■特派員リポート 武田肇(ソウル支局)

戦後72年を迎えたこの夏、韓国では植民地時代の負の記憶に例年になく焦点が合わせられ、日本批判の動きが強まった。戦時中、日本に労働動員された徴用工の像がソウルなどに初めて建てられたのをはじめ、慰安婦問題を象徴する「少女像」が全国約10カ所で新たに除幕され、日本に謝罪と賠償を求める市民団体が次々と記者会見を開いた。

そんな雰囲気の中で意外性を含めて話題となったのが、ソウル市内を循環する路線バスに少女像が設置されたニュースだ。日本大使館の近くやロッテ百貨店、ソウル駅の前を走り、外国人観光客も利用する「151番」バスの34台のうち5台の座席だ。9月末までの期間限定ながら、日本側では菅義偉(よしひで)官房長官が「未来志向の(日韓)関係を発展させる努力に水を差すことになりかねない」と非難し、外交ルートで韓国側に「適切な対応」を求める事態になった。

私は大阪本社社会部や広島総局で勤務していたとき、100人を超える国内外の戦争被害者の取材を重ねた。韓国の人々が慰安婦問題を伝えるために様々な取り組みをするのは理解できる。しかし、なぜバスなのか、乗客たちはどう受け止めているのか、様々な疑問を胸にバスに乗ってみた。

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8月下旬のある朝。ハイキングコースとして知られる北漢山(プカンサン)の登山口に近いソウル市北部、牛耳洞(ウイドン)。バス車庫に隣接した始発停留所から「151番」バスに乗り込むと、運転席から2番目の1人席に少女像があった。高さ約130センチでチマ・チョゴリ姿、肩には小鳥が止まっている。ソウルの日本大使館前に2011年に設置された少女像と似ているが、プラスチック製で、彩色されているのが特徴だ。

乗客は私と同僚の韓国人記者の2人。なのに人影はもう一つある、という不思議な空気のなかで、バスは走り出した。

「ほんとうに人間のように座っていたので、びっくりした」。二つ目の停留所から乗り込んできた中学1年生の女子生徒は、率直な感想を口にした。ニュースで知ったが、実際に見たのは初めてという。

「不思議な感じもするけど、慰安婦にされたおばあさんたちの苦しみを想像できました」

同級生の女子生徒は、こう語った。

「(元慰安婦の)おばあさんたちは(韓国に)帰ってきてから差別を受けたり、後ろ指を差されたりした。今こうやって一緒にバスに乗れるようになって良いことだと思います」

2人とも少女像がバスに設置されたことは好意的に受け止めていた。

お寺に行くためよく「151番」バスに乗るという女性(79)は、「(バスに載った少女像を見るたびに)申し訳ないという気持ちになる」と話した。「すでに亡くなった元慰安婦の人たちには、天国で安らかに暮らしてほしい」

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少女像が置かれた座席の窓ガラスには「少女像は目で見るだけにして下さい」と記したステッカーが張られていた。手に触れる乗客がいるからだろうか。その下には韓英中日の4カ国語でこんな説明書きが添えられていた。

《日本政府は、現在まで“慰安婦”被害女性らにしっかりとした謝罪をせず、韓国政府に在韓日本大使館前の少女像を撤去し“慰安婦”問題を国際社会で取り上げないことを要求しています》

《バスに一緒に載った少女像を見て、苦難の韓国の歴史をもう一度考えて、次の世代が正しい歴史意識を持つ契機になることを望む気持ちで企画しました》

ここまで読んだ読者の中には「慰安婦問題を『最終的かつ不可逆的』に解決するとした日韓両政府の合意はどうなったのか」と言いたくなる人もいるかもしれない。

日韓両政府は2015年12月28日、元慰安婦らの心の傷をいやすため財団を設置し、そこに日本政府が10億円を拠出して事業をおこなう一方、韓国側は日本大使館前の少女像移転に努力するということで合意した。実際、財団が進める事業の柱である現金支給事業を、元慰安婦らの7割以上が受け入れている。

韓国でもそうした経緯は報道されていないわけではない。

http://digital.asahi.com/articles/ASK8Z5DS8K8ZUHBI00Z.html

>>2以降に続く)