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先月、駐韓米国大使ハリス氏の口ひげがやり玉にあがった。韓国政府が推進する北朝鮮個別観光が(国連と国際社会の北朝鮮制裁の効力を維持し、北朝鮮の非核化方案を議論するために作られた協議体である)韓米ワーキンググループで議論する必要があるという大使の言及が不適切な内政干渉を越え、朝鮮総督府のデジャヴュとした与党の猛烈な非難の余波だった。大使館の近くで開かれたデモパフォーマンスで、ハリス氏の口ひげは抜かれて斬首された。観点の違いによって相手を批判して自身の立場を主張するのは、一党独裁の無誤謬国家体制では不可能な、自由民主主義体制の強みであるから奨励されるべきだ。しかし、その内容と表現は合理的な論争によって進められなければならない。外国の有力新聞と放送が「おかしな行為」だとして報じたように、大使の母親が日本人であるという血統まで引っ張りだすことは、論争どころか相手を見下す攻撃行為だ。

論争はイシューに対して相手の主張や立場に反論し、自身の立場や主張を擁護することだ。相手のアイデンティティと自尊心を攻撃して傷つけ、相手を無条件で否定したりそこにいない存在として追いやることではない。韓国人にとって「朝鮮総督府」は同じ空の下で息をしたくない存在だ。姓氏を変えて、拷問と殺傷を日常的に行い、武器製造のために祭事用の真鍮の器まで収奪し、韓民族の精神と文化抹殺を企てで指揮した人面獣心の怪物だ。したがって朝鮮総督府を持ち出すことは感情的扇動は可能でも、主張と説得を通した共感の過程は不可能にする。そのような表現は日本の悪名高い極右団体(在日特権を許さない市民の会)が在日同胞を攻撃する「朝鮮に帰れ」「税金泥棒」「ゴキブリ、ウジ朝鮮人」「在日朝鮮・韓国人をこの世から抹殺しよう」などといった憎悪の嫌悪表現と違うところがない。

ハリス氏の言及が不適切なら、「悪い植民統治者日本」に比喩や換喩をせずに、論理的に個別観光の正当性と必要性に対して擁護して説得しなければならない。個別観光が大韓民国憲法が志向する価値とともに絶対的な北朝鮮の非核化原則、南北の協力と平和共存、未来の統一にどのように寄与することができるかについて、何十回、何百回と説明して協調を求めなければならない。また、観光は信念よりもコンテンツが重要だ。持続可能な南北平和に役立てるどころか、困難をもたらしかねないコンテンツは避ける知恵が必要だ。

金鼎基(キム・ジョンギ)/漢陽(ハンヤン)大学校新聞放送学科教授

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2020.02.03 13:50