デュシャンの作品に関する問題提起、解釈はいくつかあって

1 大量生産された工業製品の1個体に過ぎない白い便器が
「有名人のサイン」を書かれただけで芸術作品として高値が付いてしまう ← 情報化社会で付加価値はどう生まれるのか

2 その価値を決定している主体は誰なのか? ← アートの価値の大部分を実は鑑賞者が決定している事実

3 「白い便器」であればどの個体でもいいのか ← オリジナルは一度、紛失している(=特定の個体に価値は無い)

特に3番目の問題提起が強烈で、アートは基本的には「そのもの(1点モノ)」であることが高価格の裏付けだったのに
便器にサインを書けば何でも「泉」になってしまうなら、果たしてそれは価値があると言えるのか?という
いわば鑑賞者自身が認識してはじめて作られる「脳内アート」みたいなもんであって
実はそれは全ての美術品においても適用される論理じゃないか?と