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250年前の朝鮮人が羨み恨んだ豊かな日本…金仁謙「日東壮遊歌」より
著者: 金仁謙
日東壮遊歌

江戸時代に朝鮮から来日した朝鮮人の日本旅行記
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金仁謙の一つ前、
第十次朝鮮通信使の曹蘭谷の『奉使日本時聞見録』には、名古屋人が通信使のために、布団や蚊帳などを揃えようとしたところ、
対馬の通訳が「朝鮮人はよく盗んでいくので知り置くように」と止めたことが記載されています(1748年6月24日)。

通信使一行が、文化の違いや日本人に対する侮りから引き起こした乱暴狼藉は、概ね次のようなものだったようです。

・屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする。
・酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す。
・席や屏風を割る。
・馬を走らせて死に至らしめる。
・供された食事に難癖をつける。
・夜具や食器を盗む。
・日本人下女を孕ませる。
・魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求する。
・予定外の行動を希望して拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかける。

特に、警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることはしばしばあり、
1764年には対馬藩の通訳が、通信使の一人・崔天崇を刺殺するという事件まで起こっています。

崔天崇が朝鮮人の窃盗行為を棚に上げて「日本人は盗みが上手い」と言ったのが、事件の発端だったとのことです。

また、江戸時代後期の儒学者・菅茶山(1748年〜1827年)は、「朝鮮より礼儀なるはなしと書中に見えたれど、今時の朝鮮人威儀なき事甚し」と、
朝鮮人が伝聞とは異なり無作法なことに驚いています。

韓国人は現在、朝鮮通信使について、「自分たちが先進文化を日本に伝えてやったんだ」と主張していますよね。
では、朝鮮通信使が日本の伝統・文化に嫉妬したり、窃盗などの野蛮な行為を働いていた様をどのように解釈しろと言うのでしょう?

「歴史を直視しろ」と言ってくる韓国人には、そのセリフをそっくりお返ししたくなります。

もっとも、現代の韓国人観光客も、無作法という点ではさほど変わっていないように見えます。