【中央日報】「裁判が政治」という現職裁判官の危険な発想=韓国[9/02] [無断転載禁止]©2ch.net
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「裁判が政治だと言ってもよい側面がある」という仁川(インチョン)地裁のオ・ヒョンソク判事の主張は法治主義の根幹を破壊する危険な発想だ。彼は先月30日、裁判所内部の掲示板に「それぞれの判事に政治的性向があるという真実を受け入れて尊重すべきだ」というコメントを載せた。
「他人の解釈にすぎない最高裁の解釈、通念、世論などを良心に基づく判断なく追従したり複製したりすることはあってはならない」とし、長期にわたる法経験と知恵の蓄積物といえる最高裁の判例を否定する主張もした。
判事が自分の政治的性向で判決を出すべきだというオ判事の主張の典拠は「裁判官は憲法と法律に則り、その良心に基づいて独立して審判する」という憲法第103条だ。
しかしこれは裁判官がいかなる外部の圧力も受けず、ただ憲法と法律、そして裁判官の良心に基づいて判決するという法治主義の原則を強調したものであり、自分の政治的偏向で判事の思い通りに裁けということではない。政治的中立を強調した条項であるが、あえて「独立」を重視して独自の解釈をしている。
自然人としての判事が所信や政治的性向を持つことはあるが、判決はただ憲法と法律に立脚し、司法府全体の一貫性も維持されなければいけない。そうではなく判事が各自の性向または政治色を帯びた判決を下せば、裁判が判事によって大きく変わりし、裁判所が政治に隷属する司法破壊につながりかねない。
こうした判事と判決を国民が信頼して容認するという傲慢がどこで生じたのか驚かざるを得ない。そうでなくとも元世勲(ウォン・セフン)元国家情報院長に対する判決が政権によって変わる事例を見ると国民の心は複雑だ。司法府が政権を眺めることなく権力に揺れない法治を確実に構築することが積弊の清算であり司法改革だ。
http://japanese.joins.com/article/970/232970.html
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http://japanese.donga.com/List/3/all/27/1047092/1 韓国の裁判所は完全なる政府の道具という認識は日本では一致している >法治主義の根幹を破壊する
最初から存在していないものは壊しようがない >>1 大衆の顔色を見て判決を出す情痴国家。
でないと、裁判官が社会的に抹殺される土人国 【話題】韓国の「国民情緒法」って何? 裁判官・裁判所が法解釈を超越して世論に迎合する判決を下す事態[05/28]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1432749683/
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http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1483588533/
【話題】韓国人「自分の権益を守るためにはゴネなければ」
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1483691786/
韓国の世論は法律よりも、儒教や恥とか謝罪といった近代以前の価値観に動かされている。
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1480176397/
543 :名無しさん@12周年 :2011/10/02(日) 16:01:48.34 (p)ID:XOmTJffS0(2)
韓国で独自に発達した朝鮮儒教は、嘘、ホラ、出鱈目、何でもござれで、言い勝ちさえすれば正義という
世界でも稀な特殊な価値観を形成した。ソント(※声闘)なんてのもその流れの一つだろう。
※ソント
声の大きさで相手の言論を封じること。
人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、相手が何も言い返せなく
なれば勝ち、という考え方。
朝鮮にあっては、法律と言うのは関係がなかった。兎に角裁判になった場合は、大きな声で相手が何も
言えないまでにひたすら発言をしまくる。これを声闘(ソント)と呼ぶ。
内容がオウム返しであろうと、罵倒や嘘八百だろうと、レッテル貼りや人格攻撃、関係のない親類縁者への
悪口、嘘泣きなども総動員し、相手が何も言えなくなれば、こちらの勝利である。
相手は死刑になるので、もし後で相手が正しくても関係無い。
真実などという証明に時間の掛かるものには、何の価値もないのだ。
彼らが執り行う論争や裁判では真相はまったく明らかにならないばかりか、論理のすり替えが多発し、
論議が一歩も進まないのがその特徴である。その場で勝ちさえすればよいのだ。証拠や論理はもはや
意味を持たない。
感情を露にし、自分は被害者であると相手より大きな声で主張し、その場を言いくるめればそいつの勝ち。
こんな出鱈目な裁判が、朝鮮の裁判である。だから今の韓国人も大声でひたすら自分の主張を繰り返し、
相手が何も言えないまでにマシンガンのように喋りつづけ、そして勝手に勝利宣言をして去っていく。
敗北は即死刑であったので、負ける訳には絶対にいかない。現代でも負けは一族の迫害を意味する。
だから韓国人は絶対に自分の非を認めない。この風習は、この声闘(ソント)からきているのだ。 裁判が政治は危険という認識の韓国人がいるってことに驚き。住み難いだろうな犬の世界に1人で。 人を拘束する命令を出す韓国司法の裁判官は、政教一致での教皇、司祭、司教なんだよ。弁護士が牧師になるかな。中世の欧州だよ。 韓国に判例集って有るんだろうか。有っても見ないか。 >>4
政治の道具どころか企業の道具でもある。優秀な法学部生は学生時代から企業の唾がついてるそうな。 法律が意味を持たないのは国と呼べないだろ だから保険屋が逃げるんだぞ
で例のセオウルだのハンジンだのになったワケだが、反省しないのなコイツ等。 知ってるかな?
2005年チョンは親日法を制定した。日本時代に対日協力した人の子孫から
財産を没収する法律だよ。日本時代は1945年に終わった。それから60年たって
親日法ができた。
法律の世界では後からできた法律(事後法)を過去にさかのぼって適用することは
できない。不遡及の原則という。これは法律の常識。
ところがこの法律常識がチョンには通じない。チョンはそんな国だよ。 >>19
<丶`∀´>ウリナラ史は時空を超越するニダ 大韓民国 法院 総合法律情報
대한민국 법원 총합법률정보 って上の方に書いてある。 >>17
国を持つレベルにまで達してないということ。他人任せの半万年だからな。ご主人様の言う事さえ聞いてりゃ良かったのさ。 >>2
官僚が政治に従うのは当たり前
裁判官は違憲判決連発 >>2
>>27
裁判が政治に従う代わりに官僚や軍隊が政治に従わないのが韓国の面白さ。 >>21
何が違法で何が合法なのかすら分からないという闇鍋国家 >>2
馬鹿。汚いチョンと日本司法を一緒にすんなよ。政治がらみで暴れてるのは下っ端の
弁護士だけだ。
チョンは今更だろ。これまでの日韓関係の司法判決にまともなものは極わずか。
法治主義を日本から学びきれなかったゴミみたいな落第生だ >>29
法が有っても従わないんだから無いのと同じ。つまりなんでも有りの無法国家。 >>30
地裁の判事もどうかと思うが。弁護士会があれだから法曹全体に腐ってそう。 >>2
半島に歴史上法なんてものがあったのか???日本が教えてやるまで。 >>33
「最近朝鮮事情」1906年
朝鮮の裁判 / P70
・朝鮮には元《も》と義禁府といふて、反逆不臣の罪や貴族の犯罪等を裁判する、
謂《い》はゞ高等法院といふやうな特別の裁判所が一つと、
又|左右《さいう》捕盗廳《ほたうちやう》といふて重罪を調べるのが京城にあつたのみで、
其外《そのほか》に裁判所といふて別に設けたものは無く、行政官が皆司法權を有して
裁判して居つたのである。
−−略−−
・朝鮮の裁判は地方の小役人や郡守縣令などが賄賂《わいろ》を取りあげる第一の方法で、
悉《ことごと》く皆賄賂の多少で民事の勝ちまけも刑罰の輕い重いもきまると謂ふてよいので、
總《す》べて刑事は明律《みんりつ》及び特別に定められた法令により、
又民事は大典《だいてん》會通《くわいつう》並《ならび》に
裁判先例のよりて處斷するといふのは殆《ほとん》ど只表面のみの有樣である。
・殊《こと》に小役人が賄賂をとる弊害は實にお話にならないの程で、
全く無罪の人でも時に捉《とら》へ來《きた》りて賄賂を責《せ》め、若し思ふやうに
賄賂を出さなければ、之を實刑に處することがある、又怨みを結んだ者に對しても時としては
此忌《このいま》はしい手段をとることがある。
実際の所、法律は死文化、裁判手続きも存在せず、行政官が勝手に罪にするぞと脅して
人々から金を巻き上げていた
その朝鮮人の精神は今日まで受け継がれている 法曹がこういうことを言うとは、韓国には多少なりとも判例の拘束力って概念はないのか
ないよなあ、国民情緒法に反するものな まあ
中国は憲法含めた全ての上に共産党が有り
韓国は憲法含めた全ての上に感情が有り
日本は憲法含めた全ての上に米国が有る
日本がこれを変えようとすれば憲法改正しか無いのだが >>2
「シュミットの議論の前提には、司法はまったく非政治的だという誤った前提がある。
実際には司法も立法や行政と同様に、上位規範の枠内での決断行為であり、利害対立
に対する決断を「政治」とよぶならば、政治を含んでいて、立法との相違は程度問題に過ぎない。」
http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/Verfassungsgericht.html
シュミットがケルゼンの憲法裁判所を司法の政治化と攻撃したとき、
ケルゼンは以上のように反論しましたとさ。
「非政治的なふりをして実際には政治的人事が行なわれるよりも、
むしろ裁判官の一部については、公然と議会における政党の議席数
に比例した推薦権を認める」
ちょい複雑な話だが、結局のところ、人事のひも付きである以上、
任命権者の意思を反映するのは当たり前。 「法律に従う」と言うのは日帝の思想ニダ。
中央日報は親日に転落したニダ。 > 自然人としての判事が所信や政治的性向を持つことはあるが、判決はただ憲法と法律に立脚し、司法府全体の一貫性も維持されなければいけない。
> そうではなく判事が各自の性向または政治色を帯びた判決を下せば、裁判が判事によって大きく変わりし、裁判所が政治に隷属する司法破壊につながりかねない。
せやな アメリカの裁判は政治的側面は大きいよね。大統領の最大の権力
は最高裁判事(終身制)を指名できることだとすると説もある
くらい。まあこれは行政を訴えて違法判断で止めることも多い
米英法の国だからの話。
日本もそうだけどイマイチ大陸法と米英法の違いを考えずに
司法を非難する手が多い気がするな 制度を作っても、
中の人たちがそのレベルについて行かれなかったんだね…。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています