今回も先週に続き、中国共産党内で起きる政治的変動をいかに読み解くべきか、について書いていきたいと思う。

 日本で前提になっているのは、「江沢民派」(=江派または上海閥)と共青団派(=団派)、そして習近平が属するとされる「太子党」(幹部子弟のグループ)の三つどもえの権力闘争で、おおよそのことはこの図式で解説されてきた。

 だが、このグループの存在を論理的に証明できる者などいるのだろうか。少なくとも私は聞いたことがない。

 かつて1980年代には「保守派」と「改革派」と呼ばれるグループが共産党上層部にあり−−といっても政治的に運命を共にするようなものではなかったと思うが−−対立構造で語られたことがあったが、そこには改革開放政策をめぐり、慎重であるべきか否かを巡る意見の対立という明確なテーマが存在していた。

 しかも、それは共産主義の原則にもかかわる重大なテーマであったのだ。

 現在のような、ただ「地方で上下関係だった」「親しい」「世話になった」といった分け方とは違い理由が明確だ。

 実際、汚職摘発などの手段で地位を追われた共産党の高級幹部の事件を詳細に見れば、その人間関係がよく理解できるのだが、事件はどれ一つ、横に広がることはなく縦に伸びるのである。

 もっと分かりやすい言い方をすれば、失脚した大物を頂点に、それを支えるメンバーが次々に捕まるのである。周永康のケースでは国土資源部から国有の石油系企業、そして四川省に広がり、薄煕来の事件では重慶から大連の企業トップが連座し、決して同じ政治局委員へと飛び火し燃え広がることなどないのだ。

 中国において党内に別の政治勢力を作ることは簡単なことではない。分党工作とみなされれば、万事休すだからである。日本の永田町のように勉強会を立ち上げるといったことは容易ではなく、よって派閥政治など起きようがないのである。

 政治局委員クラスにもなれば、みな一国一城の主であり、それぞれが大きな一族を抱えているのである。

 また、中国で出世する人物であれば、副部長クラスから、行動が制限を受け不自由になることを覚悟せざるを得ないのだが、政治局委員にまでなれば党中央弁公庁から派遣されるSPが常時つくことにもなる。

 このSPはもちろん政治局委員を守護することを目的としているが、一方では各政治局委員が不穏な動きをしないか、行動の逐一を弁公庁に報告する義務も負っているのだ。

 それでなくとも最高意思決定機関に属する政治局委員のスケジュールであれば、中央弁公庁は常に把握し、緊急時には招集をかけなければならないのだから、ガラス張りである。

 そしてライバルのスケジュールとSPが上げてきた情報、また国家安全部をはじめ多くの情報機関がもたらした情報にアクセスできるのは、総書記と中弁主任だけなのである。

 そんな状況下で、いったいどうやって別の政治勢力を育てていけるのだろうか。

■富坂聰(とみさか・さとし) 拓殖大学海外事情研究所教授。1964年生まれ。北京大学中文系に留学したのち、週刊誌記者などを経てジャーナリストとして活動。中国の政・官・財界に豊富な人脈を持つ。
『中国人民解放軍の内幕』(文春新書)など著書多数。近著に『中国は腹の底で日本をどう思っているのか』(PHP新書)。

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周永康氏と薄煕来氏(左)の事件は、中国共産党内に派閥政治がないことを示している(共同)