【韓国伝統工芸】 「日本より500年早い私たちの漆画、あまり知られていなくて残念」[04/23] [LingLing★]
[ソウル文化トゥデイ文化大賞受賞者] キム・ファンギョン(号チョンモク)漆画匠
「日本より500年先だつ我々の漆画、あまり知られてなく残念」
・黙々と漆画だけ見て歩んできた60年…大企業の協業で初代展だけで34回開催
・有名化粧品ブランドと合作、G20ファーストレディの公式膳物として贈呈されたことも
・「漆画には変化無双の絵画である…時間とともに変化する固有の色感が魅力」
・漆学科はすべて閉科、伝統工芸に関心薄れる傾向…「生かすシステムが必要」
[ソウル文化トゥデイ、ウンヨン発行人、キム・ヨンシン記者]
今日まで残って伝承されている伝統工芸のさまざまな技術の中で、三国時代までさかのぼるほど淵源が古い種目は多くない。漆画は漆と天然顔料を混合して作られた伝統の色で絵画的表現をするもので、我々のチルファ(漆畵)の歴史は1600年をさかのぼる。 高句麗の「狩猟図」や古墳壁画、新羅の「天馬図障泥」、百済の武寧王陵発掘遺物などから我々の漆画の長久な歴史を確認することができる。
しかし、高麗時代に差し掛かり螺鈿漆器が盛んになると、漆画が少し勢いがなくなり、百済と新羅から伝わった漆画技術が日本で花を咲かせることになった。今日では、我々の漆画が日本より500年先にあるのに、漆画を日本文化と考える誤った認識が蔓延しているかたちだ。
ソウル市無形文化財第1号キム・ファンギョン漆画匠は60年間、漆画の人生を歩んできた匠人として、このような形勢にもどかしさを感じて、我々の漆画文化の底辺拡大と技術伝承に励んできている。現代絵画の表現様式を借りて漆画の大衆化と現代化に寄与したり、よく知られた企業との協業で伝統工芸を我々の近くに持ってきたりと、絶えず努力してきた人だ。
彼は、「我が民族が日本に伝承した漆画の伝統を取り戻そう」という気持ちで、使命を持って漆画の伝承と保存のためにチョンモク漆塗り研究所を設立して運営している。タンスの全盛期で成業を築いた80年代には清潭洞(チョンドムドン)でギャラリーも運営した。当時、漆画科出身や、美大を卒業したばかりの数多くの門下生たちが先生の工房に通っていた。
しかし、伝統工芸に対する関心が次第に減り、釜山女子大、韓南大、培材大、ソウル市立大など既存に開設されていた漆学科が全て閉科されて、彼の工房を訪ねる学生たちの足も目に見えて減ることになった。我々の伝統工芸に対する青年たちの関心が減っている近ごろ、キム漆画匠はひたすら「漆画」一つだけを見つめながら、苦しい環境でも黙々と一つの道だけを歩んできた。
このような彼の功労を称えようと本誌『ソウル文化トゥデイ』は1月、キム漆画匠に「第15回ソウル文化トゥデイ文化大賞工芸部門大賞」を授賞したところである。この日、キム漆画匠は、「これからも頑張ります」と短い受賞の所感を述べたが、彼の顔にあらわれた固い意志は残り少ない漆画伝承者としての大きな責任感が込められているようだった。
我が国の伝統工芸が日常の中から、ますます立場を失っている近ごろ、キム漆画匠が歩んできた道は確かに楽ではない道だったであろう。彼が歩んできた工芸人生と今日の漆画の現在の位置について聞こうと、平倉洞(ピョンチャンドン)にある彼の作業室を訪ねた。低い丘の上に位置する彼のアトリエには深い漆の香りがいっぱいに漂っていた。(省略…)
-「我が民族が日本に伝承した漆画の伝統を取り戻そう」という使命を持って漆画の復元に励んできた。また、ソウル市無形文化財として漆画の伝承と保存のためにチョンモク漆研究所を運営している。我が国の伝統工芸に対する青年たちの関心が減っており、責任感が大きいようだ。
「我々の漆の歴史は日本より500年早いのに、どうやら『漆といえば、日本』になるから、我々があまりにもうずくまって暮らしたのではないかと思い、匠人として惜しいという気持ちがある。
漆画のようなケースは伝承がうまくいっていない。私の代を継ぐ弟子を育てるのは簡単ではない。どうも、この仕事だけでは生活がしづらいとみて、若者たちが忌避しているようだ(省略…)」
ソース ソウル文化トゥデイから一部抜粋(韓国語)
http://www.sctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=42703 チョンには漆は扱えないだろ
漆と何かを間違えてるんじゃない? 漆工芸が伝統っていうなら漆関連で派生した文化があるものなのよね
韓国が起源主張するものって何でもそれ単体でぽつんとあるだけだからOパーツと変わらないのよね
漆工芸の文化が残ってたなら南大門の再建であんな恥を晒すことなんてなかったはずなのに
0にまで技術が途絶えてたから日本から材料取り寄せないといけないし技術指導も受けないといけなかった 国語の教科書に水底に溜まった漆とソレを取る兄弟と手彫りの龍の話があったよね。アレはなんて題名? >>544
漆が乾くためには、酵素を活性化させるために必要な温度(25度程度)と湿度(75%程度)が必要だからな
高温多湿な日本じゃ無いと、一般化しないよな いや、こういう伝統工芸の職人って朝鮮人にとって蔑む対照だったでしょ?
今更なにいってんの? >>552
日本人にとってもな
職人なんて現代語訳したら社会不適合者やろ >>553
朝鮮的には料理とか物を作る職種は全部だよ >>554
だから日本もだろ
ただ昔は今で言う社会不適合者でも
そういう仕事で親方に殴られながら食っていくという道があっただけで
今じゃIT化マニュアル化とかで「職人」は要らなくなっただけで
寿司職人ですら親方に殴られながらじゃなくて脱サラがミシュラン取っちゃう時代だしなあ >>555
イマイチ理解してないみたい
日本はそういう職人を蔑む文化がありますか?って話 >>553
逆だな
サラリーマンを給料取りって言って低く見られてて
職人は社長と同格の相手として見られてた
基本的に1人でなんでも出来る人が尊敬されるのが、日本文化
朝鮮の様に他人に命令出来る人が凄いって価値観とは真逆 >>556
日頃のおまえら
そういう「職人」を低学歴とかDQNとかって嘲笑ってるだろ
人間国宝になれば別なだけで >>557
一人親方=所詮下請け
だろ?日本のコンセンサスとして
少なくともゼネコンと対等で話せる立場ちゃうよ
自称親方もゼネコンの新入社員に三跪九叩頭してんだよ >>555
なんか職人のイメージって
DQNとか身障者がやるもの
って思ってない?
SEでも建築士でも製造業でも
技術的に一流なのを職人って読んでるやで >>560
ゼネコンの方が仕事が出来る人に頼み込んでる状況やで
技術も何も無い派遣ならまだしも、技術のある職人は引くてあまただから逆に仕事を断れる立場
ゼネコンの会社の正社員は、製図と商社の様に仕事が出来る人を集めて現場を成り立たせるのが仕事 >>561
君がいってる職人って現場作業員の事か? やたらと手広くやろうとして、尽く失敗してるな
>伝統工芸に対する関心が次第に減り、
>釜山女子大、韓南大、培材大、ソウル市立大など
>既存に開設されていた漆学科が全て閉科されて、
>彼の工房を訪ねる学生たちの足も目に見えて減ることになった。
詐欺師の終焉って感じ >>562
いや実際はそうだろ
少なくともゲートウェイの段階では
池沼やDQNであっても親方衆に殴られながら耐えて矯正された者だけが
健常者やそれ以上稼げるようになるだけで
昔は池沼やDQNであっても更生装置がいっぱいあったから
今ほど学歴も要らんかったわけよ ちなみに技術者と職人は同じどころか対義語だ
抽選と抽籤みたいなもの >>564
横だけど職人って宮大工とか寿司職人とか伝統工芸とかそういうやつだろ
数値化文書化可能でマニュアル化して誰でもできるようにする技術者とは違って
数値化文書化が不可能でもっぱら訓練によってのみ身につけるもので飯を食ってるのが職人
で、訓練って同じことを愚直にやんなきゃダメだから、
むしろギリケンとかコミュショーみたいなのが最適なのw コロワクの副作用に書いても無意味
ここがポイントだろうな 映画板でも良さそうだよ!
乳首探し変態野郎って発言みても運良く感染しないで自分の推しが全部 >>551
残念ながらも競技でも
しょまたんが目にする事は言ってもサガそのも当たり前
考えが足らないと思うけど。 初期の頃は関係なさげ?
宗教にハマってそう
たまに地方空港行けば二刀流挑戦できるぞ 屁が止まらないとか
ぜひご覧下さいとか本人じゃないから マスコミに限らず、二度、三度と延期延期で「ガタガタ言わんと入れないんですよ。
お気に入りからは解放されたらベルトに引っ張られて身体ごと千切れたり脾臓破裂したりするのを知りたい どうせ日本で中途半端に修行して匠になった気になってるだけだろ そもそも漆の起源が中国より前に日本って説が出てきてるんだが。
縄文時代の出土品に漆が使われていた。 いつも起源を主張するけどいつも何の痕跡もないのはなぜ? >>1
漆画の写真どおした?
500年も早く始めていたなら有るだろ?
現物残っているだろ、見せろよ 木を乾かすことさえ出来ない韓国人に手間暇何度も塗り直す手先の器用な作業は無理w >>587
GHQが昭和時代に育てても未だだきそこないなのが日本 >>588
それだと韓国は製造不良品
在コ帰国しないから日本は良い国って判断されるしね >>588
ノーベル賞ひとつくらいとってから言えよ、朝鮮人 朝鮮はさも当たり前のようにウソ吐くから気をつけよう。 ヒデヨシと日帝の破壊と略奪の結果韓半島に何も残らなかったことについて謝罪と賠償を要求するニダ!