0001右大臣・大ちゃん之弼 ★@無断転載は禁止
2017/07/13(木) 06:46:52.68ID:CAP_USER解除当時、政治システムに大きな変化はなかった。私は89年に台湾に戻ったが、反乱罪で懲役12年の判決を受け、90年の恩赦で釈放された。92年に立法院(国会に相当)が全面改選され、96年に総統直接選が始まったことで政治改革が完成し、解除はようやく意義あるものとなった。
中国国民党は一党独裁というが、実際は蒋介石・経国父子の個人独裁だった。軍と治安・情報機関、警察による「白色テロ」は凄惨で、台湾人民は大きな傷を負った。唯一良いことがあったとすれば、若者が政治に関わらず経済に専念し、経済発展を遂げたことだ。
戒厳令時代の強い抑圧の反作用から一気に解き放たれ、台湾はこの30年間でアジアで最も自由で民主的な社会になった。中国と台湾の最大の違いは、中国はいまだ戒厳令時代に似た権威主義的な文化だということだ。現在の台湾は権威主義を受け入れない。中国当局はこの点が理解できない。中国が台湾や香港に権威主義的な態度を取り続ける限り、内容がどうあれ対話は難しいだろう。(聞き手 田中靖人)
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■許信良氏 民主化運動の指導者の一人で、民主進歩党の元主席。中国国民党から政界に入り、無所属で桃園県長選に出馬し同党を除名された。1979年の言論弾圧事件「美麗島事件」の元となった雑誌「美麗島」の社長を務め、事件を機に米国亡命。反体制運動に従事し、89年に台湾に戻り反乱罪で有罪判決を受けた。90年に恩赦で出獄、92年以降、民進党主席を2回務めた。2000年の総統選に無所属で出馬し落選。現職は当局系シンクタンクの董事長(会長)。
http://www.sankei.com/premium/news/170713/prm1707130004-n1.html
2017.7.13 05:01