0473<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
2019/11/02(土) 10:18:56.22ID:C0R2iySmしかし、平和的な解決を望む東学の上層部の説得に時間が掛かり
蜂起したのは10月に入ってからであった。今度は朝鮮の新政権と日本軍を相手にする反乱である。
しかし 全?準らが第二次蜂起を起こしたときには、日清戦争は既に大勢を決していた。
11月末に忠清道公州で農民軍と日本軍が衝突するが、近代的な訓練を受けた日本軍に農民軍はあえなく敗退する。
農民軍は全羅道に逃げ帰り、全?準らは淳昌で再起の機会をうかがっていたが
1895年初頭に捕えられ、漢城(ソウル)で処刑された。
井上馨日本公使は全?準の人格に共感 し、朝鮮政府に処刑しないように要請していたが
朝鮮政府は 井上が帰国 している間に、処刑を執行 した。