1年半もの間、北朝鮮で拘束されていた米国人大学生、オットー・ワームビア氏が帰国後に死亡した事件は不可解なことだらけだ。北朝鮮は青年をなぜ昏睡(こんすい)状態に陥らせたのか。そして、なぜ急に解放し、帰国させる気になったのか。

 今回の人質解放では、実は日本も舞台の一つだった。ワームビア氏が米国へ帰国する2日前の先月11日、米側から日本側に運航計画が届いた。

 アンカレジからソウルへ向かうビジネスジェット機が12日に北海道の空港を利用するというものだった。だが当日になって、目的地はソウルから平壌に変更された。

 米外交当局者と医療関係者を乗せた同機は12日、北海道を経由して平壌に到着。日中に1時間余り滞在し、夕方には北海道に戻った。

 同機は13日に再び北海道と平壌を往復し、米への帰路に。急な目的地変更、2日間で2度にわたる短時間の日朝往復…。異例ずくめの運航に関係者は「切迫性を感じた。乗客は厳重な秘密のようだった」という。

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 帰国後にワームビア氏を診察した病院は脳組織が広範囲に壊死(えし)ていると発表。米国民に衝撃が走り、北朝鮮に対する憤りと不信感が広がった。

 遺族は「北朝鮮から凄惨(せいさん)で拷問のような虐待」を受けたと無念さをにじませ、トランプ大統領は金正恩政権を「残虐な体制だ」と非難した。

 一方で北朝鮮側は、帰国1週間で死亡したことを「謎だ」とはぐらかす半面、治療して素早く帰国させたことを「人道主義的」と強調した。実際、日本人拉致問題など対日懸案でののらりくらりとした対応に比べ、ワームビア氏事件の対応は迅速だった。

 米国側には、北朝鮮の核とミサイルの恫喝(どうかつ)へのいらだちに加え、親子の情愛を引き裂かれた同胞青年の死、さらにまだ3人も拘束されていることへの怒りもある。

 北朝鮮は、もたもたしていると米国民の怒りがトランプ氏の背中を軍事力行使へ押し出して痛い目を見ると恐れたものかもしれない。

 あるいは結局、拘束下のワームビア氏を手荒に扱って昏睡に陥らせてしまい、容体が悪化したため、責任を免れようと大急ぎで米側に伝えて引き取ってもらったか。いずれにしても、失われた命は戻らない。

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 粛清を繰り返し叔父も処刑した正恩氏が、なぜ「人道犯罪」批判を恐れるのか。

 拉致問題に取り組む西岡力・麗澤大客員教授の元に興味深い情報がある。

 北朝鮮で昨年6月、国家保衛省(秘密警察)と人民保安省(警察)に対し▽逮捕状のない逮捕はするな▽留置人をむやみに殴るな▽規定量の食事を与えよ−との指示が出た。

 こうした指示を徹底させることで、正恩氏は非人道的だという国際的な批判を受けないよう細心の注意を払っているようだ。

 日本人拉致や国内の人権蹂躙(じゅうりん)をやめない北朝鮮をめぐっては「人道に対する罪」で正恩氏らを国際刑事裁判所(ICC)に訴追する議論がある。

 西岡氏はICCに引っ張り出されることが、正恩氏の大きな心配事だと指摘する。正恩氏のICC訴追をめぐる動きに北朝鮮は猛烈に反発している。「最高尊厳」が被告人呼ばわりされ、権威が失墜することはあってはならないからだ。

 ワームビア氏の事件を機に、米政界では北朝鮮に拉致された疑いがあるデービッド・スネドン氏の消息の本格調査を大統領に求める動きが出た。青年の死を無駄にしないためにも重要だ。

 日本にも正恩氏をICCの被告人席に立たせるまで徹底追及するなど、国際情勢を大胆に拉致解決に結びつけてゆく知恵と行動が望まれる。

 もちろん、今回も稼働した米朝の水面下交渉ルートのように北朝鮮を真剣にさせる交渉の場を持っていることが前提となるが。(毎月第1日曜日に掲載します)

http://www.sankei.com/world/news/170701/wor1707010053-n1.html
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6月22日、米オハイオ州の高校で行われたワームビア氏の葬儀(ゲッティ=共同)