・衝撃の事実
 深刻な少子化が進む韓国で最近、衝撃的な事実が明らかになった。

 病院で出生の記録があるものの、その後、出生届が提出されず生死が不明とされる乳児の数が
2015年〜22年の間に約2,000人にのぼると発覚したのである。

 韓国では所在や生死のわからない乳児は「幽霊乳児」と呼ばれ、
前述の過去7年間の所在不明の乳児の生存確認に政府と警察庁が全力を挙げている。
ー中略ー

・「赤ちゃん輸出国」という時代
 今回の「幽霊乳児」とあわせて思い浮かんだのが、「赤ちゃん輸出国」と韓国が不名誉な呼び名を付けられていた時代のことである。

 特に1950年〜90年代まで韓国は戦乱による混乱、民主化運動、高度成長化など激動の時代であり、
この間、多くの子ども達が海外に養子として送られた時代でもある。
それ故に韓国は前述のような呼び方をされるようになり、「子どもを簡単に手放す国」と印象を与えた側面もあった。

 子どもたちが国内ではなく、海外に養子として出される背景には、貧困家庭などの問題と合わせて、
韓国が父系主義を重視し血縁にこだわることにあるとの指摘もなされた。
このため、国内で養父母を探そうにもほぼ引き取り手がなく、
北米や欧州を中心に子どもたちが送られて行ったという事情もあったというわけだ。

 時折、テレビの情報番組やSNSでは、
韓国で生まれながら幼い頃海外に養子に出された人たちが家族を探す呼びかけをしているのを見かける。

 2006年のトリノ冬季オリンピックの男子モーグル競技で銅メダリストとなった米国代表のトビー・ドーソン選手は、
幼い頃、韓国の釜山で母親に置き去りにされたところを保護され、
児童養護施設を通じて米国・コロラド州のスキーインストラクターの家庭に引き取られて成長、その後の活躍は前述の通りである。

・捨てられる子たちの現実
 オリンピックで銅メダルを獲得したこと、彼の生まれ故郷が韓国であることに注目が集まり
韓国でもドーソン選手の生い立ちは大きく報じられた。
この結果、父親ではないかと名乗りを上げた男性が実父であることがDNA鑑定で確認された。
涙ながらに謝罪をする父に対して、ドーソン選手は「謝らないで」と言葉をかけ抱擁する様子は韓国でも感動を持って伝えられた。

 しかし、反面で「海外に養子に出された子どもたちのことを思えば美談で終わらせるのはおかしい」、
「ドーソン選手が有名になったからで、もし、このような機会がなければ探すつもりもなかっただろう」という厳しい意見や、
ドーソン選手の母親は新しい家庭を持ち、現在の家族には過去の結婚や子どもがいたことを隠しているため会うことはできないと
拒否したことについても、やはり疑問や批判の声が上がったこともあった。

 話を戻すと、2000年代以降は韓国から海外に養子に出される子どもの数は減少していった。
しかし、現在でも両親の離婚や貧困、虐待、未婚の母親の出産といった事情から、
要保護に匹敵する子どもは相当数いるとされている。

 児童養護施設などに保護されればまだいいものの、保護を受けられず、劣悪な環境のままで成長したり、
最悪命を落とすといったことにもなりかねない。
今回の騒動ではそうした韓国の歩んできた歴史や事情を色濃く映しており、しばらく韓国社会全体に影を落としそうである。
ー後略ー
田中 美蘭(ライター)

全文はソースから
8/4(金) 7:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/21de2d1c75a0393853209b5ebef7a51465f2092b