「マンドゥ(饅頭)の元祖はシルクロードの入り口ウルムチ」2021. 03. 22
-韓中日のマンドゥ三国志『マンドゥ』パク・ジョンベ
-「韓国人が食べるマンドゥはマンドゥではない」
-元来は発酵を経る、そうでないのはギョジャ(餃子)
-ギョジャの語源も韓半島、日本に伝来

私たちが食べるマンドゥは、私たちが知っているマンドゥではない。どういうことかと思うだろうが、食評論家兼作家パク・ジョンベ氏(57)の説明を聞けば理解できる。韓国人の食卓に登場するマンドゥは、小麦粉の生地に各種の具を入れた食べ物だが、元来のマンドゥ、正確にいえばマントー(饅頭)は小麦粉の生地を作った後、発酵という追加過程を経るからだ。韓国人が楽しむマンドゥは、食品文化史ではギョジャ(餃子)に分類される。 「日本で食べるギョジャだと思って、日本が元祖か」と、かっとすることはない。パク作家が韓中日3カ国を回りながら研究したところによると、日本の「ギョジャ」という名前のルーツは韓半島だ。数年間、歩き回って書いた『マンドゥ』(写真)に彼は関連内容をふんだんに盛り込んだ。

副題を「韓日中、マンドゥ・ギョジャの文化史」とつけたこの本は、市中にあふれる軽くて末梢的な印象批評食品関連書籍とは違う。パク作家が各国の図書館のほこりをざっと払い古文献に入り込み、2018年には中国新疆ウイグル自治区のウルムチまで訪ねた歩みとして、こつこつと書いた本だ。 キム・ジョンホが「大東輿地図」を描いたとすれば、パク・ジョンベは「大マンドゥ地図」を書いたわけだ。

今回の本は計387ページに達する大作だが、このうち18ページが参考文献としてぎっしり詰まっている。 パク作家の食文化史への探求は定評がある。中央日報に連載中の「時事食品」シリーズも好評だ。そのようなパク作家がウルムチまで行った理由は何か。

答えはシルクロードにある。西洋から小麦が入ってきた入り口がシルクロード、その中でもウルムチ地域だったというのがパク作家の説明だ。彼が唐時代の実際のギョジャの実物を見たのもウルムチのある博物館でだった。 「食糧が不足していた西洋では小麦が歓迎されたが、コメ農事で食べ物の心配が比較的少なかった中国では、小麦は特別な食べ物だった」とし、「製粉など加工過程が厳しい上に、肉などの素材を入れて食べなければならないので代表的な別食だった」と説明した。

マンドゥが中国食文化史で存在感を確かにした事件は、諸葛亮と関連しているという。諸葛亮は南蛮異民族を征伐して帰路で風浪に見舞われたが「49人の人を殺して、その頭を水の神に捧げなければならない」という話を聞いた。しかし、諸葛亮はこれを拒絶し、代わりに知恵を出した。頭の形にマンドゥを作って祭祀を行った。すると風浪が沈み、彼は無事に渡河できたという話だ。パク作家は「この時からマンドゥがマンドゥ(饅頭)、つまり「頭」の字を使ったという説があるが、これは作り話」とし、「しかし、マンドゥ文化史でこの物語が持つ意味は大きい」と述べた。

パク作家の足取りは日本にも向かった。日本式ラミョン、つまりラーメン屋に行けば必ず出てくるギョジャを研究するためだ。ギョジャの漢字を日本語式で読むと本来「ギョコ」になるはずなのに、なぜ「ギョジャ」なのかが気になった。実際に日本語辞書を引くと、ギョジャに対しては外来語式の表記がされている場合もある。パク作家は「日本人学者なりに説を多数提起したが、研究の結果、満州地域の朝鮮族、つまり韓半島人が「ギョジャ」と呼ぶ言葉を受け入れたと結論を出した」と述べた。
パク作家の主張どおりなら、日本人が愛する食べ物・餃子のルーツは、韓国にあるわけだ。

彼は「マンドゥのように韓国と中国、日本の食文化を興味深く表現した食べ物は珍しい」とし、「ルーツは同じだが、それぞれ違う発展を続けてきた3カ国の饅頭文化を通じて、各国の食文化はもちろん経済交流文化史を探求する気持ちで書いた」と話した。

中央日報(韓国語)
https://news.v.daum.net/v/20210322000514439

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