■ 日本の国民歌手、桑田佳祐や近藤真彦に熱狂した青春たちに捧ぐ
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「キンギラギニ サリゲナク ソイチュガ オレノ ヤリカタ・・・。その後は何だっけ?」

「オェ Just a man in loveって繰り返す日本の歌があるじゃないか。そんなに楽しくはないけど、生テープを
渡すからちょっと録音してくれ」

1980年代に学生時代を過ごした者なら、経験した事があると思う会話だ。1980年代の初頭は「キンギラギニ」
だったとすれば、1980年代の後半は「Just a man in love」がその時代を過ごした若者を熱狂させた。

(写真)
http://www.bizhankook.com/upload/bk/article/201712/thumb/14490-27335-sampleM.jpg
▲ 近藤真彦が歌った「キンギラギニ」が入ったアルバムの表紙

日帝強占期の残酷な時期を過ごして解放されてから20年後の1965年、韓国と日本両国の国交が正常化
された後も政府は日本の大衆文化の国内進入に鍵をかけていた。

抑圧されるほどやりたくなるのが人間の本性である。1980年代に入って韓国も消費社会に突入して、この
時代の青春は主流だったアメリカやヨーロッパの文化から他の文化へ目を向け始めた。このような時代的
変化を追い風に、大学街で真っ先に流行った日本の大衆歌謡が1980年にイチュワ・マユミ(五輪真弓)が
歌った切ないバラード、「コイビトヨ(恋人よ)」だった。

当時、知り合いを通して日本の大衆歌謡を聞くにはいわゆる『ペクパン(白板?)』と呼ばれた海賊レコード
や、数回聞けば伸びたり切れるのが常識だった低質カセットテープに依存するしかなかった。ソウルの
清渓川(チョンゲチョン)やセウン商店街では、このような粗悪な消耗品でも日本の大衆歌謡を購入する事
が出来るメッカだった。 ??

何といっても若者たちに波及効果が大きかったのは、景気のいいダンス音楽だった。このようなニーズに
ピタリと一致した歌が1981年にコンド・マサヒコ(近藤真彦)が出した「キンギラギニ」だった。 この歌の元々
のタイトルは韓国語発音で、「キンギラギニ サリゲナク」である。

(動画=YouTube)
https://www.youtube.com/watch?v=oWvnv-AVKtg

日本の大衆文化は地理条件によって、釜山(プサン)で真っ先に流行する特性がある。「キンギラギニ」も
1983年頃に釜山に上陸して流行し、1984年に入ってソウル地域の若者にまで広がった。「キンギラギニ」は
メロディの合間に入るブラスバンドが動員された管楽部分は言うまでもなく、まるで馬に乗るようなトゥンドゥ
ドゥドゥンドゥン(?)というベースギターの音を聞いていると、肩と手を振るのに十分な楽しい曲である。

ソース:Biz韓国(韓国語)
http://www.bizhankook.com/bk/article/14490

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