ナチスを生んだ時代にユダヤ人として生きた政治哲学者、ハンナ・アーレントの思想が改めて注目されている。今年は主著の新版が出て、関連書籍コーナーを設ける大型書店も。全体主義と対決したその思想が、なぜ読み直されているのか。安倍晋三政権下の日本社会の現状と何か呼応しているのか。【井田純】

(略)

「ナチス政権下では、官僚制度が、既存の法体系ではなくヒトラーの意思をそのまま実現する組織として機能してしまった。結果、アイヒマンに典型的なように、個々の官僚は責任を感じなかった。全権を担っていたはずのヒトラーも自ら死ぬことで最終的な責任を取らなかった。これが、アーレントが考えた官僚制の無責任問題です」。

岡野八代・同志社大教授(西洋政治思想史)が説明する。

岡野さんはそこに、森友・加計学園問題で指摘された官僚の「そんたく」に通じるものを見る。「安倍さんは『自分は命令していない』と言うでしょう。一方で、官僚が憲法の規定する法にのっとるのではなく、権力者の意向をそんたくして政策を遂行するのであれば、誰も責任を取らない形ができあがる。非常に危険です」。

権力者の意思に逆らえば排除され、攻撃される。おとなしく従えば、出世していく。アーレントは、死刑となったアイヒマンをこう描く。

<自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。(中略)完全な無思想性−−これは愚かさとは決して同じではない−−、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ>(「エルサレムのアイヒマン」より)

もともと岡野さんがアーレントの思想に注目したきっかけは、日本社会の差別構造だった。ここ数年拡大してきたヘイトスピーチ問題との関連で、こう指摘する。「ナチスの全体主義は、いわば『アーリア人ファースト』という物語のもと、ユダヤ人や共産主義者、さらには同性愛者らを抹殺しようとした。自分たちと違う物語を話す存在を認めなかったのです。

今の日本と当時のドイツが同じだとは思いませんが、外国籍住民や異なる考えを持つ人たちに『日本から出て行け』と言うヘイトスピーチの姿勢と共通するものがあると感じています」

アーレントは、出自や属性に関わらず、さまざまな立場から意見が表明されることの重要性を説いた。異質なものを排除するのではなく、一人一人が違う存在であることが人間の自由にとっては大切だ、と。「人は、国籍や性別などの属性では何者かはわからない。その人が語ったことや行為によって判断されるべきだ、というのが、アーレントの考えです」

「自分で考え行動を」

岡野さんによると、世界的には冷戦が終結した89年、米国では同時多発テロが起きた01年にもアーレントが広く読まれたという。9・11を機にブッシュ政権が対テロ戦争に乗り出していった01年は、くしくも「全体主義の起原」刊行50年でもあった。

「今、米国と日本の政府が対北朝鮮危機をあおっていることとの共通点を感じます。アルカイダにしても、過激派組織『イスラム国』(IS)にしても、あるいは今の北朝鮮にしても、実際の問題は非常に複雑です。それを『敵か味方か』という極めて単純化した見方のもと、権力者がひとつの物語を作っていく」。

研究のため英国滞在中の岡野さんの目には「反対意見を言える場所が、日本社会の中から少なくなってきている」と映る。「現に、野党が求める国会審議の場すら得られない状況が生まれているでしょう。安倍政権下では『共謀罪』法も成立しましたが、政治が心の中にまで踏み込み、身の危険を感じずに発言できる場所がなくなれば、自由はなくなります」

■ことば

◆ナチスドイツから亡命
ハンナ・アーレント
1906年、ドイツのユダヤ人家庭に生まれる。ハイデガー、ヤスパース、フッサールらのもとで哲学を学び、ナチス政権成立後の33年にフランスへ亡命。41年には米国に亡命し、プリンストン大、シカゴ大などで教える傍ら執筆活動を続け、75年死去。「人間の条件」「暗い時代の人々」など多くの著作が読み継がれている。

https://mainichi.jp/articles/20170927/dde/012/040/004000c