全?準は日清両国が軍を派遣して間もない7月には既に第二次蜂起を起こそうとしていた。

しかし、平和的な解決を望む東学の上層部の説得に時間が掛かり

蜂起したのは10月に入ってからであった。今度は朝鮮の新政権と日本軍を相手にする反乱である。

しかし 全?準らが第二次蜂起を起こしたときには、日清戦争は既に大勢を決していた。

11月末に忠清道公州で農民軍と日本軍が衝突するが、近代的な訓練を受けた日本軍に農民軍はあえなく敗退する。

農民軍は全羅道に逃げ帰り、全?準らは淳昌で再起の機会をうかがっていたが

1895年初頭に捕えられ、漢城(ソウル)で処刑された。

井上馨日本公使は全?準の人格に共感 し、朝鮮政府に処刑しないように要請していたが

朝鮮政府は 井上が帰国 している間に、処刑を執行 した。