江華島(カンファド)とサッポロ(札幌)の共通点は何だろうか?大きさは違うが島という点のようだ。その他に日本の一人の男と関連がある。その名前は黒田清隆という。

日本は1869年、北海道に開拓史という官庁を設置して領土編入作業をした。北海道に日本人はいたがごく少数に過ぎず、明治維新前は日本の土地ではなかった。主にアイヌ族が狩猟と漁業をしながら平和に暮らす場所だった。問題は不凍港を探して勢力を広げて南下するロシアだった。当時の日本が本土に対する潜在的危険要因と感じてこれに対処しようと北海道を先制的に占領した。

1870年、黒田は開拓使次官として北海道に移住した日本人たちを定着させた。1874年から開拓使長官を引き受けて産業育成のために鉄道や道路、港湾を建設して人が暮らせる場所に変えていた彼に特別な任務が与えられた。特命全権大使という職責で1875年朝鮮であった雲揚号事件と通商に対する業務を処理することだった。

朝鮮と縁がないも同然だったが平和に暮らしていたアイヌ族を残忍に踏みにじって北海道を無慈悲に占領した彼の名声が朝鮮と関連したことを処理するのに適当という評価を受けたのだ。

1876年2月、軍艦を率いて江華島(カンファド)に到着した彼は36才の若さで陸軍中将の階級章を付けていた。大砲と機関銃などを持って武力示威をし、このような脅威的な雰囲気で2月27日に江華島条約と私たちに知られた朝日守護条規が締結される。

任務を終えて帰った彼は1876年9月23日、日本初のビール醸造場の開拓史ビール醸造所を開く。つい今しがた人が住み始めたところにビール醸造場を作ることは無理があったが偶然の発見が出発点だった。北海道を切り開きながら多くの外国人人材を呼び入れた。
(中略:トーマス・アンチセルが北海道で野生ホップを発見しビール産業を推奨)

黒田は醸造場建設責任者の村橋久成課長の主張を受け入れて東京に設置しようとしていたビール醸造施設を北海道に設置することにしてサッポロビールの歴史が始まる。このように作り始めた醸造場は完工と同時にドイツのベルリンビール醸造会社で2年間ビール醸造について勉強して帰ってきた中川清兵衛を責任者に任命してビール醸造を始めた。その後も村橋と中川は互いを助けて今のサッポロビールの基礎を作った。

黒田は伊藤博文に続き2代総理になるが、不平等条約改正交渉失敗や醜聞などの問題で謹慎するために1年半で退くが、元老の地位を認められ枢密顧問官と枢密院議長を引き受ける。

ソース:文化日報(韓国語) 朝鮮侵奪者が設立した札幌ビール
http://www.munhwa.com/news/view.html?no=2018123101072812000001

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韓国のネットユーザーからは「アサヒビールがすっきりしてておいしい」「やっぱり日本のビールが最高」「食に政治・歴史問題は関係ないからね」など日本ビール人気に納得するコメントが寄せられている。