Molimoto Kohji
実在の人を描く時には、直接モデルさんを見ながらでも撮影した写真を見ながらでも、自分自身は
デッサンやクロッキーを描くのが好きなので、写生的方向には行くんだけど、スーパーリアル
(イラスト)的方向に行くかどうかは、自分の場合はまたちょっと違うと思う。
何よりそれを自分が必要としているかどうかで。自分はアマチュアとはいえカメラマンなので、
写真で済む事は写真で済ましてしまう。
また造型もするわけなので、造型でも出来そうな事はむやみに平面ではしない。
つまり、これは絵じゃなきゃ出来ないな、という表現を絵でする事にしています
ただ、それでもリアル系の絵を描くのは、例えば自分は結構、いわゆる2ちゃんねるやtwitterや
ブログのデマ連中に性的盗撮をしているかのようなデマを流されたり中傷されたりしてきたので、
多分それを見た女性たちは(愚かだけど)僕を信用できなくなってるんだろうなと思ってるんだよね。
でも僕が撮影させてもらった女子の写真を表に出すとまたあいつらストーカー連中が騒ぎ出す
じゃないですか。だから自分の写真の良さもなんとか絵で表現しようとするので、リアル的方向に
やっぱり走るのだと思う。それは以前からずっとです。コミケ系のクズ連中のせいで、ネットで
直接見せられなくなってしまった僕の写真の代用、という要素は割とあるかも。

Molimoto Kohji
でも別に女子に自分を理解してもらいたいなどとは、描いてる間の自分はけろっと全く考えていなくて、
結局自分の写真を自分の技術でどこまで描けるか、っていうそこに注力してるんだよね。
で、必要以上に苦しいところまで描かない。自分自身が幸せに満足できる所までと決めてます。
なんというか、テーマと技術とストレスが調和するポイントを探す、みたいな。

Molimoto Kohji
つまり、僕にとって必要な絵が描けているかどうかです

Molimoto Kohji
でもその妥協点が決まる瞬間ってのは、例えば0.03mmのシャープペンの線の長さ1mmとか色鉛筆の
ほんの少しの濃淡でここまでとなる時が多いので、やっぱり割とすごいと思います自分(笑)。

Molimoto Kohji
それこそミクロン単位の瞬間ってあるよね(自分の場合は絵より造型面だろうか)。
無意識な点は比較的大雑把だけど。