【朝鮮日報】16歳で日本に徴用された父の人生 日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した[12/16]
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黄海道谷山で生まれた李興燮さん(1928−2014)は、父を助けて畑仕事をしていたが1944年5月に徴用されて日本に連れてこられ、光復(日本の植民地支配からの解放)後も遂に韓国へ戻ることができなかった。当時数え年で16歳だった李さんは徴用対象ではなかったが、太平洋戦争で窮地に陥った日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した。父は、白い木綿の洋服を別れの贈り物として与えた。本書は、佐賀県の炭鉱に連れていかれた李さんが翌年1月1日に脱出・逃亡して解放を迎えるまでの、およそ1年3カ月間の記録を収めている
少年は2週間の軍事訓練を受け、ふんどし姿で切り羽に送り込まれた。豆かすが半分以上という飯にたくあん2切れだけの食事はあまりに粗末で、ひどく腹が減った。故郷を離れるときに父がくれた荷物の検査で指輪が出てくると、状況は一層悪くなった。「戦争中にこんな物を隠して供出しなかった」という理由で「非国民」のレッテルを貼られ、外出禁止などの罰が加えられた。李さんは脱出を夢見るようになり始めた。逃げ出したものの捕まった朝鮮人が生ゴムの棒で殴られ、半殺しの目に遭うのを見たが、これ以上そこにいられなかった。
正月、初めて外出した。その日に脱出した。復帰の時間が迫ると、炭鉱の反対側にある北の海岸へ向かうバスに乗った。漆黒の闇に身を隠しながらも、李さんは空襲で廃虚と化した光景に口をつぐんではいられなかった。「これが、われわれをこんな目に遭わせた日本の姿なのか!」
しかし、李さんの手記には敵意は薄かった。「正義などみじんもない戦争に巻き込んだ日本人」と厳しく叱責(しっせき)しつつも、戦争に苦しむ日本人に向けた憐憫(れんびん)と普遍的な人間愛を共に強調した。炭鉱で彼が属していた組を指揮していた男性は、「佐賀県の地図が欲しい」という少年の言葉がどういう意味なのか知りつつも、知らないふりをした。むしろその翌日、地図を渡しながら「北に行けば軍港がある」と、それとなく教えた。厨房(ちゅうぼう)のとある少年は、いつも腹をすかせていた李さんの手にこっそりとおこげを握らせてくれた。逃げ出した李さんが隠れていた朝鮮人の飯場には、敗戦の3カ月前から日本の軍人たちが現れ、物乞いをした。李さんに食事をさせてくれた朝鮮人のおばさんは、「軍服を着た若者」にすぎない日本の青年たちの弁当箱にも、コメのご飯をぎっしり詰めて返してやった。
日本が降伏した翌日、少年は帰国の船に乗るため福岡県北部にある博多港へ行った。ところが、故郷に向かうことはできなかった。押し寄せた朝鮮人は数十万人にもなるのに、釜山行きの船は毎日300人ずつしか乗せていかなかった。帰国を待っていては飢え死にしそうだった。李さんは「無理やり連れてきたのなら、なんとかして送り返してやるべきではないか」と心の中の怒りを漏らしたが、結局、当面の生活苦から解決しなければならなかった。その後、肉体労働をしながら九州を流れ歩き、1970年から大阪で金属回収業を営んだ。
本書は、歴史の傷を克服するための加害者と被害者の共同努力が作り出した貴重な成果だ。77年に李さんの娘・ドンスンさんが通っていた中学校の担任、室田卓雄さんが家庭訪問にやって来た。李さんの徴用体験談を聞いた室田さんは、当時中3だった教え子に「お父さんの歴史を書いてみないか」と勧めた。その年の夏休みにドンスンさんが父親と向き合い、聞き書きしたものが本書の出発点だった。室田さんは「こんなことがあったのかと驚きだった」と文章をまとめ、翌年10月26日に小冊子を出した。その後、10年かけて李さんが自ら日本語の辞書を繰りつつ執筆した分を加え、『アボジがこえた海』というタイトルであらためて出版した。李さんのつたない日本語の文章を数人の教師がボランティアで校正した。その本を読んだ九州や大阪の中学生が、李さんの物語をステージ上で演劇にした。その間に大学の教員になった室田さんは、2006年から自分が在職する流通科学大学に李さんを招き、毎年2回、講演を頼んだ。高齢を押しての李さんの講演は、亡くなる2年前の12年まで続いた。強制徴用判決を巡って未来がないかのような不和を示す韓日両国の現実が、本書を読んでいて終始、残念な思いと共に重なって見えた。280ページ、1万5000ウォン(約1520円)
金泰勲(キム・テフン)出版専門記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/12/14/2018121480062.html
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2018/12/16 05:01
https://i.imgur.com/unbAFLN.jpg
▲(1)(2)切り羽で採炭作業を行う朝鮮人。狭い坑道で体を斜めに横たえてつるはしを振るうという重労働に従事した。(3)16歳のとき日本へ連れていかれ、九州の炭鉱で強制労働させられた李興燮さんの生前の姿。/写真=国立日帝強制動員歴史館所蔵 時系列で言えば、確かに眉唾っぽい話だと疑ってしまわざるを得ないよね。
44年5月の段階でなぜ徴用年齢に達してない者をわざわざ連行していかなければならないのか?
朝鮮にはまだ他にも男はいくらでもいただろうに・・・? >>1
ワラワラと湧いて来やがった!
いくぜ!
ウォオオオッ!! <丶`∀´>これなら当時5歳でも戸籍を弄って徴用されたとできるニダ。いや、むしろ子供を強制労働させたとして3歳でもいけるかもしれないニダ。
終戦の1945年で3歳なら今、76歳……くくく 実際は自分で年齢詐称して出稼ぎに行っただけだし
戦後も儲かるから日本に居座ってた 国家が強制労働させるなら、戸籍の細工は必要ないと思うけど
だって命令者 兼 戸籍の管理者なんだから。 >1970年から大阪で金属回収業を営んだ。
え 結局帰らなかったんかい!
祖国を裏切ってまで強制連行されて炭鉱でひどい目にあった日本に定住した!?
言ってることとやってることが一致しない嘘つき民族 >>1
> 当時数え年で
鮮人国家って
いまでも数えじゃなかったか。
というか、15.6なら少年兵でもあるだろ。 >>52
おからがおかずだったのを、豆カスって書いてんじゃないかな 徴用してひどい扱い受けてるのに、なに澄ました顔して写真に収まってんだよ 降伏の翌日・・・すなわち8月16日に、帰国するために港に数十万の朝鮮系日本人が押し寄せた・・・という記録が残っているか??
そのあたりを探れば、すぐ嘘話かどうかはわかるよね。 博多から釜山なんて、大して時間掛からんだろ?
それを1日300人って、釣り船か何かで運んでたのか? 1970年に帰国?
1965年に日韓基本条件だからよく知ってるじゃろww >>469
一日で数十万人が集まった? どこから? どうやって?
船には300人しか乗れないという。数十万人を乗せるには2000日、つまり数年かかる
わけだが、その間その数十万人は食糧や宿泊どうしてた?
このおっさんが生まれた黄海道谷山は38度線の北。つまり北チョン。
おっさん、1945年から70年まで九州を転々、その後大阪で金属回収業やってたという。
あのなあ、1960年代に北朝鮮帰還運動というのがあったこととぼけてるのか?
帰る気があったら帰れただろ。北チョンは「地上の楽園」だった。
等々、記述におかしな箇所がウジャウジャある。チョン得意の捏造大うその羅列。 >>1
嘘つき
すぐバレる嘘をついて楽しいか?
何故日本が年齢詐称してまで人集めせにゃぁならんのだ?
単なる高額に釣られて募集に応募した労働者だろう(笑)
親父に嘘つかれてるのに気付けよ… >>1
コリアンの徴用開始前なので
年齢詐称しての出稼ぎへの応募だな。
キックオフから嘘だから、全体も信ずるに足らない。 1944年だと「朝鮮人は頭は空っぽで、怠けて働かない」ってのが口コミで広がってたから、連れてくるわけない。 また、誰に連れて行かれたか
何時日本に入国したか
それがどこにもない「強制連行」かよ
中国人や敵地の現地民および捕虜ならまだわかる
でも併合下の朝鮮半島で日本人とした朝鮮人にはやらないだろ
人買いがさらってきて飯場に押し込みはあると思うが
その場合は密航や密入国のケースが多い >>1
炭鉱で働かせるのになぜ軍事訓練するんだ?
強くなって反乱したらまずいじゃんw 徴用開始は44年秋からなのに5月ってこないだの三菱裁判の挺身隊ババアと同じだよな
なにか意味があるのか こいつらって自分のために娘を売ったり、自分のために親を売ったりを躊躇わないのな
貧しい家計を助けるため裸一貫日本に渡った親を70年以上経ってから貶めて恥ずかしくないのかね 12歳の時に徴兵されて日本に強制連行されたと嘯く在日老婆 >>1
父「日帝時代に・・・」
娘「それお父さんいくつの時?北韓との戦争の頃じゃないと合わないよ」
父「に、日帝は戸籍を操作したニダ、合わないのは日帝のせいニダ」 全部作り話とは思わないけど
おそらく日本で働きたいが為に自ら年齢を誤魔化したと云うのが真実。 チョウセンジンという連中に 人間の理性や知性を求めるべきではない
■半島の朝鮮人にとって、戦前から、日本は憧れの地だった■
★証明書を偽造して、日本へ働きに行きました。
『もうひとつのヒロシマ』 朴 壽南 1983 (「アリランのうた」制作委員会)からの引用
同書はマスコミがよくとりあげる「朝鮮人被爆者の証言集」ですが、その中には彼らの本音も
「削除」されずに収録されています。
●三年働いたら、嫁入り支度してからの、ふとん皮やら布地、行李二つ故郷送ったら、現
金が60円残ったよ。それで故郷に帰った。
五月じゃったか、村の人ら田植えしとる道、うちが、こう人絹の白いパラソルさしての、
水色のチョゴリ着て、こうひざ下の短いチマはいて歩くとの、革靴が鳴るんじゃ。それか
ら、はやりの大けなバスケットさげてから、村の道通ったら、はぇ、口がわるいんじゃ。
「日本がえりじゃ、日本がえりが通るよ」いうて、みんなぁ指さしてみるんよ。
この年の秋に、おなじ村におった人のところ嫁入りして、夫婦いっしょにまた、日本き
たんじゃ。(略)
●うちが、13の春じゃった。となりの村、15になる娘がおったんじゃ、これ、募集屋
来てからの、紡績工場連れていったんじゃが、この娘が働いてから、何十円か、金、送っ
てきたゆうて、はぇ、村中、えらい評判立ったんじゃ。(略)
うちはその話きいてからの、(略)「日本の国、行かして下さい、日本の国行くんじゃ」
なんぼ、頼んで泣いても、お父さん、きかんのじゃ。
★「とんでもないこと言いだしおる! 女がよその土地、出かせぎに行くのは賎民らのす
ることじゃ…」言うて、はぇ、頭っからきいてくれんのよ。…うちは、村でもの、大けな
家じゃったけえ、瓦屋根の、両班じゃったけえ、まあ、喰うに困る暮らしじゃないしのう、
なんぼ頼んでも、行かしてくれんのよ。
あれが、うちが14のときよ。一つ上のいとこの姉さんがの、日本行って帰ってきた人
に嫁入りしたんじゃ。それが、こんど日本いっしょに行くんじゃ言うての、挨拶しにきた
んじゃ。…うちは姉さんがうらやましゅうてのう、うちもついて行きとうて、かなわんの
よ。家の門まで見送り出たのが、はぇ、村の外までついて言ってからの、うちが泣いて、
泣いて、どこまでもついて行きおるじゃけ、「いっしょに日本行くんじゃ」言うての。そ
れでとうとう、うちのお母さん、あきらめたのよ。「よろしゅうに頼みます」包みつくって。
それで、いとこの姉さん夫婦について馬山から釜山に出ての、釜山の旅館、ひと晩泊ま
ったんじゃ。はぇ、釜山の町も旅館も、日本行く人らでものすごかったんじゃ。
★うちは、急にこうなったんじゃけ、証明書(渡航許可証明書)がないんよ。それが、旅
館で知りおうた女の人、30ぐらいのおばさんがひとりおったんじゃ。この人の娘じゃい
うて、連絡船乗ったんよ。(略) >>487
日本に行ったら強制連行、日本で働いたら強制徴用ってことになる。
理由は一切関係なくね。 ■朝鮮半島の朝鮮人にとって、戦前から、日本は憧れの地だった■
『もうひとつのヒロシマ』 朴 壽南 1983 (「アリランのうた」制作委員会)からの引用
同書はマスコミがよくとりあげる「朝鮮人被爆者の証言集」ですが、その中には彼らの本音も
「削除」されずに収録されています。
●M・Kさんの証言 【1967年記録、当時64歳女性】
14のときよ、うちが日本、来たのは。紡績工場、働きに来たんじゃけ、あのとき、年
ひとつ足りんのよ。15じゃいうて姫路の紡績工場、働きにはいったんじゃ。
大けな工場でのう、朝鮮の娘、300人ぐらいおったよ。寮二つに、いっぱいじゃった。
うちは自分の自由で、自分から望んで、ムリヤリ、日本、来たんじゃ。家出するみたい
に、来たんじゃ…。はぇ、日本、いきたいてのう、ものすごく日本ええところじゃ思うて、
いきたいんよ。日本の話、きいたら、はぇ、胸がトクン、トクン鳴るんよ。(略)
あの時分は、日本行ってから、金もうけて帰った人らの話が、村の誰が日本いって、な
んぼ金もうけて帰ってきた、借金返して、流れた田んぼ買うたとか、牛買うた、そんな話
が、あっちでもこっちでも持ちきりじゃったよ。
はぇ、いなかの村で、はだか足で百姓しとったもんがの、日本行って帰ってくるときは
の、西洋帽子、頭のせて、洋服きて、はぇ、皮靴(ママ)はいて、村帰ってくるじゃけえ、日
本の国、黄金ナラみたい思うたんじゃ。
おお、日本、開明(文明開化)ナラじゃ、電気明るいし、男も女でも働いたら、働く分、
金になるんじゃ、なんぼでも金もうけでける国じゃ、そんな話、きくのよ。
●三年働いたら、嫁入り支度してからの、ふとん皮やら布地、行李二つ故郷送ったら、現
金が60円残ったよ。それで故郷に帰った。
五月じゃったか、村の人ら田植えしとる道、うちが、こう人絹の白いパラソルさしての、
水色のチョゴリ着て、こうひざ下の短いチマはいて歩くとの、革靴が鳴るんじゃ。それか
ら、はやりの大けなバスケットさげてから、村の道通ったら、はぇ、口がわるいんじゃ。
「日本がえりじゃ、日本がえりが通るよ」いうて、みんなぁ指さしてみるんよ。
この年の秋に、おなじ村におった人のところ嫁入りして、夫婦いっしょにまた、日本き
たんじゃ。(略) チョウセンジンにとつてウソをつくことは恥ではないんだよ ■大阪府が1932年に「なぜ日本に来たのか」在日朝鮮人に調査、
7割以上の同胞が「食えないから」日本に来たと答えた■
大阪ではいまでも、在日朝鮮人が多く居住しているところ。
植民地統治下の1930年(昭和5年)には在日同胞の約23%にあたる7万人が住んでいた。
大阪府が1932年に、大阪市内に一戸を構えている朝鮮人の調査をしたが、「なぜ内地に来たのか」という質問に、
「農業不振のため」との答えが、55.7%、「生活難のため」(17.2%)を加えると、
7割以上の同胞が、「食えないから」、日本に来たと答えた という。
朝鮮新報 2015.01.23
ttp://chosonsinbo.com/jp/2015/01/sk123-6/ これが戦前からのチョウセンジンの密入国の実態
戦前の新聞記事見出しより
『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日
1938/5/2 『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞
1938/5/21 『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日
1939/2/12 『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報
1939/6/20 夕『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕 >>1
朝鮮人が昔から変わらないのは嘘をつくこと女
を犯すこと何でも欲しがること、なかでも嘘を
つくのは平気でそれが金になるとわかるとしつ
こく食い下がり涙まで見せて食い下がります。
朝鮮の裁判なんて自分たち主義聞く必要ナシ! <丶`∀´> チョッパリが非道な強制連行をし、強制労働させた明々白々な証拠ニダ!
映画化して世界中に拡散するニダ! >>428
朝鮮人の証言で信用に値するのは、そいつが朝鮮人って部分だけだよなw
そいつの恥知らずなウソだらけの証言が当に嘘吐き朝鮮人であることの証左っていうw 嘘に嘘にを重ねるから支離滅裂な内容になる。
供述調書にできない。 嘘が多すぎるので本当かどうか確かめようがないものは嘘で。 はいはい
息を吐くように嘘をつく
いまさらだけと、クズ民族やね 日本が統治する前は奴隷以下の身分と生活だったのにね そんなことするわけねーだろw
父親が年齢詐称して募集に応じて働いてたんだよ、バカチョン 戦前とかジャップが船でプサンや木浦に燃料か何かを輸送した帰りに
朝鮮の子供たちをお菓子とかでつって船に乗せて日本に拉致してたからね
これ有名な話 数え年で、そこへ持ってきて更にサバを読んでただけだろ。 食い詰めて密航、マルハン社長の伝記にも親の来日理由が記されている。 昔の戸籍は家長から始まり、父、母の名前、生年月日、届出の月日、届け出先の役場の名前まで記されているんだ。軽軽に変えられない。 戸籍年齢を偽ってでも、稼げる日本へ来たかったのかも。
当時日本の成年男子は戦地に行ったから、朝鮮工の引く手
あまただった。 単に徴用されたと書くと年齢的につじつまが合わないから
無理やり合わせるために作り話を追加する
そんなんばっかだな 徴用・奴隷として使用するモノだったら
戸籍も何も関係ない。のでは?
なんでわざわざ「ごまかす」?
そんなウソ、韓国人以外にはすぐばれる。 たぶんアボジは正直に話していると思う。しかし在日1世
アボジはあまり日本語が達者でなく、話も断片的なことが多い。
その話を後の周りの人間がさまざまな脚色をいれて本にしたのだろう。 炭鉱の切羽か、、、
酷い事するよなチョッパリは
せめて銃を持たせて最前線に立たせるべきだった
日本人と朝鮮人の立場が逆だったら
朝鮮人は必ずそうしただろう >>484
「明治中期」って、日帝は日韓併合前から『強制徴用』やってたのか?
悪いやっちゃなぁ。 >>5
> 徴用って1944年9月からじゃ?
そこは「クスッ」と笑って読み流そう。 もーホント嘘ばっかだな
非人道な強制連行なら有無を言わさずだよ
ダメ元で後から追加してんじゃねーよバカチョソ猿 >「正義などみじんもない戦争に巻き込んだ日本人」と厳しく叱責(しっせき)しつつも、
>戦争に苦しむ日本人に向けた憐憫(れんびん)と普遍的な人間愛を共に強調した。
朝鮮人だけが酷い目に遭ったわけじゃないって白状しちゃってるけど、いいの? 無理やり連れてきたのならなんとか送り返してやるべきではないか、ね。
分かってるんじゃん。 平和ボケの日本人啓蒙運動
捏造元を告発
できすぎの嘘
●そもそも強制連行は在日朝鮮総連と共産党の捏造
★福岡県の筑豊炭鉱で朝鮮人徴用工がハングルで書いた
「母に会いたい」「空腹だ」と訴える落書き…
「強制徴用労働者」の証拠として韓国の教科書に掲載されてる。
が、実は、日本の朝鮮総連傘下の団体が1965年に映画を製作した際の仕込みで、
書いたスタッフが西日本新聞に「一人歩きは良くない」と告白。
・落書きはプロパガンダ映画撮影のために作られた「演出」
実はこの落書きの写真が撮影された場所は軍艦島ではない。
福岡県の筑豊炭鉱である。
しかし、場所の問題よりももっと大きな問題は、落書き自体が「捏造」であるという点だ。
この写真が最初に登場したのは1965年。在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)傘下の在日本朝鮮文学芸術家同盟が制作した映画『乙巳年の売国奴』
という映画だ。
筑豊炭鉱で朝鮮人労働者の痕跡を辿って撮影されたこの映画の中で労働者宿所の壁に書かれていた文字として紹介されたのが、
この「落書き」が世に出た契機である。
韓国育ちの韓国人であれば一度は見たことのある写真であるといっても過言ではない。
この写真が捏造だということが明らかになったのは2000年。西日本新聞が報じた1月3日の社会面に大きく掲載された記事には、
1965年に映画を撮影していた現場にいたスタッフの「告白」が掲載されている。
「告白」によると、撮影時に監督の指示で壁に韓国語で落書きが書かれたのだという。
責任とって
出稼ぎを連行とねつ造し不法滞在中 >>1
この写真日本人だった検証あったはずだが・・・
すべてにおいて嘘を作るファンタジーの才能は世界最高峰。
jkローリングもさすがに敵わないと思うわ・・・。 なんで戸籍の年齢操作する必要があったのかね? 朝鮮人も日本人と同じ条件でいいでしょ。
戦時下に植民地は優遇されなきゃいけないなんて国際法でもあったの?
勤労動員なら、日本人は女子供でも普通に動員されてたよ。
うちの祖母ちゃんは終戦時に12歳、お祖父ちゃんは15歳だったけどさ。
祖母は小学校に動員かかって、授業の代わりに農家の手伝いに行かされたというし、
祖父は飛行場整備で土や砂利の運搬。肩に大きな血豆ができて大変だったとか。 現代の感覚をベースに嘘をつくから、問題が曖昧になる。でも
16歳なら今でも雇用契約を正式に交わして就業することができるよ。 >>1
どこから突っ込めばいいのかわからないけど年齢の合わない慰安婦の言い訳をするための布石とみた ググったら、室田卓雄って朝鮮系のキリスト協会がらみで反日しているんじゃないのかな? つまり、父親が息子を炭坑夫斡旋業者に売っぱらったってことか。 年齢詐称したのは、応募側でしょうに。現在も韓国の戸籍は変えれるそうだね。
年齢・出身地もろもろ、変えて日本に再入国するとか 噂を見たぞ。
信用したのは、韓国人が指紋をシリコンカバーで別人と認識させたとかの報道から。
指紋認証詐欺の報道はあったと認識しているから、噂に真実味が出た。
誠実を目指す「真実の韓国人・在日」には 嘘だらけの両班文化と認識は害悪。
日本人には見分けが付かなくなったから、今は断交こそ、日韓平和共存策。 募集枠の数倍から数十倍も集まるのに
戸籍弄って採用する意味など有るわけ無いだろ。
論理的思考が全く出来ない無能しかいないのか朝鮮人には。 >>5
そもそも国家が徴用するのに年齢を偽装する必要なんかないからな
人手が足りないから対象を広げるよって翼賛会が法律改正すれば済む話
これも多分募集に応じただけだろ
しかも詐称までして >>484
明治時代から強制連行されてた証拠ニダ! 松下幸之助は九歳で丁稚奉公に出てたんだよ、年齢を詐称する必要は無いんやで >>1
散々偉そうなこと言っといて半島に帰ってねーのかよ
朝鮮族の誇りはどこいった >>546
米軍とかで年齢制限に引っかかってるのに志願する、ってのがあるけど国側が行為の主体なら誤魔化す必要なんて全く無いからな クンタキンテ見たいのを奴隷って言うんだよ
チョン公甘やかすと、どこまでもつけあがる 年齢の計算ができない馬鹿が出てきたときの予防策だろ?
年齢をごまかされ、5才で徴用された
がでてくるな、これは。
3才の慰安婦と同じようにさww まあ、南朝鮮系キリスト協会と日教組の捏造だよ。
シナが良く使う相手の国の人に証言させるプロパガンダの真似やね。
この手法ってシナチョンがよく使うって世界中が既に知っている。 嘘か本当かなんてどうでもいいんだよな。
日本相手に訴訟起こせば賠償金が取れるという判例が出来てしまったから >>1
俺も25歳と年齢を操作されて、日本に連行された。 >>130
>>>1
>この実話は日本の学校でも教えるべきだ!
>非常に腹立たしい日本
>連行されたのに帰る手段すら用意せず、
>仕方なく生活の糧を得るために故郷を
>思いながら泣いただろう
>やがて糧を得る仕事が生活基盤となても
>差別の中で歯を食いしばって生きるしか
>なかった!
>日本政府は在日コリアンに賠償すべきだ!
はよ、祖国に帰れよ!
誰も止めて無いだろw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています