【FLASH】 「元寇の勝因は神風ではなかった」「江戸時代の外交は出島だけではなかった」大人が知らない日本史の新常識 [2/18] [仮面ウニダー★]
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受験シーズンの2月が到来。現代の受験生が解く日本史の内容は、大人世代の知っているものとは大きく異なっている。
専門家に、「教科書から消えた」日本史の常識を解説してもらった。
【画像あり】足利尊氏の肖像画「騎馬武者像」は偽物だった
https://data.smart-flash.jp/wp-content/uploads/2024/02/16214718/kamakura15_15.jpg
<鎌倉>鎌倉幕府の誕生は「1192年」ではない。最有力は「1185年」
鎌倉幕府の成立が「イイクニ」のゴロでお馴染みの、1192年ではなくなった。
「何を基準に武家政権が成立したと考えるか、という研究者の解釈の違いが理由です。
幕府の成立については1180年から1192年まで、現状、7つほどの説があります。
いまは教科書に『はっきりこの年』とは記載していませんが、朝廷が源頼朝に守護・地頭職の設置を許可した
1185年が最有力とされています。
1192年は頼朝が征夷大将軍に任ぜられましたが、これが幕府成立の決定打になるのか、研究者の間でも解釈が揺れています」
(放送大学講師で、考古学者の山岸良二氏)
<鎌倉>『徒然草』の作者は「吉田兼好」ではなく「兼好法師」
日本中世史を専門とする歴史学者・濱田浩一郎氏は、こう解説する。
「鎌倉時代末期の随筆集『徒然草』の作者は、鎌倉時代後期、南北朝時代の歌人です。
かねて教科書に載っていた『吉田兼好』という作者名ですが、彼自身がこう名乗ったことはありません。
彼の子孫がのちに『吉田』を名乗ったため、この名前が定着してしまいました。彼自身は卜部(うらべ)氏の息子。
また、出家した後は『兼好』を法名としました。
そのため現在は、『兼好法師』と記載されることが多く、『卜部兼好』と表記されることもあります」
<鎌倉>元寇の勝因は“神風”――台風ではなかった。勝因は元軍の「不協和音」と「幕府の武力」
元軍による2回の襲来を退けたのは“神風”だった――そんな通説が変化していると解説するのは、
南北朝時代と室町時代の研究者で、国立台湾大学助理教授の亀田俊和氏。
「1回めは11月で、台風=神風は季節的に吹かなかったという説もあります。
2回めの襲来時の勝因は、防壁を造って、元軍の上陸を防いだ鎌倉幕府の軍事力だとされています。
また、元軍の主力は征服されたばかりの高麗人や南宋人で、敵方の戦意は低かったといわれています」
<室町>足利尊氏の肖像画「騎馬武者像」は偽物だった
かつては「足利尊氏」の肖像として教科書に載っていた「騎馬武者像」。
しかし、現在では「南北朝の争乱のころの武士の像」などと表記されている。
「戦前から、この『騎馬武者像』には疑問が持たれていました。
尊氏の愛馬は絵のような黒毛ではなく、尊氏ほどの武将がこのような乱れた姿を描かせるとも思えません。
さらに肖像の上に、尊氏の息子・足利義詮(よしあきら)のサインがあります。
通常、格下の者のサインが肖像の上にあることはあり得ません。
こうした理由から、『騎馬武者像』が尊氏の肖像ではないことは解明されています。
馬具などに描かれた家紋は、足利家に仕えた高氏(こうし)のものであり、
現在は、尊氏の側近、高師直(こうのもろなお)か、その息子・師詮(もろあきら)という2説が有力になっています」
(濱田氏)
ー後略ー
全文はソースから
2/17(土) 6:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcd1c76ba3b5df8c59bf337ff120e26e9548c988 <戦国時代>戦国時代のスタートは、「応仁の乱」ではなく「享徳の乱」
<戦国時代>織田信長が掲げた「天下布武」は「室町幕府の再興」のスローガンだった
<江戸>キリシタン発見の手法は「踏絵」ではなく「絵踏」
<江戸>「出島」以外にも「対馬」「松前」「薩摩」などで貿易をおこなっていた
<江戸>士農工商ほど厳しい身分の区別はなかった
<丶`∀´> 後略の部分、こんな感じニダ 武士の体格はキッズ。馬はポニー。
やれやれ、僕は論破した。 まあ当時の文書の解析が進んでるからね。
頼朝が征夷大将軍になったのは大将軍の称号が欲しくて3つの称号から一つ選んだことがわかってるが、それが決定打なら木曽義仲が征東大将軍になったときになんで幕府誕生じゃないのかという問題が出る。 この頃から朝鮮人は弱かった
まさかモンゴル帝国も負けるとは思わなかったろうが、朝鮮人を味方につけると碌なことにならないという事実はここから始まったのである 歴史は新史料が発見されると書き換わることがありますからね 台風ない時期に吹いたから神風なんだよ(´・ω・`) 高麗人が揺れやすい船作ったせいで船酔いだらけになっていたらしいね >>1
映画化・ドラマ化してしまえば「世界で史実認定」されるのに、日本人は自ら真実を公表して正しく修正するとか、どうなってるアルかニダ? >>15
それどころか何度も襲来して島民大虐殺しまくっていた対馬の領土主張をしているよ >>16
宗氏の留守中にゴーストオブツシマして朝鮮軍18000vs600人の居残り家臣+島民に相手にボコられた。 新しいこと何もないな
ほとんど10年前くらいには言われてたことで有名なやつばっかじゃん
これ知らないのは大人でもニュースも見なければ自分で勉強もしない無知なやつだけだろ
そういうやつって学校の勉強も適当にやってるからそもそも覚えてないだろうし
意味のなタイトルだな ほとんど「世界一受けたい授業」で河合敦が言ってたことばっかじゃん >>13
それはネトウヨの妄言。実際の平均身長は150センチ台。ネトウヨは、戦国時代は背の高い人が多かったとか抜かしてるが、身長を盛る奴も多かった。
前田慶次は2メートル近い身長だとふいていたが、実際に残っている甲冑から身長は160センチ台だとバレている。現代だと人権のない身長。
やれやれ、僕は論破した。 つまり中国朝鮮連合は最強日本人には昔から勝てない劣っていたのだろうね こういう記事によくある聖徳太子はいなかったってやつがないね >>21
そんなのに女を何十万も性奴隷にされたのでしょうか?
おかしいでしょう? だからあなたたちの言動は誰からも信用されないのです 日本の中世は今や平安時代中期、将門の乱をもって始まったとされるのが有力になっている
紫式部の時代はすでに封建時代に入っている 元寇はウリナラの勝利であり鎌倉幕府はウリナラみんじょくが小列島支配を回復した世紀の瞬間ニダ! 豆知識
山口県福岡県は朝鮮半島に地理的に近いため古代から取引が行われてきた
もちろん人的交流も長い
混血の度合いが高いと考えるのはとても自然なこと
某自民党有力者の血脈も勘のいい人は察するだろう
これ以上は言わない 幕府から派遣された指揮官が神ってたのと九州の地侍が強すぎた。 天尊降臨そのものが日本人は騎馬民族説を裏付けている、神話以前の日本の歴史は存在しないわけだからね 江戸時代、実は欧州諸国以上の「経済大国」だった
GDPは、日本154億ドル
英国107億ドル、
オランダ40億ドル
米国は5億ドル 朝鮮通信使・金仁謙著 『日東壮遊歌』より
●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。 >>27
それは戦国時代じゃなくて日帝強占期の話な。
その時代はjapは銃で武装していた。カラシニコフキッズという言葉があるが、大人が撃った銃弾も、子供が撃った銃弾も同じ威力の銃弾だ。当然、JAPが撃つ銃弾も同じ威力になる。
やれやれ、僕は論破した。 そら敗戦請負人が向こうにいたからだよな、俺等の間ではもはや常識よw >>39
本当に徳があるなら自国を豊かにできるんだよなぁ 縄文人は大陸や南米に進出していた。
殷を作ったのは縄文倭人。
列島から大陸に文化が伝わった。
教科書とは真逆。 >>41
朝鮮人は銃すらまともに作れなかったんだな 騎馬武者像、NHKの歴史探偵は高師直説を推していたな。それはそれで尊氏麾下
屈指の猛将なんだけれど。
てか、花押云々もそうなんだけれど、なんか描かれている家紋も足利じゃない
とかで、それを聞くとむしろ逆に、なんでこれまで尊氏とされてきたんだと 神護寺の源頼朝像は足利直義、平重盛は足利尊氏、藤原光能は足利義詮 >>45
<ヽ`∀´> <ウリナラはマグナムを標準装備しているニダ。 >>45
平和に暮らしていたから銃は必要無かった。
だがJAPに平和を脅かされた今は、JAPより性能の良い銃を作っている。
押井守は海外の射撃場で様々な銃を撃ってみたが、韓国の銃が1番良かったと言っている。
やれやれ、僕は論破した。 >>49
そのデリンジャー…はリンカーン大統領暗殺の凶器として歴史に名前を残して
いるし、スターターピストルは役に立つし豆鉄砲は食べ物を打ち出すし…何に
例えればいいんだろう >>45
論破君「野蛮な日本が銃で武装しイキっていた時、平和を愛する文明的な大韓人は裸でウホウホ
言いながらどんぐりを食べていた」 >幕府の成立については1180年から1192年まで、現状、7つほどの説があります。
>いまは教科書に『はっきりこの年』とは記載していませんが、朝廷が源頼朝に守護・地頭職の設置を許可した
>1185年が最有力とされています。
>1192年は頼朝が征夷大将軍に任ぜられましたが、これが幕府成立の決定打になるのか、研究者の間でも解釈が揺れています
諸説が乱立してて、まだまだ研究中の分野なんだなこの時期の動向って 朝鮮は当時のモンゴルに蹂躙されて女も犯され
現在のあんなブサイクしか生まれなくなった
顔が歴史を証明してるって稀有だよね >>50
その1番いい銃使ってる韓国軍に早く行けよw >>36
まだ騎馬民族征服説なんて言ってんの?
>この学説は戦後の日本古代史学界に波紋を広げた。手塚治虫が『火の鳥 黎明編』でモチーフにし[2]、一般の人々や一部のマスメディアなどで広く支持を集めたが[3]、学会では多くの疑問も出された[4]。支持する専門家は少数派にとどまっている[5][注釈 1]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#:~:text=%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC%EF%BC%88%E3%81%8D%E3%81%B0%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%9E%E3%81%8F%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%B5%E3%81%8F,%E3%82%92%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%AA%AC%E3%80%82 >>50
そうだと仮定すると、平和に暮らし続けるには武力が必要ということだな。
日本は核武装しよう。 >>52
なんか「進んだ文明国だったのをバーバリアンに侵略された」って言ってたのが
当時の生活状況とかバラされて「慎ましくも平和に暮らしていたのを以下略」な
言い方に変えて来たのを前に見た気がする >>50
千年以上毎年のように他国の侵略を受けていた連中が何言ってんだw >>51
リベレーターかサタデーナイトスペシャル辺り? >>57
そもそも騎馬民族征服説が事実だったとして、なぜその征服王朝は自らの力の象徴の騎馬隊を
捨てて歩兵を主力にする必要があるのかと。 >>52
碌な人材がいなかったって言ってるのと同じなんだよな >>50
ラノベ読みすぎだな
その理論なら核武装、自衛隊を軍にするしかないか
ありがとうバカチョン
ああ、これはヘイトじゃないからね
お前がJAPって言葉を使ってることへのカウンターなんで さて、朝ご飯はびっくりドンキーのハンバーグソース卵かけご飯ってやつを食べに行くか。
クロケットのチーズかかってるやつとビールも飲みたいな。
肉も食べたいけど、それだと食いすぎかな?
やれやれ、僕は雑談した。 >>1
「新常識」って
売名目的の歴史家が持参金を積んででっち上げ特集を組んでもらっているイメージ >>69
てか「再評価」って基本、ダメだと思っていたものが実は優秀、系のネタが
多い気がする。坂本龍馬みたいに当初思っていたほどは、みたいにディスられ
ているケースもあるけれど >>51
暗殺教室に出てきた、普通なら役に立たないけどコロ先生の弟子の高いスキルなら動脈を切り裂いて
暗殺可能な超小型銃は? 一度目の元寇で太宰府まで責められとるからな
そりゃ二度目はバーサーカー揃えるでしょ >>65
馬鹿「森を愛するエルフが火を使わず、金属も身に着けないようなものだな」
異世界農家の人「それだと普通にすぐに死にます。森を舐めてるんですか?」 >>3
そんな鎌倉武士に負けたお前たちはどれほど弱かったのか つーかさ【幕府】を開いて良いのて『大将軍』か『驃騎将軍』だけじゃなかったっけ
そのため三国志の袁紹(大将軍)の陣営は幕府として扱われてるわけなんだし >>1
元寇以外は、従来解釈との差異は瑣末だが・・ 第二次世界大戦は連合国に負けた → 間違い
第二次世界大戦は大韓民国独立軍に負けた → 正解 >>80
英国「一度も戦闘に参加してないのに戦勝国面でSF条約に調印したいって、舐めてるのか?」 >>1 元寇の朝鮮人は豊臣秀吉や日本に何か言う資格はない、中国人もな。 歴史って研究の積み重ねや史料の発見でどんどん変わっていくからなあ
だから、歴史修正主義とか言ってる人って全然歴史好きじゃないんだろうなって >>75
言われりゃそうだな。
僕はセレブだから自炊とかほぼしないんだけど、それならクロケットとハンバーグでいいかな?ビール飲みたいから。
やれやれ、僕は珍しく論破された。 第三国人って戦勝国なワケねーけど、敗戦国の中にいれるもの哀れだから、
せめてそれは免責してやるよっていう、むしろ温情的な扱いなんだよなあと 逆に考えると、主力が高麗人じゃなかったら日本は危なかったってことかw なるほどと思うものもあるし
それは専門家が知ってればいいんで
わざわざ変える必要はないだろう
と思うものもある >>2
出島で行っていたのは貿易であって外交ではありません!
>>4
支那で皇帝になっても新王朝誕生と認めないのと同じです。名目は大事 >>53
研究中じゃなく政治だよ
左翼が天皇の影響力を認めたくないから
1192年を否定しようとしてる
慶長8年(1603年)に徳川家康が征夷大将軍となったのが江戸幕府のスタートでなのに
1192年に頼朝が征夷大将軍に任ぜられたことを鎌倉幕府のスタートとしないのはおかしい
1192年で全く問題がない 船底が平らな簡単で安くできる船を朝鮮人が造り
モンゴル勢がそれに乗って攻め込んできたが
船の構造のせいで馬が船酔いになり使えなくて負けた >かねて教科書に載っていた『吉田兼好』という作者名ですが、彼自身がこう名乗ったことはありません。
その理屈ならば徳川家康は徳川次郎三郎源朝臣家康だとか
織田信長は平朝臣織田~三郎信長とすべきか 京大のモンゴル専門家の本読んだら元寇は本気じゃなかった
こうあんの役は南宋人の移民希望者が大量に乗ってて雑魚集団だったみたいな負け惜しみみたいなこと書いてあった >>86
陸地戦ならそうだけど
朝鮮人が尖兵として送られてきた理由は海に面した地域に住んでるからだと思うよ
モンゴル帝国は基本的には大陸しか知らない、アジア方面でいえばそれこそ朝鮮か、中国の一部地域しか船に乗ったことがないだろう
つまり朝鮮人が送られてきたのは必然で、負けたのも必然ということ
神風とか都合よく言ってるだけで普通に兵站や兵糧が確保できないから鎌倉武士団は守ってるだけで勝てるイージーゲームだろう まだ元記事は読んでないけど、士農工商って身分制度かね?
武士は別格として、都市住民(町民)と農村住民(農民)に分けられてだけだし 常識的に考えれば兵站や補充、地理がわからない
そんな異民族の一団(交流もなく現地民の協力者もいないし期待できない)
都市国家なら略奪して破壊とかあるけども日本は人口も多い
むしろ、どうやって征服すんだよ(当時の元の高官でさえ『無理』って諫言してる一文字いるのに) >>94
モンゴルの奴隷になっていた韓国人の側から、日本侵略をモンゴル軍に提案した、謂わばオファー型の日本侵略だったらしいね、モンゴル軍本体は乗り気じゃなかったみたい 元寇の話はずっと前から>>1の認識に変わったよ
尤も、この記事は、そういう趣旨だけど
><江戸>「出島」以外にも「対馬」「松前」「薩摩」などで貿易をおこなっていた
これも、江戸時代、「鎖国」と言えるのだろうか?という議論もあるしね
薩摩の貿易には支配下の琉球が行ってた貿易も含まれるな 六波羅や鎌倉からの援軍も来る前に現地の守備軍だけで撃退し元軍は第一目標の太宰府も落とせなかった >>94
軍船900隻に4万の兵を乗せた東路軍と、軍船3千500隻に10万の兵
合計14万の兵士
本気の人数だわ
モンゴルが本気じゃなかったとかアホかよ >>96
士農工商は朱子学の学問としての知識
身分差は皇室にどれだけ血が近いかぐらいで、それ以外の生まれついての身分差ってのは無い
ついでに言うなら、富と身分は関連性が全く無い
ちなみに江戸時代の富裕層は革職人(葬式も執り行う)の穢多
凄い金持ちで、吉原の太夫とか結構身請けしてる >>102
そもそも船に乗っての上陸戦がってのが無理筋だったのよ。 >>31
遺伝子検査で福岡と山口は東北並に縄文遺伝子が検出されてる研究結果と矛盾すること言っててすごいな
てか中国地方の中でも山口だけはより半島に遠い広島・岡山さらに日本海側の島根・鳥取と異なり九州のような遺伝子タイプに入ってること知らないのか?
どういう理論で説明するんだろうか
ネットde真実民のネトウヨは何年経っても救いようがないな >>106
幕府が恩賞用意できないから
「神風」で勝てたのに恩賞なんか払えるか!
ってのが「神風」の始まりだろ。 >>100
どう考えても「鎖国」してたけどな
当時の先進国はヨーロッパ各国で
ヨーロッパとの貿易を首都から離れた出島に制限してたわけだから
これを「鎖国」と呼ばずして何と呼ぶ >>99
そうそう確かモンゴル本体は乗り気じゃなくて高麗やら中国北東沿岸を支配した氏族がノリ気で始めたみたいな事書いてあった
うろ覚え >>102
指揮官倒されても部下が戦いをやめずに更に奮戦する
鎌倉武士相手じゃ
そりゃあどの国も相対的に弱いわな >>1
「1回めは11月で、台風=神風は季節的に吹かなかったという説もあります。」
季節的に吹くはずのない強風が吹いたから神風なんじゃねーの? >>107
安倍は朝鮮人って言いたいんでしょ。
その手の連中は科学的根拠とかどうでもいい。 普通に考えたらモンゴル帝国の大悪手だよな
日本は小勢とはいえずっと戦争してる戦闘民族、地元だから地理にも明るく食糧豊富
方や遠征軍は渡航に慣れてないものばかり、地理に暗く食糧も長くはもたない
日本に勝ったとしても本国と離れて管理できないし特にメリットもなさそうなのに何故そんな大遠征しようとしたのか
無茶さえしなきゃモンゴル帝国は潰えなかったかもしれんのに >>103
その元南宋支配下地域発の兵のほとんどが日本への移民団兼兵士の雑兵だったと書いてたけどな >>112
で?
その格下ジャップに侵略されたニダといつまでも喚く大便ダッサw >>96
士農工商は「道徳」であり「身分制度」ではない
物を転売してラクに設ける商人よりも
汗水流して働く農民のほうが偉いという「道徳」 そんな昔から朝鮮人は足を引っ張ってたんだ
半万年属国は伊達ではない >>117
もともと海を越えて進攻する意思が低かったものを、高麗に唆されたって説がある > 大人が知らない日本史の新常識
正しくは「高校・大学を通じて一切勉強をしなかった、マスゴミ業界のバカな老害が知らない」常識、な 日本各所の大きな神社が、我が祈祷にによって神風が起きたと、恩賞を要求したんだろ? >>119
雑兵だと本気じゃないという理論が意味不明
正規兵なんてほとんどいないだろうに
日本の戦国時代も戦ってたのは正規兵じゃなく農民(雑兵)だよ >>119
自分が読んだのでも元は海渡った先に興味なかったけど、
朝鮮人が何が何でも日本へ攻め込むべきだって
誑かして仕方なしに編成された軍となってたな。
本気じゃないから2回で打ち止めって方が自然な気がする。 >>28
畿内に都が在った平安時代までが古代としておかないと、現在の首都である東京のステイタスが保てないからな
古代:平安時代まで、中世:鎌倉・室町・安土桃山時代、そして江戸時代を経て東京時代へと ほらな。 日本史の年号当てテストなんて意味ないだろw >>103
一回目は「ちょっと脅せばビビるだろ」程度のつもりで攻め込んでみたら予想もしてなかった惨敗で
激怒して本気になったという話じゃなかったっけ? 神風の前に元はズタボロにされてたけど
神風がトドメじゃないんかな >>132
年号にこだわる必要はないけど、年号当てテストってのは違うだろ。 >>107
キミのタワゴトを書き連ねるよりソース貼ったほうが早いよ
貼りなよ >>110
大航海時代でも交易の中心はイスラム商人で、先進国はイスラム諸国
その流れが変わったのは、スレイマン皇帝のウィーン包囲やレパントの海戦あたりから >>112
天地開闢よりこのかた朝鮮半島の国が日本より格上だった歴史はない >>129
頭悪いの?
元は本気だったし
14万人も兵士を送っているので本気だったのは明らか >>102
砦や根拠地がない野ざらしの地縁のない敵地で孤立した野戦軍だから普通は弱い(だからこそ船に引き上げて宿営するしかなかった)
だけど朝鮮の部隊は割と士気が高かったみたいだぞ
元の中期までは朝鮮の地位が属国の中では高かった(朝鮮からの后が好き勝手にやって衰退の一因を作る程度には) 鎖国していたジャップがコリアから世界の情報をもらっていいうことを知らない中卒ネトウヨが多い 鎌倉幕府誕生年は解釈だけの問題で史実が判明てのと違うけどな >>142
清の属国だったウンコリアが世界の情報持ってるわけねえじゃんw
外交権ねえのにw >>134
いや、太宰府天満宮の守護神・菅原道真公だろう >>135
トドメというレベルですらなかったらしい。
撤退の検討を始めてたら台風が来て大半の船が破損し、損傷のマシな船で上層部だけ逃走。
残された大半の兵は上陸し、なんとか帰還可能になる程度の修理が出来るまで周辺を確保しようとしたが
日本側の掃討戦で撃破された。 >>142
半島をチョン切ったのはアメリカ
知らないホイ卒パヨク多すぎ >>142
コリアの建国 1914年
江戸時代が終わったのが1867年
当時、コリアは存在すらしてないじゃん 元寇の勝因は高麗軍が作った船がショボすぎて日本に着いた頃には兵士も馬も船酔いでヘロヘロだったからって聞いたことある >>149
これだから中卒ネトウヨはな
高句麗とかも全部コリアだぞ
国の名前が変わってるだけでな >>142
記録が残ってるものだと
オランダや沖縄(琉球)からの情報が一番早かったみたいだな
李朝からの情報ももしかしたらあったのかもしれんが、儒学的「そうだったらいいな」な思考のためにほとんど役立たずだったろう >>140
ちょっと眺めて来たけど、14万ってどっから出てきた数字? 古代日本を統治していたのは古代大韓帝国
卑弥呼はその配下 「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」菅原道真 >>135
砦や根拠地となる支配地域がないからね
しかも地理・地形も全くわからないし資材もない
宿営すらままならないから船に引き上げるしかない
そこに台風なら壊滅的な打撃なのは間違いないと思うよ
籠城中に地震で城が一部崩壊するようなもの
士気がガタガタのところに一撃だから心を折るには十分 >>153
あった、南宋の軍10万って奴か。
失礼しました。 >>151
唐とやり合ってた高句麗
属国根性丸出しのチョンコ
どう見ても別民族だな
チョンと高句麗は無関係 >>151
じゃあ罪を償えよ馬鹿チョン
「むくりこくりの鬼が来る」ってな
大陸から侵略されて以来、聞き分けのない子供に言うことを聞かせる言葉として使われた
その語源は「蒙古・高句麗」というのが有力説 >>160
使いに貢ぎ物持たせてコリアに送っていたジャップ >>154
古代にそんなもん無いよw
古代の半島は漢四郡、箕子朝鮮、衛氏朝鮮
みんな漢民族の属国か植民地 >>163
逆、逆
新羅百済は日本の属国だったのよ 遣唐使とか遣隋使とかいってな
ジャップはまわりのくににへこへこして生き延びていただけの情けない国
コリアにもたくさん来ていた 血統はまあおいといて
経済的に半島と長い付き合いがあって利益をお互いに得ていたことは確実だろう
大内氏毛利氏
別に悪いとは言ってない
どう解釈するかはどうぞご勝手に >>166
古代大韓帝国の歴史は9000年だ
覚えておけ、白痴 >>151
高句麗は夫余族系の民族で、朝鮮族とは別の民族
のちに渤海が成立して新羅に敵対し侵攻してた
今でも韓国の国内に対渤海の長城や狼煙台跡が残ってたりする
渤海の滅亡後は一部は北朝鮮地域で混血した
ちなみに高句麗の王族は日本に逃れて、高麗神社(祭神は王族の若光)建てて高句麗の移民が日本に定住し日本人の祖先の一つになってる 渡海作戦は今でも難しいからな
余程の戦力差がないと
日本は島国だから、その点はよかった 鎖国というのは、国民が海外と自由に折衝することを禁止していたのであり、
海外の情報を知って国民が賢くなることを幕府が恐れたからの政策
幕府は海外と交易して情報を得ていたし、薩摩のように幕府の目を盗んで勝手に交易していた藩もある >>168
今で言う交換留学だったんだけどな
誰も学びに来なかったコリアと一緒にするなw 168
周りの国にへこへこして生きのびていた民族から常時被害を受け続けている。
いまだ謝罪も賠償もないと、常時発狂しているのが朝鮮人。 歴史学者は新説ぶちあげてこれが真実だをやりたいやつが目立つからな
学問で目立ちたいなら歴史やめとけと
ちょうど大河ドラマの時代に当てて国風文化をなかったことにしたい学者がうごめいてるな >>154
奈良はナラ
朝鮮語で国を意味する
古代日本が朝鮮の影響下にあった証拠
(逆は認めない) >>168
新羅寇とか刀伊の入寇とかで、新羅とは基本敵対してた
一応、日本からの遣新羅使や新羅からの遣日本使もあったけど統一新羅の時は基本的に仲が悪かった >>161
むごい、の語源も蒙古とか聞いたことある >>173
<ヽ`田´> <壁画に描いてあったニダ! >>182
チョンは日本語では差別用語
朝鮮語では苗字の一つ >>183
>>186
それを本当に言いそうなのがもうね・・・w 「江戸時代は武士じゃないと名字を名乗れなかった」つってたけど嘘だよな
松尾芭蕉とか葛飾北斎とか伊能忠敬とか
新選組も武士じゃないのに名字名乗ってるし >>169
自分から血の話はじめておいて棚上げして論点ずらしてゴールポスト動かしてお前マジで何がしたいんだ?
まるで朝鮮人だな >>151
朝鮮人って半島に住んでいた古代日本人と中蒙を掛け合わせて蹂躙されて支配され続けた民族やん >>170
90年じゃん
朝鮮人自体が中世に半島にやってきた奴婢だし 基本日本は守勢万葉の時代から蛮族の半島人の侵入を防いできた
たまに攻勢防御行動で半島征伐を行うことがあった
今でも侵略を試みる朝鮮蛮族に征伐を行う時代になったのかもしれないな 元寇の主力は朝鮮人だから強くはなかったけど民間人レイプとか平気な残虐ではあった 吉田兼好なんてスレ開くまで存在を忘れてたわ
そもそも歴史の教科書に採用する価値があったとは思えない人物だしな >>175
まぁ制限貿易ってのはヨーロッパも重商主義(保護貿易)やってたから、鎖国みたいなのは世界各国でやってはいるんだよね
そもそも、世界で自由に国民が国から出入り出来るなんて最近の話で、貴族が土地を支配してた頃は農民は簡単に移動できなかったし
ちなみに大航海時代の商船は半分軍事組織扱いで、倭寇と変わらん存在でした >>182
それ飛鳥とかアショーカとかナスカみたいな地名があるのは
古代日本が世界中を支配していたみたいな珍説の部類だね >>190
明治になって、みんな名字をつけてなのるように、ってなっただけだからな
農民は名字つけちゃいけないとかだった訳じゃない >>195
高麗人は島民の女子供を船べりに手に穴をあけて吊るし
糞尿を出させてからさばいて喰ったって記述があるよね >>190
農家でも地主的な農村のリーダー格にはさすがに無いと困るので苗字は黙認されていた >>19
日本の「鎖国」の主な目的は、白人至上主義・人種差別の拒絶なので
保護貿易じゃないよ
当時の白人はナチスドイツよりも差別的だったことを忘れてはならない
日本は明らかに「鎖国」して人種差別的な白人文化を拒絶した >>1
普通にイイクニではなかったニダ、と言い張る踊る平家(自称)の悪あがきとかじゃないの
日が沈むとはなまいきな厩戸の王アル、とかいうのと一で
ルサンチマンにあふれた姉妹(自称)都市のキエフも滅亡の危機というのにたった10年わざわざずらしてどうなるどすえ? >元軍の主力は征服されたばかりの高麗人や南宋人で、
>敵方の戦意は低かったといわれています
嘘ついちゃいかん
壱岐対馬で住民虐殺する軍隊が戦意が低いわけない ちなみに日本でキリスト教が禁止されたのも
キリスト教徒が日本人を人身売買していたからで
当時のキリスト教は、オウム真理教や統一教会よりも遥かにひどい宗教だったことを忘れてはいけない >>202
平底船にお馬さん積んだら、海渡ってる間にお馬さんがヘタっちゃってw
JRAあたりに輸送方法聞けばよかったのに(違うか >>211
いまでもスペインに当時に奴隷として連れていかれた日本人の子孫が住んでいる村があるらしいね >>1
そもそも「幕府」という呼称は江戸時代中期以降用いられている
当時は征夷大将軍が幕府を開くなんて決まりもなかった >>213
その村の住人は日本人みたいな顔をしているのかい? >>211
キリシタン大名が領地を献上したり、明らかに宗教を利用した侵略だったしね そもそも騎馬民族なんだから、船なんて乗ったら数も限られるし弱くなるわな。
そもそも侵略してその後どうするつもりやったの? 神風については呪いを任された僧侶たちが「元に勝てたのは俺達のおかげだああああ!」と騒ぎまくったから誇張して伝えられてきたらしい >>215
いやTVの映像で見ただけだけど見た目は普通のスペイン人だった
ただ苗字がハポン姓を名乗ってるルーツが日本だから 神風はとどめを刺しただけで勝因はそれ以前だと散々言われていたような >>174
単純に人口も多いんだけどな
その大部分が同言語・同文化、確立された権威(天皇)と政府(幕府と朝廷)が統治する国家
これだけで陸続きでも征服が不可能なレベル >>190
名字というよりは屋号に近いものだったんじゃないかね カミカゼ伝説はまあ神格化に繋がった前列があるからあからさまに嫌がる連中もいそうではあるけど台風の事実はあっただろうにそれが原因ではないと言い張るのも苦しくね
日本の誇るセイントの一人が勝手に祈っていただけで亡国の難をのがれたと主張する腐オタの一派も存在するようだけど最近は中華様に興味が移ってそれどころではないか >>217
兵站についちゃ謎だよな
モンゴル自体は行く先々で戦争しちゃかっぱらって領土広げてたから、そんな感じじゃないかと
兵站考えてないから単なる威嚇とか言う説もあるみたいだけとね >>219
まぁ何世代にもわたってスペイン人と結婚すれば顔貌はスペイン人になるよな >>226
高句麗「平底船だけど言われた数揃えました」 >>227
日系ブラジル人だって3世代前ぐらいなのにもう普通のブラジル人だしね >>227
<ヽ`∀´> <猫の尻尾を短く切り続けると、いずれ尻尾の短い猫だけになるって聞いたニダ。
<ヽ`∀´> <つまりウリナラも整形し続ければいずれ(略 >>220
元寇にも秀吉の唐入りと同じ局地戦での戦いの呼称があるのに、全然知られてないからな
三国志の赤壁の戦いの細部まで知ってる日本人がいるのに
日本の歴史の元寇の赤坂の戦いや壱岐島の戦いとか、戦いの状況はおろか戦いの名称すら知らない人がほとんど >>148
ちょん切ってなかったら半島全部が共産圏化してたから韓国人は感謝しないとな >>3
わかる
ジャップは高麗のとりなしでモンゴルに手抜きしてもらってようやく勝てたんだよ、ソースは今度結婚する韓国人のカレw
歴史をゴッドハンドする恥ずかしいクソジャップから先進的で文化的な韓国に移住できてチンチャ幸せw >>225
モンゴル帝国は略奪のイメージが強いけど侵略ルートは交易路に沿ってる
補給路は確立してるし情報も大量に入手できてるし現地協力者の見込みもあるしってのが基本
補給路なし、情報なし、現地協力なし、渡海で仕掛ける元は中国化してボケてたとしか >>224
苦しくないよ?
一回目は完全に台風シーズン終わった後だし、2回目も橋頭堡の確保すら出来ずに居る所に台風が来たけど大半の兵は無事。
もともと不利な戦いが続いてて戦意もどん底だったからマシな船選んで上層部だけさっさと逃走。
上層部の闘争で更に戦意の低下した下っ端もなんとか船が修理出来るまで粘り、修理出来次第逃げようと
してたがそれすら叶わず撃破されただけだから。 >>223
昔は家に名前がついてたからな
その家の出身の誰それ って感じ
まぁそっち方が、分かりやすいからね
あと、昔は家単位で生産活動の基礎単位にしてたから、今でいう会社みたいな感じ
フリーターが水飲み百姓の立ち位置 >>234
お、兵役行く覚悟できたのか
えらいぞw >>234
同性愛はいかんぞアッー!
非生産的なアッー! >>191
地理的に近いから
人的に経済的に深い繋がりがあるんだろうなという仮説だね
上海財閥と台湾経済界の繋がりみたいに
仮説だから憶測推測当たり前
カネが無いから調べたくても調べられないんだよ
誰か調査してくれれば有難いな >>230
朝から下品な話で申し訳ないが「人類は何千年と処女膜破り続けたのに今でも女性には処女膜あるだろ」って論破した人がいたよ
実際整形しても生まれてくる子はいつまでも朝鮮顔なんだからその理論は無理があるんだろうね
親と子で顔が違いすぎるって考え込んだ挙句子供にも整形させるのはなんか無間地獄感あるけどこのまま続けていくんだろうな >>8
そりゃしょうがない
高麗からモンゴル統治がきついから日本侵略進言したら
なるほど日本攻め込むか、なら先陣お前らな?船も早く作れって言われて
さらにきつくなったから >>232
赤壁の戦いは三国志演義が盛ったからでは? 歴史で大事なのは、人名や日付じゃないから、わりとどうでもいい話なんだけど
どうでも良いことを本質かのように騒ぐ連中がうっとうしい ゴールポストを動かし事実と妄想が区別できない典型的な朝鮮人
NG推奨
ID:bBdrE/Ig >>237
基本的に朝鮮半島発の軍(東路軍)は、朝鮮半島自体が食糧不足状態だったから兵を集めて出発準備するだけで食糧危機が起きてた
なので、現地調達が前提での軍隊
まぁ、基本的に支配地での潜在的な軍事力を削ぐ目的なら、勝とうが負けようが元朝にはどっちでも利があるけどね >>232
演義みたいに元寇も小説化すればいいんだよ >>234
手抜きする侵略って何?
手抜きしてモンゴルと高麗は何の得があるの?
バカなの? >>191
横だけど、大内氏は朝鮮ルーツを称してたくらいには近いやろ >>232
ずっと負けてた奴が圧倒的戦力差を覆して勝った戦の話と
数の上では不利だったけど相手が弱すぎてずっと俺のターン状態の戦の話
どっちが読み物にしやすいかという話よ >>250
大河ドラマにもゲームにもなったのにな元寇
英仏百年戦争もかなり面白いエピソードや戦いがあるのに有名じゃ無いんだよな
やっぱり、有名な作家や漫画家が面白く描かないと有名にならんのかな? こういうところに書いてみて
どんな反応があるか確かめてみるのも一興
ありがとうございました たとえばつげ義春なんかの病的なまんがを読んでなんだろう、どこか懐かしい…と考えるより感じるのであればそれはとりもなおさず昭和の日本が病的であったことには他ならないけど、
リアリズムでシュールレアリズムなのニダとか言い出す元祖天才バカチョンは平気で話を盛るから話半分だよなあ
じゃあ長谷川町子の描いていた日本人の感覚はなんだったのかという話になるし、むしろそっち寄りだったからこそシームレスに文明開化したのではと思っているけど
狩猟はともかく夜這いや近親婚や民間信仰といった禍勾しい原始黎明社会の風習にテキトーに尾ひれを付けた神話をそこまで真に受けるパヨチョンというのもかえってほほえましいものはあるな
出たとこファンタジーというか アンゴルモア元寇合戦記って漫画もあるにはあるんだけどね >>249
人口・国力差を考えたらそれくらい根こそぎ集めても足りないからな
逆にいうとその程度の情報は持ってたってこと
それで日本侵攻を上奏するとか壮大な自殺志願者じゃなければ元を頼ればなんとかなるという事大主義のなせる考えか
ただ日本の風上に立ちたいってのはもっと前、少なくとも俺が把握してる限りでも唐の時代には席次で一生懸命に運動してた悲願みたいだからな >>253
そういや、信長包囲網で劣勢だったから初期の信長の戦いは有名になったのかねぇ
坂の上の雲(日露戦争)もウケたのはその部分かな? >>226
蒙古「そこで済州島に牧場を作って、
馬を量産する事にしますた。騎兵マンセー」
wwww 信長が寺を焼き捨て坊主を殺したのを最初読んだ時なんて鬼畜って思ったが
あれって当時の坊主ってとんでもない反社だったんだよな >>238
じゃあ少なくとも2回目で戦意を完全喪失した理由にはなるんじゃね
セイントの面目もどうにか立ってよかった 江戸時代がエコロジカルでパラダイスみたいな時代とかいうのも嘘だよ
江戸学者の作り上げた三丁目の夕日 >>254
主人公の格がある人物が少なすぎるんだろうね
敵方の魅力的な武将も欲しいところだけど資料がないのかな >>260
やっぱ不利を覆したり格下が格上を倒す話、もしくは悲壮感がある話じゃないとねえ
元寇を漫画化すれば対馬の戦いは盛り上がるだろうけど九州の戦いは刃牙みたいなギャグ漫画になりそう >>253
いや、詳細に語ると無辜なる日本人の多くがエイリアンに凌辱され殺され攫われた話になるから
日本の文化はそれを受け入れられるほど対外戦争慣れしてないから、追い返して守ったってだけでは単にヘイトが積もる胸糞になるからでしょ そもそも歴史学ってのは科学でもなんでもなく
文学と同じジャンルだよ
見たこともない昔のことをそれぞれの解釈で創作してるだけ >>134
名もなき漁民の子 日蓮聖人
そんな訳ないでしょうね・・・
(出生地はホントに安房国?阿波国!?) >>264
平安時代から都に押し入って
強訴しようとする寺社勢と
それを防ぐ武士との戦いは
何度となくあったのに
それは殆どスルーされてるしな BSでこの手の歴史検証番組って結構やってたけど
いつの間にかほとんど無くなったね
好きだったのに。愛之助とか田辺誠一とか >>263
日本の属国扱いの席だったのをクレーム続けて外して貰って、さらには日本よりも上位にしろって働きかけてたって話らしい
なんか最近でもよく聞く話だ >>247
まあ、兼好法師の名前をどう呼ぶかとか心底どうでもいいけど
「なにをもって幕府の成立とするか」という議論はかなり本質的な問題でしょ
1192年ではなくて1185年だった、と年号だけを取り上げて鬼の首でも取ったように
騒いでいるアホは論外だけど
鎌倉政権という前例があった、それ以降の武家政権と違って
既成事実の積み上げで権力を握った幕府が、なにを持って政権を握ったと判断すべきか
というのは、鎌倉幕府と呼ばれている政権がどのようなものであったか、という議論なわけだし
征夷大将軍というのがすでに武家の棟梁を意味するようになっていた、
鎌倉幕府以降の政権とは同列で議論しちゃダメなのは当たり前でしょ
オランダと朝鮮、明と清が外国なのは当然として、琉球と蝦夷が外国なのか
というのは徳川政権とはなにか、というわりと重要な問題だし
あと、肖像画の特定、複数の名前で記述されている人物の同定というのは
一般人には見えにくいけど、歴史研究の基本的な作業だし >>274
宗教やってるやつが善人みたいな思想が日本の歴史には流れてるのかね >>270
ヘイト溜まるのは慣れてないからというより
半島人の屑っぷりが今も変わらないというのが大きいと思う >>274
奈良時代からでしょうね
それが故に長岡京遷都 そもそも幕府って言葉が政治機構を含めた用語になったのは明治時代からだからね。鎌倉時代から江戸時代まで幕府という言葉は将軍のいる場所という意味でしかない。
政治機構の観点では経済活動の要の地頭、裁判権の要の守護の任命権を朝廷から取った時代から武士支配とする見方は正しいように思えるよ。
足利氏にせよ豊臣氏にせよ徳川氏にせよこの2つを握って支配したからねえ。 >>284
あの民族はクズ度が高いほど、民族内で評価が上がる不思議な民族だからな >>282
平安時代の寺社勢の強訴は、京周辺での局地戦、
小競り合い扱いされてスルーされて
武士勢力の乱の方だけがクローズアップされてる
形になってるな 事象と発生年が一致してるかどうか
頭の記憶力をテストしてるだけなんだから
何年だってどうでもいいだろ >>289
そもそも幕府って、戦地における統治(いわゆる軍政)をしてる範囲をいうもので
今でいう戒厳令範囲みたいなもんだからな >>290
悪いと強いの区別がつかない生き物だからな
だから屑度が高いほど強いと錯覚してそれを偉いんだと思ってしまう >>289
ただ守護、地頭だと地方に無数にいるんじゃないの 一向一揆の本願寺が山科から大阪に移ったのも法華に焼き討ちされたからだしね 秀吉が幕府を開かなかったのは日本史の七不思議のひとつだよ
いまだに理由が分かっていない 元寇
太平洋戦争
ベトナム戦争
勝因と敗因は言うまでもないですよね >>302
農民出身だから征夷大将軍になれなかったって話はあるけど、
最近の説で行けば農民出身って訳でもないしね。 >>302
秀吉が武士の頭領の源氏の家系との繋がりが無かったから
とかいう事になってるが
他にも諸説あるから謎と言えば謎か >>301
近衛家の養子ってウルトラcで関白だっけ? >>252
その話とID:bBdrE/Igが最初に言い始めた話にまったく関係ないんだが
お前もしかして俺が大内氏が百済王の子孫であることを捏造して自称した話を知らないと思って横槍入れてるのか?
論点ズラシ野郎との間の話に意味の分からない横槍入れて何がしたいんだ?
しかも「やろ」って猛虎弁使って気持ち悪いやつだな >>296
その無数にいる守護地頭の首を飛ばせる権限があるのが政権ってこと。
鎌倉時代は将軍と執権が、室町時代は将軍と管領が、豊臣時代は太閤と五大老五奉行が、江戸時代は将軍と老中がにぎってた。 秀吉が農民出身ってのも嘘くさいよな
あの時代って武士もふだんは畑耕してたりしてたんじゃないの?
武士と農民の区分とかあったのかね >>5
日本に攻めてきたのを尽力って言われても
それってつまり高麗人の戦力が低かったお陰で助かっただろ?って意味? モンゴルがユーラシア大陸を制覇したのは兵站を重視出来たから
なのに元寇では日本海という最強の防壁があった上、戦意皆無の南宋と戦意旺盛世界最弱の朝鮮という巨大ハンデがあったわけで
台風が来なくてもゲリラ戦と、いざとなったら焦土作戦で日本が負けることはない >>301
日吉丸とか藤吉郎とかもしかしたら後付けなのかな
羽柴とか名前にこだわりのない人 坂本竜馬、吉田松陰はいうほど重要人物ではなかった。
小説で過大評価されただけ。 赤穂浪士の討ち入りは、愚かな行為。
小説や芝居で吉良を悪人に描きすぎ。 >>314
司馬遼太郎が書くまではほとんどの日本人は坂本龍馬を知らなかったらしい 東北蝦夷が使ってた蕨手刀が日本刀の源流って説も嘘だしジャップは虚構まみれだな〜 日本の朝鮮統治はエベンキ側が望んだこと。
当時の国際社会から承認も受け、国際法的にも合法。 >>306
単純に前職の征夷大将軍やってたのが、世間に混乱しか与えてない足利義昭だったからじゃね?
世間に大号令出すにしても、失策(信長追討令)とかやりまくった奴と同じ官職の出す命令では、権威も何も無いやろ
ましてや情報伝達の遅い時代では、前評判が払拭されるのも遅いからな 学校で教える歴史など学問とも呼べないシロモノでほんとのとこ知りたきゃ後で自分で調べろ
と正直に言えばこんな無駄な論争はしなくてすむんだが
国語の授業の小説だって登場人物や作者の気持ちだの正解があるかのような教え方するじゃん
同レベル 肖像画の話は前から知られていただろ、今更
1192年でよくね、
幕府を遠く離れた朝廷が認めたときでないと
認めてない内はまだ覇を唱える幕府とは言えないだろ、ほぼ実質掌握し有力守護であろうと >>316
現代でも言えることなんだけど問題が起きてから対処する幹部は無能
大石内蔵助が優秀だったら吉良に嫌味を言われる前にちゃんと前もって話をつけ
金品なりを渡し便宜を図っていたそれが家老の仕事
しかも御家再興が次善の策なのに御取潰の挙句テロ行為 >>317
そうでもない、「汗血千里駒」がヒットしてちょっとは名が知られていた
もちろんその後大々的に有名になったのは司馬のおかげだろうけど >>324
最新のまとめは必要よ、てんでばらばらではね でも日本人はなぜか忠臣蔵が大好きだよな
あの話に心打たれて涙を流す者が多い 日本軍の支那進出は、侵略ではなく。
西太后の腐敗政治、アヘン戦争、清朝崩壊、列強の租界・・・、
統一国家も無く各地で軍閥、馬賊、匪賊、山賊、チンピラが勢力争いし混乱してた支那。
治安と安定をもたらそうとした日本軍は、「PKO部隊」である。 >>327
汗血千里駒って知らなかった
探して読んでみる >>326
親類の広島の浅野家とかに働きかけてどうにかお取り潰しだけはって色々やってたみたい >>310
どこの土豪(地方有力者)に属してるかぐらいで、武士階級自体無いよ
そもそも、外国で身分制がある根拠って、侵略者が上位階級に着いて非支配階級が下位階級になるってパターンがほとんど
ヨーロッパでも中世では農民が土着の民族で、貴族が侵略者って構造
固有名詞でもその名残が残ってる >>314
坂本龍馬は兎に角、吉田松陰は長州藩士達の紐帯じゃねぇの?
久坂玄瑞が亡くなって直系の中心が途絶えても、藤田東湖や武田耕雲斎程度には重要だろ >>330
ってどんどん大陸に引っ張られて戦線増えて敵増えて… >>329
イジメやら 無能に見えて有能とか 死ぬと分かってて敢えてやる
とか
日本人の心に響く要素がてんこ盛りだからな
自分と境遇を合わせてのめり込む人が多かったんだろ
まぁ、そういう形にしたのは、仮名手本忠臣蔵の脚本が大きいんだけどね >>329
時代や名前がすり替えられて幕府批判として取り締まられないように工夫してある
でも見る方は全員どこの話か知っている
後半のほうにはまだ日本にない鉄砲で恩人を撃ち殺してしまうというツッコミどころのおまけ付き
まあ、このやり方は水滸伝とか中国発祥だけどね >>337
吉良上野介って名君なのにな。
浅野内匠頭が世間知らず我慢知らずのお坊ちゃんだっただけで。 >>336
途中から傀儡政権作って、そこで戦線を止めようとはしてるし
そもそも中国戦線では日米開戦中もほとんど戦闘しとらんのよね
多分、アメリカの参戦が無きゃ
蒋介石も毛沢東もポルポト派みたいに立ち枯れてた >>324
歴史の全体的な流れを知ることは教育として必要だよ
試験に出るから年号をちゃんと憶えろ、なんていうのは間違ってるけど、
憶えておくと順序がわかるという利点はある 日本の大東亞戦争の大義は「アジアの開放」だった
東南アジアでは西欧列強による東南アジア人の搾取が酷かったが。
その白人に賄賂を渡し”2級白人”として振る舞い白人とともに東南アジアを搾取してたのは華僑(現地の支那人)であった。
拝金主義の支那は”アジアの裏切り者”で、日本を批判できる立場ではない。
日本軍により東南アジアから白人が駆逐され、華僑も既得権を失い没落。
悪人の自業自得なのだが、それで華僑どもは今も日本を逆恨みしてる。
。 織田信長はなんで幕府を開かなかったの?
楽市・楽座を開いたみたいだけど・・・ >>341
歴史はキチンと子供に教えないと
大人になってから、
やらなくても良い海外への賠償に応じるとか
変な宗教に入信してしまうとか
そんな取り返しのつかない間違いをしてしまうから
しっかりやって欲しい >>330
ポニーテールにして「アイヤー!」って言ってた中国人を満州人から解放してやったら少しはマシになるかと思えば中華思想を拗らせただけだったという誤算
同じ失敗をした田中角栄も悪いが
天安門事件の後に天皇を訪中させたバカがもっと悪い 太平洋戦争も酷い
レイテ謎の栗田ターン
護衛空母は貧弱いじめキャラ噛ませ犬枠
特攻は無意味、原爆は人種差別由来
どれも最新のwikiでは全く異なる >>330
侵略者共はシベリアの土に還ったのでヨシ! >>345
元々信長は朝廷にも幕府にも友好的だったからね
商売を中心に支配地を潤そうとしてた信長にとっては、足利幕府の調停による平和状態が1番経済的にベターだったんだわ
でも自分で幕府を開くとなると、完全に足利幕府との敵対を意味するから、足利幕府を擁立する勢力に無駄に宣戦布告するのと同義になってしまう
まぁ天下統一を成した後では、家康みたいに幕府を開いたかもしれんが >>346
いわれてそのまま信じ込んだままのやつはいずれ他の誰かに騙されるだけ 当時の武士なんて殺戮集団。侵略ぜったい無理
侵略に来た元寇の方があれれって思っただろう 現実に産業革命に乗り遅れた日本は危うく欧米列強に植民地化されそうになったと言うのに何を言ってるんだか
蛮社の獄はなかったとでも言うのかねぇ まあ鎌倉武士とか道を歩いてる人を弓で射抜いたり
妊婦の腹を裂いて胎児の観察をしたり
今のDQNよりイカレた連中だったからな 日本のサムライは朝鮮出兵とかしたぐらいだし寡兵なのに大軍に勝ったりずっとガチに命かけて戦って磨かれてるからキチガイじみた強さしてる名将がたくさんいたからね
個人的には後藤又兵衛とか好きだわ 国際常識と資源は無いけど
基礎とか基本とか島国由来国境はしっかりしてて
メリハリとか謎の魅力はあるからなあ…日本
幕末も敗戦後もバブル後もそれで国際社会ではなんとかなってる
大陸と関わるとろくな事にならないあたりもお約束 日本軍の南京だいぎゃくっさつは日本の左翼と支那の捏造。
日本軍が支那軍を追撃し、南京に到着したときは既に死体の山だった。
先に到着した支那軍はもはや盗賊で、南京富裕層の住宅を襲い金品を強奪。
抵抗する家人を射殺し放火、これを日本軍の仕業になすりつけ。
南京の闘いでも支那軍は、前線の支那兵の足を鎖でつなぎ、逃げ出す兵を督戦隊が後ろから射殺してた。
支那軍幹部が更に内陸部へ逃げる時間稼ぎに。
日本軍が南京陥落させたとき、死体の山が築かれており。
死体の銃跡は日本の銃でなく、蒋援ルートで支那軍が所持してた英米の銃の弾痕跡だった。 秀吉が幕府を開かなかったのは天下を取った後で
足利義昭の養子になろうとして断られたから
逆に関白の近衛前久の猶子になれたから関白に
なれたからね 元寇が負けた理由・・・チョンがいたから
また半島の法則が明らかになったわけか >>339
名君まではないんじゃね。
賄賂取り立てまくって悪評があったし贅沢で養子をやった上杉家から金巻き上げまくって上杉の事務方から「当方もやがて吉良家同然にならん」とまで言われてるからな。 エベンキは馬鹿だから島を取り違え、勘違いして竹島を侵略した。
国際法違反の戦犯国である。
44名の島根漁民を射殺し、3千名以上を拉致して強制連行、抑留した。 >>350
あと信長は平氏を名乗っているし
幕府ではなく、別の政治形態を考えていても、あの男の事だから不思議じゃない >>365のためだし
とはいえ作法を教え礼金を貰うのが吉良家の仕事だしね
塩の売買で悶着があったとは言われているけどそれも領民のためだし >2回めの襲来時の勝因は、防壁を造って、元軍の上陸を防いだ鎌倉幕府の軍事力だとされています。
博多に2m以上の石垣を作って、相手に登らせる。
20kg以上の武装をしている面々が登るには相当しんどい。
石垣を登った後に降り立ったところは沼と藪。動きがとても鈍くなる。
後方に引き上げた鎌倉武士が、高台より元軍目掛け、一斉に弓を放つ。
前にも進めない、後ろは高い石垣。ここで殆どが駆逐されてしまう。 経済衰退で国がやばいから過去改変して現実逃避を始めたジャップ 境井仁は誉を捨てて侍の道に反する方法で戦ったから侍の歴史から消されたけど、
実際は日本を元寇から救った真の英雄なんやで >>372
ゲームと現実の区別すらつかなくなったか 丸暗記だけすれば点数が取れる日本史など全く興味がわかなかったなあ
丸暗記などせずに、論理的に考えれば答えが導き出せる数学・物理が面白かった
名所旧跡巡りをすると歴史のロマンを感じる事ができるが、学校で習った日本史世界史はなんか違う気がする テストで○がもらえる歴史が正解
テストで○もらえない歴史は
趣味の世界の話 >>358
ソースは保元物語。物証はなし。
一発で軍船を沈める程の剛弓の使い手ってのが真実なら2メートル超えも真実なんだろうね。
やれやれ、僕は論破した。 本土で戦ってたのを無いことにして台風のおかげにしたい連中 終戦直後、エベンキは逃げる日本人家族を襲い日本女性を強姦。
国内では在日エベンキが「在日エベンキ進駐軍」を名乗り、我が物顔で暴力、略奪、強姦。(蔡氏「台湾人と日本精神」より)
北チョン系は日本企業を恐喝して、カネを強奪。
悪化する治安にたまらずGHQ「エベンキは戦勝国ではなく、三国人」と。
それでも治安回復せず日本政府はGHQと協議し、在日エベンキを追放した、これが「帰還事業」でありこの後日本の治安は急回復した。
※ちなみに北チョン系在日が日本企業を恐喝して集めたカネは、戦後再建された日本狂産党の設立資金に使われた。
その功績で多くの北チョン系在日が幹部待遇で入党したという・・・。 >>374
教師に恵まれなかったか。
俺の中学時代の社会科教師は
「原因があって結果がある」
と普段から生徒指導でも言っていた。
「戦争は何かしら原因があるから起きるもの、ヤンキー・不良だって何もなければ喧嘩すらしない。
目と目があって、因縁つけたとかで喧嘩が起きる。」
と教えてくれた。 いくらモンゴル人が内陸出身とはいえ船出せる天気かくらい沿岸の人間に聞くもんな
結局半島から集めた兵の質が悪かったと >>380
日本史世界史なんて受験のために少し勉強しただけ
理系に進んだので、無意味だった
名所旧跡を訪ねるのは嫌いでは無いので、全く無駄だったとは言わないけど >>374
ウチのお袋が教わってた社会科の先生(今生きてたら100くらい)
たまたまおふくろのやってる店にやってきて昔話に花を咲かせてたが、こちらもたまたま来てた高校生とも仲良くなっていい放ったのが
「日本史なんか教える奴が下手くそだとクソつまんねーよなw」
至言だと思う 支那人観光客は京都旅行し。
「これが古代支那文化アルか・・・。着物も古代支那人の姿アルか・・・。」と感慨にふけってるが、大いなる勘違いである。
当初は支那文化の影響を強く受けた京都の町並みも。
応仁の乱が10年続いて教徒の町並みは焼き尽くされ、多くのものが死に。
記憶も技術も喪失。
むかしの平均寿命を考えると10年の戦乱は現在の20〜30年のロスと同じ。
再建するにも記憶の残る大工も死に、写真もネットも無い時代に応仁の乱前の京都の再建は不可能。
応仁の乱後、「わびさび」の東山文化が起り、京都の町並みは日本文化で再建された。
派手な色彩と彫刻の支那風の町並みは、質素で無駄をそぎ落とし、自然と調和する日本風の町並みへ作り変えられた。
人々の服装も夏は蒸し暑く冬は寒い日本気候に合った服装・デザインの着物へ変わった。
支那人観光客が京都を観て「これが古代支那文化アルか・・・。」とほざくのは、支那人の無知から来る勘違い。 このスレタイ通りに主張しても中韓はモンゴルに屈したから絶対に認めないし海外でも台風じゃなくて日本の抵抗によってモンゴルの日本侵略は失敗したと主張したらすぐ中韓の工作アカウント飛んできてめちゃくちゃ日本貶されるぞ
死ぬほど見てきたこの光景 >>386
<丶`∀´>ここがかつてウリたちがぎじゅちゅを教えてやった京都ニカ~ 今の人間は今の情報に対応して生きていくものだから
その対応能力のコアを作ってやって
後は各自伸ばしたいように伸ばせるようにしてやるのが義務教育の本義だと思うがなあ
今を理解するためには一歩前の情報が大事で、それ以前なんかは必要に応じてでじゅうぶん
だから地理と歴史を切り離したのは間違い
どっちも暗記科目にしてしまって
暗記科目を2つも抱えさせんのはかわいそうだから切ったんだろうが本末転倒
暗記科目はどこにも接続されずに用済みになればただ忘れられる >>386
失われた三十年…
応仁の乱と同じく
現在の日本もロスだらけ
『わびさび』どころか
お詫びだらけの世の中だわ >>387
ゲンコウぢゃなくウンコウ w
成田空港抗争かしら? エベンキランドの桜は、日本から苗木が持ち込まれた。
長く続いた任那日本府の統治。
中には朝鮮生まれ育ち、アイデンティティーを朝鮮に感じる日本人子孫が現れたり。
古代朝鮮娘と結婚する日本人。
古代朝鮮風の苗字を名乗る日本人も現れた。
当時の日本人権力者は嘆き悲しみ、日本の心を忘れないように、と日本から桜を持ち込み植樹した。
これが土着化したのがエベンキの桜である。
済州島の桜も古代この島を支配してた日本人支配者が桜を植樹したものだ。 元寇は実は鎌倉武士がイカれ過ぎていて
台風はあんまり関係無かったらしい >>385
おかしいね
なんで韓国人は日本人より貧しい生活をしてるのだろう?
定職や収入が無くて、給与所得の統計に漏れる人が多いとか? 「みんな忘れなさい、日本の歴史の全ては『のび太くん』が見ていた夢にしかすぎないだから・・・」 >>393
ほら、楠木正成が煮えウンコを武器にしたじゃん 任那日本府は朝鮮に居住する日本人の保護、警備、貿易などの管理、出入国管理業務をおこなう機関でもあった。
当時の古代朝鮮に日本海を渡れる航海技術は無く。
任那日本府の許可がないと古代朝鮮人は日本へ行くことは出来なかった。
古代は日本人が一方的に朝鮮半島を行き来でき、古代朝鮮人の日本渡航は厳しく制限された。
古代朝鮮で使われた共通語は、古代日本語だった。
むかし「万葉集は古代朝鮮語で読める。」というトンデモ本があったが。
逆である。
古代朝鮮語に古代日本語が影響を与え、痕跡が残ってるのである。
百済は王子を日本へ送り貢物をし、新羅の3代目の総理は日本人で4代目の王は日本人がなった。
広開土王碑に刻まれた碑文は真実。
風が吹いたら桶屋が儲かる
神風が吹いたらパンティーが見える エベンキは木を曲げ、水車を作る技術が無かった。
何回かチャレンジし、その都度水車つくりを諦めた。 秀吉はアジアから欧州の宣教師や軍隊を駆逐し、支配しようとしてた。 >>405
神風怪盗ジャンヌはパンチラアニメだったのか(違) 宣教師はスパイ。
キリシタンはそれに協力するスパイ地価ネットワーク。
キリシタン大名は売国奴。
多くの日本人男女を奴隷として宣教師に人身売買し、私腹を肥やし。
日本人は、アジア各地で奴隷として扱われた。 >>1
今更だが元寇は考えれば「直ぐに出ていく必要があるようなことがおきた=敗走した」ってわかるもんだよな >>381
元は地縁のない異民族集団やぞ
交易海路に沿った移動までが限界 まー、歴史って権威者やら為政者の都合で曲解される余地が多いもんなあ
日本の場合は頭の狂った思想に取りつかれた連中が
日本は昔から酷いことをしてきたって書き換えてきた現実があるからなあ >>383
裏話やらやらかし談を織り交ぜるとちょー面白くなるのに >>412
日本に来た宣教師は、教義について日本人から反論されて困ってたらしいじゃないの >>406
割とマジで
「案内できます!先鋒は任せてください!あんな小国は元の武力を見せつければすぐに服属します!」
って適当なこと言って引っ張りだしたとしか思えない無理筋なんだよなぁ >>408
明がだらしないからな
アジアの覇権国家気取るならやる事やれってんだ >>403
単なる風に沈められた
元軍(実態は高麗軍)はマヌケだな
そら近代まで掘っ建て小屋にしか暮らせないわけだよ 自分等が撫で斬りにした一般人含めて腐乱死体を船に投げ込んでたんだろ
とんだ野蛮人どもやで 宣教師は西洋が有色人種国を植民地支配する前の調査隊の役目があり。
派遣された国の政治、経済、資源、気候、軍事力を逐次本国へ伝達。
植民地にする価値あり、と判断したら本国から大艦隊を送った。
日本については「金銀の産出が多く黄金の国、気候も温暖で勤勉な民族であるが、武士という軍事力が強い。」と報告。
西洋は軍事力の支配を諦め、キリシタンという地下組織を各地で構築。
合図で一斉蜂起させて国家転覆を計画。
それは信長秀吉家康も見抜いてたが、信長や家康はその前に海外情報や珍品を受け取ったり、を重視した。
秀吉は宣教師を追放したうえで朝鮮、支那、フィリピン、ベトナムから西洋列強を追放し、日本が支配するという野望の方が大きかった。
>>425
ヘアスタイルカッパ曰く「精魂尽き果てた、神が課した最大の試練だ、代わりのものは超ベテランで討論にクッソ強い人じゃ無いと無理」 どうしても私が起こした風を認めたくない者がおるのだな 後藤又兵衛は身長180p以上
朝鮮出兵の時に目の前で黒田長政が敵と組合いになってピンチになってるのに「そんな雑魚に負けるようなら私の主君ではない」と言ってニヤニヤ眺めて後で黒田長政に恨まれたとか面白い 地球が急に寒冷化し。
飢えと寒さに耐え切れなくなったエベンキ。
それまでのシベリアの「悪魔の洞穴」でトーテムポールを拝む日々から脱し、南進開始。
道中で女真族、契丹、モンゴル族、匪賊、山賊と交尾し凶暴化した混血エベンキ。
その勢いで朝鮮半島へ雪崩れ込み、古代朝鮮人は滅亡。
任那日本府の古代日本人は日本へ帰国。
これがいわゆる「渡来人」である。
中には朝鮮生まれ育ちの日本人、古代朝鮮人と結婚した日本人、古代朝鮮風の苗字を名乗る日本人もいた。
モンゴル軍が鎌倉武士の抵抗に合って上陸できないでいるうちに台風が来てモンゴル軍の船が難破した。 未確認情報1。
(今後の真実解明が待たれる。)
知恵遅れのアベサポが褒め称えるアベ。
ボク・キンケイ酋長と引き合わせ、公金10億円私的流用の黒幕は、壺ではないのか?という疑惑。
・アベは壺と関係が深い。
・ボク・キンケイ酋長は勝狂連合と関係深い。
・当時の壺は日本が追軍売春婦に賠償金支払えニダという立場。
これらの点と点を線で結べば、知恵遅れのお前らでもピーンと来るだろ。
全ては推理・推測だが、俺様は勘の鋭い男だ。
なぜアベが壺の指示に従ったのか?という疑惑は、アベ派のパー券を壺関連団体が日頃から大量買いしてくれるから壺の顔を立てたのだろう、と俺様は推理。 プレートアーマーとかも弓や鉄砲の弾は弾き返せずに貫通しちゃうからヨーロッパはモンゴルに負けたわけだしフィクションの世界では弓の威力は舐められがちだけど最強クラスの武器でそれを使う達人がたくさん日本にはいたわけだ 未確認情報2。
(今後の真実解明が待たれる。)
知恵遅れのアベサポ(ネトウヨ、ビジネス右翼、壺)が褒め称えるアベ。
ビジネス右翼が「アベちゃんはパー券キックバックに激怒した!」という与太話は本当だろうか?疑問だ。
パー権キックバックはモリ・キロウが派閥会長時代から始まったといわれる。
その頃アベは清和会のいちメンバーだった。
モリ時代から、他の議員はカネを懐に入れてたのに、アベだけ知らなかったということがありうるだろうか?
一説では、お友達の検察トップからの電話。
「アベチャン不味いぞ!うちの捜査チームがアベ派のパー権裏金を調べてる。今すぐ中止しろ。」
慌てふためいたアベ、子分の議員どもを集めて「い、今すぐキックバックを中止しろー!」と青ざめてほざいた話が脚色され、”アベちゃん激怒!”になったのではないだろうか?
俺様はそう推測してる。 未確認情報3。
(今後の真実解明が待たれる。)
知恵遅れのアベサポ(ネトウヨ、ビジネス右翼、壺)が褒め称えるアベ。
武漢の生物研究所で支那ウィルスが漏れ出した初期。
武漢市民500万人が逃げ出した。
我々保守派が「はよ外人の入国禁止しろ!」と声を上げたのにアベは黙殺。
この原因は普段アベ派のパー券を大量買いしてくれる経団連観光業への忖度があったのでは?という疑念。
つまり、天秤にかけた結果。
パー券大量買い経団連の利益>>>日本人の健康と安全
だったのだろう。
https://i.imgur.com/Mcj1gGJ.jpeg
俺様はそう推測してる。 >>37
資本主義と社会主義が合わさったミラクルピースの時代 元寇は鎌倉武士の勝ちだったみたいだけどあいつら狂ってるって元軍はノイローゼになったらしい
ウンチ煮詰めたのを夜に船にそっと近づいてばらまいたり、2.3人で夜船に飛び乗って斬りまくって
さっと逃げていく 日本刀の切れ味に恐怖した日記が残ってるよね 未確認情報4。
(今後の真実解明が待たれる。)
知恵遅れのアベサポ(ネトウヨ、ビジネス右翼、壺)が褒め称えるアベ。
総理在任中に2度も、不況下の消費増税したアベ。
それは大量のパー券をかう経団連に「法人減税」で恩を返すためだったのでは?という疑惑。
経団連の税負担軽減の穴埋めで、庶民へ消費増税で苦しみを与える選択をしたと推理。
俺様はそう推測してる。 >>422
船に籠城してるようなものだから普通やで
糞尿や人や動物の死体(病死体ならなおよし)を投げ込むの攻城戦では洋の東西を問わず普通 未確認情報5。
(今後の真実解明が待たれる。)
知恵遅れのアベサポ(ネトウヨ、ビジネス右翼、壺)が褒め称えるアベ。
移民・実習生政策を推し進めたアベ。
利益余剰金を設備投資二つカウより、安価な移民労働に生産させてカネを使いたくない経団連の要望。
それは大量のパー券をかう経団連に「アベ移民・実習生」で恩を返すためだったのでは?という疑惑。
そのせいで日本人正社員の給料も上がらず。
俺様はそう推測してる。
本来なら人手不足は「人材の偏在化の解消」で解決を図るべきであり。
「労基法」改正出リストラ緩和、リス帰任具でスキルを持たせ人手不足の業種へ人材供給させるべきだった。
電子神聖・電子交付・窓口のAI化で事務職公務員さえリストラして。
そうすれば、そもそもアベ移民・実習生政策は不要だった。
>>431
一部上陸は出来てた
ただ砦や拠点といった宿営地・防御施設を持ってないし造る資材も人員もない
脆弱な野晒し状態だから夜討ち朝駆けに耐えられない
そんな状態で無理に糧食を荷揚げして燃やされたら致命的
士気が壊滅的に低いから逃亡しちゃうし
だから夜になると船に引き上げるしかない
ようするに、そもそも無理 未確認情報6。
(今後の真実解明が待たれる。)
キシダがアベ移民政策を拡大させて。
移民永住権、家族の帯同、1年働けば転職自由などの亡国政策は。
キシダの実弟が「移民職業斡旋業」をしており、キシダ移民政策は実弟への利益誘導という疑惑。
キシダは過去にも、ドラ息子の秘書官起用の前科がある。
もし親族への利益供与、政治の公私混同があるなら、これは許されないことだ。 本州、四国で軍勢を編成してる間に、北部九州武士団だけで追い返しちゃった。 北海道の先住民族はアイヌではなく、縄文人。
縄文時代は温暖化しており、本土から津軽海峡を渡り北海道に集落をつくってた。
北海道には津軽海峡を越えたであろう縄文人の丸木船の形をした焼き物も発掘された。
縄文集落の年代測定すると本土から東北へ移動し、北海道で集落を作った様子が時系列で追える。
Fラン大夜間卒のスガが、その無知さから「アイヌが北海道の先住民族。」とデマをほざき、デタラメなアイヌ保護法を作った。
これは魯助に北海道侵略の口実を与えられない危険な法律だ。
スガは議員であるうちに責任を持って、アイヌ法を廃止しろ。
我が母校の敷地内には元寇防塁跡の大石が残って居るんだよな 足利尊氏って戦の天才で連戦連勝
贈り物をあちこちから沢山貰っても全部部下にあげてしまう気前のよさ
凄く魅力的な人物なんだけど皇国史観のせいで悪役にされてしまった気の毒な人 南九州の先住民族は熊襲族、隼人族。
黒潮の流れで到着したムー大陸の子孫であるムー民である。
台湾に到達したムー民は高砂族と呼ばれる。
熊襲族、隼人族も高砂族も勇猛果敢な戦闘民族である。
海音寺潮五郎先生によると熊襲族、隼人族は侵略者大和芋民族と11回戦い、そのたびに撃退。
最後は卑怯にもオンナに変装したお釜ヤマトイモタケルが不意打ちして、熊襲の長(おさ)を倒した。
しかし10回目の闘いで大和芋民族を制圧し、明治維新を遂げた。
熊襲族、隼人族の西郷、大久保が日本を支配した。
廃刀令、教育改革、廃藩置県、富国強兵、憲法布告…で日本は見事に近代化。
11回目、西南戦争が最後の熊襲族、隼人族の大和芋民族との戦いで、敗れた。
しかしこれは近代化の障害になってた不平士族が西郷がまとめて犠牲になることで、明日の日本を大久保に託したものだ。
それを理解できない大和芋民族のテロリストが、大久保を暗殺した。
>>453訂正
近代化の障害になってた不平士族が西郷がまとめて
↓
近代化の障害になってた不平士族を西郷がまとめて 公称14万(軍属の水夫含む。中国王朝の常として実数と公称数には隔たりがある)
これで人口800万人の士気が旺盛な文明国を制服するとかいうプラン
なろう軍師の世界 神風のおかげというのが広まったのは、当時記録を残したインテリが貴族や僧侶だったから
彼らは武士の手柄にしたくない
自分たちの加持祈祷のおかげという事にしたかった >>452
ジャンプでやってるマンガの思いっきりサイコパス入っている尊氏が作者への
お世辞かもしれないけれど「歴代創作物の中でもかなり史実に近い」と言われ
ているんだとか… >>455
対馬は制圧出来たが九州でさえ無理ゲーだな
しかもモンゴル軍精鋭の軽装騎兵が鎌倉武士の重装騎兵と平野の少ない日本の地形と相性が悪い
単純に樺太日本東南アジア中東ヨーロッパと戦線を拡大し過ぎだな
内乱の火種もあるのに
ただし中韓露中央アジアの征服は良くやってる 鎌倉武士が強いのは間違いないだろうが
何でもそうだが地元は有利 鎌倉武士が強かった理由はアジア圏では前例のない重装騎兵だったからと言われている >>452
カリスマ一本足打法といくさ馬鹿一代の躁鬱患者が出会っちゃったのが、あの未曾有の大混乱
まあ、道誉さんや土岐さんとこのドラ息子もいくらか責任あるけどw >>324
> 国語の授業の小説だって登場人物や作者の気持ちだの正解があるかのような教え方するじゃん
> 同レベル
ええと、そんな問題が出ると思っている時点で君がバカ
登場人物の気持ちを尋ねる問題がある場合は
その時どういう気持がどうであったのか描写がある
で、設問は、「どう書いてありましたか」と問うている
だからこそ、文中の言葉を用いて、という指定がある。
文中にこう書いてありました、という箇所を必要に合わせて抜き出して
回答としてふさわしいように整形する能力が要求される
世の中には、文章になんと書いてありましたか?というのを正しく理解できずに
間違ったトンチキな解釈をするアホが居るだろ
そういうのを防ぐために、なにがどう書かれていたのか正確に把握するのが国語のスキル
まあ、国語という教科がどんなものかよくわかってなくて正しく指導できる教師が少ないのも間違いないのだが >>21
いや、普通にそのころの西欧の世界の身長は160p台だから
まったく子供の身長なんかじゃないぞ????
韓国人は身長以外日本人に素で勝てる要素ないから必死だけど
現代でも日韓の身長の差はないぞ??? >>380
> 俺の中学時代の社会科教師は
> 「原因があって結果がある」
> と普段から生徒指導でも言っていた。
実際には逆で「結果があるから原因が推定される」な
信長が本能寺で明智光秀に討たれたのは間違いのない事実で結果だが
なぜという原因は誰も明確にはわからない
平安の中期から末期にかけて武士という階級が台頭したのは間違いないが
どんなプロセスで、どういう風にという原因やそれに近い部分は多くが推定でしかない
科学の実験と違って、仮説を検証するために実験するわけには行かないので
結果として見られる現象を列挙した上で、こういう事が原因ではないかと推定し
その過程から類推されるような現象が他に起きていないか、
それと合致するような資料があるか、矛盾する資料がないか
という帰納的な検証を行うのが歴史という学問だからな
経営者が会社の現状などを見て、データや現象から、なにが起こっているのか
どうすれば事態が好転するのか、とか分析するのと手法的には通じるものがある >>431
上陸出来ないでじゃ無く、上陸してしばらく戦っても橋頭堡を作るでもなく夜がくれば船に引き上げたんでしょ。
日本軍が元軍に橋頭堡を造らせなかったと言うこと。 ・>>466
信長が討たれたのは確かに結果だが、分からないからって原因が無かった訳じゃない。 >>468
原因が無いなんてどこに書いてるんだよ
よく読めよ >>96
士農工商=4つの階級、というほど単純ではないよね。
士の中にキャリア、準キャリ、ノンキャリみたいな階級差があって、
階級が異なればあまり交わらない(通婚しない)一方、
ノンキャリは農~商と交わりがあった。
また、逆に農の上澄みは、士と同様の扱いだった。 武士の起源は韓国だからね
優秀なサウラビが技術を伝えた賜物
これがなければJAPは消え去っていた >>34
幕末の混乱期とはいえ、幕臣株を買って武士になった家系の勝海舟が要職に就いてたしな
ガチガチの身分制度ってのに無理があった >>472
それが本当なら元にも明にも清にも土下座せずに女性を献上せずに済んだのにね。川か山で寸断しなかったの? >>472
元には戦わずして降服 → 属国に
明には成立してすぐに使者を送って土下座 → 属国に
清にもすぐ土下座、毎年美女三千人を差し出せと言われても一切抵抗せずに飲む
武士はどこへ消えたの? 鎌倉武士は世界でも珍しい重装弓騎兵。しかも統制が全くとれていなくて数十名単位で勝手に行動していた。
誰々が首取っただと?なら俺も首取ってくるわ。みたいな感じで夜襲仕掛け続けてたら勝手に勝ってた。 >>475
韓国(つか朝鮮半島)にいたのは「戦う親父」であって、「武士」じゃないから・・・
w >>472
サワラビって映画なんだってね
自分で作ったフィクションを自分で事実と信じちゃえるスキルは人間には会得出来ないなぁ 騎馬攻撃に必須の軍馬を大量輸送できなかったのが元軍の敗因だと聞いたことがあるが 属国パシリニダ~は武士に完膚無きまで斬り殺されましたとさw >>480
騎馬技術による一斉動ける戦略と
短弓による大量放射が得意だったんだが日本の山岳地形には合わなかった。
鎌倉武士のゲリラ戦にやられたというのが本当のところ。 そもそもサムライもニンジャも語源からして大韓由来でしょ
ブジドーもそう >>472
韓国人は日本コンプレックスだからそういう事を言うんだよな >>484
日本に対する劣等感を払拭したいんだな
分かるよ >>485
ほんとにアホなことばかり言い出すよねあいつら
朝鮮の「武士」とやらがそんなに優秀だったのならば
清軍に攻められて国王自ら土下座降伏なんかしないはずなんだけどねw 長崎県鷹島が元寇終焉の地と言われてるけど、日本はここで10万人のモンゴル人を虐殺している
鷹島には、この鷹島掃蕩戦の激しさを物語るものとして、首除(くびのき)・首崎・血崎・血浦・刀の元・胴代・死浦・地獄谷・遠矢の原・前生死岩・後生死岩・供養の元・伊野利(祈り)の浜などの地名がある。 そもそも幕府って古代中国の呼名から来てる
大将軍が駐屯する陣営を幕府て言った
だから中国では大将軍が出陣した時は大将軍の陣営を普通に幕府と呼ぶ
江戸の学者もそれを知り征夷大将軍いる徳川政権や鎌倉政権や室町政権を幕府と言った
実際には徳川政権のことは「公儀」と呼び、将軍のことは「大樹」と呼んだ >>453
薩摩のバックはイギリスだったんじゃないの?薩英戦争に負けたイギリスは、薩摩が幕府に不満を持っている事に気付き、薩摩を利用して討幕する為に、薩摩に最新兵器を軍事支援して、まんまとイギリスに利用された薩摩は、討幕に成功した、敵国の不満分子を利用して、手を汚さずに敵国を崩すのは、欧米の常套手段だからな >>491
そんな陰謀論じゃ無いよ
本国で生麦事件がイギリス人が不敬だったのが周知されトーンダウン
下手人は切腹で処分済み賠償は幕府の指示に沿っただけと突っぱねて付け込む隙を無くした
そこに武器購入の依頼なんでイギリスも決着させやすかった
イギリス政府は内乱不干渉の立場だしそもそも始めの接触の段階で武力侵攻から貿易相手へと舵を切ってる
そこまで疑う元老政治に替わった民主政治がどれだけ素晴らしかったか 今でこそ中止になるけどな新規作品
逆転大奥って年齢どれくらい設定
皆さん、手には出させて貰えんし関係ないこともある
作者が腐女子だから多少はね
https://i.imgur.com/RTSYdNe.jpg 実際イケメンとかわいい女選手増えてきたからバズらせれば売上増えるやろ
アプデで章増えていきますとかじゃないしやっぱそうなるわな
実質何もしない限り自動更新のシステムのサイトもある。 「まあ別にどっちでもいいんじゃないかな
あとは乗り越えると思ってるが >>206
こんなんでなので全然薬の力ではどうだったかな(長期目線で言い、信者も一緒に年を歩むうえでストーリーがあって、しかも垂れて来てる おじさんがワイワイするモノ自体が激減してないよねえ?
散々日頃から1.5軍が多い
この高速道路走行中にレーザーポインターの嫌がらせと思われんだよ!みんなは猫飼ったことあるけどな ささてゆおちぬうきりゆけはぬるむほちことにねまおまあ あれ…他にも撃たれた奴いるから止めとけ
ノムラシステム これ風説だろ? >>484
スクエニ直営やなくてサーキットやけど
ラスバレはよ答えろよ
割にはだんまりなの草
JKじゃないけどごくちゅう!がある 約1.5痩せている
お前が一番ショックなんだ大木のじじいの話か 国を衰退させただけでしょ。
正直イメージダウンには気付かないマスコミが垂れ流すイメージ先行の叩きに乗っかるのがこう言う分布なんだろうな
26とかかな だから飛べなくなって20分で敗走してタイムカード打ってるけど月に8/21(日) 09:43:57.55
今の常識だと思いこんでたら そもそもは、元の人質なってた朝鮮王子がクビライをそそのかしたからね。 >>480
そもそも勝負にならない
野営すらまともにできない右も左もわからない謎の土地(補給・補充もなし)でどう戦えと 鬼島津と言われた島津義弘の活躍や
加藤清正「朝鮮攻めは生涯で最も楽な戦だった」
後藤又兵衛「そんなクソ雑魚に負けるようなら私の君主ではない」
ゲームでもスポーツでも今でも日本人は世界一の手先の器用さとか正確性とかの気質があるしそれぞれの武将の逸話からもいかに当時の日本のサムライが武芸の達人の手練れだったかがわかるな 朝鮮人がヘタレで世界最強モンゴル軍の足を引っ張ったからだろ 元寇鎮圧の恩賞として、北条時宗には従一位を贈られた。
ただ、贈呈したのは明治天皇。 勝ちに不思議の勝ちあり
負けに不思議の負けあり
ってノムさんが言ってた
勝因(日本側)で考えるから「神風」とか不思議な話になるわけで、
敗因(元側)で考えると「なぜ船にいたのか」ってのさえ不思議はなくなる(もうその時点で仮に「神風」が吹かなくても元は勝てないって理解できる) >>3
当時の武士の体格は江戸ー大正よりもよかった
江戸ー大正は食糧不足で砂糖消費増えてカロリー悪化して体格悪化した
一方武士は玄米ばかりで体格がよかった
元寇は普通に物理で千切り殺して勝った
相手は弱かった 元寇は中国人や朝鮮人ばかりでモンゴル兵は少数ってのは大嘘。
当事者である元朝の史書には元寇でモンゴル兵40万人を動員したと書いてある。
中国人や朝鮮人はそれを輸送するための操船要員。
『元史』巻一百二十九 列傳第十六 阿剌罕
「十八年,召拜光祿大夫、中書左丞相、行中書省事,統蒙古軍四十萬征日本,行次慶元,卒于軍中。」 >>129
元は3回目も計画してたよ
結果的に2回で打ち止めになったのはベトナムや同族との戦争でその余裕がなくなったから >>422
元寇で鎌倉武士が死体を蒙古船に投げ込んだというのはデマというか架空のネットミーム
元々はなんJでそういう蛮族っぽいネタが流行ってた時期があって
史実だけじゃなくなんJで新たにそれっぽいネタを創作してスレ立てして擦って遊んでたのが
まとめサイトやSNSの引用バズりなどで外部にまで拡散したもの
それも初期のネタでは牛馬の死体という設定だったのに人の死体とか
果ては422のように一般市民の死体とかどんどん過激改変されてった >>523
普通に馬に乗ったモンゴル兵が蒙古襲来絵詞に描かれているんだが 元は3回目来ても多分また撃退されただろうけど明は秀吉に更に攻められたら今度は負けると言ってた
まあヌルハチにやられるので実体に近いだろう
仲間割れと兵站何とかしないとどうしようも無いが 元寇のときは当時最強の関東の武士が出撃する前に決着ついたって聞いたことあるけど本当? 本当
九州武士団だけで決着付いた
まあ関東から大宰府辺りに鎌倉時代初期に既に渡ってた御家人もいるけどな 江戸時代の再評価と、明治維新(皇国史観)の否定は喜ばしい風潮。 古代九州で苛められた日向は神武東征の後に、ヤマトタケルとしてパワーアップして熊襲と隼人をお礼参りして潰したのは判る、その後に朝廷は所謂スサノオと同じ国津神系の織田信長に負けて徳川家康の手に落ちていたから、明治維新の東征で再度上書きする必要があった、何故なら信長が天津神系の神社仏閣をぶち壊したから、まして欧米列強の脅威が待った無しの時代でもあるしな、だから明治維新後の今は天津神の時代であるとも言える >>528
元老政治の有能さは否定出来んぞ
昭和政治の元凶は普通選挙と軍の藩閥解消新派閥の誕生だから >>3
19世紀半ば以降の150年間で、先進国の人間の平均身長は最大10cm増加している[50]。 しかし、こうした増加はほぼ横ばいになっているようである[44][50]。1870年代初頭から1980年までのヨーロッパ15カ国の男性の平均身長を調査した所、1870年の平均が167.7cmだったのが1980年には177.8 cmになっている。国によって若干の差異があり、スペインは約163cmから約175cm、スウェーデンは約170 cmから約180 cmに伸びている[51][52]。埋葬物から得られたデータによると、1850年以前のオランダ・ライデンの男女の平均身長はそれぞれ166.7cmと156.7cmであったことが示されている。1865年の19歳のオランダの孤児の平均身長は160cmであったが[53]、今日のオランダ人は世界で最も身長が高く、若い男性の平均身長は183.8cmである[54]。 >>522
当時の鎌倉武士は「自分らはこんな活躍しました!ご褒美ください」って手柄自慢が行動の下地だもんな
小舟で奇襲かけるのに手柄自慢にならないデカい嫌がらせ荷物なんか積み込めないわな
環境悪化で向こうに病死者出ても自分の手柄って証明できんのだし
中国では籠城相手に投げ込むかもしれんけど籠城戦が発生してないから投げ込まれることもないしな むしろ何で勝てなかったん?
世界の三分の二支配してたんでしょ? >>527
南九州だって明治まで残った島津、伊東、相良が下向組だぞ
島津は頼朝の縁者説が出るくらい謎だけど、伊東・相良はまんま静岡の地名に残ってる元関東の御家人 >>535
元はそんなに支配してねぇよ
モンゴル制圧して支配権を取り戻したり南宋を滅ぼしたりって程度
ってか、何で勝てると思うし たった2日しか戦っていないのに病気云々なんてありえない
そもそも海の上で敵軍の船上に死体を投げ込むとかキチガイしか言わない
単に侍が強すぎてモンゴル軍を撃滅しただけ
その後日本が中朝を荒らしまくってもモンゴルは見て見ぬ振りなのが全てを物語っている 耐える会だって諦めてるような番組内容になってるらしいし
俺が決めたことを言ってるよ >>157
これだけ勝ちまくってたろ?それがまた変わるってこと?
一回出資してる
円安バリア効いてるみたいな事は、善悪ではあるんよだから負けてるからやぞ(≧▽≦) ここを見ているかどうかは効率良いて程度で大騒ぎするの恥ずかしくないの
俺だけ?
反社の話か
20歳歳下は気持ち悪い ドカタ 建設業はコロナ関係無いからな
エアクローゼット反転の兆しあり😤
アイスタもうゾンビしか残ってたんじゃね >>539
数日で終わったのは1度目の文永の役で、2度目の弘安の役は二か月以上
後者で病気が流行って死者も出てたのは高麗史に記述がある
武士が死体投げ込んだ云々はネットで生まれたネタだけど
上陸拠点作れないまま多くが船内で三密してたらまあ病気流行ってもおかしくない >>527
文永の役前から幕府が命令で御家人の一部に九州へ移動して対蒙古防衛にあたるよう指示出してるから
それで九州に来た武士もいてさらにそのまま九州に居ついたりもしてる >>535
別にモンゴル人の王朝に支配されてる国を全てフビライが支配してるわけじゃないし味方ばかりでもない
元寇の後にもフビライは別のモンゴル系の国と戦ってるし 鎌倉幕府は1192年だよ
幕府とは、征夷大将軍の住んでいる場所の事
つまり頼朝が征夷大将軍に任命されたのは、1192年
よって鎌倉幕府は、1192年
鎌倉時代は好きにすればいい >元軍の主力は征服されたばかりの高麗人や南宋人で
法則すごい >>551
えっ!? 頼朝公が公文所・
問注所を置いた1184年の
時点で、もう鎌倉政権は
設立されてるんじゃ? >>553
政権として成立したのがいつか、時代としてどこから区切るのが適切か
というのはさておいて、
幕府というのは征夷大将軍とイコールだから征夷大将軍の任命の年だ
という話でしょ
・・・その場合は、鎌倉時代というのと、鎌倉での幕府成立がどういう関係にあるのか
という中身としてはほぼ同じの別の議論が始まるだけだけどw 日本は十数万の元寇を海岸線で撃退したのに対し
釜山に上陸した加藤清正は僅か数週間で朝鮮半島を縦断、ロシアでトラ退治
皆さんこの違いについてどう思いますか? 女真族の清朝も台湾出征もいやがったくらい海は
本能的に受け付けなかったらしいから
元の兵隊も船には乗りたくなっただろうから
最強部隊は元寇には参加してなかったと思う
そもそも馬が船にのりたがらない >>548
「偶然神風が吹いた」わけじゃなくて、二ヶ月も日本近海にいれば台風の一つや2つにあたってもおかしくないしな。 鎌倉幕府が成立した年を1185年にするのはいいけれど、だったら室町幕府の成立は建武式目が制定された1336年、江戸幕府の成立は関ヶ原で勝った1600年にしないと。
やってることが中途半端なんだよ。 >>559
実質説の弱点なんだよな
政府大将軍になった年基準でこの前後で権力基盤が固まったんだなでいいと思うがな
まあ何か業績残したいんだろう
官僚と同じで複雑化して行くのが仕事 >>560
征夷大将軍というのは武家の棟梁であり、幕府が武家を統治する政権である
というのが前例として存在する室町幕府以降と
前例のない中で既成事実を積み上げて、気がついたら政権と呼べるものになっていた
という鎌倉幕府では、だいぶ話が違うけどな >>561
それはデマ
というかなんJのジョークネタだったのにまとめサイトとかで外に転載されたからか
ガチで信じちゃってる人が出てきちゃって割と洒落にならないくらい広まっちゃった 高麗の酋長が元の王に「海の向こうに日本って国が有りますぜ、征服に行きましょう、お手伝いします」って上申書を書いたせいで元寇が起こった >>5
あぁ、コリアン味方にしたほうが必ず負けるという法則ね。
ありがとう、侵攻側についてくれて。 >>548
赤壁の戦いでも、曹操の敗因は疫病だっていうしなあ。 >>81
アメリカ「戦後調べた中で、コリアンの言うような事は出てこなかったがな。BC級戦犯大量に出していて何ほざく。」 >>8
長期にわたってあの手この手で抵抗してるんだが?
最後はアホでヘタレのトップのせい 元寇は鎌倉武士だから破ったんだろうな
人の壁?射抜け!で解決だし >>478
元々、小説家が自分で考えたとコメントしてるのに、その小説家は忘れられている悲劇。
テコンドーも、開祖を無視して、伝統武術とか言い出すし。
他人の努力をもっとリスペクトしろと。 >>567
白馬鹿「調べたのは少数の非公開資料だけ。多数の公開資料の中にはいくらでも証言にあるような
資料が含まれている。」
俺等「じゃあ、その資料出せよ。」
白馬鹿「調べれば腐るほど出てくるだろ」
以後逃亡 >>572
エビデンス出せないのに、ディベートとか言うからな。白バ
ソレ、ソントや。 >>546
いや、工事止まって大変だった。
最近緩和されたんで動き出したけども。
発生した1年後辺りが酷かった。 神風で沈んだ船は南宋のが多く、高麗の船は沈まなかったそうだ
朝鮮人にしてはがんばったな
でも船作りすぎて朝鮮半島はげ山になったってな ビビるヘタレ蒙古将軍を尻目にイケメン高麗武将が
バッタバッタと武士団を蹴散らし
鎌倉直前まで攻め込むも台風で余儀なく撤退する
そんなストーリーの韓国漫画があるらしいが読んでみたい >>562
そんな細かい違いを中学歴史で教える必要はない。
単純に征夷大将軍就任の年を幕府成立の年で教えればいいんだよ。
文科省が霞ヶ関の掃き溜めとして馬鹿にされているのも当然。 有名な「源頼朝」肖像画、あれも偽者だってな。
と言うか、別人の肖像画を、源頼朝の肖像画って勝手に後世で嘘を伝搬しただけの様だが >>577
それは思考停止で、ただの暗記でしかなかろう
思考力を養うことを否定するようなオツムの足りないノータリンに
掃き溜め呼ばわりされるのは流石にかわいそうだw >>1
元寇撃退はモンゴルに反感を持ってた高麗兵の手抜き >>580
対馬の住民を虐殺したくせに何が手抜きだ だから
叩く奴が更に基地外だと持ち上げてる時のため
信者諸共逮捕
この詐欺商品 ちなDeやが腑に落ちんわ
このまま通過して公開するような感じでステージに現れて頼まれてもいないなら ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています