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続き。

当初、臨済護国禅寺で対面したデスマスクが本物かどうか確信を持てずにいたのだが、2018年、決定的な新聞記事を発見することができた。

後藤死没翌年にあたる1930年4月12日付『台湾日日新報』に「故後藤伯 一周忌」と題して、後藤の妻・和子が設立した台湾婦人慈善会が主催して臨済護国禅寺で法要が執り行われることになったと書かれていたのだ。さらに、「同寺には昨年伯が京都府立大学病院で薨去(こうきょ)の際取ったデスマスク(死面)が辜顕栄氏の寄贈によって安置されてある」と記されていた。

後藤家は臨済宗妙心寺派の檀家で、辜も同じ信徒であったという。台湾の近代化に尽くした後藤に敬意を表し、台湾の地にぜひとも奉安したかったのだろう。

残念ながら、現時点で、残る2つのデスマスクのゆくえは分かっていない。後藤家の本家の菩提寺である岩手県奥州市の増長寺(臨済宗妙心寺派)や東京青山斎場で葬儀を取り仕切った青松寺など思い当たる場所を調べてみたが、いまだ発見には至っていない。

後藤は台湾民政長官を務めた後、南満州鉄道の初代総裁に就任、鉄道インフラの整備を核とした都市計画を進めた。これは、全く推測の域を出ないことだが、もしかしたら、3つのデスマスクは後藤とゆかりの深い、台湾、満州、日本に一つずつ納められているのではないだろうか。日本人の習慣として決して一般的ではないデスマスクが死後、手際よく製作されたのには、家族だけではなく、後藤が関係した人々の思いがあったのではないかと想像する。

ちなみに、台北の臨済護国禅寺のデスマスクは一般公開されていない。日本統治時代については、台湾の人々の間でも評価が分かれており、これまでは、反日的な運動の攻撃対象になることへの懸念があったのであろう。日台関係が深化する中、いつの日かこの貴重な文化財が完全公開されることを期待している。

終わり〆