中国・上海で1988年3月24日、高知学芸高校の修学旅行生らを乗せた列車が対向列車と正面衝突し、生徒ら29人が死亡した事故で、原因は中国政府が日本側に報告した「生徒らの列車の運転士による信号見落とし」だけでなく、対向列車がダイヤより2分早く出発するミスも重なっていたことが、中国の鉄道当局の資料で明らかになった。事故直後、遺族側は対向列車の過失も指摘していたが、中国当局は事故調査に基づき生徒らの列車運転士だけに刑事罰を科して幕引きしていた。しかし実際は、その後の再調査で遺族側の主張を認めていたことになる。

生徒らを乗せた311号列車は対向の208号列車と同一線路上を走りながら近づいていた。仮に208号がダイヤ通りに出発していれば311号の存在により遠くから気づき、被害を軽減できた可能性がある。

毎日新聞が入手したのは中国鉄路総公司(旧・中国鉄道省)傘下「中国鉄道出版社」が2016年7月に発行した鉄道事故再発防止用資料。中国側がどのような経緯で再調査をしたのか不明だが、資料は高速鉄道などの安全管理とリスク予防を強化する実務的な目的で編集されている。

 資料によると、311号列車は現地時間24日午後2時7分、真如駅(現・上海西駅)を出発。ダイヤでは、途中の匡巷(きょうこう)駅に到着した後、側道で8分間停車して208号列車の通過を待つように義務づけられていた。だが信号を見落としてブレーキをかけたが間に合わず、ポイントを壊して本線を走り、2時19分に正面衝突した。

 中国当局は88年4月の事故調査報告書に基づき、事故原因を「311号の運転士と運転助手がぼんやりして集中力を欠き、信号を見る責任を果たさなかった」と断定、日本側に報告した。上海鉄路運輸中級法院は運転士に懲役6年6月、助手に同3年の実刑判決をそれぞれ言い渡し、事故原因を確定した。

 一方、再発防止資料はダイヤと実際の運行を比較したうえで、208号は一つ手前の封浜駅をダイヤより2分早い2時11分に出発していたと明らかにし、事故は「封浜駅による配車に関する規則違反と関係がある」と明記している。

 88年5月に来日した中国上海列車事故慰問団(団長=韓杼浜(かんちょひん)・上海鉄路局長)が遺族の質疑応答を受けた際、遺族側は「208号もダイヤで指示された時刻よりも早く到着していなかったか」と事実確認を求めたが、中国側は208号側のミスを否定した。対向列車の過失について中国当局は日本側に伝えておらず、事故原因の究明で遺族は置き去りにされている。【西岡省二】

 【ことば】上海列車事故

 1988年3月24日、上海市郊外で、南京(江蘇省)発杭州(浙江省)行き列車が、単線区間を対向してきた長沙(湖南省)発上海行き列車と正面衝突した。高知学芸高校の修学旅行生ら193人のうち生徒27人と引率教諭1人が死亡し、多数の生徒が重軽傷を負った。対向列車でも中国人列車乗務員1人が犠牲になった。


11月17日 07時02分 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20171117/k00/00m/030/121000c