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2017/08/29(火) 10:39:53.54ID:CAP_USERインターネットの規制が厳しい中国では中国共産党幹部を批判する書き込みは即座に削除されてしまう。一元札を利用して、党最高指導部メンバー、政治局常務委員の王(69)をおとしめる情報が拡散されているのだ。
国家主席(党総書記)の習近平(64)が掲げる「反腐敗キャンペーン」を強引に推し進めたのが、中央規律検査委員会書記の王だった。大物から小物まで、「虎」も「ハエ」もたたいて“恐怖政治”を演出、党内基盤が脆弱(ぜいじゃく)だった習を支えた。序列は6位ながら、実質上の政権ナンバー2である。
「習・王連合」とも評される2人の絆の源泉をたどっていくと、およそ半世紀前のある夜につながる。
陝西省北部、延安市中心部から北東へ20キロ離れた康坪村。1969年、20歳の王は北京からこの寒村に下放された。都会の知識青年を地方に送り、労働教育を受けさせるというものだ。
当時、陝西省の別の村に下放されていたのが15歳の習だった。一度、康坪村を訪ね、知識青年のリーダー格だった王と会っている。
2人がどんな話をしたのかは分からない。若い習が日々の農作業の苦労を語り、兄貴分の王が励ましたのかもしれない。習はつらさのあまり北京に一度逃げ帰った経緯がある。習によると、2人はその夜、1枚の布団を分け合って眠った。
それから四十有余年、2人の人生は再び交錯する。2012年に権力を握った習は盟友の王に、政敵もターゲットにした反腐敗運動を託した。王が汚職などで表舞台から葬り去った人物は、連座した周辺も含めると「数千人」(米ハフィントンポスト)。結果、王は怨嗟(えんさ)の標的となった。
香港誌「動向」によると、12年11月に反腐敗キャンペーンが始まってからの約4年間で、王を狙った暗殺未遂事件が27回起きているという。
真偽は不明ながら、武器や車両を使ったものが17回、郵便物に毒物を仕込んだケースが8回、飲料や食事に毒物を混入する手口が2回−などと、事細かに伝えられている。
秋の党大会の焦点の一つは、68歳以上を引退とする政治局常務委員の“定年”の慣例が維持されるのか。そうであれば、王は引退しなければならない。
「春までは(慣例を無視した)王続投を最優先にしていた習だが、最近は『習近平思想』を党規約に盛り込むのに熱心で、王のことをあまり言わなくなった」と党関係者は証言する。
「王を守り続けるのは、独裁体制を目指す政権にとってマイナスだ」。習はそう判断したのだろうか。
王が下放された康坪村。広場近くの壁に、当時の集合写真が大きく引き伸ばされて貼り付けられていた。
作業着姿の10人が並ぶ写真にはある青年の目元と口の一部が刃物のようなものでえぐられた跡があった。比較的、新しい傷である。
若かりし頃の王だ。
政権ナンバー2の地位が揺らいでいた。
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「村に入るな。写真も撮るな!」。8月下旬、河北省石家荘市平山県の「杜家庄」と呼ばれる村に入ろうとすると、待ち構えていた数人の村民に阻まれた。
平山県に入ったあたりから、4台の公安車両に尾行されていた。中国当局の極めて敏感な反応には、中国共産党大会を前にした微妙な情勢が絡んでいる。
このトウモロコシ畑に囲まれた山間の集落に政治局員、栗戦書(66)の実家があった。中央弁公庁主任(官房長官に相当)として、国家主席(総書記)の習近平を支えている。
中央規律検査委員会書記の王岐山が引退する場合、その後任として有力視される習の腹心中の腹心だ。
習と栗の出会いも、習と王のそれに似ている。
栗は33歳で河北省無極県の書記となったが、隣接する正定県で書記を務めていたのが3つ年下の習だった。習は上司の問題で悩みを抱えていたという。同じ年頃で、同じ役職に就いた2人は往来を重ね、親交を深めていった。
http://www.sankei.com/premium/news/170829/prm1708290009-n1.html
(>>2以降に続く)