中国主席の任期 なぜ歴史に学ばぬのか

中国で国家主席の任期制限が撤廃される。「一強」の習近平主席の長期政権が現実味を帯びる。任期制は個人独裁を防ぐ政治の知恵であったはずである。なぜ歴史に学ばず、強権を求めるのか。

中国共産党が二期十年としてきた正副国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正案を公表した。三月の全国人民代表大会(国会)で可決されるのは確実で、習主席の三期目に道を開くための憲法改正であるのは疑いない。

人民日報傘下の環球時報は「国家主席の終身制復活を意味しない」と予防線を張った。だが、任期制限撤廃は制度的な権力継承を妨げ、独裁的な権力集中を招く。

中国では最高指導部である七人の党政治局常務委員の合議で重要政策を決める集団指導体制がとられている。強大な権力が毛沢東に集中し一億人余が被害にあったといわれる文化大革命の反省から、〓小平が国家主席の任期制と集団指導体制を確立した。

習氏の前任である胡錦濤氏、その前任の江沢民氏も党総書記と国家主席を兼任した。党規約に総書記任期の上限はないが、両氏とも国家主席の任期を守り、約十年で後任にポストを譲った。

憲法改正で習氏が長期の最高権力掌握を正当化すれば、政治の知恵であった集団指導体制を形骸化させるだけでなく、個人独裁という悪夢すら現実味を帯びる。

任期撤廃について地方幹部などから「党と国家の指導体制を完全なものにする」と歓迎する声が出ているという。最高指導部で別格の「核心」に位置づけられ、「習近平思想」が党規約に盛り込まれた絶対権力者への追従が目立つ政治状況は危険である。

習氏は重要会議などで「党の全面的指導」を掲げ、「西側の民主主義」を導入しないことを強調する。民主主義に伴う非能率や政治の機能不全を排し、強いリーダーによる中国流の統治を目指しているのだろう。

習氏が目標に掲げる世界最高水準の国力を持つ「社会主義現代化強国」の実現には、自身への権力集中が必要との自負があるように映る。だが、独裁的な政治や言論統制に社会は悲鳴を上げている。

経済発展を背景に、中国の人たちの考え方は多様化し、共産党礼賛の意見ばかりではない。

「中華民族復興の夢」のため、独裁的な権力で国を「習カラー」一色に染めるような統治は、歴史に学ぶ政治手法とはいえない。

※ 〓は、登におおざと。

ソース:東京新聞 2018年2月28日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018022802000183.html