ー前略ー
■ロシアのウクライナ侵攻の根はチンギス・ハンが作った
 2022年2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻して、世界に大きな衝撃を与えました。日本でもこの戦争への関心は高く、報道に心を痛めている人はたくさんいます。ニュースでは街頭インタビューなどで、「早く戦争が終わってほしい」と願う人の姿がたびたび報じられています。
ー中略ー

 私の解釈では、ウクライナ戦争に関わる発端の重要人物の1人は、チンギス・ハンです。「究極のところ、チンギス・ハンのせいで今、戦争していると思ってくれたらいいわ」というと、若い世代の人たちは、けっこう興味を持ってくれます。

■モンゴル帝国に叩きのめされた西洋の騎士
 チンギス・ハンは13世紀に騎馬民族同士の争いに終止符を打ち、民族を統一してモンゴル帝国を建設しました。モンゴル帝国は中国全土を支配しただけでなく、さらに遠方へと遠征を行い、北はモスクワ、南はベトナム、そして西はポーランドまで版図(はんと)を拡大。一時はドイツとフランスに攻め込み、これを領土にしかねない勢いで世界地図を塗り替えていきます。

 このときにロシアもウクライナもモンゴル帝国の支配下に置かれていたのです。資料を見ると、西洋の騎士たちが団結してモンゴル帝国に立ち向かうものの、完膚なきまでに叩きのめされていることがわかります。

■240年間もの従属が生んだ歪み
 一方で、モンゴル帝国の後裔(こうえい)の一国である元は、東側にも侵略を試み、海を渡って日本に上陸します。これが「元寇」の始まりです。日本は文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)と二度にわたって元の侵略を受けますが、いずれも退けることに成功しています。元寇について教科書で学んで知っている人は多いのですが、西側はポーランドまで侵攻していたと知ると、モンゴル帝国の巨大さがイメージできます。

 また、ヨーロッパがモンゴル帝国に蹴散らされていたのと比べて、日本がモンゴル帝国に勝利していたというのも見逃せないポイントです。「神風」といわれる大暴風が吹き荒れたなどの理由もありますが、結果的に見ると、当時の日本の軍事力が世界的に見て高い水準にあったことがわかります。

 ロシアがモンゴル帝国に征服されてから独立を回復するまでの、約240年にわたる時代を「タタールの軛(くびき)」といいます。これはモンゴル帝国に税金や貢租(こうそ)を納めさえすれば、ロシア人に一定の自立性を認める間接支配のことです。

 乱暴にまとめていえば、もともと別の国、別の文化圏であり、別の宗教であった場所を、モンゴル帝国が一緒くたに統一してしまったことが、ある種の歪みを生んだのではないかと思います。

■ロシアの行動の背景にあるトラウマ
 私たち日本人は、欧米人から中国・韓国人とほぼ一緒のように見られがちですが、実際には日本人も中国人も韓国人も、それぞれ別の文化を持つ独立した存在であると自覚しています。同じように、私たちは何となく「ヨーロッパの人たち」というイメージで一括りにしがちですが、ヨーロッパの人たちもそれぞれのアイデンティティを持っているわけです。

 そういったアイデンティティはたとえ他国に征服されたとしても、消えずに残っていて、どこかのタイミングで沸々と発芽するのかもしれません。
ー中略ー

■自国の歴史を知らなすぎる日本人
ー中略ー

 世界ではいろいろなことが「3大○○」という括りで紹介されていますが、「世界三大古戦場」には、関ヶ原の戦いの「関ヶ原」がランクインしています。あれだけ狭い場所に約17万の軍勢が集まったのは世界史的に稀有な出来事であり、海外では軍関係者を中心に関ヶ原の戦いを学んでいる人が少なくないのです。

全文はソースから
PRESIDENT Online 9/13(水) 10:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f110959751bc8d96435033fe289dff2a72dda4d3