その一方で、
宇多田の新譜では、
「カラオケ」(うた)と「アニソン」(『シンエヴァンゲリオン』の主題歌)
という「ロー」な要素がめっちゃ重要なんですね

むしろ、文化的に「ハイ」な要素ではなく、
この「ロー」の要素へのウタダの開き直りが『BADモード』の可能性のコアを構成してるのではないか
外国コンプレックスを捨てて、邦楽文化をジャポニズム(「私だけのモナリザ」)としてポジティブ化する発想の転換があるから、自信を持って外人と渡り合えてるのではないか
そこに見られる「ロー」(カラオケ、アニソン)が「ハイ」(最先端テクノ、ハウス、ゲイカルチャー、フュージョン、AOR)を従えてる価値転換の下克上の構造のカタルシスや
「ハイ」と「ロー」が互角に混在してる奇妙な感覚が『BADモード』の快楽の中枢なのではないか

日本人が本当にはラナデルレイや最近のカニエ をわかんないのと一緒で(ナショナルな表現だから)
宇多田ヒカルも外人には本当には理解できないはずなんですよ、とても日本的だからね