【台湾】日本語と似た言葉「ニホンゴ」を話す村で今も中高年中心に母語 日本が台湾を統治した時代に生まれた言葉[08/01]
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台湾北東部・宜蘭(ぎらん)県の寒渓(かんけい)、澳花(おうか)、東岳(とうがく)、金洋(きんよう)の4村では、日本語と似た言葉「ニホンゴ」が、今も中高年を中心に母語として話されている。
現地で調査を続けてきた言語学者によると、日本が台湾を統治した時代に、先住民の言語が日本語に接触することで生まれた新しい言語という。
東岳村には、主に先住民タイヤル族とセデック族が住む。海に近く、駅前には特産のトビウオの像が建つ。
ニホンゴを研究している大阪大の真田信治・名誉教授(72)=接触言語学=と、その教え子である東華大(台湾東部花蓮(かれん)県)の簡月真(かんげつしん)准教授(47)=同=が村民に聞き取り調査をした。
「ここに四つのカバンがあります。『どのカバンが私のカバンですか』は、どう言いますか」。簡氏が、村に住む薩美玉(さつびぎょく)さん(71)に中国語で尋ねた。すると、薩さんはニホンゴで「ドコノ、カバンガワシノ?」と答えた。
この言葉では、女性も一人称は「ワシ」。日本語の「どの」は「ドコノ」。真田、簡の両氏はこうした調査を続け、ニホンゴの語彙(ごい)や文法の特徴などを論文で発表してきた。
2種以上の言語が接触し合って新言語が生まれ、次の世代では母語として使われる。これは「クレオール語」と呼ばれる。クレオールは「植民地生まれ」を意味するフランス語。
この「ニホンゴ」のように、元の言語の使い手がうまく聞き取れない新言語になっている点が特徴だ。
真田、簡の両氏は宜蘭県のニホンゴを「宜蘭クレオール」と名付けた。
ニホンゴが生まれた背景には、日本による先住民統治政策の影響が考えられる。日本は台湾を領有後、山間部にいた先住民の統治を進め、平地近くへ強制的に集団移住させる政策を進めた。
台湾総督府が編集した「台湾統治概要」によると、移住者は1941年末時点で4万人あまり。東岳村などの4村には、別の土地からタイヤル族やセデック族が移された。
一方で、日本政府は日本語教育を徹底した。その結果、タイヤル語、セデック語、日本語という三つの言語が交錯するようになった。
「タイヤル族とセデック族は言語が異なり、意思疎通が難しかった。そこで日本語が共通語として使われるようになり、二つの言語と混ざり合って『宜蘭クレオール』になり、次の世代に引き継がれた」
簡氏はこう解説する。
4村の人口は計約3200人。だが中国語教育を受ける若い世代はこの言葉を話さない。ニホンゴには文字もなく、このままでは消滅する。「植民地統治はあってはならないが新言語が生まれたという事実を、歴史に記す必要がある」
真田氏はこう力を込める。簡氏も「4村の人々が巧みに、タイヤル語の重要な要素を残した新しい言葉を生みだしたという事実を決して無視してはいけない」と強調した。
■「クレオール語」世界に100種 公用語も
「クレオール語」は世界各地で100以上が報告されている。かつて欧米諸国が植民地化した中南米やアフリカ大陸の国々に多く、長く偏見にさらされてきた。だが各国が独立した後は、一部が公用語として認められた。さらに言語の融合が独自の文化を生み出し、再評価が進んでいる。
世界的にみれば、現地の言語が、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、英語などと接触して生まれたものが多い。フランスの海外領土や旧植民地の多くでは仏語系クレオール語が現在も使われている。フランス文化・通信省の推計で、話者は計約1000万人。
カリブ海の島国ハイチやインド洋の島国モーリシャスなどでは住民の大多数がクレオール語を話す。
仏語と西アフリカの言語のクレオール語であるハイチ語は1961年、ハイチの二つ目の公用語となった。パプアニューギニアや中央アフリカ共和国などのクレオール語も公用語だ。
欧米を中心に言語学研究が急速に進んだことも、再評価の動きを後押しした。
続きはソースで
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/08/02/20180802k0000m030173000p/7.jpg
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/08/02/20180802k0000m030201000p/6.jpg?1
毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20180802/k00/00m/030/172000c 台湾人と朝鮮人、おそらく日本の関わりはむしろ朝鮮への方が手厚かった。
にもかかわらず何がそこまで違う結果にならしめたのか? 日本が統治するまではバラバラで島内の意思疎通も無かったってことか 先住民族同士もそうだが中華系の人々との意思疎通もできなかった 台湾は部族社会であり一体的な社会も全体統治者も事実上存在しなかった
部族というものは(国々がそうであるように)隔たりがあるからこそ部族にわかれている
そこにおいて、全体統治者は超部族的立場、仲裁者としての地位を獲得し得る
近似するのは分断統治における統治者の立場であり、
また現代の地球における国連のようなものともいえる
台湾においてその立場に滑り込んだのが日本である
朝鮮半島は、朝鮮民族の国家が全体統治者として歴史的に成立していたので、
これを無くすることは反発を生む >>2
>台湾人と朝鮮人、おそらく日本の関わりはむしろ朝鮮への方が手厚かった。
>にもかかわらず何がそこまで違う結果にならしめたのか?
李氏朝鮮には奴隷制度があって人口の半数以上が奴隷だった
そして日韓併合による奴隷解放によって奴隷の所有者だった両班は没落したりして
日本人に対する恨みが強かった
それに儒教思想の持ち主の両班からすれば朝鮮人より格下の日本人に支配されている
ことは絶対に認められないことであり、両班は李氏朝鮮の知識階級でもあったから自分たちの
やっていた悪行を隠し、国民に日本人に対して恨みを抱くように扇動していった 日本語から来てるタガログ語
Dahan?dahan(フィリピンではゆっくりという意味) - だんだん
Dorobo - 泥棒
Haba - 幅
Jack-en-poy - じゃんけんぽん
Kaban(フィリピンでは米袋という意味) - 鞄
Kampay/Tagay - 乾杯
Karaoke - カラオケ
Katol - 蚊取線香
Tamang-tama - 偶々
Tansan(フィリピンではボトルキャップという意味) - 炭酸
Teka - てゆーか
Toto - おとうと >>2
朝鮮は独自進化を遂げたのだと思う。
未開から文明に至る社会進化の系統樹から逸れた全世界の何処にも存在しない固有の未開に至ったのでは、と考えてみる。 >>2
返しきれないほどの恩は恨みに変わるらしいよ 台湾人はもともと頭いいからね
そこに文化大革命で逃げてきた中国の知識人たちが合わさったんだから
台湾の学生は英語はもちろん日本語も話せる人が居てびっくりしたよ
今年秋にまた行くんだ で、南の方に行くとこの、ニホンゴ話す人たちがいて
聞き取りにくいけど意思疎通はできる
俺が学生だった頃に現地の人たちの貴重な戦争中の話
聞かせてもらった
おばさん、おじさんを表す言葉が「ババァ」「ジジィ」になっちゃってるのでなんとなく…呼べなかったよ…
美味しいから食べなさいが「いいのあるよ」 >>2
まあ朝鮮が日本だったのは1910~1945年と台湾より短いし、朝鮮の両班貴族の奴隷制度と民族性の酷さだよ。
それに尽きる。
台湾は日清戦争で日本が勝利し1895年に日本に割譲された島。(1895~1945の50年間)
その頃は中国(清)が見向きもしない険しい山ばかりの蛮族の島であった。
台湾は不衛生で毎年、皮膚病、ペスト、チフス、赤痢、天然痘や、台湾熱、マラリアあり、特にコレラは1895年に上陸した日本軍の1/3(1945人)が感染し64%が死亡するという酷い有様。
死亡率80%以上のペストには日本も苦労し20年以上掛けて疫病を克服する。
台湾はあの狭い島に20近い土着の部族が居て、
中には首狩り族(カニバリズム有)もあり
初期は反乱したりまとめるのが大変だった。
何も無い島にダムや灌漑施設、鉄道、学校、大学、病院、上下水道、銀行等のインフラ整備、
日本の交番システムを使い地域の治安を良くし、
田舎では交番の警察官も学校の先生も兼ねていたりした。
盗難や殺人ばかりの台湾が、夜に鍵をかけなくても大丈夫なくらい治安が良くなり、サトウキビや米作りで豊かになっていき台湾人の医師や知識人、技術者なども増え日本統治25年後位には自立した豊かな島となった。
明治天皇が台湾の新高山を詠まれた
「新高の山のふもとの民草も茂りまさると聞くぞうれしき」という御製に台湾人は感激し、明治神宮造営の際に大鳥居用の用材としてベニヒバの大木を伐りだし奉納していたという。 今でも台湾で少数民族の年寄りは、異なった部族出身(つまり独自の言語も異なる)の年寄りと話す時は、昔習った日本語を使うことが多い。
中国語(国語)などは彼らが大人になってから入ってきた国民党に押しつけられた言語だからむしろ苦手。 台湾映画「セデック・パレ」を思い出した。
台湾はモザイク国家で、中国人のほかに多数の台湾山岳少数民族が住んでいて
各部族が独自の言語を持ち言葉がつうじなかった。部族同士戦争もしていた。
日本が50年間、統治して小学校を作り日本語教育をした。
部族同士言葉が通じないので日本語が共通語になって、戦前に日本語教育
を受けた世代は訛りのない綺麗な日本語を話す。 >>23
ニダーさんとこも、そのままのニホンゴと和製漢語の朝鮮読みを取り除くと、
誇らしいウリナラ言語がスッカスカに・・・ >>14
普通は貰った事に感謝するんだが…
2個3個とモノ与えれば、まだまだある筈だ全部寄越せってのが朝鮮人だからな。 台北行ったらどこの店も日本語喋れてびっくりだったわ
ファミ通もまんまその表記で「ファミ通」で売ってるし
ジャンプもカタカナで「ジャンプ」のまま売ってた
こまごましたサブタイトルは中国語だったけど
なぜか「の」だけ日本語だった
その時は「の」が流行ってたらしい
日本人が「無問題」とか言っちゃうノリなんだろうな 台湾は地震や台風などの自然災害も多いから、日本でやってる対策なんかはいろいろ見てんだろう というか植民と言えば戦後台湾へ行った中国人らも台湾へ植民して植民地にして中国化させたわけよね >>9
両班なんてそんなにいない
大半は税金も労役もない自堕落な奴隷の生活をわざわざ選んだあいつらにとって
大日本帝国は「仕事しろ勉強しろ税金払え犯罪したら刑務所入れ」と
文明を押しつけてくる相手だったわけだ >>3
沢山の部族が居て、少なからずが首狩り族だったからね。
統治前は一部華僑の地域以外は、石器時代とほとんど変わらなかったんだよ。 >>7
日本も明治まで斬首晒し首で似たようなもんだろ >>1
ワシガ スキノ オマエナ。
ワシモ スキノ オマエナ。
アウー
アウー > 「植民地統治はあってはならないが新言語が生まれたという事実を、歴史に記す必要がある」
植民地統治って、悪って決まったんだっけか?
世界樹でコンセンサスを得られてるの? >>14
それは、お返ししたい気持ちがたくさんある人の感情だよね
だから朝鮮人はそれじゃあない気がする 興味深い話ではあるが、毎日新聞がソースというのがじつに胡散臭い。
果たしてどこまで本当なのか。 >>4
日本語が共通語として意志疎通出来るようになった
もちろん日帝の強制によるけど >>42
部族ごとに言語があったところを日本時代に日本語を介して相互に会話できるようになった。
これは司馬遼太郎の台湾紀行にも書いてあった。
有名なペリリュー島の守備隊の話も毎日新聞だったようだ。 屋台にいる台湾人は商売の為に日本語覚えたのかな
パラオのが日本語が公用語かってぐらい凄かったけど 日本語が公用語と法律等で定められている国は
地球上で1国だけである
日本は明確に公用語と示す法律は無い
国語=日本語、という暗黙の了解のみである >>48
たぶんパラオの一部地域の事だと思うけど、現実は別として、その見方は面白い。
過去に植民地になっていて独立した国や、複数の国からの移民国家は、その辺を定義しなきゃいけない。
ずーっと日本だった日本人には想像がつかないポイント。
台湾も大陸からの移住、南方からの移住、日本統治、国民党の移住と、かなり複雑な民族史だもの。 ビビアン・スーも、日本語覚えるまでは、中国語を話せないおばあちゃんと会話できなかったんだよ 日本語の形成(大野晋説)
1. 縄文時代(期間13000年程)
オーストロネシア語族の一種
母音終りで母音四つ
八の愛好(ex. 八雲,八重垣,八島,etc.)
創世神話の類似
2. BC1000年頃〜(弥生時代)
タミル文明(南インド)の伝搬(←インダス文明←シュメール文明)
稲作・鉄・機織とともにタミル語を話す人達が九州北部(ヤマト)に渡来
基礎となる文法と助詞・助動詞・名詞・形容詞・副詞が照応
係り結びの法則の一致
五七五七七の歌の形式と韻律も受け入れ
3. 遅くともAD500年頃〜(古墳時代)
漢字で和語の表記
儒教などシナ文明の導入
ex. 萬葉集(万葉仮名),日本書紀,古事記,etc.
4. 900年頃〜(上古上代)
漢字から仮名文字を作り漢字仮名交じりの文字体系完成
ex. 源氏物語,枕草子,古今和歌集,etc.
(ソース:『日本語の源流を求めて』岩波新書 2007年刊) ∧在∧
<丶`∀´>ウリたちだって日本語ペラペラニダ > タイヤル族とセデック族は言語が異なり、意思疎通が難しかった。
面白い
紛争が多かったのだろう >>54
共通の言語ができて、コミュニケーションとりやすくなった後の方が
争いが多くなったりしてだな
まあ、ニート的発想だ >>2
当時は喜ばれてたらしいし日本の統治は良かったって言って
殺されてる老人もいるくらいなんだから
やっぱ戦後の反日教育の賜物っしょ >>55
最近人類学の本を読んだ
ニューギニア、アフリカネイティブインディアン、南米インディオなど言語がたくさんある地域の特徴として、一つの突出した強い部族が出て言語を統一することがなく、小さな部族同士の紛争が多く、他を警戒するために言語が複数になったと書いてあった 台湾タイワン島の名はタイヤル族・パイワン族という2大部族を合わせたものらしい。 >>1
独立の為に闘い日帝残滓を捨て去った韓国
一方台湾土人はいつまでも躾けられた犬のように日本語を忘れられないらしい >>1 現在では日本の漫画・アニメ言語を共有する日本語人口が世界に広がり、日本語が国際補助言語になる日も近い。 20年ぐらい前に、太魯閣で聞いて、???ってなった。
その時、台湾のこと何にも知らなかったから話しかけもしなかった。
山仕事に行ったっぽいばあちゃんたち。
日本の次に来た国民党がひどく、さらに、共産党をもっと悪く言わなきゃいけないという
特性上、必要以上に日本時代が良かったという政策のおかげで親日だってことは、ちょっと割り引きたい。
リショウバンがバカすぎて自分を山根ばりに持ち上げるためには、日本統治時代を
暗黒時代にしなければならない。その前のヤンバン時代をキラキラだと思い込ませることになったのも。 日本留学の経験があるイギリス外相とシナの王毅外相が日本語で会話したらしいな。 台北や高雄の都市部のお年寄りは江戸っ子弁というかべらんめえ調の人がいる >>27
「の」は大陸でも台湾でも@記号的な意味ですでに定着してる >>59
>チチバンドの何が悪い!
フランス語も似たようなものでチチ・ササエ(乳支え)
soutien-gorge
soutien(支え)
gorge(乳) >>31
ところが朝鮮人は戦後ほとんどが自分は元両班だと言い出した。
親が子に嘘をつき墓まで持ってくから、今の世代は自分が両班の子孫だと思い込む。 >>63
>日本留学の経験があるイギリス外相とシナの王毅外相が日本語で会話したらしいな。
それどころか今のように中国語で北京語が共通語になる以前は日本に留学していた地域の
違う中国人(広東人と北京人)はお互いの中国語が通じないから日本語で話していた >>69
まあ明治以前は日本語も共通語がなく方言で通じなかったから、明治維新の時は東京が首都に
決まって江戸詰の藩士が江戸弁で通訳していた
江戸弁から共通語の日本語が生まれた
もし明治維新で東京に首都が移らず京都のままだったら京都弁から共通語の日本語が生まれていたはず これ、すごく昔にNHKスペシャルかなんかでやってたな
名前もタナカさんとかハラダさんみたいに日本人風に呼び合ってた
なかなか興味深い番組だなと思いながら見ていたが、
後年になって「日本統治を美化している」とか言いがかりをつけられて
お蔵入りになったらしい >>78
欧米の植民地支配による欧米語の現地語化は問題にしない HNK 欧米の植民地支配による欧米語の現地語化は問題にしない NHK 何を残して何を引き継ぐかは、現地の人が決めること。
文化として何が残るかは、自然の摂理に任せるべき。 まあ日本語そのものが古代韓国語から派生したクレオールなんだけどな。
今でも九州あたりの方言とか予備知識無しで聞くと韓国語みたいだって外人からよく言われてる。 >>80
日系ハワイ住民から生まれた言葉もあるしねぇ
当たって砕けろ! 李議員の要請はもっともだろう。こういう良心的な的な人物こそ教育庁の指導者にふさわしい >>72 全部では無くて一部の州で公用語となってるらしい。 >>70 標準語ができたのはラジオ放送が始まってから。 >>82
>まあ日本語そのものが古代韓国語から派生したクレオールなんだけどな。
古代韓国語がどんなものであったかほとんど分からない
在日韓国・朝鮮人の学者などが日本語の古代語で語源のはっきりしない言葉を
勝手に古代朝鮮語だと決めつけて本を書いてたりする
だが韓国語と日本語は漢語を除いた大和言葉では基本的な語彙で共通性がない >>86
> >>70 標準語ができたのはラジオ放送が始まってから。
日本でラジオ放送が始まったのは1925(大正14年)からだぞ
それまで小学校の国語教科書などは方言で書かれていたというのか? 1世代あれば新しい言語は生まれるんだな
勉強になった 共通言語としての日本語の意味は大きかった、何十という言語があって部族間で意思疎通ができないから
抗争も多かった、共通言語を持つことによって理解が深まった、原住民の老人は日本語ペラペラだから 虐げられた救世主の俺は異世界を見捨てて元の世界で気ままに生きることにした
レベル1だけどユニークスキルで最強です
作者:三木なずな(台湾人) >>50
ビビアンも>>1の山岳少数民族の出身で、祖母は部族語と日本語しか話せなかったので
後に自分が日本語を覚えてからは祖母と日本語で会話できるようになった。 原住民を「討伐」し、併合ではなく最初から植民地として統治され、朝鮮よりも手厚い予算を投じられたわけでもなく、戦後は日本軍とまさに仇敵同士だった国民党によって支配された
というのに、なんで台湾は対日感情がいいの?朝鮮とのこの鮮やかすぎる対照はどうしてなの? 最近の言語ネタなら「異世界言語入門」だな
言語学のウンチクだけで出来たラノベ 朝鮮人に生まれなくて良かったと
台湾の人も言ってた 台湾先住民はアイヌ語やアメリカ先住民同様に部族によって言葉が違った
だから日本時代には彼らの共通語が日本語になった
これは支那は歴史的に台湾を統治した実績が無かった証拠でもある >>90
台湾で「こいつら共通の言語教えないとろくに使い物にならんわ」という教訓を得て以降
パラオで日本語教えたりインドネシアでは共通言語(インドネシア語)を全土で徹底させたりしてたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています