指導力は決定的言語で繰り広げられる。その言語は決定的な瞬間を掌握する。それにより危機を突破する。映画『ダンケルク』にウィンストン・チャーチルの言葉が出てくる。

「われわれは最後まで戦うだろう。われわれは海岸で戦うだろう。…野原で、街頭で、丘で。われわれは決して降参しないだろう(we shall never surrender)」。クリストファー・ノーラン監督は叙事的要素を忘れなかった。それにより余韻が深まる。

チャーチル首相の演説は1940年6月4日(英国下院)。英国軍のダンケルク撤収作戦が終わった時だ。

チャーチルの発言はリーダーシップの想像力を刺激した。米大統領ジョン・F・ケネディはその語彙の駆使に魅了された。ケネディの絶賛(1963年)は文学評論のようだ。

「(ドイツのヒトラーの攻撃に)英国が1人で堪えた失意と暗い時期に、…チャーチルは言語を動員して(mobilized)それを戦線に送った」。チャーチルの言葉はワイルドカードだった。

状況反転の兵器として作動した。社会の悲観的ムードは退いた。愛国心と闘志が生き返った。軍の決戦姿勢は固まった。指導者の不屈の言語は伝染性を持つ。

韓半島(朝鮮半島)は決定的な状況に進入した。北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)は世界を揺さぶる。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「大韓民国の決定権」を提起した。「韓半島での軍事行動は大韓民国だけが決定でき、だれも大韓民国の同意なく軍事行動を決めることはできない」(光復節祝辞)。

その演説は強烈だ。その叫びはわれわれの歴史の悲願だ。日清戦争と日露戦争があった。20世紀前後だ。戦場はわれわれの土地だった。開戦場所は西海(ソヘ、黄海)近海。朝鮮は無気力な観戦者だった。強大国は弱小国の同意を得ない。

その時代の「コリアパッシング」の悲哀は宿命だった。歴代大統領はその教訓から漂流しないようにした。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)の安保苦悩もその中にあった。歴史の悲劇の再現を防ぐ方法は何か。大統領盧武鉉は南北和解を推進した。同時に武装を決心した。それは済州(チェジュ)海軍基地建設だ。その決断は独自の武力手段を持つためだった。

済州基地は中国と日本の艦隊の動向を把握する。東海(日本名・日本海)・西海へ移動する北朝鮮の艦艇を監視する。平和は平和で守られない。それは世界史の蓄積された経験だ。盧武鉉はその教訓を自分の文法で整理した。彼の「自主武装平和論」だ。

盧武鉉の見方は鮮明だ。「スイスの平和は安保なくして守られない。武装は国の必須要素だ。力がなければ平和は維持されない」(2007年6月)。スイスは中立国だ。だがスイスは国防を鍛錬する。その国の国民は平和を物乞いしない。隣国に文句を言わない。領土守護に慈善はない。

文大統領の8・15イメージは「主導権」だ。彼は「韓半島問題はわれわれが主導的に解決しなければならない」とした。これはキッシンジャーの言葉に対する反論とも受け取れる。

キッシンジャーは「(北朝鮮の核問題に)どの国も韓国ほどより有機的に(organically)関連した国はない」(12日付ウォールストリートジャーナル)とした。彼は国際政治の元祖だ。その一節には軽蔑が漂う。安保の主人意識の欠乏は嘲笑を買う。

大統領の祝辞には状況の主導意志があふれる。実践案ははっきりしない。文大統領は「国防力が後支えする堅固な平和」を語った。だがICBM防衛の具体的手段は抜けていた。

米国と北朝鮮の口げんかは小康状態だ。事態の本質はそのままだ。北朝鮮のICBMは恐怖の存在感を育てている。危機克服の開始は知彼知己だ。相手と自分を知らなければならない。チャーチルの楽観的対抗は知彼知己から出た。

彼はヒトラーの著書(『わが闘争』)を熟読した。本の中にヒトラーのはばかることのない野望が込められた。その時代の英国政界は融和側に傾いた。オピニオンリーダーはその本を黙殺した。

http://japanese.joins.com/article/394/232394.html
http://japanese.joins.com/article/395/232395.html

>>2以降に続く)