で日本に民俗学はないしないものの代表になりようはないし代表とかの意識はないし
柳田は支配者側の官僚で山人に蜂起を訴えているような奴なら幸徳秋水の仲間になってた ホテルヘルス&デリバリーヘルスとして大阪の日本橋に降臨!!!
完全無修正の激かわ美女在籍
神戸・福原 和歌山エリアトップクラスの人気を誇る
興味のある方は、「日本橋ビギナーズ」で検索♪ 何故、河童は馬を引っ張るのか
柳田国男の河童駒引、石田英一郎の河童駒引考
河童は神である、馬は神である、猿も神である
それはわかるが神になる前そもそもそれは何か
かつて馬は竜だった
北方の民族が馬を家畜化しそれを軍事化しコントロールできる者は覇権を握った
馬は竜だった
竜は馬だった
神=竜が水辺にいて(水棲の鰐や蛇からの連想=聖書のリヴァイアサン)それが馬と交わり龍馬=天馬が生まれる
北方の乾燥地帯の馬は南方では川に捧げられる
神を供犠するから神事となるが
河童の名前の一つが猿猴
要するに猿だ
河童も酒のコマーシャルに出てくるようになる前は多様な姿でありああいうイメージになったのは近代どころか現代
緑色を取り除けば単なる猿だ
猿は見ざる言わざる聞かざるで東照宮に祀られるハヌマンや孫悟空の信仰から来ている
龍としての神を捧げる零落した猿神としての河童から神を救う猿神
神話論理とはかくもややこしい
でも柳田はそこに日本の固有信仰を見ているが日本の固有信仰とはそもそも何か
桃太郎の誕生
日本の固有信仰としての小さき神を復元する
柳田は全部それだが復元するものとはそもそも何か 地名を語る方言を語る名字を語る柳田
アイヌによる地名の研究書を参考にして日本の地名を研究し語る柳田
アイヌは単語を繰り返し長くなる、またアイヌは地名の基本パターンが少ないで済む
日本は為政者により統治の便として音節が限られ結果同じになることで区別がつかなくなることを防ぐために膨大になった
それでもこの地形ならこの地名がつけられる
ドブは元々水捌けの悪い湿地だったのが転用されてドブになった
軽井沢はじめ日本の地名のパターンを執拗に後付ける
遠野物語の遠野はアイヌ語の湖のトーノから来ているしアイヌからの借用もたくさんあるが日本の地名の法則を確立してやろう
しかし、そもそも日本とは何か
沖縄と北海道はそれぞれ明治になって清とあるいはロシアと国境確定したものだ
薩摩が琉球を侵略して以降も清との貿易密貿易の為に二重支配を薩摩がしていたわけで日本の支配を拒絶していたし台湾含めて日清戦争で確定した土地
北海道は明治通じて日本人が入植する植民地だった
そもそも江戸、大坂、薩摩、長州、欧州
今言う意味の日本ではなく日本は分権でバラバラで存在していなかった
日清日露の戦勝によって作られた想像の共同体に過ぎず日本という地域名は過去から使われていたにせよ明治以降の国民国家とは違う
実は日本という想像の共同体は柳田国男の人生に沿って作られたものに過ぎないし沖縄や北海道は明治時点で明白に植民地だし逆に言えば朝鮮も台湾もミクロネシアも日本だった 熊楠は現代の研究家がそのまま過去に行っただけ
わかりすぎるくらいわかるが反対に何も得ることはない
折口はマレビト異人貴種流離
共同体を補完するナルシスティックな外部に偽装された内部を描く小説家以上でも以下でもない
単なる文学者
石田英一郎は民俗学を柳田を人類学と接続しただけどうということはない
柳田には還元できない問いがあり良くも悪くもそれが柳田の凄さ不気味さわけのわからなさ
柳田は河童に水の神を見るとき桃太郎に小さき神を見るとき方言を地名を木綿以前を探るとき必ずある問いがついて回る
日本とは何か
そんな問いは熊楠にも折口にも宮本常一にも他のどの民俗学者にもそんなものはない
柳田国男の民俗学とは明治大正時代に形成された国民国家としての日本を過去に見いだす倒錯でありこれから未来にはあるにしても過去にはあるわけのないもので
江戸の中世のあるいは弥生の縄文のそれは近代的な国家としての日本でも何でもないし
過去探れば探るほど地域としては日本であっても日本ではないまだ過程の物がそこにあるだけ
柳田は帝国主義者だがその中では慣習を維持し優しく文化を保存し取り扱え
一貫してそういう支配者の論理の学者
一方柳田は昭和十年の遠野物語の再版以降例えば小林秀雄なんかが自然主義のロマンチックな自然じゃない切って血の出る物語に届いているからと畏敬された
男が山で悲鳴を聞いた
同じ時に男の姉は嫁を苛めたことに腹を立てた息子に殺されていた
しかし母親は息子に罪はないと息子を庇いながら死んでいた
予告された殺人の記録
田山花袋や島崎藤村みたいな偽の自然主義じゃないと
かつて柳田は花袋や藤村の親友でそこから別れたのに 柳田は本人の意図に反して左翼から神格化される
最初は文学者に昭和十年頃に評価される
それ以前は誰も知らない所でやっている単なる好事家でしかなかった民俗学者達は
神格化が始まるのは戦後左翼によって
左翼がやろうと思ってやれない民衆に即した研究をやりながら
山人だ南島論だ、共同体の外部を描いたと
柳田の人生に即して見れば朝鮮や台湾の支配や南洋の植民地化を円滑に進めるための学問なのは明らかなのに
彼は農水省の役人で宮内省や貴族院や国連にいた体制派の官僚であり南島論は台湾や南洋も日本とはルーツが同じと拡大するため
山人論は北海道植民を正当化するものなのは単なる客観的事実
文化左翼が前提としている国家批判なる物が結局は国民国家日本の単一性と過去に渡る同質性を前提として
それを批判することで自明しし確定することに貢献するそういう体制を補完するお遊戯でしかないことがそこで証明される
前近代における性の賞揚とか反体制に見せて体制でしかなく
ちょっと考えればわかるが現代で性で抑圧されるような奴は過去に行っても基本同じようなもの
そんなことは胸に手をあてて考えればわかることで
柳田に関する神話はその手のうさんくささがつきまとう 構造と力、逃走論、浅田彰に始まる現代思想ブームは吉本隆明ブームでもあり異人論ブームでもあった
栗本慎一郎は共同幻想論と遠野物語を共同体の恐怖が析出されて共同体が形成される過程として絶賛し経済人類学の基礎文献とした
何を探求していても柳田には次の問いがつきまとう、日本とは何か日本の祖型とは何か日本に固有な物は何か再び日本とは何か
しかし、それは論理的にありえなく明治大正に形成された物を過去に投影する妄想であり
方言周圈論に満足していなかったのは有名だがそれは実証的に正しいと証明された理論の一つであり
問題なのは方言を説明するただ一つの理論とするからおかしなことになるのであり
柳田には日本の言語の全て日本の原型を全て解き明かしたい掴みたいという理屈以前の衝動がありそれで膨大なデータに向かって行って間違いも多いが誰にもできなかった事を解き明かす
単なる科学者の熊楠にはそれはできない
単に事実を収集し分類し関連付けこれは世界のこれと繋がっているあれと繋がっているで博覧強記をデモンストレーションして終わっていて病人の妄執はない
折口は科学者でさえない
柳田は科学者なのに科学では説明できない領域に飛び込んでいる 叙情詩人から出発した柳田は遠野物語の冒頭で「はるかなる岩の上に美しき女一人ありて長き黒髪を梳りていたり」
男は女を撃ち髪を切るが帰路に眠くなり山男に髪を取り返される
座敷わらしを語りながら共同体の内部と外部のメカニズムに収まらない恐怖と排除に収まらない他の誰が記録してもそれはできない柳田だけのあこがれを美しさを描く
だから遠野物語は残っているしこれからも残る
座敷わらし自体は京極夏彦の言うように共同体の排除の村八分ややっかみ蔑みの記録に過ぎないんだろうが
それに収まらない過剰な物を身にまとう
共同体の外を排除するのではなくそこには同じくらい必要にされ守らねばならないことが柳田の文章にはあり現代思想には還元されない
そこに柳田の秘密も自然主義や叙情詩人として出発した出生もあるのだろう
姉が息子に殺されたのを予知した男の話も単なる三面記事の事実ではなくはりつめた状況の中では予感し予見することもありうるし
それは本当に男が言ったのか後から話を聞いた人間が盛ったんじゃないかとかでもそれも含めて人間の真実だと人は知るから今日なお魅了する
方言周圈論、地名論、柳田は完結しない
それは日本の原型なんかどこにもないから
あるのはバラバラで出鱈目な人間の真実があるだけだから
帝国主義者植民地主義者イデオロギストとしての柳田の意図を柳田自身が常に食い破る
でもないものを追求しながら必ずそういう真実には行き着く
柳田で完結した議論は一つもないがそれこそが柳田の真骨頂
真にやばい恐るべき柳田の真実 南方熊楠は今になって見れば
単なるレヴィ=ストロースの神話論理なんだよな
50年早かったのは凄いがそれだけ
何も得ることはない
柳田国男は民俗学会を組織し膨大な資料を集めさせて
それを独占し改変しながら民俗学を捏造したが今日意味があるのは
柳田による捏造部分だと言う逆説
遠野物語にしても語り手の佐々木喜善が自分で書いたものや
聞き書きを忠実にしたものは箸にも棒にもかからない
柳田による文学的創作部分こそが民俗学の輝きを本質を支えている
聞き手がどううけとるか怪談としてどんな効果があるか
それを意識し細かく味付けし文学にしている
民俗学自体が語り手が面白おかしく誇張しホラを吹いて民衆の心に残った嘘だから
柳田国男が資料を勝手に改変し編集しなかった物は無いが
それこそが民俗学の精神を支えたもので 南方熊楠や中沢新一は柳田のそういう態度を科学じゃないと批判するが
物がわかってないのはどっちだか
残るものは何かをわかっていない馬鹿の戯れ言
南方や中沢は残らないが柳田は残る 柳田国男の文章には揺らぎがある
遠野物語の姉を殺された男の話も男が予感したのか
聴衆が勝手に男の予感を捏造したのか常に曖昧な語りの余地を残す
柳田の民俗学は常にこういう恣意的な改変があるが
それこそが民俗学の核心
事実や忠実な資料など笑って捨てる厚顔さが民俗学の宝 南方熊楠は燕や鷲についての論考があって燕は梅雨に地面近くの虫を食べ子供を甲斐甲斐しく世話する燕が水の属性と女性性に
高い所から一目散に獲物を捉える鷲を火の属性と男性性に
フレイザーがたくさんの民俗資料集めてエキゾチックに面白おかしく人類学やってた時代にアナロジカルに世界の全てを把握する
レヴィ=ストロースの野生の思考や神話論理を完全に理解し展開していた
でもそれを語る文章自体は普通の散文単なる科学的文体にすぎない
飛躍が多くとも完全に論理的に把握できる
謎はない
おかしな人に見えてまともなごく普通の小市民にすぎない南方熊楠の限界
人格低劣、権力欲の固まりだが語り手、登場人物、読み手のあわいをとらえて届く物を作れる
日本の原初信仰というあるはずのない妄想の中にその限界を際立たせる
そんな奇跡を起こし真にやばいのは柳田国男の方であって
真に過激なのは柳田国男 折口信夫は彼の理解する王朝文学を元にして民俗学を創作しただけ
ただ彼の理解が浅いから独りよがりのつまらない王朝文学の出来損ない
非常民で創作する宮本
夜這いで創作する赤松
妖怪で創作する小松
でもこれらは詰まらない
柳田のように民衆の求める語りと聞き手が交感するその場への深い理解がないと 柳田国男の山島民譚集では河童は馬を捕まえようとして尻尾を掴んだところ馬の持ち主に手を伐られる
その手を返して貰おうと日参し手の代わりに薬の作り方を教える、河童に返すと薬をつけると河童の手が元通りに繋がる
万能の創薬はこうして伝わったという口上の元に河童駒引が語られる
馬は龍、河童から馬を守る猿はハヌマン以来の猿信仰はわかる
では河童は猿でもあるがそれだけでは説明つかない馬は元々北方の乾燥地帯の遊牧民族の物で南方の湿潤な地域の神に捧げられる
それはユーラシアの東西、クレタ島から日本の河童駒引まで共通だ、河童じゃなく猿が駒引する話も柳田は記録していて河童=猿神信仰もある
遠野物語の河童は実は緑色じゃなく赤いし頭の皿もない、河童は猿猴とも芝天狗とも言われて天狗とかと区別されていない
河童のイメージ緑色で皿がありは漫画家の清水こんや小島功の作ったイメージ
しかし、その最大公約数の河童の緑色や川辺の水属性は何なのか、天狗や猿猴は直接は水属性はない
お隣の中国では水虎がいてそれが子供のように小さく遊ぶ
日本の河童に近いが日本に水虎が輸入されると河童より怖い大人で人を殺すものになる
神と相撲すること、人間と闘う妖怪のイメージは聖書のヤコブや河童の相撲でユーラシアに広がる神話イメージ
で竜宮小僧という河童そのものの話もある
まあ、これで大体手がかりは出揃ったわけで
桃太郎、一寸法師、柳田の言う桃太郎の誕生で語った小さき神は要するに子供だ子供
子供を授かりたい守りたい大切にしたい
竜宮は子宮でもあり羊水でもあり人間が生まれてくる子宮回帰の話だし
海洋民族や湿潤な土地の神でもある、原始信仰でもある
海幸彦山幸彦カインとアベル、融和と対立
また河童の緑は水死体だし水子だし赤鬼青鬼が死体現象なように生誕と対になる死の話で
河童の中には北方と南方の原初の神の融和と人間の生誕と死を共に重ねている
それ自体は聖書にヤコブの相撲やアダムとイブの楽園追放やら
カインとアベルみたいにありがちな神話で特別ではない
柳田の固有信仰みたいな妄想は的はずれ
でも河童の中にそれらの問題の結節点を見いだすのはさすが
北方と南方が混じり妥協した古代の記憶や生と死を共に一目で把握する野生の思考や神話論理
慧眼 柳田国男が全国区にしたのはザシキワラシだ
岩手を中心とした東北の妖怪を日本中に知らしめたのは遠野物語の冒頭に印象的に出したことによる
河童や一つ目小僧などは江戸時代からキャラクターかされていたが
ザシキワラシをここまで有名にしたのは柳田国男の影響による
ザシキワラシも小さな神、ぶっちゃけ子供だが何で子供なのか
妖怪談義の冒頭は夕方食事前に子供が帰らないでいると最後まで遊んでいる子供が拐われる
そういう子供を心配した親心から発する実際暗くなってから子供が神隠しに合わないような
生活上の必要から出た妖怪や昔話はやる
桃太郎や一寸法師のような子供の成長を望んだ童話もわかる
しかし、いれば家は隆盛し出ていくと廃れるそんなザシキワラシの意味は何なのか
遠野物語でザシキワラシはそれまで栄えていたが毒キノコを構わず鍋にして娘を残して全滅した一家の没落を説明するのに確かに使われている
その家がそんなことになったのは驕り周りを無視し人の言うことを聞かなかったからだ
同時にザシキワラシが事件前に家を出ていったからだ
うぶめの夏で京極夏彦はザシキワラシを共同体の和を乱す新興の成功者のやっかみを正当化し
没落した時の理由を与えるものとしてザシキワラシを位置づけた
共同体の敵意の形象化だと
栗本慎一郎は共同体の恐怖と排除のメカニズムとして遠野物語を読み込み経済人類学の古典に遠野物語を位置づけた
でもそういう禍々しい敵意ならば何故子供なのか
普通に禍々しい妖怪を出せばいい、何故可愛らしい子供なのか
ザシキワラシはいたずらしたりトリックスターの側面もある
では何でトリックスターはいなければならないか
河童はいたずらする、で悪さをして懲らしめられて反省する、子供のようだ
ヤコブは神と相撲を取り骨に変化が与えられる
徴、河童は尻子玉を抜く
有徴
一つ目小僧はじめ、神話妖怪童話には古今東西身体欠損者が満ちている、その欠損の徴は何を表すか
ザシキワラシを考えれば分かりやすい
何故子供なのか ザシキワラシとは何か
抗生物質も衛生状態も悪かった昔、子供をあるいは兄弟姉妹を死なせてしまったことはいくらでもあった
また、間引きもあった、一家を遡れば死なせてしまった子供は必ずいた
そういう子供への悔恨の念であり死なせてしまった子供を幸せにしたかった
そういう思いの形象化がザシキワラシだ
遠野物語には宴会の時、座頭を呼ぶ、そのための座頭部屋が長者の所にはある
座頭とは芝居のザガシラではなく座頭市なんかの盲人のこと、身体障害者
要するにこれらは児童福祉であり障害者福祉だ
、強いもの、大人で、健常者ではなく弱い物も社会保障しろ、そういう生活の知恵の集まりだ
弱い物は時に恐怖の対象となり暴力を振るう神や妖怪になるから大事にしろ、社会保障を忘れるな
トリックスターが身体欠損者だったり子供だったり時に健常者を脅かし恐怖に追い込むのも大人よ健常者よ秩序の中に守られて奢るものよいい気になるな
それがトリックスターの意味はでありそれを尊重し弱者に居場所与えるそういった知恵からくる
ザシキワラシはどこの親にも思い当たる子供へ何もしてやれなかった思いである
手の中で何もしてやれないで死んでいった子供への思いが詰まっている
だから人を納得させる
ああ、あの家はザシキワラシを追い出しただから没落した、説得力がある
だから心に残る
共同体のメカニズムには還元されない
確かにザシキワラシはやっかみだったり共同体の残酷な排除の記録だがそこに収まらない思いが含まれていて経済人類学その他には還元されない残余がある
子供のザシキワラシがいられないような調子に乗った家は自壊し没落は長い目で避けられない民衆の知恵
言語化できない暗黙知
遠野物語、妖怪談義、一つ目小僧その他、桃太郎の誕生
科学や理論に還元されない文学が知恵がそこにある
河童もザシキワラシも一つ目小僧も桃太郎もゆっくり考えればわかるようになっていて柳田国男は予見していた 山島民譚集の河童駒引の次は馬蹄石、で石とは何か
石神問答で塞の神を論じている、神樹篇もある、しめ縄をはって巨石が巨樹に神が宿る、でも何でそれに神が宿るのか
ダイダラボウシを山島民譚集の続きで論じて赤子の足跡も論じている
更に石の中から赤子の鳴き声が聞こえるという話を論じる、赤子の埋まっている石
水や海や竜宮からは胎内回帰のアナロジーだろうけど更に単純にこの場合の石は子供を埋めた暗喩だろう
強姦されたか親に反対されたかろくでもない男だったのか望まれない子供の話、続いて柳田は書く
鬼の子が自分を殺さないなら出てやるが殺すなら出てやらないと女の胎で言い出し親族会議する有り様を、望まれない妊娠の変わらない現実
馬蹄、足跡、地上に穿たれた足跡のように見えるもの
偶然もあろう、自然にたまたま足跡のように見える形に欠けただけ
仏教は実は偶像崇拝を嫌った宗教で仏像が量産されるようになる前はただ仏足石だけを残していた
そこに神意を見るのは人間自然普遍らしい
自然にその形になった何かを拝む、神が宿ると見るのは原初の抗いがたい信仰の形らしい
ダイダラボウシは足跡のように見える沼や湖を地上に跡付けた空想の産物、世界を分節化して意味付ける神話論理、野生の思考である
馬の蹄に見える石、馬の首に見える観音
塞の神
一目小僧が片眼なのはある程度まではザシキワラシと同じ論理で説明つく
しかし、ここまでの広範な伝播は何故なのか
古来の神は、神主は実際に片眼を失わされたのか、娘は水に沈められたのか
塞の神も一目小僧もある程度までは説明つく
全てを説明するには弱い
トーテムとタブーの起源とは何か 山島民譚集の四では山姥に柳田は山爺の配偶者、人里を離れて生きたはぐれものだけではなく
女性が焦点化されていることに着目しながら古代信仰、古代のシャーマン信仰の影を見ている
これはキリスト教の中に残った古代信仰、ベナンダンティを見たカルロス・ギンブスブルグと平行している
山島民譚集の五では榎の杖であり山姥の突いていた杖がある山の森の起源を説いている
コノハヤサクヤヒメが皇子を出産の時に竹の刀で臍の緒を切った故事があり神功皇后が応神天皇を産む時にとりすがった子安木や子安石の話に繋がる
山姥の住んだとされる岩穴があり、古墳時代から奈良時代にかけて各所に岩穴が掘られて墓穴となった百穴が各地にある
藤原秀衡が妻を連れて熊野に参詣した時に剣窟という所で男の子を産み子供を窟の中に棄てたがおいおい、
桜の枝を折って恙無く成長を祈って土に挿したら無事参詣の帰りに桜は根付き子供も狼に育てられ窟の中で丈夫に成長していた
和歌山に伝わる伝説で南方熊楠の報告による
ここまでくると岩の中に死体を棄てたところから人間が再生する、そういった石信仰、樹信仰があったこと、古墳時代からシャーマンは天皇制と平行し協力し利用されあるいは弾圧されながら原初の信仰として根づいていたことがわかる
八幡太郎義家が兵士に矢を投じさせて川の神を祭った、その矢が石となりそれが矢祭石となった
岩から樹木が生えてくる例をもって生命の神秘として見たのか
榎は境の木であり境に全国的に植えられた
板橋の縁切り榎は男女の境であり中仙道を東にきた皇女和宮一行はそこを迂回した
古代のシャーマンから神功皇后や八幡太郎から皇女和宮に至るまでの境の神をめぐる信仰がある
恐らくは石器時代にまで遡る信仰の歴史 インターネットは広大なのにこの長文マンの居場所はここだけなのだな。物悲しい。