■[社説] 桜祝祭控えた慶州、鎮海から学べ

桜花都市として韓国国内で最も有名な鎮海(チネ)の軍港祭が、先週末から始まった。鎮海には既に36万本の桜が満開になって、慶和駅と余佐川など桜の名所には花見客が寄り集った。軍港祭は、元は1952年4月13日、鎮海北園ロータリーに忠武公李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像を建てて、忠武公の精神を称えるために行われた追慕祭が始まりだった。そうするうちに、1963年、忠武公の護国精神を引き継いで、郷土文化芸術の振興を図るために文化祭として新たに整備されて、名称も軍港祭に変更された。この祭りは、桜の開花時期によって毎年3月末〜4月初めに十日間で行われたが、2011年からは4月1日から10日で日取りを確定した。

鎮海の桜は、日帝強占期時代に鎮海に軍港が建設されて都市美化用に植えられた。解放後、市民は日帝強占期の残滓とされる桜の木を切ってしまって、市民の出入りが不可能だった海軍作戦司令部内に桜の木が何本かだけ残っていた。しかし、1962年に植物学者たちによって王桜の原産地が日本ではなく済州島だと明らかになり、桜の木を蘇らせる運動が開始されて、その後、鎮海は桜花都市へと生まれ変わった。

慶州(キョンジュ)の桜祝祭は6日から15日まで開かれる。軍港祭に比べて歴史は浅いが、大韓民国の1等観光都市という点で、その相乗効果は鎮海軍港祭に劣らない。また、鎮海の軍港祭に行きそびれた人が、慶州桜祝祭に行く場合が多い。慶州桜祝祭を主管する慶州文化財団は、この祝祭の開催について、「慶州の観光資源である桜を素材として、文化と芸術が調和したフェスティバルを企画して、春の観光活性化に貢献したい」と言った。

鎮海軍港祭が忠武公の精神を称える追慕祭から地域の文化芸術祭へと昇華されたので、慶州の桜祝祭も必ずしもそういう文化芸術フェスティバルとして後を追う理由はなかったが、ただ花見を楽しんで食べたり飲んだりする祝祭というならば顰蹙を買うこともありそうで、文化と芸術が調和した祭りを企画するという名分を持って来たと思われる。しかし、果たして慶州の桜フェスティバルが毎年文化と芸術が一つになったかは考えものだ。

もっとも、人間のすべての行為が「広義的文化」に属するとして、食べて飲む行為さえも文化と言ってしまえばそれまでだが、数多くの花見客が慶州に集まる祝祭の期間、眉をしかめられる過度な商行為、無節制な騒音を伴った商人たちの公演、花道を妨げる違法な店などは徹底的に自制すべきである。長年蓄積された鎮海軍港祭のノウハウを学んで来てもよい。軍港祭が開かれる狭い場所でも、秩序を維持する彼らのノウハウを学ぶ必要がある。

ソース 慶北新聞(韓国語)
http://www.kbsm.net/default/index_view_page.php?idx=202619&;part_idx=243