【ペクトゥワイ(FACT WHY)】

(動画=YouTube)
https://youtu.be/KmRNK4ZlLcw
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<アンカー>
日本が最近、朝鮮人の強制動員を美化する産業遺産情報センターと呼ばれるものを開館して公憤を買っています。

特に日本は、幼い頃に軍艦島で可愛がられて育ったという一人の在日僑胞のインタビューを掲げ、歴史を歪曲しています。

今は故人となるその在日同胞の証言が、実際にはどのような内容なのかを検証しました。

ペクトゥワイ(FACT WHY)、コ・ハンソク記者です。

<記者>
今月15日に一般に公開された産業遺産情報センター。

日本は2015年に軍艦島などを世界文化遺産、ユネスコに登録した後、過去の帝国主義の暴力についてもこの場を通じて伝えると約束しました。

しかし、言葉だけでした。

産業遺産情報センターが制作した、在日僑胞である鈴木文雄さん映像です。

昨年に86歳で亡くなった彼は、軍艦島で生まれて10歳まで暮らしていましたが、その頃に差別はなく、むしろ可愛がられたと話しています。

<故・鈴木文雄(在日僑胞)>
「周囲の人々から可愛がられたことはあるけど、後ろ指を差して “あいつ朝鮮人だ”(とか、言われたことはありません)」

長崎の原爆投下など、戦争の惨状を全身で受けた彼の話に偽りはないように見えます。

しかし、鈴木氏の経験が、強制動員された朝鮮人の苦痛に満ちあふれた軍艦島の真実を否定することはできません。

1937年、日中戦争。1941年、太平洋戦争。

国家総動員法による徴用が始まったのは1939年で、日帝はこの時から徴用、割り当て、募集など、合法の仮面をつけた暴力によって朝鮮人を強制動員し始めました。

ところが鈴木氏は、これよりも6年前の1933年に軍艦島で生まれました。

彼の親は強制動員ではなく、お金を稼ぐために自ら軍艦島の炭鉱に向かい、早くから定着していたいわゆる『既住朝鮮人』だったのです。

ソース:YTN(韓国語)
https://www.ytn.co.kr/_ln/0103_202006230536096002

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