ついに百姓一揆が各地で勃発、郡守を殺戮し、郡衛をたおし、天下は騒然となった時

忠清道の山郡を根拠に、天下の悪政を革めて貪官汚吏を排撃することをスローガンに

憤然として義旗をあげたのが、東学・第2世の道主・崔時享であった。

地方不平の農民は きそって これに加わり官衛を襲い有司を殺戮し、兵器を奪い、倉庫を占領し、やがて雉林八道を制圧した。

最初、官兵は尚州において東学党軍を鎮定 したが、全羅道泰仁郡の郷士、「全?準」という豪傑が現れ、東学党軍を指揮、監督すると

再び勢力を盛り返し、一挙に全羅道を襲い、郡守を殺し、郡衛を焼き

郡衛に蓄積されていた、金と穀物を塗炭の苦しみに泣く郡民に分け与えた。

このため、東学党軍の名声は大いに上がり、武器をとって東学党軍に身を投 じるものは たちまち数万人にも達 し

東学党軍が掲げた『済世安民』の旋風は天下に吹き荒れた。