【書評】中国から見た徳川慶喜の引き際 [12/1] [昆虫図鑑★]
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中国の著者によって書かれた日本史の本——とても奇妙な作品のように思えますが、実は意外と興味深いものです。
我々が知っている日本の歴史を通して、当時中国との比較、現代中国への暗喩、日本に対する正直な気持ちなどが随所に散りばめられています。
この記事では、12月5日販売開始の新刊『明治維新の教え —中国はなぜ近代日本に学ぶのか』(中信出版日本)を一部抜粋して面白くなる「読み方」を紹介します。
(略)
しかし『明治維新の教え』の著者・馬国川氏は国と国民を守るため自ら強大な権力を手放した世界でも稀な例として、一人の日本人を挙げています。
江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜です。
日本では「江戸時代を終わらせた」「戦わずして逃げた」などの理由で評価が高いとは言えない人物ですが、
中国人ジャーナリスト馬国川氏の目には、「自ら権力を手放す」という世界でも例を見ない偉業を成し遂げた政治家だと同書には描かれています。
<「国家の転換」という重要な局面において、政治家は重要な役割を担い、しばしば難しい選択を迫られる。もっとも難しいのは、彼ら自身の進退である。
なぜなら、それは個人的な栄辱だけでなく、歴史の進展にも影響を及ぼすからである。徳川幕府最後の将軍・慶喜がまさにそうだった>
(略)
<自ら権力を手放して、潔く隠居を決めた「紳士」を、弱虫だと貶めることはできない。1868年、もし慶喜が新政府軍との決戦を決めていたならば、
日本の歴史は書き換えられていたに違いない。少なくとも明治維新はあれほど順調には進まなかっただろう。日本は長期的な内戦に陥り、敗北国家となっていたかもしれない。
慶喜が個人的権力のために戦わず、勇敢に一線を退いたことは、国家の進歩に大きく貢献した。彼の行為は英雄と呼ぶにふさわしいものである。
権力は、一度握ると手放せなくなる。歴史の舞台に立つ政治家には勇気が必要だが、それ以上に度胸を試されるのは、舞台から下りるときである。
特に19世紀半ば、徳川慶喜が自らその舞台から下りた英断には感心させられる。
当時、東方国家には、指導者と平和裏に交替できる民主制度がなかったため、政治家は政界で老死するか、他から追い出されるかであり、自らその権力を放棄した者はいなかった。
100年以上が過ぎても、政治家というのは、死ぬまで権力を手放さない(最終的には、暴君や国賊に成り下がってしまうことが多い)。
その意味で、勇退した慶喜は、日本の歴史における功労者であり、世界の政治文明史における偉人であると言えよう>
日本では負の評価が多い慶喜ですが、日本国外の人からこのよう客観的に評せられることで、「歴史観」の多面性を実感せざるを得ないのではないかと思います。
もちろん、現代の政治家を判断する上で「歴史的な視点」というものも忘れてはならないということも改めて喚起されるのです。
https://citicpressjapan.com/articles/detail/5656 徳川慶喜は評価低いっつーか、明治維新のドラマでは主役にならないよねw >>715
’97年頃に大河ドラマでやってる しかし大河ドラマの悪い癖で主人公を善人にしすぎる 寛永寺は将軍が数人眠っているが慶喜だけは近所の谷中墓地なんだよね >>715
京都から大阪城に逃げ込み、夜のうちにしれっと側近のみ連れて海上に脱出→江戸に敗走とか
さすがに主役には据えがたいだろ そもそも日本の武家政権は平家の時から貴族かぶれで
鎌倉幕府は三代目になる前に執権に実権を握られ
江戸幕府なんて、今で言う官僚が動かしていたようなもの
征夷大将軍なんて居なくても >>716
モックンには似合わないね。
小泉孝太郎も似合わなかった >>1
そう言えば隣国に、自分が助かる為に避難民が渡っている橋を爆破したり、米軍の下級将校に日本逃避してる事を叱咤されて、司令官の権利を渡した大統領が居たな。
まあ、あの民族はクソだから、大統領もクソって事だな。 まあ西洋列強が虎視眈々と狙ってる時に内乱どころじゃねーわ。
阿片戦争の顛末も出島通して知ってただろうしこのまま続けていたらどうなるかぐらいはわかってたかもしれん。
分かっていなくてもタイミング的にはよかったんじゃないか?
・・・・・・ところでそのヤバいさなか、舅(大院君)と嫁(閔妃)が政争を繰り広げてた国があってな〜。
あの国の末路見てたらあのまま内乱続けてたらどうなったかわかるはず。 >>721
戊辰戦争は1868年だから、アヘン戦争はモチロン、アロー号戦争も終わってる。
そして、1861年の対馬占領事件の後だ。
半年間もの間、日本の一部が占領されていたんだから、その危機感は最高レベルだったろう。 >>716
あれって主人公は新門辰五郎じゃなかったか 俺には、大久保西郷の坂本、越前公経由した工作に騙されて
天下失った間抜けにしか見えん。
今風に言えば、詐欺師に騙され全財産失った3代目社長、みたいな。 >>721
内乱どころじゃない、という価値観の存在こそが本質的に重要なんだよ
つまり日本が日本国として統一されており、それが国民の意識レベルで共有されていた
だからこそ内乱が駄目だという意識が働いたわけで、それが出来ていない国にとっては自分の勢力だけ
欧米から兵器貰って有利に戦争が出来る、というのはむしろチャンスでしかないからね
もし当時の日本の偉人たちが朝鮮にいたとしても、内乱を防ごうという方向には絶対に向かえない
当時の支配者と奴隷が、お互い「朝鮮人」として腹を割って話し合う、ということすら不可能だろう
そう考えると、韓国人が無邪気に信じてる「もうちょっと時間があったら朝鮮は勝手に近代化していた」
という理論が、如何に荒唐無稽であるかがよく分かるな
つーか日本がいなくなった途端内戦を始め、未だに終わってない国が朝鮮なわけで… 中国もそろそろ共産党が国民に禅譲して民主制に移行しないか? 大規模な内乱になれば海外に好きなようにされるとわかっていた
慶喜は徳川を終わらせるしかなかった >>689
慶喜はかつて井伊直弼によって水戸藩は弾圧された他の藩も弾圧され安政の大獄
そこから桜田門外の変につながる
水戸藩は天皇と徳川が対立することがあったら天皇側につけという教えだった
慶喜は元から徳川の為に戦う気などなかったのかもしれん どの大名も借金まみれで破産寸前だったから、
幕藩体制の維持は不可能だったのよね >>722
あんまり意識しなかったが、1860年代ってすごい時代だったんだな。
普墺戦争、ドイツ統一、イタリア統一、南北戦争、…ついでに第一インターナショナルで共産主義が勢力を増して…
そして60年代が終わったとたんに普仏戦争か。
年号覚えるなんて馬鹿のすること、みたいなご高説も聞いたことがあるが、年号覚えないとこんな比較もできん。 >>730
南北戦争あったからアメリカは日本に何もできず英仏はそっちに気をとられていたのがな
運がよかった 慶喜の算段では、大政奉還後に成立する予定だった、大藩連立政府に、
大藩の一翼として加盟する積りだった。
そするれば政治判断の責任が他人に分散されて自分が楽になるハズだった。
しかし、薩長に掌を返されて、連立政府から弾き出されて、敢え無く無為の隠居の身となった。 >>1
おまえらチャンコロには無理だったよな、政権の禅譲は。 >>732
慶喜の場合は誘いはあったんだがな
趣味に生きた あの時点なら、なんとか殺されないだろう。
と言う期待が十分に有るからな。
その辺りの読みに関したら慶喜は一流なんだろ。
まぁ、チャイナだとたいてい殺される。
ラストエンペラーが生き延びたのは本当に珍しい。 何でもできる才能があったせいで何でも一人で決めてしまったため
結果どこまでも付いてくる臣下に恵まれなかった人
あと幕臣に嫌われてたのは主に親父のせい >>726
中国に民主化なんて無理だよ。
歴史が証明してる。 >>736
(=゚ω゚=)ノ 北京植物園の庭師、でしたっけ。 >>737
慶喜自身も家臣や幕臣には嫌われていたよ
冷酷だったというのもあるけど
旧幕の人間には裏切り者呼ばわりされたが慶喜は何も言わなかった
変に家臣や情で動いたら西郷隆盛みたいになったよ >>724
今でも徳川家って資産持ちだけどなw
太平洋戦争超えててそれは結構凄いことよ たとえ千騎が一騎になっても退くべからず。皆、死を決して戦うべし と大坂城で大演説かましたあとに逃亡だからな
そりゃ、幕臣も慶喜に呆れるわ さぁーて、そろそろ俺もバイトリーダーの座を中島くんに譲るとしますか >>741
広告塔として生かされた。
奴も命乞いのために日本を売り飛ばしたんだが、共産党には功績だしね。
洗脳して飼い殺し。 >>744
京都がダメでも江戸がある、江戸がダメでも水戸があるとも言ったらしいが、全ては旧幕府軍を欺くためだろう。
これから降伏するとか撤退するなんて言ったら血気盛んな連中は許してくれない >>746
東京裁判でのあれが最大の功績だわな
あれが皇帝のする事かってなるわこっちにしたら >>739
暗でもなんでもなく直球でしょ
中華でいま出来る最大限の表現だと思うよ >>730
分散統治されてたドイツ、イタリア、日本に統一された国民国家が成立だからな >>3
むしろ、徳川慶喜は、
同胞同士の流血を回避して
早く退いてくれた英断のお陰で、
明治政府による日本近代化、先進化を
潤滑に進める事ができた、日本強国化の功績者。
江戸ちょんまげ体制のままだったら、
国民の医療、教育すらままならず
近代化をしないまま、先に欧米に植民にされて、
2020年現在今ごろは、
辛うじて「日本」という括りが残ってたとしても、
トヨタもSONYも、三菱も川崎も三井も住友も無い、
東南アジアみたいな、
江戸時代にちょっと毛が生えたような未開な農業国になってた。 三井と住友は江戸時代からあった
三井は当時は越後屋だったが 形は違えど似た道になったと思うけどね
慶喜自身が幕府の在り方に疑問を持ってたんだし
単に換わるきっかけが無かっただけだろうし
幕府側が勝ったとしても別の形で幕府政治を終わらせて近代化に舵を切ってたんじゃないかな
実際幕府側も終盤は様式とかまで近代的に切り替えてたんだし 大晦日くらいプロパガンダは入れないでほしいんだがなあ アメリカやイギリスにとっては計算外だったんだろうね
もっと引っ掻き回して弱体化した所を支配する予定だったのが、結局手出しする隙がなかったから さすが家康以来の天才と言われただけあって見事な引き際だったね。
「1000兵が1兵になろうとも退くことはならない」って皆を発奮油断させて、自分は夜にさっさとズラかるなんて慶喜さんじゃないと出来ないわ 欧米の鬼畜ぶりを考えると平和的に日本を欧米化に進めた慶喜さんは偉大だったと思うよ
じゃなかったら外国の資金でオワリのない内戦に明け暮れてたかもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています