指導者に成長した全?準を含め農民の多くが東学に帰依 していたことから
この東学の信者を通じて全国的な内乱に発展してゆく。

この全?準が発した呼びかけ文が東学信者の手で全道に撒かれ
呼びかけに応じた農民で、数万の軍勢が形成された。

彼らは全羅道に配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り
5月末には道都全州を占領するまでに至った。

これに驚いた閔氏政権は、清国に援軍を要請。天津条約にもとづき、日本と清国に朝鮮出兵を通告し
日本は公使館警護と在留邦人保護のために派兵し、漢城近郊に布陣して清国軍と対峙することになった。