2005年に民官共同委発足、イ・へチャン首相が委員長、文在寅・民政首席は委員として参加

被害者7万2631人に6184億ウォンを支払う

 韓日関係を「戦後最悪」の状態に追い込んできた強制徴用被害者賠償問題は、2005年8月に当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の民官共同委員会が「1965年の請求権協定に反映された」と発表していた事案だ。

 当時、民官共同委はおよそ7カ月にわたって数万ページに上る資料を綿密に検討した末、「協定で日本から受け取った無償資金3億ドル(現在のレートで約320億円)に、強制徴用の補償金が含まれたと見なす」という結論を下した。ただし、75年に韓国政府が被害者への補償を行った際、強制動員負傷者を対象から除外するなど道義的レベルで補償が不十分だったと判断し、これは07年に特別法を制定して政府予算で慰労金と支援金を支払う措置につながった。民官共同委には、当時の文在寅(ムン・ジェイン)大統領府(青瓦台)民政首席(現在は大統領)が政府委員、イ・へチャン首相(現在は『共に民主党』代表)が委員長として参加していた。

 民官共同委は05年1月に、40年間非公開だった請求権協定文書が公開されるのを契機として発足した。当時、強制徴用被害者らの文書公開要求を裁判所が受け入れたのだ。盧武鉉政権は、混乱を防ぐという観点から首相および閣僚など政府関係者と各界の専門家らを集めた「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」を発足させた。

 争点の一つは「国家間の交渉で個人の請求権が消滅するか」だった。共同委員の『白書』を見ると、当時の文首席は共同委の会議で「個人の参加や委任がない状態で、国家間協定により個人の請求権をどのよううな法理で消滅させられるのか検討が必要」という意見を出した。イ・へチャン首相は05年3月の「寛勲討論」で「賠償問題は、政府間交渉では協定として一つの段階を通過したが、個人の補償・請求の部分については論争が多い」と語っていた。

民官共同委の結論は「1965年の協定締結当時における諸般の状況を考慮すると、国家がどのような場合であっても個人の権利を消滅させることはできないという主張はし難い」というものだった。共同委は、強制徴用に関して「政府が日本に再度法的な被害補償を要求することは信義則の上で問題がある」ともした。個人の請求権は生きているが、65年の協定によって行使は難しいという趣旨だった。その代わり盧武鉉政権は、被害者への補償に力を注いだ。07年に特別法で追加補償の手続きに着手し、15年までに徴用被害者7万2631人に6184億ウォン(現在のレートで約567億円)が支払われた。

 当時の発表で、強制徴用賠償問題は終わったという認識が固まった。韓国政府も「強制徴用問題は請求権協定で終了したもの」という立場を維持し、裁判所も関連の訴訟で同じ趣旨の判決を下した。ところが12年5月に大法院(最高裁)で「協定があるとしても個人の請求権を行使できる」という破棄差し戻し判決が下った。当時裁判長を務めていた金能煥(キム・ヌンファン)大法官は「建国する心情で判決を書いた」と語っていた。その後18年10月、大法院はその判決を確定させた。

 司法府と行政府の判断が衝突する状況が起きたのだ。外交的交渉を要求する日本を相手に、韓国政府は「三権分立により司法府の判断に関与はできない」という立場を維持した。8カ月の「にらみ合い」は、日本の経済報復につながった。シン・ガクス元駐日韓国大使は「米国などでは、外交問題については司法府が行政府の立場を聞いて慎重な判断を下す『司法自制』の伝統があるが、韓国ではそれが『司法権の乱用』とされた」と語った。

キム・ギョンファ記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/07/17/2019071780017.html
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2019/07/17 09:44

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▲14年前、共同委の会議に出席したイ首相と文首席の様子。2005年8月、当時のイ・へチャン首相(写真右端。現在は『共に民主党』代表)が、政府中央庁舎で「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」の会議を主催している。左端は、当時の文在寅(ムン・ジェイン)大統領府民政首席(現在は大統領)で、共同委の政府委員として活動していた。/写真=聯合ニュース